今はさよなら
「じーじ、おれのがデカいぞ」
「何を言うとる、ワシのはデカさだけじゃあない、食えばうまいわ」
「んなのおれだってうまいっつーの」
互いの釣果を張り合う俺とじいさん。
釣った魚は同じだが、僅かに俺の方がデカい。だがじいさんの方が鱗の柄が綺麗だ。じいさん曰く、この魚は柄の綺麗な方がうまいということだが――
「んなの、はつみみだ。いまかんがえたろ」
「お前が物事をよう知らんだけだ」
「まけずぎらいめ」
「生意気なやつめ」
ふんっ、と揃って顔を背ける。
じいさんと約束した、旅立ちの日まではあとどれくらいか。あと1年という期間がもうすぐ終わりに近づいているのは分かるが、正確な日にちは分からないでいる。
あれから――。
あと1年待てと言われてから、じいさんは俺を子ども扱いするのをやめた。朝、叩き起こすことはなくなった。だがじいさんが漁で獲ってきたものを食べることは許されない。くれと言っても、くれない。だから自分で獲らざるをえない。
料理だの何だので、火が必要になってもじいさんは魔法で火起こしをしてくれることはなかった。俺が火を使おうとすれば消してしまう。仕方なしに、俺は毎度のことのように摩擦で火を起こす。最初は手こずったが慣れてくるとうまくいった。自慢してやったらじいさんは顔を引きつらせていたが、悔しそうに「どこでそんな知恵をつけた」と言っていた。
子ども扱いの中止は生活だけに留まらない。
じいさんとの戦い訓練が、さらに高難易度になった。以前は俺が基本的に打ち込んで、それをいなしたりしてじいさんが対応するものだった。だが今はじいさんの方から猛然と向かってくる。ヘタすりゃ1発KOだ。一応、死なない程度の手加減はしてくれているようだが、それにしたって問答無用で俺と違って、モノホンの鉄製の銛で思いっきりぶん殴ってくるんだから気絶をするし、全身に打撲の痕が残る。
10本勝負でずっとやってきたのも、1日に1回、俺が動けなくなる一撃をもらうまでの1本勝負となっている。勝てた試しはない。
これまでも仲良く暮らしていたつもりだったが、さらに仲は深まった。
何かとじいさんが、あれをするからこいとか言って、連れ回すようになった。とは言え、どこかへ出かけるということはなく、例えば釣りにいく頻度が増えたとか、林の一部を切り拓いた猫の額ほどの畑仕事を手伝ったりとか、そういう感じだ。じいさんは遠慮なしに、ことあるごとに俺をディスってくる。
「おお、何だその魚の捌き方は。ヘタくそめ」
「レオンにはこの程度の工作もできないのか、ぶきっちょめ」
「ワシが本気を出した方がうまいメシが作れるわい」
「その気になれば、ワシは1日に銅貨70枚は稼げるわ。お前はせいぜい40枚か、甲斐性がないのう」
「おお、おお、お前はチビっこいのう。こんなところの木の実も道具を使わんと採れんとは。どれ……んむ、うまい」
まあ、喧嘩を売られてるようなもんだ。
だが俺もディスられてそのままとはいかないから、何かと張り合うようになった。
「じーじはしおやきしかつくれないもんな。おれはもっといろいろつくれるし」
「じーじにはわかんないかな、このげーじゅつせいが。しんびがんがないんだよな、じーじには」
「やだやだ、じーじはみかくもよぼよぼだから、うまいのがわかんなくなってるんだな」
「いつもちょろまかされてかいたたかれてるのに、そのきになればー、とかアホらしい」
「めがわるくなって、おれのをよこどりしなきゃいけないなんて、おとなげねえの」
張り合いの日々だ。
充実感とは違うかも知れないが、手応えがあるっていうのはいい。
それと、たまにじいさんに俺の知ってる歌を教えてやった。
何となく鼻歌交じりに料理をしていたら、じいさんの方から興味を持ってきたのだ。じいさんが気に入ったのは、演歌だった。何せ言語が違うから、歌詞をつけるのは手こずったが、頭を捻り出しながらどうにか、原曲に即した詩をつけて歌ってやれば気に入って、そればかりじいさんは口ずさむようになった。
でも、おんな港町っていうんだぜ、その歌。
じいさんはエンカって言葉で覚えちまったけど、まあ気に入ったんならいいだろう。どうせなら、俺としてはロックを覚えてもらいたかったけど、まあ、仕方がない。じいさんにはロックなスピリットがちゃんと宿ってるから、良しとしよう、うん。
「じーじ、かた、もんでやろうか」
「いきなりどうした」
「いいならいいけど」
「……やりたきゃやれ」
素直じゃねえの。
別れは、近づいてる。してやれることなんて限られてるが、思いつくことはやっている。
じいさんの凝り固まっている肩は、魔技なしだと固すぎる。だが、魔技を使うわけにもいかず、力を込めながら揉みほぐす。指が疲れれば拳を握って叩く。
「どう?」
「力が足りん」
「……そこはおせじでもさあ」
「肩もみちゅうのはもっと違うだろう。こっちに背を向けろ」
「いいっておれは」
「いいから向けろ」
嫌な予感がビンビンだが、背を向ける。わしっと、両肩をロックオンされる。
そして――
「ふんぬぅっ!!」
「いっ、だだだだっ! いったい、いたい、いたいって、じーじ! じーじぃぃぃっ!」
骨まで砕かれるかのように肩の肉を根こそぎ、持っていかれそうになる。
逃れようとするのにじいさんはしっかり掴んで放さなかった。ようやく解放されると、じいさんは快活に笑う。
「ちっとも凝っておらん」
「だから、いらないって……」
そんな楽しい時間を、過ごしていた。
そして唐突に、その日がきて、じいさんが告げる。
「まだあの領主のとこへ行きたいんなら行け。
だが……ワシはお前を叩きのめしてでも行かせんぞ。ワシを止めてから行くことだ」
朝の漁が終わって、メシを食って、じいさんはそう言った。
町におつかいへ行け、と言っているような調子だ。俺はそれに、分かった、と返す。
じいさん手製の、愛用の木製銛を手にして、軽く素振り。漁帰りだけど柔軟もしておく。
じいさんはまだ、メシを食っている。今日は俺が見つけて摘んできた香草で魚を包み焼きにした。じいさんは認めたがらないが、気に入っているのを知っている。それ食うまでは待っててやろう。
「…………」
「…………」
変な時間だ。俺は準備万端。じいさんは、いつもよりのろのろとメシを食ってる。
そんなに行かせたくないのか。素直じゃないじいさんだ。それでも、待つ。待ってれば、じいさんはメシを食い終わった。
「ワシゃ畑にいく。お前は?」
「いまから、じいさんにいどむ」
話を変えようたって、そうはいかない。
そうか、と観念したようにじいさんは腰を上げて、じいさん愛用の銛を手にした。波打ち際の方まで歩いていき、向き合う。
「ぽっくりいくなよ」
「お前も死んだら承知せんぞ」
銛を向け合う。持ち手を向けるなんてヌルいことはしない。
矢印のような先端をじいさんの心臓へ向ける。じいさんも何万匹の魚を仕留めてきた銛を、俺へ向けている。
カツン、と。
銛をぶつけ合う。それが合図。
砂が爆散したかに見えた。じいさんが踏み出しただけだ。
一撃必殺の銛の一撃を横から弾いて、踏み込む。銛を短く持ちながら振るい上げる。身軽にじいさんはバックステップで避けながら、銛を振り落としてきた。受け流しにかかるが、砂上へ落ちた銛は激しく砂を舞い上げた。
「クソっ……!」
砂煙が切り裂かれる。とっさに反応して、銛で防ぐがそれごと吹き飛ばされた。
海へ落ちるが足はつく。まだ浅瀬だ。太陽を背負ってじいさんが落ちてくる。日の光が俺の目を潰しにくる。横へ逃れる。盛大な水飛沫がぶつかる。銛を振るう。じいさんのとかち合い、またもや吹き飛ばされた。水切をした石ころのように、2度だけ海上をはねる。
何もかもがぐちゃ混ぜだ。肘をつきながら上半身を起こすと、じいさんが銛を体の後ろへ引くように振りかぶっていた。じいさんの得意技にして、必殺技がくる。
ただの、投擲。
ただし投げただけとは思えない、超威力。じいさんも本気だ。
放たれたかと思えば、それは眼前に迫っている。僅かに反応が遅れれば、顔面をすっ飛ばされてお陀仏になってたが弾くのが間に合う。それでも両手が痺れる。じいさんは間髪入れずに次の行動へ移っている。
こうなりゃお披露目だ、セコいとか言うな、じいさん。
魔鎧と魔纏を同時発動。銛の持ち手についている紐をじいさんが引いて手元に戻しつつ、向かってきている。踏み込みながら銛でその紐を切断する。じいさんの目の色が明らかに変わる。そのままさらに横薙ぎ、突き込み、振り下ろし。
紙一重でじいさんはかわしていき、蹴りを放った。蹴りと同時に海水が激しく俺にぶつかってくる。ただの海水だろうが、じいさんのせいで、それは衝撃となる。――だが、無意味。
「もらっ、たぁあああああ―――――――――――っ!」
竿の部分でじいさんの顔面を下から叩きつけた。アッパースイング。
手応えが、軽い。俺が打ちつけるより僅かに早く、じいさんが跳んでいた。それでも体ごと捻って、巻き込むようにそのまま銛を大きく回転させて叩きつける。
バシャァンと水柱が立ち上った。
じいさんがすぐに海から顔を出したから、俺の銛がその喉元へ突きつけられる。
「はぁっ……はぁっ……おれの、かちでいいな?」
じいさんが海面を叩いた。水飛沫が俺の顔に飛ぶ。
それからぶるぶると頭を振るい、じいさんが立ったので銛を引いた。年の割に逞しすぎる、年季の入った手が俺の頭を撫でる。
「どこへでも行け、レオン」
じゃぶじゃぶと海水を歩いて、自分の銛をじいさんが拾い上げる。
そして、止まった。水平線をじいさんが眺めている。何気なく俺も同じ方向を見た。
じいさんに勝った。勝ててしまった。
負けるつもりはなかったんだろう。本気だったのが分かる。だが、かろうじて上回った。魔技を使えるとじいさんが知っていたらどうだったか分からないが、それでも勝ちは勝ちだ。
達成感はない。
まだ息が弾んでいて、心臓が落ち着かない。
これからメルクロスという町へ向かい、オルトヴィーンを訪ねる。
しかるべき教育機関――とやらに俺を入れてくれるんだろう。じいさんとは、離ればなれになる。ここでさよならだ。
二度と会えないわけじゃない。
俺がここへ帰ってくればいいだけだ。
じいさんはまだまだ長生きするだろう。
そこらの悪党なんか、じいさんなら余裕で返り討ちだ。
漁師としての腕もじいさんは年季が入ってて、食いっぱぐれるようなこともない。
俺がいなくなったところで、じいさんは元々、ここで何十年か暮らしていたし、近くにノーマン・ポートがある。
この別れを惜しむ必要はない。
別れを見据えた1年で、さんざんじいさんとは笑って過ごしたのだから。
それでも。
あんまりにも、本気になりすぎて。
ロックになりきれない俺の情けない心はもしも、なんていうのを考えて。
「何を泣いとる、レオン……」
子どもなんだ、こっちは。
6歳児なんだぜ、勘弁しろよ。
感情調節はうまくいかない。涙もろいわけじゃない。
今はまだまだ涙腺が緩くて、少しのことで我慢が効かなくて、だから――
「っ……ないて、ねえ。……っふぅ……ふぅぅぅ……ひくっ……ないで、ねえがら゛……」
目からこぼれるものは涙でも、泣いてない。
どんだけ喉が引きつって嗚咽が漏れたって、泣きたいわけじゃない。
じいさんに抱き上げられるのは何年かぶりで、あんまりにも頼りになっちゃう逞しい老体がすっかり俺の安心素材で、泣かされた。
じいさんの首に腕を回して、しがみつきながら泣いた。
泣いて、泣きつかれて、じいさんと一緒に寝た。
明日、俺は旅に出る。