イアニスとイレーヌ
「ヴィクトル・デューイ殿ですか……?」
何だかくたびれた顔で俺を撫でたオッサンが背を向けると、後ろからイアニス先輩が声をかけた。それでオッサンの足が止まる。
「んー? 何のことかね? オッサンはただの通りすがりのオッサンよ。
若者よ、キミにゃあ未来があるんだからここはひとつ、手柄をこの老い先短いオッサンに譲って、全部黙っててくれやしない――」
「オッサン、どっから来たのっ!?」
はぐらかそうとしたオッサンに不躾なリュカの声。
半目になりつつ、オッサンが振り返る。
「……リュカ少年、空気ってやつを読めんのかい?」
「空気? 何か書いてあんの?」
リュカにそいつはできねえんだぞ、オッサン。
二言目には腹減ったで全部の空気感台無しにするやつだから。
「やはり、ヴィクトル・デューイ殿ですね?」
「んー……ちょいとね、色々と黙っててくんな。
あれやこれやと、お上の意向ってやつがあるから吹聴しないでくれっとありがたいんだけどね」
俺らの話ではオッサンをヴィクトルってのだと信じなかったイアニス先輩だけど、そうと思ったらしい。
狭い通路なのに関わらず、イアニス先輩が俺を押しのけて前へ出る。
「自分はイアニス・ダールマンと申します」
「おっ、ダールマン? へえー、ダールマン男爵の? 何番目よ?」
「次男です」
次男だったのか、イアニス先輩。でもってオッサンも、やっぱ貴族の家とかちゃんと把握してんのな。あ、いやオッサンは元々が博識か。元々ってのもおかしいけど。
「あいあい、イアニス・ダールマンくんで、男爵の次男坊ね、覚えとくよ」
「は、はいっ、ありがとうございます」
「ほいじゃねー。リーゼリット様、行きましょか。もうしばらく、おつき合いくださいな」
オッサンがリーズを連れて、奥へ歩いて行ってしまう。
それを見送ってから、どうもしっくりこないのを感じてしまった。
「……こんなことになったが、ヒンメルがまだ上で探してくれているかも知れない。
一旦戻るとしよう」
スレッドコールを傍受するために、俺達は壁の上へ行こうとした。
一般人にはあまり知られていないが騎士は壁の中の空間と、その上へ至る通路があるのを知っていた。しかも、俺とリュカはラーゴアルダの南東部にあたる壁へ入らせてもらったが、複数箇所、入れるところがあった。
よくよく考えれば当然だ。壁も随分とデカいから入口が一箇所じゃあ大変だろうし。
一旦、壁の上へ出たところでイレーヌ先輩にスレッドコールの傍受をしてもらい始めた。
その時に魔影を使ってみたら、壁の中――俺達のいた下の部分に反応が突然出てきた。何かと思ってイレーヌ先輩を残して潜ってみれば、リーズを連れた騎士だった。
だがイアニス先輩はすぐ、騎士じゃないと言った。
向こうも口封じとばかりに襲いかかってきて交戦していたら、さらに奥からオッサンが出てきた――という顛末。
魔影は魔力の通らない石で感知を阻まれる。
だから多分、壁内のどこかに隠し通路があったんだろう。それを使ってリーズを連れた、騎士じゃない何者かの小グループが出てきた。そもそもどうしてリーズがそんなのといたのかとか、疑問が残る。
もしかしたら王都の同時多発放火事件は――ただ目を向けさせるためだけのもので、水面下で別の事件が起きていたのかも知れない。
オッサンは自分より早く着いちゃうなんてと言ってたが、まったくの偶然。
すごいと誉められたって偶然なんだから誇りにくかった。
「ダメね、そもそもスレッドコールが使われてるかどうかも確証ないし、さっぱり分からないわ」
「ヒンメル、下で色々あったから聞いてくれ」
「色々?」
壁の上へ出るとイアニス先輩が説明を始めた。
リュカはよく分からなそうな顔をし、それから俺を見てくる。
「レオン、どしたの?」
「いや……別に何も」
「オッサン、何であんなとこにいたんだろ?」
「お仕事ってやつじゃねえの?」
「税金ドロじゃなかったの?」
「なかったっぽいな」
あのオッサンは、きっと全部知ってる。
俺の知らないことを知ってて、分からなくてもやもやしてるところへの答えを持っている。
が、素直に喋るとも思えない。
オッサンに渡されたハンカチで、顔や手についていた血を拭き取る。加齢臭はしないが、地味に煙草臭い。まあいいか。
服も血塗れになっちゃったけど、イアニス先輩かイレーヌ先輩に水でも出してもらって、それでじゃぶじゃぶすすげばすぐ落ちるだろう。乾かすのも魔法ならちょちょいのちょいだろうし。
リュカは加減ができないから頼らない方がいいな。
「リーゼリット様と、ヴィクトル……。じゃあ、もう首は突っ込まない方が良さそうね」
「ああ。それに僕の名をヴィクトルに覚えていただいたから、何かあれば連絡はくるだろう」
「あら、抜けがけ? いつもしがらみは面倒だってボヤいていたくせに?」
「これはそういうのじゃないだろう、必要な措置だ。
それにヴィクトルは父のことも存じ上げていたんだ」
ねえねえ、とリュカが俺の耳に顔を寄せてくる。
「この2人、何?」
小声で言われる。
この2人、で括られると俺の学院時代の数少ない嫌ってくれてない先輩だが――。
「あなたはいつも、いらないとか、面倒とか言いながら後生大事にするわね」
「何だその言い草は。いいかい、僕は取捨選択をしているだけだし、ただ意味もないものに対しては切り捨てて身軽になるべきだと言うだけであって――」
「で、後からやっぱり必要だった〜って拾い上げたり、慌てたり……」
「僕がいつそんなことをした?」
「いつもそうじゃない」
何か、仲良さげ。
こうして見ると美男美女のじゃれあいだな。
「……リュカ、ちょっと耳貸せ」
2人に聞かれないよう、小声でリュカに指示を出す。
言い終わるとリュカはこくりと頷いた。
「キミにそこまで言われる筋合いはないな。
そもそもだ、僕はキミと違ってよく頭を使って考えている」
「あら、頭を使ってその取捨選択っていうのをやってるなら、使わない方がいいかも知れないわね」
「なっ!?」
「ふふっ、図星?」
「違う! いいか、ただ偶然に結果として――」
「ねえねえ」
「何だいっ!?」
「2人って恋人同士なの?」
リュカにぶっ込ませてみた。
顔が赤くなったのはイアニス先輩。
クールに澄ましていたイレーヌ先輩が否定するかと思いきや、イアニス先輩の腕へ絡み頭を寄せる。
「そうよ? 似合ってないかしら?」
「ひ、ヒンメルっ――」
「いいじゃない、隠して何になるの?」
「おおー……」
何故かリュカが拍手している。
にしても、イレーヌ先輩はかっこいいなあ。
だけど何かちょっぴり素直に祝えない。
イレーヌ先輩はイアニス先輩となのか……そうか、いい女だったのにな。
「か、からかうなっ! とにかくここへもう用事はない。
ヴィクトルも黙っててくれと言っていたんだ、何もなかったことにして戻るぞ」
「照れちゃって。あたしとじゃ恥ずかしいってわけ?」
「ち、違うっ、そうじゃないが……ひ、人目のある場所で――」
「はぁ……そういうとこが物足りないのよね」
「節度の問題だっ! 大体だな、僕らは身分が――」
「ああもうっ、黙らないと口塞ぐわよ」
「ふんっ、キミは魔法士だ、僕の口をどう塞ぐって――っ……」
熱烈なキッスでイアニス先輩が口を塞がれた。
「おおおおっ!?」
リュカが何やら興奮気味の声を上げる。
「つまんないこと言わないでいいでしょ。
と言うかあなた……昼間っからお酒でも飲んでたの?」
ようやく口が離れるとイレーヌ先輩は顔をしかめ、ガチガチに固まっているイアニス先輩を振り返りもせずに梯子を下りていってしまう。
「イアニス先輩、やるぅー」
「か、からかうな……」
顔を真っ赤にしたイアニス先輩は手をぱたぱた振りながら風を自分の顔へ当てていた。
ウブだねえ。




