愉快な使用人
「イザークさん、イザークさんっ!
ほらほら、早くしてください、緊急事態ですよ、緊急じーたーいーっ!」
最後に見た時より、見た目だけは大人びたマノンがバタバタしながら、イザークを引っ張ってきた。その間、俺らは玄関ホールに待たされたまま。
普通さ、どっかの部屋なりに通してからじゃねえ? マノンは相変わらずみたいだな。ミシェーラ姉ちゃんには聞いてたけど。
で、連れ出されてきたイザークは俺の記憶にある通りだ。
13、4年くらい経ってるはずだと言うのに、大して変わってないように見える。多少は老けてる。それは分かるが、どうにも変わった感じには見えない。最後に見た時のままの表情で、よく分からない無表情で。
「ほらっ、ほらほらほらっ、ミシェーラお嬢様の学院でのお友達の、あのレオンハルト様です!」
「…………」
マノンが意気揚々と俺を紹介したが、やはりイザークの表情はさっぱり変わらない。
何かこれ、俺が逆に反応困っちゃうんだけどな……。
「イザークさんっ!」
そしてキラッキラな視線をマノンがイザークに送っている。
それをちらっと見てから、イザークは無言で、眉ひとつ変えずにマノンの目を手で覆うように遮った。
「な、何なんですかっ!?」
何か分かる気がする。
その目をやめろ、って感じなんだろうか。こういうやつだったのか、イザークって。
「痛い痛い痛い、痛いですよぉっ!」
しかもアイアンクローまでかまし始めた。
さっぱり容赦がないな。
「――マノン、イザーク、どうかしたの?」
細い声がした。パッとイザークがマノンから手を放し、玄関ホールの正面にある階段を駆け上がる。
玄関ホールから見上げて左側。2階の一室から姿を見せた女。到着したイザークが彼女の肩をそっと支える。
「ありがとう、イザーク。お客様かし……ら?」
その人が俺を見下ろした。
ママンだ。
俺がわけの分からん親父に連れ去られる前の晩、泣きながら俺を抱いてたママンだ。
細い。青白い。弱そうで、儚げな――でも綺麗な女。
「っ……はじめまして」
努めて、平静な声を出す。
俺はもう、ここの人間じゃないんだ。
変に悲しませたりするわけにもいかない。
もう過ぎたこととして、時間が流してくれていたはずだったのだ。
「レオンハルト・レヴェルトです」
脇でリュカが、えっというような顔をした。
こいつの前で、ちゃんとレヴェルトと名乗ったことはなかった気もする。だから驚いたんだろう。俺だって使う気はなかったんだ、この名は。
でも、ただレオンハルトと名乗ったら――ママンに何か、もろいところを作ってしまいそうな気がした。
だから俺はこの家とは関係のない野郎だと、突き放すつもりで使わせてもらった。
「……ミシェーラから、話は聞いています」
イザークに付き添われながらママンはゆっくり階段を降りてきた。
「ゆっくりしていってくださいね」
「……どうも」
「なあレオン」
「腹減ったは後にしろ」
先手を打っておくとリュカは露骨にむくれた。
ママンはイザークに付き添われながら1階の別室に入っていく。
「あ、ちょ、ちょっとだけ、待っててくださいね! 今、お部屋を整えてきますから! えーと、お、お庭とか綺麗なので見ててください!」
何かを思い出したようにマノンが慌てながら言い、階段を駆け上がって2階の左手側手前の部屋に駆け込んで行った。その部屋を見上げる。
あっ。
あの部屋って、俺がいた部屋だ。
「レオン、何か変じゃね?」
「はいはい、お前はいつも通りだな」
庭で待ってろと言われたから、庭へ出た。
かなり丁寧な手入れの行き届いてる庭だった。きちんと芝は刈り揃えられ、花壇の花は綺麗に咲き誇っている。日本庭園なんかはある程度、自然の力っていうのに飲み込まれてこそ、そこに侘び寂びを感じるってもんだった――ような気がするけど、やっぱこう外国っぽいとこの庭だといかに綺麗か、いかに手入れされているか、ドヤァッみたいな価値観なのか?
まあすごいっちゃすごいし、見応えもあっていいんだけど……普通、どっか別の部屋に通さないかなあ? マノンはまったく、やれやれだぜ。庭で待ってろとは……。
「あっ、顔面鉄男」
「あんっ?」
妙な単語をリュカが口走り、振り返るとイザークだった。
顔面鉄男。……なるほど。うん? なるほど?
「…………」
「……何だろ?」
「さあ……?」
イザークは俺達の方へ来て、少し前で立ち止まった。
俺もリュカもイザークも、一様に固まる。やがて、イザークが踵を返す。
「え、何? レオン、あれどういうこと?」
「面を拝みに来ただけ……ってわけでも、ないよな……?」
はかりかねていると、イザークが立ち止まって、肩越しに振り返った。
で、また歩いては振り返ってくる。
「……ついて来い、的な?」
「何であの人喋んないの?」
「……さあ?」
リュカ、是非とも直接イザークに聞いてみてくれ。
俺も知りたい。
ついていくと屋敷をぐるっと横から回り込み、厨房の勝手口から入った。
調理台のようなテーブルの上に何やらやたらトゲトゲの硬そうな木の実が置かれている。イガグリの中身みたいな、つるっとした硬そうなやつなのだが、イガグリならイガを取っちゃえば永沢頭が出てくる。だがこれは、その永沢ヘッドがやたらにトゲトゲになってる感じなのだ。
無造作にイザークがそれをひとつ取り上げると、瞬時に表面が氷に覆われた。もうひとつ凍らせる。すると今度は鍋の中へ凍らせた木の実を2つ入れて、麺棒のようなものでガスガスと叩き出した。やがてその作業を終えると、まん丸の琥珀みたいな色をしたものを取り出す。
「…………」
「くれるの?」
ひとつ差し出されたリュカが尋ねるとイザークが頷く。
俺にも差し出してきたから、受け取る。食べもの――だよな? リュカがためらいもなく口へ入れる。食べもので合ってるよな?
「甘いっ! 何これっ? ころころしてて、甘い!」
良かった、食べものだ。
俺も口へ入れてみる。少し冷やっとするが、すぐに甘いものが舌に広がった。
これは――これを、俺は知っているぞ。これは飴だ。飴玉だ。飴ちゃんだっ!!
この硬くて甘くて丸くてころころころころと口の中を転がせちゃう感じと言い、飴玉としか言いようがない。味はメープルっぽい感じか。でもちゃんと甘い。
すげえ、こんなんあったのか!!
感動してるとイザークが俺達を見下ろし、何やらご満悦な顔をしていた。
鍋の中に残った氷と、殻の部分をまとめて捨てている。この飴ちゃんひとつのために、わざわざ呼びにきたのか。いいやつじゃねえか。分かってたけど。察する程度ではあったけど、いいやつじゃないか、イザーク!
それとも子どもがいる貴族の屋敷ってこういうのを常備してるのが普通なのか?
レヴェルト邸にはいなかったし、それ以外の貴族の家なんて行ったこともないから分かんないけど……。
「イザークさん、イザークさんっ!
お客様達がいなくなっちゃって、見てませ――あっ、いた!」
いきなり、バンと厨房の戸を叩くように押し開けながらマノンが登場し、俺達を見た。慌ただしいやつ。
「お部屋の準備ができたので、どうぞいらっしゃってくださ――あれ、イザークさん?」
ずいっとイザークがマノンに近寄っていくと、またアイアンクロー。
こめかみを親指と中指でしっかり押さえてる。
「痛いっ、痛いですよーっ! ごめんなさい、もうしませんっ、厨房だからバタバタしちゃいけないのは分かってるんです、ごめんなさいぃぃぃっ!!」
パッとまた手が放されてマノンがぐったりする。
頭がぁ、とか呻きながら手で押さえつつ、立ち上がる。
「ど、どうぞ……こっちです……」
何だろう、この感じは。
俺、すっげえ、この家で育ちたかった。
じいさんに感謝してないわけじゃないけど、もう俺、このマノンとイザークのやり取りだけ永遠に眺めてたいくらい、この感じが好きだ。




