これで良かった
イザークが作ったケーキは、俺の知るケーキじゃなかった。
硬くて重くて、どしんとしているけどそこまで甘くはなかった。年の数だけ蝋燭を立てるなんて風習もなかった。だけどこれがイザークからの俺へのプレゼントなんだろうと思っておいた。
ちなみに、プレゼントの山はミシェーラ姉ちゃんからのものだった。
毎年、死んだと聞かされていたレオ坊ちゃんのために――俺のために、買ったり、用意したりしていたもの。色々とあった。ミシェーラ姉ちゃん、マジ天使。大好き。
食事が終わって、ケーキも食べると談話室に移動をし、ロジオンとリュカにせがまれるままに色んな話をした。けっこうハードな俺の、レオンハルトとしての人生を二重三重にオブラートに包んで。
ママンもずっと、静かに見守っていた。
ブリジットは茶を淹れ、たまにイザークが持ってきた菓子も出してくれた。マノンは食堂の後片付けをしつつ、たまに顔を覗かせてきた。
「ロジオン様、リュカ様、そろそろ休まれた方がよろしいのでは?」
リュカが欠伸し、それがロジオンに伝染したところでブリジットが言う。
そろそろお開きか、と思ったらマノンが何故かグラス一杯のワインを持ってきて俺の近くへ置いた。
飲めということなんだろうかと疑っている内、あれよこれよとブリジットがお子様達を部屋に返してしまい、気づけばママンと2人きりにされていた。俺がワインと、イザークが後から持ってきたチーズとナッツに夢中になっている間の早業だった。
「ひとつ、お願いしてもいいですか?」
もしかしてはかられたのか、と静かにワイングラスを傾けていたらママンが口を開いた。
グラスを置き、背を伸ばす。
「何でもどうぞ?」
「……これから尋ねることに、素直に、答えてほしいんです」
「……いい、ですけども」
何を質問するつもりだ?
ちょっと身構える。だけどママンは何か、悩むように少し目を伏せた。
それからまた目を上げる。
「あなたは……不幸な身の上です」
そんなことねえよ?
今は黙っておくけども。
「ご両親を恨みますか?」
素直に答えればいいわけね。
そんなのお易い御用さ、ママン。
「全然恨みません」
「……本当に?」
「不幸だって思われるかも知れないけど、俺はそう思ってませんから。
手があって、足があって、目が見えて、耳が聞こえて、全く不自由ない体で生んでもらえたみたいだし、魔力欠乏症だなんて、そもそも魔法が使えないんだからその不便さもそこまで感じられないし。
個人的には健康そのもので生きてるつもりだし、むしろ頑丈なくらいだし、お陰様で色々と愉快な経験もさせてもらって、親には感謝するしかないですよ」
嫌なこととか、痛いこととか、苦しいこともあったけど。
それでも良かったことの方が多いし、時間に換算すればほんのちょっとだけだ。
「俺はこの世に生まれてきて良かったって思うし。
今日みたいな楽しいことがあるし。
……うん、だから恨むことなんてないですよ」
さっきはこらえられた涙が、いよいよママンの目からこぼれた。
口元を隠し、俯いてすすり泣いてしまう。
「あ、ちょっ……そんな、泣かなくても……えーと、えーと、はい、これ」
ポケットをまさぐり、ハンカチを出して渡す。
いつかオッサンにもらっちゃって、いらなかったけど返すタイミングを忘れたままだったやつ。ママンがそれを受け取って、涙を拭く。
「ごめんなさい、いきなり……」
「いや、俺こそ……何か、ごめんなさい」
何か、気不味い。
居心地が悪いとかじゃなくて、互いに気を遣い合ってる、この感じはちょっとあれだ。
ハンカチで涙を拭いていたママンが、不意に、ハンカチを見つめた。
もしかして、まだヤニ臭かったか? いや、何度かマノンに洗ってもらってるはずだし……。臭いなんてもうないはずだろう。
「このハンカチは、どこで……?」
「王都で知り合った騎士に、成り行きでもらった感じ……?」
そんなにおかしいか?
別にふつーのハンカチにしか見えないんだけど。
「その人は……親切な方でしたか?」
「あー、まあ……親切っちゃ、親切だった――かな?
第三王女のパレードの時なんか、もう年じゃないのに肩車とかしてきて。やーめーろ、って言ってるのに聞かねえで、終わってから腰が痛いとか抜かしてた気がするし」
「そう……元気でしたか?」
「哀愁はすごかったけど元気、っちゃあ元気……か。
て言うか、知り合いなん……ですか?」
あのオッサンと、このママンが知り合い?
何かちょっとアレな感じだな。
「……少しだけ、あの方とはあったものですから」
セクハラでもされたのか?
いや、でもそういう雰囲気でもないな。
昔を思い出して、良い思い出にひたってるような感じだ。でも確かにあのオッサンは、親切っちゃあ親切なやつだったしな。悪いやつでもねえし。
「わがままを、言っても?」
「え? ああ、どうぞ?」
「……あなたのこと、レオと呼ばせてもらえますか?」
「えっ、と……俺なんかが、その……死んじゃったお子さんの、代わりみたいな、感じになっちゃってもいいんですか? こう言っちゃなんだけどあんまりデキた人間でもないし……」
「レオ」
「えっ?」
「あなたは、卑下するような方じゃありません」
「……ハイ」
叱られちゃったよ。
でも、ママンは楽しげに小さく笑う。
「偉そうでしたね……。ごめんなさい」
「そんなことないですよ」
「……どうもありがとう、レオ」
「いいってことよ。……か、母さん」
ママンが俺をレオって呼ぶなら、それもありだろうと言ってみた。
ハンカチで目元をそっと拭いながら、ママンはほほえみを作った。
綺麗な人だ。
最初も思ったけど、ママンは美人だ。
その儚げな雰囲気が、触れたらいけないんじゃないかと思ってしまうほど弱そうなところが、余計に彼女を美人にさせているような感じさえある。
もしも、あの晩に俺がどこかへ連れ出されていったりしなかったら、どんな人生になっていたんだろう。
少しだけ働かせた想像は、どれも平穏なものだったけど――今に行き着くまでにあった、たくさんの楽しみも同時にかき消されるものだった。
だからやっぱり、恨むこともないだろう。これで良かったと、今は思える。
またママンに会えた。
本当の親子だとは明かせないけど、今のこの一時だけは母と息子になれた気がする。
それだけで、もう満足だ。
やがてブリジットが、もう遅い時間だからと部屋に入ってきた。ママンが2階の寝室へ向かうのを見送り、残っていたワインを飲み干し、ナッツとチーズも食べつくした。
もう行こう。
長く滞在しても、それだけ別れが辛くなる。
マノンに髪を切ってもらって。
ぶっ倒れるのを覚悟で魔鎧を使ってバースをもふりつくして。
次の季節へ移り変わる前に出発しよう。
今度は俺の意思で、自分の足で、旅に出よう。
運が良ければまた会える。
そうして会えたら、俺が不幸じゃないということにもなるだろう。
大好きな人達と、また巡り会えたんだから。




