ごめんよ、少年
「ぜーんぶ、見越してたわけですかい、旦那」
「何のことだ?」
「分かってるでしょうに……」
いつ来たって、このブレイズフォードの屋敷は肌に合わない。
いや、体じゃあなく、こいつは心の問題の方かね。じゃ、落ち着くためにも一服さしてもらいましょう。
「アストゥートでの一件ですけどねえ、旦那」
「……知っているのか」
「ええ、そりゃもう。善良な市民の少年がどういうわけだが狙われてたようで」
「ほう?」
「ちょいと危うかったようなんでね、そのまんまにしてたら何度も何度も刺客を差し向けられるかと思って芝居を打ってみたんですよ」
「お前が芝居か」
「ええ。アンシュちゃんに姿変えの魔法をかけてもらいましてね、彼の隙をついて毒を盛っときました。本人なのに、本人を演じてる別人を演じるってのは妙な感覚でしたわ。
お陰でけっこう寝込んじゃったみたいですが、閣下におかれましてはちゃんと毒が効いてるって思えてもらったようで。
こうまで、ころっと色々と騙せたなんて、個人的にはいい仕事できましたが……芝居が終わりゃあ、毒も消えるってもんで、今は少年もピンピンしてますよ」
旦那の表情は変わらない。
煙をくゆらせつつ、俺もいつものように語るとしましょうかい。
「ああ、そうそう少年の死ぬタイミングを見守ってたようですが……生憎と、その監視の目はちょいと居眠りしてるようですよ。
だから俺からお伝えしときましたが……問題ありましたかい?」
「ヴィクトルのお前が肩入れして何になる?」
「一般市民を守ってやんのも騎士のお仕事の内でしょう。
それはヴィクトルだろうが、新米騎士だろうが変わりゃあしないと思いますがね。
まあ……お互い、ちょっと張り切りすぎたようで、出過ぎたマネしましたかね、旦那」
「オーリックの企みはお前の手によって潰えた。それだけで良いことだ」
「俺だけじゃあとてもとても……」
「……何?」
「いやね、偶然――その毒を盛られて前日まで瀕死だった少年とばったり出くわして。
足止めしてくれてたんですよねえ。
だから俺も間に合って、口止めだけしてすぐにとんぼ返りしたってわけでさあ。
ちゃーんとカヤヴァが仕留めちゃってたら、こうもすんなりいきませんでしたねえ」
「だが表には出ないことだ」
「ええ、そりゃね」
ちょっとくらい旦那も顔色を変えてくれりゃあ良かったものを――こうも変わらないか。
さすがは団長閣下殿ってわけかい。
ちゃんと生きてた息子へわざわざカヤヴァを差し向けるなんざ、親のすることじゃあない。
いや、親じゃないんだから当然か。
この男はレオンハルトという、自分の息子として生まれてしまった少年が嫌いだ。
これまでに2度も殺そうとしているんだから筋金入り。その2度とも、俺に邪魔されておいて――どうしてこうも、顔を変えねえんだか。
最初は生まれたばかりの赤子を、対外的には病死したということにして捨てようとした。遠くの貴族のところへ寄越すなんざのたまったようだが、その馬車は偶然にもどこの何とも分からない賊から襲撃を受けることが決まっていた。
そんなもんを黙って見過ごすはずはない。ちょちょいと御者にも、赤子にも眠ってもらって、レヴェルト領へ運んだ。変わり者のレヴェルト卿の目に留まれば、いつか赤子が貴族として返り咲けるものと信じて。
だが、あれから13年の時が経ってみれば赤子は大きく成長していた。
史上最年少で王立騎士魔導学院を卒業した。レヴェルト卿の子飼いにもなっている。そして、偶然にも実の姉と親交を深めて王都にまでやって来た。
面白くなかっただろう、閣下殿には。
いてはならないはずの息子が、ひたひたと忍び寄ってきているようにも感ぜられたはずだ。
だからカヤヴァを使って殺させようとしたが、それも失敗に終わった。今はピンピンしている。
これで俺がいる限りは容易に自分の手で殺せないと悟ってくれればいい。
ヴィクトルであり続ける限り、俺は切られる必要がない。同時に秘密は守られる。
「なあ旦那……」
「何だ?」
「あんたが大義のために手を汚すのは、仕方がないってもんだ。
そうでもしなくちゃ守れないもんをあんたは守らなくちゃならない立場にある……立派だ」
「…………」
「けどな、他人様から力ずくで奪い上げるくらい愛した女くらい、幸せにしてやらにゃあ筋が通らんでしょう」
「らしくない説教だな、ヴィクトル」
「名も家も捨てさせられた俺ですが、人の情ってやつまでは捨てた覚えはないんでね」
「……さぞ辛かろう、お前の尽力には常々助けられている」
「俺がヴィクトルでいるのは、別にあんたに忠義を感じてるわけでも、国を守るなんて大層な理由でもないってとこだけ……もっぺん考えといてもらえますかい?」
煙草を投げ捨て、踏んで火種を消す。
こんな風に簡単に、この旦那はレオンハルト少年を消せると思ってたのかね。
「貴様ももう一度――ヴィクトルという存在には何もないことを思い出しておけ」
「お互い、これからもいい関係でいましょうや……。俺が望むのはそれくらいのもんなんですから」
人の気配がし、団長殿が窓を下ろした。
寄りかかっていた屋敷の外壁から背を放し、ブレイズフォードの庭から出ていった。
理解しているはずだ、エドヴァルド。
お前が断ち切りたいものは、お前が断ち切れない俺によって守られている。
お前が本当に手にしたいものは本当の意味で、お前のものにはならないんだとも。
「ヴィクトル――」
貴族街を歩いているとアンシュちゃんが待っていた。
「おっ、どうしちゃったのよ?
もしかしてオッサンにデートのお誘い? 最近相手してあげられなくてごめんねえ」
「違います」
「ありゃ、きっぱり言うわね……。もうちょっと妄想膨らむような断り方してくれてもいいんじゃないの?」
「明日のパレードですが、オーリックの手の者が事件を知らぬままに実行する恐れがあります」
「任した」
「はい、分かり――ヴィクトルっ!?」
「しーっ、声がおっきいよ、アンシュちゃん。もう夜なんだからご近所迷惑よ。
オッサン、明日はお休みね、どうせ大したことじゃないんだからアンシュちゃんで対処してちょうだいな」
「ですが、わたしでは――」
「アンシュちゃんは優秀だからだーいじょうぶだって」
「それに休みって、一体何をされるので?」
「んー、ほれ、オッサン今、かわいいかわいいお子様達に慕われてる真っ最中だから」
「レオンハルト・レヴェルトと、リュカ・B・カハール――ですか?」
「そうそう」
「……どうしてそこまで、肩入れされるんです? 今までこのようなことはありませんでした。まさかヴィクトルは、男の子好きの……?」
「違うって。オッサンが女の子大好きなの知ってるっしょ? そんなこと言っちゃうなんて、もしかして嫉妬してるの? もーう、素直じゃないんだからアンシュちゅわーん」
そっとアンシュちゃんの形のいいお尻を撫でようとしたが、掴まれて止められる。
「違います」
そしてまたこの容赦のない返事。
あーあ、オッサン、つまんなーい。
「ヴィクトルはどうして、素晴らしい騎士なのに人柄だけで尊敬させてくれないのでしょう……?」
「んん? じゃああれかな、オッサンがシャキッと凛々しく格好良くしてたら、アンシュちゃんは尊敬してくれちゃうの? ちょっとがんばってみちゃおうかな?」
「一考だけならしますが、その発言のせいで可能性は限りなく低いかと」
「おっ、一考してくれるんならチャンスあるかもね」
「……はあ」
「そいじゃあアンシュちゃん、明日はオッサンお休みだからよろしくね」
「はい――ひゃうっ!? ヴィクトル!!」
「はっはっは、いーいお尻だねえっ! そいじゃねー!」
手に残るぷりんとした弾力と柔らかさを惜しみつつ、年甲斐もなく走って逃げる。
帰る場所は騎士団地下の、隠し部屋。ヴィクトルになって13年、ずっとここで孤独に寝泊まりなんだから嫌になる。
けども思いがけない偶然ってやつで、我が子と会えちゃってるんだから人生って分からんものよね。
いや――ヴィクトルでいる限りは我が子ってわけにもいかないか。
てことは一生だ。
「ほんともう……勘弁してもらいたいもんよね」
明日は思いきり、振り回されてやるとしましょうか。
延期されてたパレードだし、リュカ少年はきっとはしゃぐでしょうね。
レオンハルト少年はどうだか分かんないけども――あんなに冷めてる感じなのは、育ちに関係しているもんかね。だとしたら、団長殿を恨んでも恨みきれないけども……まあ、恨みで人は殺せないし、虚しいだけか。
表向き、第三王女の体調の問題ということで延期されていたパレード。
待たされている間にも、さらに王都へ押しかけた人は増えたようで第二王女様の時よか賑わいがあった。
「ほーれ、見えるか?」
「ちょっ、何だよ、やめろって、俺もうそういう年じゃねえっての……意外と力強いな、おい! こらオッサン! 放せ、下ろせっ!」
「オッサン、オッサン、俺にもやって、俺にも! 肩車っ!!」
「ほいほい、じゃあ姫様乗せた超豪華な馬車が到着したらリュカ少年と交替すんよ」
「だから下ろせって」
「馬車来たらね」
「それまでずっとこれかよっ!? マジでふざけんな、オッサン!!!」
暴れるレオンハルト少年を両手でしっかり押さえる。
こんなに重くなっちゃってまあ、腰にずしっときちゃいそうだ。暴れられると余計だね。
「はっはっは、元気ねえ、少年」
「レオン嫌がってんなら俺肩車してよ、オッサン!」
「はいはい、オッサンの愛は基本、誰にも平等だから待ってなさいな」
「いらねーよ!」
「またまたー、少年、無償の愛を注いでくれる相手なんて少ないんだぞー?」
「いいこと風なことを、言うなっ!!」
後頭部にゴスっと音がし、あえなく撃沈された。
頭突きで逃れてしまったレオンハルト少年はコキコキと手の骨を鳴らして威嚇してくれちゃったけども、都合よく姫様が馬車でお見えになったからリュカ少年を肩車して逃れておいた。
「オッサン、俺らんとこにまた顔出したってことは……何か言うことあるだろ?」
馬車が群衆のすぐ目の前を通り過ぎていき、リュカ少年を下ろすとそんなことをレオンハルト少年に言われる。
「何から聞きたいのかな、少年は」
「……全部」
「んじゃあ、とりあえず……今日と言う日を満喫してからお話しようかね」
でもごめんよ、少年。
全部話すと言いながら、本当に大事なことは隠しちゃうから許しとくれ。




