よっ、じーじ
リュカのことだからてっきりついて来るかと思ったが、ファビオとチャンバラをする方が楽しいようで来なかった。地味に寂しいものだ。
だからひとりでまたメルクロスを出発し、ノーマン・ポートまで来たところでばったりじいさんと出くわしてしまった。
ノーマン・ポートの漁港だ。
とりあえずバットにだけじいさんの近況を聞こうと思ったら、じいさんがいた。
「よっ、じーじ」
「帰ったか、レオン」
「互いに淡白だなあ。チェスターじいさん、ここんとこ毎日のようにここまで来て帰りを待ってたのに」
「バカたれ、余計なことを言うな」
茶々を入れたバットはじいさんに叱られ、首をすくめた。
何だよ、そろそろ帰るの分かってて待ちきれなかったってか? かわいいとこのあるじいさんだぜ。
「無事に王立騎士魔導学院を卒業いたしましてございますぜ、じーじ。
どうよ、男前に磨きがかかっただろう?」
「ふん、まだまだだわい」
言ってくれるよ、ほんとに。
ちゃんと持ち帰ってきた制服姿でも見せてやろうと思ったのに。
「また明日にでもくるから、話はそん時にな、バット」
「ああ、残り少ないじいさんの余生につきあってやれよ、レオン」
またじいさんは顔をしかめていたが、俺はバットと笑い合ってから懐かしの家へ向かった。
シンリンオオガザミを仕留めると、これを食おうと忘れずに提案して引きずっていった。
道中でじいさんとの会話はあまり弾まない。
見た目は全く変わっていないし、別に中身も変わったようには見えない。じいさんの方が久しぶりすぎて感無量なのかと思って話しかけてみても、けっこう素っ気なかった。
まあ、饒舌な方ってわけでもなかったしな。
「カニうめえな」
「うまいだろう。食うのは久々だが」
シンリンオオガザミは適当なサイズに分けて塩茹でしただけで食う。
茹でると殻は鮮やかな赤になり、身も締まってウマかった。いかんせん、デカくて量があるから食いきれない分は林の中の小さな小さな畑へ肥料代わりに撒いておいた。
食事が済むと、じいさんは寝床へ入ってしまう。
俺もそれなりには背が伸びて、一緒に寝るには狭くなっていたのだが――小屋が増築されていたようで、並んで寝れるようになってた。
「これ、どうしたの?」
「漁具を突っ込んでおくのにいいスペースだろう」
「……そんだけかあ?」
「いいから寝ろ。明日は早いぞ」
素直じゃねえの。
波の音を近くで聞きながら寝るのもかなり久しぶりだ。カハール・ポートのバリオス邸はそれなりに海から距離があったから、こうして海辺の小屋だと大きく聞こえる。
「おい、レオン……」
「ん?」
互いに横になったところで、じいさんに呼ばれた。
「……漁の腕は、衰えていないだろうな?」
「もう、じーじよか上だろうな」
「ふん、まだまだだ」
「明日を楽しみにしてろよ、じーじ」
しばらくするとじいさんは寝ついていた。
俺はまだ、目が冴えている。
何となくじいさんの寝てるところを眺めるとしぼんだように見えた。
前は腕に抱き上げられたりしていたものだが、もう絶対にムリだろうな。
背中も何だか小さく見える。
俺の体がでっかくなったのもあるが、気づきにくいだけで年も取ってるんだから当たり前だ。少なくとも俺を拾ってからは12、3年は経ってるんだし。
あと何回、じいさんと話せるだろうか。
今度こそ、出て行ったら二度と会えなくなるかも知れない。何年後か、何十年後かにここへひょっこり戻ってきたら、すっかりこの小屋は朽ち果てていて、じいさんの骨だけが綺麗に残ってたり――あり得る。いや、バットもいるし、じいさんがさっぱり姿を見せなくなればここまで来て、様子くらいは見てくれるか。
それでもこの小屋は、近い将来、無人の廃屋になったりしそうなものだ。
俺とじいさんが一緒に暮らしてた、この小屋が。嵐の度に壊れるんじゃねえかと不安になる、このボロ屋が。
寝床を出て、リュートを持って外へ行った。
生憎と空には雲がかかってしまっていて暗い。
それでも体はすでにリュートをよく知り、手元が暗い程度で弾けなくはならない。
歌を作ろうと思った。
名づけるなら、じいさんの歌。
素直じゃなくて、意外と頑固で、けっこういい加減で。
だけどレオンハルトを愛してくれる、最強の漁師のじいさんを讃える歌。
誰もが共感してくれる歌じゃなくていい。
ただ、じいさんとの思い出を音楽にして、じいさんに覚えててもらおうと思う。もしもじいさんがひとりで死を迎え入れようとした時に、これを覚えてくれていたらいい。
どんだけ時間が経っても、俺はじいさんを忘れやしない。
そういう風に思ってることだけでも伝わればいい。ついでにじいさんを泣かせられたら満点のデキになる。自己満足極まりないお礼だが、その辺は大目に見てもらおう。
リュートを鳴らしながら、海に歌って作曲をしていく。
しんみり浸れて、ついでにコブシを利かせた演歌調の歌を作っていったが、朝を迎えるころには寝落ちしていて叩き起こされてしまった。
早朝からの漁も随分と久しぶりだが、海もまた変わっていなかった。
透明度の高い青い海。いまだにじいさんが保管してた、木製の銛を片手に潜って仕留めていく。グロフィッシュは相変わらず、見た目だけは生理的に受けつけられないが目玉が16個もある大物を獲れた。こいつらはデカいほどに目玉が多くてうまい。
いかんせん、捌くまではグロくて直視できないが、食う分にはうまいのだ。
醤油を使って刺身を作ってやると、最初こそ生食に抵抗感を見せたじいさんだったがすぐに気に入ってくれた。淡白な魚の身に、醤油というやつは最高に合う。
他にもワカメと魚の身をぶち込んだ和風スープも唸っていた。醤油は万能だ。
揚げ物も作ろうかと思ったが、食用油というやつはいかんせん、値が張るし、じいさんは備えていなかったから断念した。揚げものを食えるのは貴族のような上流階級のみなのだ。ま、俺は金があるからノーマン・ポートでたっぷり買い込んでくる算段を立ててるが。
あと漁の結果としては、じいさんに負けた。
張り切りすぎて互いに何十匹も獲ってしまったが、それでもじいさんの方が量も多く、一番の大物のサイズも負けてしまった。
バットのところへ持って行けば2人で合わせて銀貨1枚と銅貨20枚くらいはいきそうな漁獲量だった。
「レオン、立て」
「ん?」
朝飯を食い終わったところでじいさんはまた銛を手にした。
「やるだろう?」
何を――とは思ったが、銛を向けられて理解する。
それでリュカに返してもらった、レヴェルト邸の武器庫からもらってきた剣を持ち出した。
波打ち際で向かい合い、無言で互いの得物を軽くぶつけ合うのがスタートの合図。
じいさんはしょっぱなから本気のようで、とんでもない水飛沫を上げながら踏み込んで銛を繰り出してきた。それを剣で叩いて軌道を逸らそうとしたが、固定されている棒のように揺らがなかった。危うく心臓を持っていかれそうになったが、片手で銛を掴んで全力で刺さらないように抑え込んだ。後ろへ思いきり押されきった。足の裏が砂や貝殻でこすれて痛くなった。もしかすりゃあ切れてる。
最後までじいさんが突き込んできた、そのタイミングでさらに俺は掴んでいた銛を引いてやる。前へよろめいてくるじいさんに遠慮なしに剣を振るったが、器用に片腕だけで銛を操って防いできた。かと思えば、そのまま薙ぎ払われて腹へぶち込まれる。
「そんな程度か、レオン!」
おいおい、そんな程度扱いかよ。
勘弁してくれと思いつつ、楽しんでるんだから俺も大概だろう。
じいさんが三度、連続で突きを放ってきた。
とんでもなく速いし、一撃ごとが鋭いもののどうにか捌ききる。反撃に出ようとし、銛が回転しながら上から振り落とされた。危うく避けたところへ、じいさんの老骨キックを見舞われて蹴っ飛ばされた。
リーチの差と、手慣れすぎてる銛捌き。
現役漁師としても異常なじいさんの膂力。
底知れないじいさんすぎる。
俺がオルトのとこに行く時もガチだったと思うけど、それにしたって今の方が圧倒的に強いはずだ。あの時に手を抜かれてたのか、あれからさらにじいさんが強くなっちゃっているのか。後者っぽいのが恐ろしい。
俺だってそれなりに強くなってるはずなんだけどな。
じいさんが海水を踏みつけながら迫ってくる。足の裏がズキズキする。切れてるな、やっぱ。
剣を腰だめへ構える。俺のリーチの外から、じいさんは突きを放ってきた。それを見切ってかいくぐり、一気に懐へと潜り込む。じいさんの膝が持ち上げられるのを見て、片手でそれを押さえて剣を振り上げる。じいさんの白い髭が数本切れ、はらりと舞う。アクロバティックにバク転しながらじいさんが距離を取り、着地と同時に銛を投擲してきた。
ギラリと穂先が光る。
ただ飛んでくるだけなのに、波打ち際の浅い海水を割っている。
「どおりゃああっ!」
真正面から、全力で剣を振り下ろした。
殺しきれない勢い。おかしいくらいにまっすぐ銛は進もうとし、拮抗しながらもじりじり迫ってくる。半身になりながら剣を振り下ろすと、ほんの僅かに軌道が逸れた銛は俺の後方まで再びロケットスタートしていき、盛大に飛沫を上げて海に突き刺さっていた。
「……この程度にしておいてやるわ」
つまらなそうにじいさんが言う。
いやおかしいだろう。色々と、今のはおかしかっただろう。
何でただ投げられただけの銛が、あんなに、拮抗するんだよ。
でもってどうして、その抵抗がなくなった途端にまた勢いを取り戻して飛んでったんだよ。
そんな疑問をじいさんは抱いていないのか、じゃばじゃばと歩きながら銛を回収して小屋に戻ってしまった。
恐るべし、じいさん。




