マノンは気持ちを隠せない
「ロジオン坊ちゃん、ロジオン坊ちゃん、どこに行っちゃったんですかぁっ!?」
ブリジットさんとのお勉強の時間なのに、どこへ消えてしまわれたんだろう。
お屋敷の中を捜しまわっても見つからない。お外かと思って庭へ出てみたけれど、イザークさんが首を左右に振って教えてくれる。じゃあやっぱり、お屋敷の中?
「ロジオン坊ちゃーんっ!」
またお屋敷に戻り、玄関ホールから呼びかけると奥の部屋からブリジットさんが出てくる。
「マノン、貞淑になさい」
「あうっ……す、すみません……」
「ロジオン様はまだ見つからないのですか?」
「はい……すみません」
「……そうですか。ついて来なさい」
「はい……?」
さっとブリジットさんが踵を返し、向かわれたのは厨房。
ここはさっき探した。作業台の下にも、勝手口の裏にもいなかったはず――
「ロジオン様、かくれんぼはおしまいにいたしましょう」
ブリジットさんが開けたのは戸棚の下。
そこへ横になって入られていたロジオン坊ちゃんが、ぎょっとした顔をする。
「何で分かったの……?」
「この屋敷のことならば、わたしは熟知しておりますとも」
「さすがです、ブリジットさんっ!」
すごい、やっぱりブリジットさんは何かこう、すごい。
手放しで誉めたのに、ブリジットさんはあまり良い顔をしないでわたしを見つめてきた。
「マノン、あなたももう長いのですからしっかりなさい」
「は、はい……」
「じゃあもう1回ね、今度はブリジットが見っけて――」
「お勉強の時間ですよ、ロジオン様。さあ、行きましょう」
「ええええええっ!? もうちょっとだけ、1回だけでいいからっ!」
「なりません。充分、マノンがつきあったでしょう」
「マノンじゃ見つけてくれないもの……」
「あうっ……」
「なりません。さあ、行きますよ」
「マーノーンー……たすけてぇー……」
「ごめんなさいロジオン坊ちゃん……わたしは逆らえないんです……」
引きずられていってしまったロジオン坊ちゃんを見送ると、思わず涙がこぼれ……ることはなかった。
さて、お仕事をしなくちゃ。
掃除道具を取りに行こうとしたら、勝手口からイザークさんが戻ってきた。
そしてポケットから何やら紙片を取り出し、わたしに預けてくる。いつもの何を考えているのか分からない真顔をじっと見つめる。
「……ら、ラブレターですかっ!?」
ぺしっと頭を叩かれてしまう。
痛くはないけど的確に向いてる方向を変えられてしまう叩き方。こなれてらっしゃる。
「冗談じゃないですかぁ……。お買い物ですよね?」
こくりと一度頷かれる。
「えーと、お肉にお魚に……お野菜はいいんですか?」
ちらと勝手口から外へ視線を向けられる。
「……お野菜、とうとうできたんですか?」
グッと親指を立てて見せられる。
イザークさんはとうとう、厨房のお仕事と、お庭のお仕事と、屋敷のあちこちの修理や家具作りなどといったことをこなしつつ、ささやかな家庭菜園まで完成させて収穫したらしい。
「おおー、すごいですっ! 何のお野菜なんですか?」
「……………」
何やらジェスチャーをしてくれる。
けれど、さすがにお野菜の品種まではちょっと読み取れない。イザークさんも伝えきれないとすぐに分かってくださったらしい。
「えっと……?」
喋ってくれるかなあ、なんて思いつつ困惑していると露骨に寂しそうな顔で、肩を落として出て行ってしまった。
待ってイザークさん、そうじゃないのっ!! イザークさんの声を聞きたいだけなの!!
心の声は届かない。
とりあえず買い出しへ行こうと決めて、ブリジット様に書き置きを残して出かけることにした。
アスセナ村までは、お屋敷から一本道。
こんなところまでちゃんとイザークさんが整備をしてくれたから、柔らかい木漏れ日の道を歩いていくことになる。明るくて綺麗な、ロジオン坊ちゃんもミシェーラお嬢様も大好きな小道。
たまにある切り株も、イザークさんが休憩用にと作ってくれたもの。
重い荷物を持っている時はこれにいつも助けられてしまう。イザークさんって何者なんだろう?
イザークさんにお願いされた食材のお買い物と、お屋敷のお買い物を終え、アスセナ村から戻ってくる。するとお屋敷へ続く小道の入口に人がいた。旅人のような格好。お客様――がいらっしゃる予定は聞いていない。
「あの、どうかされましたか?」
声をかけてから、背の小さい人達だと気がついた。
男の子が2人だ。ひとりは黒くて長い髪。うなじで雑に縛っている。黒曜石のような瞳が、わたしを驚いたような顔で見る。
「あっ……いや――」
「レオ、坊ちゃん……?」
思わず口を突いて出た言葉に、自分で驚く。
それから、ミシェーラお嬢様がお帰りになられた時のことを思い出し、ハッとした。
『レオのことをよろしくね、マノン』
『多分、見た目は驚いちゃうと思うけど、目を見たら絶対にマノンなら分かるから』
『……だから、いっぱい、いっぱいいっぱい、レオがここへ来たら、かわいがってね。
わたしはきっと、そういうことはできなくなっちゃうから』
学院でお嬢様がお知り合いになった、レオ坊ちゃんと同じ年で、同じお名前の男の子。
確かにミシェーラお嬢様が言った通りに、目で分かってしまった。この男の子はきっと――でも。
「レオンの知り合い?」
「え? い、いや……そういうんじゃ、ないけど」
一緒にいたもうひとりの男の子に尋ねられると、その子も困ったように答える。
いきなりレオ坊ちゃんなんて呼んでも、分かるはずもない。あのころのレオ坊ちゃんはまだ小さな赤ちゃんで、覚えているはずもないのだから。
「ミシェーラお嬢様の、学院でのお友達のレオンハルト様ですか?」
気を取り直してお尋ねすると、何やら曖昧に頷かれた。
「お嬢様から仰せつかっていますから、どうぞいらしてください。
お屋敷でメイドをしているマノンと申します」
「マノン……」
「はい、マノンとお呼びつけくださいね」
まだ子どものような容姿をされているけれど、大きい。
いつもわたしを呼ぶかのように大きな声で元気に泣いていた赤ちゃんだったはずなのに、今は、ちょっとわたしが目線が上なくらいだ。
あのレオ坊ちゃんが、こんなに……。
「じゃあマノン」
「はいっ、何ですか?」
「その荷物持ってやるよ」
「へっ? い、いえいえっ、お客様なんですから――」
「持ちたい気分だから持たして、って強く言ったら?」
「それは……でも、使用人の荷物を持つなんて……」
「命令だマノン、持たせろ」
「はいっ」
レオ坊ちゃん――ううん、レオンハルト様が抱えていた荷物を取り上げてしまう。
せめてお屋敷に入る時は返してもらわないと、ブリジットさんに叱られちゃう。その時はお願いしようと決めて、一緒にお屋敷への小道を歩く。
でも、どうして荷物を持ちたい気分なんだろう?
そんな気分があるものなの?
うーん……。
まあいいや、ちょっと不躾かも知れないけどレオンハルト様をよく見ちゃおう。
大きいなあ、格好良くもなってるし、でもまだ可愛らしいところもあるし。
背中に槍と、もうひとつ長い包み。腰には剣? ううん、ちょっと短めの剣。そう言えばミシェーラお嬢様はすごく腕が立つんだって仰られてた。
他にも背負っている大きな荷物からリュートみたいなものが飛び出している。音楽まで嗜んでいるなんてすごい。
でも髪の毛はちょっと切らないとみっともない感じもあるかも……。
けれど髪を切った方がいいですよ、なんて失礼になっちゃうだろうし、ううん、だけどミシェーラお嬢様はわたしにレオンハルト様をお任せになられたんだし、身なりを整えて差し上げるのも使命の内! どういう髪型が似合うんだろう――あっ、お洋服もちゃんと選んで差し上げないと。
今はマントでよく分からないけど、ちょっとよれた感じがありそうな……?
採寸して仕立ててあげたら喜んでくれるのかなあ。でもロジオン坊ちゃんに面倒臭いって言われてしまったこともあるし、男の子はあんまりお洋服に興味はないのかも。
そうだ、ロジオン坊ちゃん!
レオンハルト様はロジオン坊ちゃんにプレゼントをわざわざ贈ってくださっていたし、ロジオン坊ちゃんも会ってみたいと言われてた。今はお勉強の時間だから、なるべく気づかれないようにしてサプライズで伝えたらきっとすごく喜んでくれて――
「ねえレオン……あの人、何かにたにたしすぎじゃない?」
「しーっ、余計なこと言うな」
ハッ、しまった。
変な顔になってた? やだ、顔が熱い……。
「あ、あははは……」
笑ってごまかしたところで、お屋敷の門の前へ出た。




