領主の誘い
「あーははははっ! じーじ、じーじ、あれっ……く、ふっ、はははっ!」
「がはははっ、何だこのひらひら……ぷっ、くははっ、場違いとはこのことだのう!」
オルトヴィーンは見事に貴族様だった。
袖にはレースみたいなひらひらがつき、ビロードみたいにてらてらした生地の服を着ている。飾り羽根のついた帽子もある。それがおんぼろの小屋にはあまりにも似つかわしくなく、しかも澄まし顔でボロ椅子に座っているのだから、もうシュールすぎて笑うしかない。
「我が主は高潔にして公明正大なお方であるが、侮辱をしているのであらば――」
「ファビオ、やめなさい。人の笑いのつぼというのはそれぞれ違うものだ」
「しかしっ――」
「ファビオ」
「……かしこまりました」
ひとしきり笑って、どうにか落ち着く間にそんな会話がされていた。
従者はファビオと言うらしく、こっちはお固そうな頭をしているがオルトウィーンは優男といった感じだ。さらりと長い金髪で、生前の俺と同じくらいの年に見える。20台の終盤近く。年齢はファビオも同じほどだ。
「レオンハルト、チェスター老。突然の訪問だったがよろしかったか?」
「本当にきちまうんだ……追い返しはしないが……ぷふっ……」
「じーじ、そろそろ笑いやめ……っ……」
やっぱり、おかしい。ぷるぷる震えながら、どうにかこらえて、落ち着く。
戸口に立ったファビオは険しい顔でこっちを睨んできているが、当のオルトヴィーンは相変わらず涼しい顔だ。これがまた何だか笑いを誘う――いやいや、ダメだ、笑うな、もう笑うな。
さすがに失礼だし悪い。
「それでわざわざ、領主がうちのレオンに何の用だ?」
裏の林で採った葉っぱを煎じた茶を俺が出したところで、じいさんが切り出した。かなり渋みが強い茶で、オルトヴィーンは一口飲むと顔をしかめていた。
「ごほんっ……あ、あー……」
よっぽどまずかったか、咳払いして声の調子まで確かめている。
「ファビオから伝えてもらったと思うが、レオンハルト。キミはデル・エンシーナの出戻りお嬢さんの従者を3人まとめてのしてしまったらしいね」
「……まずかった?」
「いや、彼女には良い薬になっただろう。デル・エンシーナは獣人排斥を主張しているからね」
打ち首獄門コースではないらしく、内心ほっとする。
まあ、そうだったとしたら問答無用で取っ捕まえる人員を寄越してきたりするんだろう。
「わたしはね、レオンハルト。強い人間を求めているんだ」
「つよい、にんげん?」
おうむ返しに尋ねるとじいさんがぴくりと反応していた。何かまずいのかとも思ったが、黙っているから放っておく。
「我が領内にキミや、チェスター老のようなお方がいたとは知らずにいた。しかも聞けば数年前、チェスター老は子どもを誘拐しては奴隷にする悪辣な輩を退治してくれたのだとか。感謝している」
「よせよせ、ワシゃ権力なんぞに関わりたくないわい……」
じいさんは自由人だからな。
俺、そういうとこ尊敬してるぜ、じいさん。あんたはロックだ。
「あなた達の腸がよじれて切れてしまう前に本題へ移ろう。
レオンハルト、キミは強くなってみたいとは思わないかい?」
さて、この質問はどういう風に持っていきたがっているものやら。
じいさんがまた顔をしかめ始めている。じいさんとしちゃ、俺を関わらせたくないのかもな。魔力が少ないっていう、俺が忘れかけのハンデもあることだし。
「なりたいっていったら?」
「わたしがキミの後ろ盾となり、キミをしかるべき教育機関へ送ろう」
「その話はなしだ、領主。続けたいんなら帰りな」
即座にじいさんが言い放つ。会話を打ち切るかのように食い気味に威嚇をしながら。
だがオルトヴィーンは動じた様子もなく、また渋い茶を飲んだ。むしろ、その茶の方で表情を変えていた。
「チェスター老、彼は将来有望な人材です。領主としては、このような才能を埋もれさせたくはないのですよ」
「それがどうした、お前ら貴族の駒になるよかな、漁師になって暮らしてる方が平穏なんだ」
「漁師ですか……。それも素晴らしいものですがあなたは、もったいないとは思わないのですか? 数ある選択肢から未来を選べるというのに、漁師というただひとつの道だけを彼に示すことを」
「思いやしねえ。ワシはそれで満足してこれまで生きてきた」
「……なるほど」
じいさんはやっぱ頑固か。
オルトヴィーンは静かに納得したかのように呟いたが、俺を見てきた。
「レオンハルト、キミはどう思っている?」
「レオン、耳を貸すことはない。さあ、とっとと帰りな、もう話はしてやったんだ。満足だろう」
「じーじ」
「帰れ、帰れ。ほれっ、土産に干物くらいは持たしてやる。そこのを取れ、レオン」
「じーじ、ストップ」
腰を上げてオルトヴィーンを追い返そうとするじいさんの、腰紐を掴んだ。何も言うなとばかりの、威圧感に満ち満ちた眼差しを向けられる。
「……りょうしもわるくないけど、もっと、そとのことしりたい」
「そんなのいるか」
「しりたいんだよ」
「いらんっ!」
気不味い沈黙。じいさんは断固反対のようだ。
生前の俺も親父に猛反対をされたことがある。バンドマンになると決めて、それで生きてくと宣言した時だったか。
なれるはずもないと頭ごなしに決めつけてきて、若かった俺はカチンと来てそのまま家出した。
ひとりで上京してバイトで食いつなぎながらどうにかこうにか生活して、それで何年もメジャーデビューを夢見てた。
だけどオーディションには受からない、生活はカツカツ、組んでたバンドも崩壊の兆しが見え始めて……。
「わたしはメルクロスという町にいる。レオンハルト、その気があったら来なさい。
チェスター老、わたしはこれで。お体を大切に。……ありがたく、この干物をいただいていきます」
ファビオを伴い、オルトヴィーンはあっさり帰っていった。
じいさんはへそを曲げ、ひとりで釣りに行ってしまった。
きっとじいさんには、オルトヴィーンの勧めが俺には厳しい道なんだと分かっているんだろう。
到底叶いそうもない夢を持って、飛び出していった生前の俺には分からなかったが、今は想像力を持てる。苦労しそうだというのも分かる。若いころの苦労は――なんぞという言葉はあるが、ぽっきり心が折れちまえば全部が色褪せたガラクタになって、お先の人生も真っ暗闇。道を踏み外せば、落ちるとこまで落ちてろくでなしに成り果てる。
それだけで済めばいいが、そんな保証はどこにもないわけで。
ロックなじいさんでも、自分じゃなくて俺のことになりゃあ保守的になるってもんだ。
それにじいさん自身も漁師って仕事に思い入れや誇りを持っている。俺をそうさせたいって欲も――分からないでもない。これが親心ってやつなのか。
だが、はいそうですかと諦めるわけにもいかないわけだ。
じいさんと暮らすのは悪くない。悪くはないが、ベストじゃない。
折角迷い込んだ世界に来たんだから、もっと外のことを知りたい。
どこぞにギターみたいな楽器を見つけりゃ、それをかき鳴らして音楽家を目指したっていい。ロックンロールを普及すりゃあ愉快になるだろう。
それに、俺にはちゃんと生まれた家がある。パパンによって連れ出されはしたが、あそこの家にいた母ちゃんや、ミシェーラ姉ちゃんや、ブリジット、マノン、イザークといった面々は、レオンハルトっていう男の子をかわいがっていた。
もう5年近く経ってはいるが、いつか顔を見せに行けば喜ぶだろう。
まだ5歳だが、もう5歳。子どもの成長なんていうのは早い。
何を学ぶにも早い。だけどあと5年したら、さらに5年経ったら――どんどん物覚えは悪くなるだろうし、俺の預かり知らぬところでどんどん状況が変わっていって、何かがどうにかなるかも知れない。例えば病弱そうだった母ちゃんが死んじまったり、鬼メイド長のブリジットでも年には勝てずに使用人を辞めてて、もう二度と会えなかったり。
のんびり構えちゃいたが、オルトヴィーンの誘いでキッカケが生まれたような気がする。
これを逃せば変わらぬ日々に身が浸って、そのまま漁師になって、平穏にじいさんを看取って――何年後か、あるいは何十年後かになって、固くなった頭で外に行かざるをえなくなるかも知れない。
それは、できない。
くたばるまでそばにいるとは言ったが、あの約束は反故になる。じいさんは落胆するだろうが。
「じーじ」
釣りから帰ってきたじいさんを呼ぶ。ボウズだったらしく、戦利品は見られない。何だ、と言い返してじいさんは釣竿を定位置に立て掛ける。
「とめても、いくからな」
「……どうしても行くのか?」
じいさんもじいさんで、もしかしたら頭を切り替えたのかも知れない。
嫌そうな顔で確認をしてくる。俺は頷く。
「いくよ」
「……あと1年、待て」
意外な返事だった。あと1年。
その期間にどんな意味があるというのか。
だが――
「わかった」
「…………気が変わって、行かないと決めたならすぐに言え」
じいさんには世話になってる。返しきれない恩がある。
俺はその1年間で、返せる分だけ返そう。それでも足りない分は取っておいて、返しきるまでくたばるなとでも言っておけばいい。
旅立ちまでの1年は、そうして始まった。