しーっ、だぞ
「クララ、だいじょうぶだからこわがるな」
とりあえず言い聞かせておく。返事はなかった。
剣を構えた3人が、じりじりと俺に迫る。何様とか尋ねないで、さっき、正面の男をぶっ飛ばしておけば良かった。お陰で仕切り直された。
正面と、左右に敵。
後ろにはクララ。周りには息を飲みながら見守る住民。相手が貴族じゃ、助けも望めそうにないか。
銛を握り締める。魔技はなしで、やれるだけやってみよう。
ヤバくなりゃあ逃げればいい。何より、人にぶつかっておいて、うんこでも投げられたかのような反応した、貴族のフランソワ様とやらが気に食わねえ。
「早くやりなさい!」
フランソワの命令。同時に、正面の男が剣を振りかぶった。
少し遅れ、左右からも襲いかかってこられる。やっぱりのろい。じいさんより、魔物より。
銛を長く持って大きく横に薙ぎ払う。左と正面の剣はそれで軌道を逸らせた。右からきたのは半歩分だけ足を動かして、ひらりと華麗に避けたところで、その手を掴んで前のめりになっているのを利用して投げる。シンリンオオガザミより軽い。背中から男を投げ飛ばすと、他2人の陣形も乱れた。
「小僧っ……!」
投げ飛ばした男の頭を踏みながら跳び、銛を突き出した。剣で払いのけられる。もうひとりが切り上げてくる。魔手の応用で足に魔力をまとい、それを蹴り飛ばす。魔技を使えば斬られやしない。剣を蹴り飛ばされた男は目を見開いている。
「こいつ!」
「あなどるなよ、まけたらかっこわるいぞ!」
1対2の攻防。順番に攻撃をしかけてくるが、同時じゃないから捌くのは楽だ。同時にかかってこないのは何でか気になったが、単純に貴族様に抵抗するやつも少ないのかも知れないと思った。いつもは一方的になぶったりするから、戦いなんてのはあまりしないんだろう。
だとすれば、都合がいい。
「ぜえいっ!」
「そこ!」
剣を振り下ろしてくる、その手元を狙って銛で突き込んだ。剣が弾き飛ばされる。剣道風に言えば、篭手打ちだ。さらに、素早く銛を振り上げて男の頭を叩きつける。篭手面。素早く身を翻すと、最後に残ったひとりが力任せに剣を横に振っていた。
それをしゃがんでやり過ごし、斜め上へ飛び出す。頭突き。狙うは、金的。
思いきり石畳を蹴って、急所へかましてやった。股間を押さえながら男が悶絶して倒れ込む。頭に残った感触は気持ち悪いが、鼻っ柱は折れるだろう。
「さーて……フランソワさま、だっけ?」
もう抵抗できない様子のおつきをちゃんと確認してから、呆然としている貴族様に向き直る。俺みたいな5歳児におともが負けるなんて思ってもなかっただろう。貴族なのに庶民のガキに反撃されることだってなかったはずだ。
「ひっ、だ、誰か……助けなさいっ! わたくしを誰だと思っているの!?」
フランソワ様が見物していた住民に叫び散らしたが、顔は逸らされてしまっている。
「……クララ、まずはぶつかったのあやまっておけ。ごめんなさいって」
「ふぇっ……」
フランソワ様を睨んだまま言うと、後ろで怯える声がする。はやく、と急かすと震えた声でクララがちゃんと、ごめんなさいと詫びる。それでよろしい。
「あやまったんだから、チャラってことで」
「な……何を言っているの、穢らわしい獣人が、このわたくしにぶつかっておいて許されると思っているの!? 起きなさい、あなた達! その子どもを早く、切り捨てなさい!」
あーあー、これだからヒステリックババアは頭にくる。
一体どんな脳みそをしてるんだか分かりゃあしない。喚き散らすフランソワ様には、ちょっと分からせてやらないといけないか。
「おいおばさん」
「おばっ……!?」
「にんげんだろうが、じゅうじんだろうが、ひとはひとだ。それいじょう、おれのかわいいクララをけなしたら、おんなだろうがぶんなぐるぞ」
銛に魔纏をかけ、ゆっくり振り上げた。
それでも何かを喚こうとしたのを見て、思いきり地面に銛を叩きつける。ドゴォンと激しい音と衝撃がして、石畳が割れてぶっ壊れた。大袈裟すぎるほどにビクつきながらフランソワ様が腰を抜かす。ドレスのスカートに染みが広がっていく。……やりすぎたか? いやでも、いい薬だろ。
「……もらしたのはだまってるから、もうさべつするなよ。みんなも、しーっ、だぞ。しー、しちゃったのは」
見ていた周りの住民におどけて言うと、笑いをこらえる姿がいくつかあった。フランソワ様も顔が真っ赤だ。
「いくぞ、クララ」
固まっちゃってるクララの手を取り、フランソワ様の横を素通りする。もう何も言われることもなかった。完全勝利だな。気分がいい。
「レオンハルト……ありがとう」
「いいってことだ。……きにするなよ、けがらわしいとかいわれたの。おまえはさいこうに、もふもふだから」
とろけるような笑顔をしたから、尻尾をもふらせてもらった。
このもふもふを穢らわしいとか言うんだから世の中は分からない。帰ってからじいさんにちょろっと報告したら、獣人は差別されやすいんだとか言っていた。
そんなことがあってから、数日すると約2年ぶりに来客があった。またクララと母親ではなかった。
「ここにレオンハルトという子どもがいると聞いている」
「いたら何だ」
昼寝から目覚めたころだった。小屋の外で、聞き慣れない声とじいさんが話をしている。毛布代わりのボロ布を被ったまま、耳を澄ませて会話を聞く。
「我が主、レヴェルト卿がレオンハルトという少年と会いたいと望んでいる」
「レヴェルト卿? そんな貴族がどうしてワシの子に会いたがる?」
ワシの子、だって。何か嬉しいな。
にしてもちょっと不穏だ。貴族が俺に会いたがるって、あのフランソワ様の何かか? 恥をかかせたから打ち首獄門とか? 冗談じゃねえや。
「先日、ノーマン・ポートでフランソワ・デル・エンシーナ様の従者3人をレオンハルトという少年が鮮やかに倒したはずだ。我が主、レヴェルト卿はその話を聞いて、興味をお持ちになった」
「興味? よせやい、貴族と関わり合いにはさせたくない」
「話をするのみでいい。レヴェルト卿は高潔なお方だ。決してレオンハルト少年を傷つけたり、略取しようとはしない。保護者であるのならば、あなたも招く」
じいさんは渋りながら追い払おうとしていたが、やって来ている方も食い下がった。
俺と話をするだけ、か。何を企んでるかさっぱり分からない。そもそも、レヴェルト卿ってのは偉い貴族なのか?
「帰れ、邪魔だ」
「そうもいかない。どうか、レヴェルト卿に拝謁していただきたい」
「じーじ、いいじゃん、いけば」
ちょっと興味が出て、小屋を出て口を挟んだ。じいさんと、彫刻にいそうな美男の青年が俺を見る。
「何を言うとる、レオン。貴族なんぞと関わってもロクなことにならんわい」
「レヴェルト卿は高潔なお方だ。圧政を敷き、民を苦しめ、庶民を見下す多くの貴族とは違う」
「信用がならない」
「じーじ」
「黙っていろ、レオン」
「……ならば屋敷までとは言わぬ。ノーマン・ポートで我が主に会っていただくことはできないか」
「はんっ、そんなに会いたいならそっちから来い。そうしたら考えてやらんでもないわい」
「じーじってば、そんなんいうなって」
「分かった。ならば我が主には、そう報告をする」
「ぬ?」
「え?」
では失礼、と美青年がマントを翻して林の中へ行ってしまう。
まさか来るまいと思っていたが、忘れかけたころにその男はやって来た。
オルトヴィーン・レヴェルト。
レヴェルト卿と呼ばれる、この周囲一帯の――レヴェルト領を治める領主がひとりの従者を伴って海辺の小屋に足を運んできた。
「はじめまして、レオンハルト。それにチェスター老。
わたしはオルトヴィーン・レヴェルト。約束通り、ここへ来たからにはお話をしてもらえるだろうね」
じいさんに拾われたように、このオルトヴィーンも俺の人生を転換させる相手となる。
でもその時はボロ小屋に現れた貴族というのは、かなり場違いに見えて滑稽で思わずじいさんと揃って爆笑してしまった。