誇り高い戦士
集落の広場へロビンが結界魔法を敷設した。集落のど真ん中にあるということで、戦いの余波で被害を出さない措置だ。
金狼族の若者の一部は、それを見て顔をしかめていた。聞いてはいたがどうも魔法というのは金狼族では軽視されている。戦いは自慢の肉体をもってやるもので、魔法はあくまで生活のための道具という認識のようだ。
結界魔法と言えば非常に高度な魔法なのだが、そういう意識が強いからか、何を一丁前にと思われている。集落への被害が及ぼすほどの戦いを、魔法なんていうものを学んできたロビンが繰り広げるはずもない――という認識だ。
「この戦い、ディオニスメリア王国カノヴァス家次期当主、マティアス・カノヴァスが見届けさせてもらう」
結界魔法の中のロビンとクルト氏に言う。
ロビンの敷設した結界魔法は強固だ。試しに僕のアーバインの剣を軽くぶつけてみたが、岩山にでもぶつけたかのように微動だにしない。
「ロビンが勝利すれば、金狼族の戦士としてクルト氏に認められる。
クルト氏が勝利すれば、ロビンはこの集落を去って二度と立ち入らず、以降、金狼族と自称することも禁じられる。
それでよろしかったですね」
「さっさとするがいい」
「では、合図はなしで始めてください」
告げるとクルト氏は刺突に特化した鋭い槍を構えた。
ロビンもまたアーバインの剣を抜いて構える。
クルト氏の方が体も大きく、上着も脱いでいるために逞しく盛り上がった筋肉を見て取れる。全身には細かな古傷があり、一目で彼が歴戦の猛者だというのは理解できる。
一方のロビンは人間族に比べれば体格も大きな方だが、この金狼族の集落の若い衆と比べれば見劣りをする。対峙しているクルト氏と比べても明らかに劣っているだろう。
だがロビンには魔法がある。搦め手も使えれば魔法士としても優秀な魔力変換器と魔力放出弁を備えている。騎士魔導学院で騎士養成科の学生が魔法の訓練をするのは、剣術と魔法を組み合わせることで戦闘能力を底上げできるために他ならない。
ロビンはその中に交じり、剣闘大会でも優秀な成績を修めた経験がある。引けを取ることはないはずだ。
静寂をもって2人の戦いは見守られる。
囃し立てる者も、応援する者もいない。誰もがじっと押し黙りながら見ている。
その中で先に動いたのは、クルト氏だった。
僅かに足が動いたかと思うと、槍を繰り出しながら突進していた。速い。想像の何倍も速く、俊敏な動きだった。だがそれをロビンはアーバインの剣で払い、金属音を鳴らせる。それが途切れるより速く、次々と互いの得物がぶつかり合って火花を散らしていく。
クルト氏が仕掛け、ロビンはそれを捌く形。
しかし、勢いは仕掛け続けるクルト氏にあり、とうとう穂先がロビンの防御をかいくぐった。かろうじて顔を振ってロビンはそれを避けたが、直撃を回避したので精一杯だ。頬に一筋の切れ目ができ、そこから血が流れる。素早くロビンは身を屈めながら、低い姿勢からクルト氏の腹部へ蹴りを放った。
一撃をあえて通し、かわして懐へ入ったのだろう。
蹴り飛ばされたクルト氏は中空で身を立て直し、槍を持たぬ左手と両足で這うようにして着地した。すでにロビンは追撃のために走り出している。尻を引くようにしながらクルト氏がその姿勢で力を蓄え、弾き出された矢のごとく飛び出した。
一瞬の交錯が互いを切り裂いた。
尚も止まらず、両者は結界内を駆け巡るようにして次々とぶつかり合う。
「魔法は使わないつもりのようですね」
「ああ」
静かにリアンが言った。
今のところは、拮抗しているように見える。だがまだこれは序の口だろう。
クルト氏には余力のようなものを感じ取れる。ロビンは――読み切れない。
僅かに動きが速くなる。どちらがペースを引き上げているかは分からないが、ぶつかり合う音の間隔が次第に短くなってきている。主導権を握っているのがクルト氏で、ロビンが追いつけなくなってしまえば、あえて魔法を使わずに戦っているロビンが不利になる。
加えて経験の差というものがある。ヴェッカースターム大陸をここまで3人で旅し、時に魔物や、賊と幾度となく戦ってきたがロビンは後衛に徹してきた。魔法を抜きとして単純な戦闘だけならば、僕はロビンを上回れる自信さえ持っている。
だがクルト氏は、その僕さえ上回れる経験をその身に積んできたはずなのだ。
「これだけ速いぶつかり合いとなれば魔法の発動までのインターバルでやられてしまいそうなもの。
クルト氏があえて、魔法を封じるために戦っている印象もありますが、ロビンはそれに乗るまでもなく剣のみで戦うつもりでしょうか」
「負ければあいつは故郷と、一族の誇りを失うと言うのにな」
戦いを見守る金狼族の者達がざわついた。
ロビンがとうとう、まともにクルト氏の一撃を受けたのだ。深々と槍が右足の付け根を貫き、引き裂いた。腰から上だけでロビンは剣を振るって対応しようとするが、クルト氏はロビンの周囲を駆け回りながら次々と攻撃を仕掛けていく。
なぶられる。
だがここで止めればロビンの敗北だ。
「ロビンをたすけてっ!」
「もうおわりでいいでしょ!?」
僕の腰へ衝撃がきた。
ロビンの小さな兄妹が腰にしがみつき、僕を見上げている。
横薙ぎにされた槍でロビンが顔面を打たれて吹き飛ばされた。
「ねえっ! ともだちなんでしょ!?」
「いや――止めはしない。ロビンの目は、諦めていない」
訴えを蹴るのは、胸にこたえる。
僕の視線の先を辿った兄妹達は、傷だらけになりながら起き上がったロビンの姿を見て、僕の腰を掴んでいた手を緩めた。
「信じてやれ、負けはしない。
キミ達の兄は――ロビン・コルトーは誇り高い戦士だ」
クルト氏が槍を突き出した。それを横から無造作にロビンが掴み取る。
一瞬だけ、クルト氏の目が見開かれた。ロビンの口の端が、笑っているように僕には見えた。
掴んだ槍を力ずくで振り回し、投げ飛ばした。結界にクルト氏がぶつかる。槍はロビンの手だ。それを投擲したが、結界にぶつかって落ちる。すかさずクルト氏が拾い上げ、駆け出していたロビンを迎撃すべく構え直す。左足の負傷は治していないようだ。やや不格好な足の動き。
再び、剣と槍がぶつかり合った。
交えた剣で槍を押さえつけて下げさせるなり、素早く振り上げる。上体を仰け反らせたクルト氏が解放された槍でロビンを狙おうとしたが、ロビンは距離を空けさせることを許さずに迫っていた。
間合いはロビンにある。素早くアーバインの剣が持ち替えられ、ロビンが拳を振るった。クルト氏は槍の柄でそれを受けたが、すぐにまた掴まれてしまう。かと思うと、ぐるんと槍が回転した。引っ張られるようにクルト氏も体を振り回される。地面へ背中から叩きつけられ、ロビンがアーバインの剣を突きつける。
終わりかとも思われたが、クルト氏は止まらなかった。
寸止めされたアーバインの剣を横から殴って払いのけ、ロビンに体当たりをしたのだ。左足の負傷で踏ん張りの利かなかったロビンは押し倒されてしまい、首筋を思いきり噛まれる。負けじとロビンは体を転がして上を取り、互いの首筋を噛み合う形となった。
互いに上を譲らぬようにして、次々と回転していく。
本物の獣のようなうなり声が耳に届いたかと思えば、それはロビンとクルト氏のものだった。すでに2人とも武器は手放している。先にこの噛み合いを終わらせたのはロビンで、頭を引いてから頭突きをかました。頭を引いた時に金狼族の発達した犬歯によって、肉が僅かに抉られていた。しかし頭突きのお陰でクルト氏は僅かなものだったがロビンを解放した。
荒い呼吸をしながらロビンは背を丸めながら立ち上がって数歩の距離を取る。
起き上がったクルト氏も、同じような姿勢だった。残っている武器は己の四肢のみ。じりじりと円を描くように両者は横移動し、距離を保ちながら睨み合っている。
仕掛けたのはクルト氏。
ロビンは左足の負傷もあり、自分から飛び出すのは迂闊と悟っていたのだろう。
独特の歩法をもってクルト氏は距離を詰めた。足を交錯させず、地面と足を擦るようにしてステップを踏んだのだ。捻られた腰から、力を伝えながら掌底を繰り出していく。砂塵が巻き上げられたかのように、その力のうねりへ飲まれていくのが見えた。――あれは、何かの技だ。
掌底を受けたロビンの体が浮く。
爪先だけが僅かに地面へついていた。
腹部から斜め上へとクルト氏の掌底が捻り上げられていく。
金狼族の誰かが、驚嘆の声を上げる。
奥義とでもされるような技だったのかも知れない。それをロビンへぶつけたことに対する――もしくは、それをロビンが受けたことへの驚愕か。
口から、鼻から、ロビンが血を噴き出すようにこぼした。
血の気が引いた。止めるべきところを見誤った。ロビンが――
「――アサルトホールゲイル!!」
凄まじい暴風が結界内で弾けた。
クルト氏が全身を切り刻まれながら暴風に巻き上げられて高く舞い上がる。血飛沫が風と砂塵に紛れる。暴風は結界さえも食い破るかのように激しくぶつかり、断続的な衝撃音を鳴らしまくった。
それが収まるとクルト氏は地面へよこたわっていた。
地面へうずくまっていたロビンが、ゆっくりと立ち上がる。片腕で顔中の血を拭き、もう片手は掌底を打ち込まれた腹部を押さえていた。
クルト氏はまだ立ち上がろうとしている。
長い沈黙の中で、ずっと、クルト氏は地面へ手をつこうとする。
だが、やがて、その手は拳を握り、大地を力なく叩いた。
「この勝負、ロビンの勝利とする」
僕が宣言すると、ロビンは長く、長く、息を吐いていった。
結界が消えると集落の人々がロビンとクルト氏へ駆け寄っていった。




