やっちゃったレオン
「れ、れれれっ、レオンハルト様っ!? どうされたんですか、その手っ!?」
「名誉の負傷」
小トラちゃんにやられた血にマノンは素っ頓狂な声を上げるが、これは誇張でも何でもなく名誉の負傷だ。あのきゃわゆい存在が俺の指を噛んだ。つまりやつの身体には俺の血と多分僅かな肉片くらいが取り込まれて、擬似的に俺とやつは一体化を果たしたことに――
「ロジオン坊ちゃん、だから危ないって反対していたんですっ」
「あんっ?」
「で、でも……大丈夫だったから、大丈夫! ほら、そんなに痛がってもないし!」
「そういう問題じゃありません。こんなに血が出てて痛くないはずないんです」
まあ確かにちょっとは痛い、けども――
「イザークさんに、どこかへあの魔物を連れていってもらいますからね」
「ダメだよそんなのっ! マノン!」
「ダメだったらダメです! 魔物を飼い馴らすなんてできないんです!」
…………あれ、これ、良くないぞ?
頭ごなしに、危ない、危険、心配、とまあ似たような言葉を並べ立てるマノン。
ちゃんと世話すれば大丈夫だし可哀想と反論するロジオン。
これを見る限り、もしかしたらあのかわいいやつめは飼う許可をもらっていない。
マノンは使用人だからロジオンの方が偉い――のではあるのだろうが、いかんせん子どもだし、この屋敷の使用人は従順って感じでもない。
「どうしたのですか、声を大きくして」
ブリジットが咎めるような声で部屋に入ってきた。――と、俺の名誉の負傷を見てから、ちらと天井へ目を向ける。良くない感じだ。
「レオンハルト様、お怪我の手当てをいたします。
マノン、口を動かすより早くやるべきことがあったのではないですか?」
「うっ……す、すみません……」
ブリジットの手が俺の怪我した左手をそっと握り、何でか顔の高さにまで上げられる。
「さあ、行きましょう、レオンハルト様」
「……手え繋がれるなんて照れちゃうな」
おどけておくと、ブリジットはちっとも楽しそうな顔をせずに言ってきた。
「こういう出血時は胸より高いところに患部を上げた方が良いのです」
「あっハイ」
睨み合うマノンとロジオン。そしてあの小トラちゃんの処置が気になりつつも、俺はブリジットに連れて行かれてしまった。
「真に申し訳ありませんでした、レオンハルト様。
屋根裏でロジオン様が匿われている魔物は、まだ幼体とは言え人に懐きようのないもの。
これまではロジオン様もどうにか怪我を負われていなかったので……」
流水でめちゃくちゃ洗われてから、薬草をめちゃくちゃ揉み込まれた。
クソ痛い。むしろガブっときてからガリっとされたのよか、断然痛かった。
「しかるべきように、いたしますのでどうかご容赦を」
「いや、別に怒ってねえし……」
「ロジオン様にはわたくしどもから、よくよくお聞かせいたしますので」
「何を?」
「お夕食の準備ができています」
あの素晴らしい毛玉は、どこぞに捨てられたり、処分されちまったりするのか……?
迂闊すぎたな。ついつい俺がはしゃいだばかりに、その口実を与えちゃった形か。気にしてないとか言ったって、客人として来ちゃってる俺に怪我させた時点で……あーもう、クソ。やっちまったよ、ほんとにもう。
でも俺、部外者だし口挟みにくいよなあ。
どうしたもんか。
「――結局いつも通りって感じ?」
「そうかも、なあ……」
食堂で俺とリュカは2人きり。
たまにロジオンの声が屋敷のどっかから聞こえてくる。イザークだけがガンガンメシを作っては持ってきてくれてるが、和やかな会食の空気なんてものもなく、ちょっと食う場所が小綺麗なだけ。
ママンはあんまり体も良くない感じだし、自分の部屋で休んでるんだろう。
で、ロジオンはマノンとブリジット相手に口論中。何だかなあ。
「その手、何したの?」
「別に何も? やんちゃな毛玉にじゃれつかれただけ」
「やんちゃな毛玉? 何それ?」
「愛すべきものさ……」
ふっ、まあガキにゃあ分からんか。
「それってトラの魔物の子ども?」
「何で知ってんだよっ!?」
「イザークが教えてくれた」
リュカがフォークでまた料理を運んできたイザークを示す。
イザークが頷く。
「……喋ったのか?」
「喋った」
「マジでっ!?」
喋ったんっ!?
喋っちゃったの、イザークが!?
「何かあったら危ないけど引き離すのも可哀想だし拾った責任もあるのをどうロジオンに教えてやればいいのか、って」
「…………」
イザークは無言で料理を置く。
本当にそんなことイザークが喋ったのか? ていうかそれを正しくリュカに理解させられる話術を披露しちゃったの? 超聞きたいんだけど。
「あとね、ブリジットとマノンは少し過保護すぎるから、ちょっと傷つくくらい男なら仕方ないし、そうやって大人になるんだからある程度放置すればいいんだって」
「めちゃくちゃイザーク理解者じゃんか」
「それでも手に負えなかったり、自分で手放したりするって決めるんならその時に使用人として力や知恵を貸せばいいって」
「そう言ってやればいいものを……」
「でもイザークはそうやって言うの苦手だからしないんだって」
「……あ、そう」
リュカにはぺらぺら言うくせに? 言ったくせに?
イザークは平らげられた皿を下げていく。無言で、仏頂面で、黙々と。
「――ロジオン様っ! ロジオン様、どちらへ行かれるんですか!?」
また声がした。足音もする。
マノンが呼んでいる声はしばらく続きながら小さくなっていき、聞こえなくなる。
「お騒がせしておりまして、申し訳ございません」
やがて食堂へ現れたブリジットは詫びながら頭を下げた。
「どうしたの?」
まだまだ食べてるリュカが骨つきの肉をしゃぶりながら尋ねる。香辛料が降られててかなりうまい肉だ。
「いえ、お客様のお耳に入れることではありませんので……」
良くない感じだ。
食事が済んで部屋へ引っ込むと、当然のようにリュカまで俺にあてがわれた部屋に来た。それで魔技を教えてやっていると、うずくように古傷が少し痛んだ。
外を見ればもうすっかり暗い夜空に雲が出ている。
「一雨きそうだな……」
「雨降るの?」
「……もしかしたらな」
腹いっぱい食わせてもらったリュカがうとうとし始め、部屋に帰れと追い立てた。
屋敷の中は静かになっていた。尿意を催してトイレに立った。
そのころには予想通りに雨が降り出していた。それを小窓から眺めつつ用を足し、出る。昼の内にブリジットが桶に張っておいてくれた水で手を洗う。こういう細かい気遣い、最高だな。
で、さっさと部屋に戻って俺も寝ようかとしたらマノンの声が聞こえてきてしまった。
「――ロジオン坊ちゃん、まだ見つかりませんか?」
一方的な、マノンの声だけ。
話しているのはイザークなのかも知れない。聞き耳を立てる。
「じゃ、じゃあわたしも今からでも探しに……きゃっ、い、イザークさん……? えと……ダメ、てことですか? 何でですか? わたしもロジオン坊ちゃんを……」
イザークの声は聞こえないが、探しに行こうとしたマノンを止めたらしい。食い下がっていたマノンだが、言葉もなしにやり含められた様子だ。
もうすっかり暗いのに。
けっこう強めの雨まで降ってきてるし、長閑なとこだがさっぱり魔物がいないってわけでもないのに。
こそっと部屋に戻り、マントをつけて短剣と、魔技が使えないから万一に備えてフェオドールの長剣を持った。外したカーテンをロープ代わりに窓からそっと外へ出る。
さて、ロジオン坊やはどこまで行ったのやら――。




