メルクロスへの帰還
「すげー、でっかい壁!」
「あれでぐるっと町を囲ってやるから、魔物が入ってこれないわけだ。
大きさはカハール・ポートとそう変わらないくらいだけどな」
メルクロスも随分と懐かしく見えた。
だが、町の様子は変わったようには見えない。入口の門番は今日も平和そうに欠伸をし、俺を見ると気安く「おかえり」なんて挨拶を言ってくる。片手を上げてそれに返し、まっすぐレヴェルト邸を目指した。
「ういーっす、久しぶり」
レヴェルト邸の門をくぐると庭仕事をしていた使用人に気づかれて声をかけた。
馬を預けて屋敷へ入ると、オルトは出かけているとのことでしばらく休ませてもらうことにした。数年ぶりの風呂へリュカと入らせてもらい、長旅の疲れを癒す。
あまり風呂というのはこの世界は普及していない。水も、それを湧かすのも、魔法があるから楽なはずなんだが、気候がカラッとしていて普通に生活をしている分にはそうそう汗もかかないから必要がない、という具合だ。
多少の汚れはよく絞った布で体を拭く程度だから体臭はそれなりにするのだが、どうも慣れというのは恐ろしいもので気にならなくなっている。それに普段から入浴をしていない分、色々と免疫なんかもできて体は対応できるし、ヘタに綺麗にしすぎると逆に体調を崩してしまう――なんてこともあるとかないとか。
レヴェルト邸に風呂があるのは、変わり者のオルトが綺麗好きの入浴大好き人間だからだ。
本当にもう、オルトがただの変わり者庶民じゃなくて、変わり者貴族で良かったと思う瞬間だったりする。
「あーつーい〜……」
「肩までつかって100まで数えたら出ていいぞ」
「いーち、にーい……」
まあ、入浴の習慣がないやつからしたら、あんまりいいもんじゃないのかも知れないが。
この良さが分からないとは、つくづく損をしてると思う。俺はお湯の温度は42度が至高と考える風呂好きなのだ。温泉、入りたかったな。山賊どもにはきっちり落とし前をつけさせてもらったが、やはり惜しい。
「レオン……」
「あん?」
「レオンって、体ボロっちくねえ?」
「ボロっちいとか言うな」
50ほど数えたところで、リュカがそんなことを言ってくる。
お世辞にも綺麗な体とは言えないのは認める。汚い意味じゃなく、主に古傷なんかの都合で。回復魔法には頼れない体質的な問題のせいで、ボロっちいとかいわれても仕方がないのは分かる。
大小無数の裂傷はミミズが貼り付いているかのように盛り上がってしまっているし、フェオドールにやられた左肩なんかはちぎれかけのを無理やりに魔法でくっつけたようなものだからギザギザの痕が残ってしまっている。火傷の痕もばっちりだ。見てると痛々しい。
それに雨が降りそうになると、全身がうずくように痛むことだってある。困ったもんだ。俺まだ、お肌もぴちぴちで美容液さえ不必要な12歳か、13歳くらいなのになあ。歴戦の古兵がごとくって具合に傷だらけだ。
もっとも、回復魔法があるこの世界じゃあ、古傷だらけのやつはそうそう見かけないが。
穴空きはつらいぜ。
「痛い?」
「もう痛くねえよ」
「ここの傷って、何でできたやつ?」
「あー、この腹の? これは学院でさ、モールっていうクソ同然の不良教官がいて、そいつに殺されかけた時にな。いや、あの時は死ぬかと思った」
今ならモール相手でも、ひとりで勝てる気がする。
いやでも、制限があるからどうかな。それさえなければ、まあ大丈夫と思いたいものの……。
「こっちは?」
「忘れた」
「忘れんなよ」
「何でお前がむくれんだよ」
「だって気になったのにさあ」
「はいはい、オルトに色々話す時にお前にも聞かせてやるから」
風呂を上がると、いい具合に気が抜けてきた。
入浴中に整えてもらった客間はリュカの希望で相部屋にされ、そのベッドへ寝転ぶと眠くなる。
「メルクロス着いたんだから勝負しよ」
「ファビオが来たらいくらでもつき合ってくれるだろうから、それまで待ってろ」
「ファビオ?」
「凄腕のエルフだ。まだまだ俺でも勝てねえくらいだからいい練習相手になるぞ」
濡れ髪を拭きながら言っていると、あんまり髪が長くてさすがに鬱陶しくなってきたのに気がつく。誰かに切ってもらうか、そろそろ。風呂入る時もでろんでろんに浴槽へつけるのが嫌で束ねるのが面倒だったし。
「ああ、それとソルヤにお前、魔法について習えよ」
「何で?」
「だってお前が使える魔法って簡単なやつだろ? 威力がバカげてるだけで」
「うん」
「色々と魔法ってあるし、覚えとけば便利なこともあるからやっとけ。
俺が使えない分、お前にしっかりそういうの覚えてもらえば楽になりそうだし。
ソルヤはファビオの姉貴で、まあ、多分強いんだろうけど……がっつり戦ってるのは見たことねえんだよな。
けど魔法はものすげえぞ。俺が知ってる魔法士ん中じゃあソルヤが一番ヤバいレベルだ」
「へえー……。それより腹減った」
「ぶれねえなあ……」
オルトに醤油を使った料理でも振る舞ってやるか。
あいつなら絶対に気に入るだろう。
そうと決めたら厨房へ行き、いつかの牡丹鍋の雪辱戦に挑むことにした。
使うのは、あの主と同種のイノシシみたいな魔物の肉。それと野菜を煮込んで、醤油とショウガをぶち込んで味つけをする。例のうだつが上がらなさそうでうまいメシを作るシェフは醤油を一舐めし、奇妙な顔をしていた。
どうやら俺のために、ある程度のまとまった量を購入して屋敷に保管をしてくれていたらしいがシェフは使おうとはしていなかったようだ。
多分オルトも、俺を繋ぎ止めるために醤油を用意したから使わせるつもりはなかったんだろう。
相変わらず、手の上でころころされている感覚がする。
それとも俺が単純すぎるのか?
そうこうしながら準備をしていたら、オルトが帰ってきたと報告を受けた。
リュカとともに書斎へ向かうと、オルトとファビオとソルヤが揃い、いつもの神々しい図になっていた。
「やあレオン、久しぶりだね」
「そうだな。ファビオとソルヤも久しぶり」
「ああ」
「つい最近だろう、別れたのは」
エルフの時間感覚はおかしい。
と、軽い挨拶をしたところでオルトは楽しげにほほえみながらリュカを見た。
「レオン、彼を紹介してほしいものだ」
「ああ……カハール・ポートで拾ったリュカだ。挨拶しとけ」
「リュカだよ」
「……違うだろ? そうじゃねえだろ、リュカ……」
「え? ……あっ、そうだった。リュカ・B・カハールだった」
本当にバリオス卿に色々と教えてもらったのか? 身についてないんじゃ意味ねえぞ。
ファビオの目もちょっとキツめになってきてるし。
だが当のオルトはどこ吹く風でリュカに色々と尋ねていた。どうやらオルトの興味は惹けたらしい。多分、俺と同じで魔技が使えるってところがフックになったんだろう。
とりあえずリュカの紹介に終始したところで夕食の時間となって牡丹鍋を披露した。
パンに合わないとか元も子もないことを言われたから米を用意しろと言ってやったら、その場でファビオに手配を言いつけていたらへんはさすがオルトだ。ディオニスメリアでは稲作はあまり向かない気候だが、外国はそれなりにやっているらしい。調子にのって、もちもちのふっくらした米だとも言っておいた。
ついでに、昆布もリクエストをしておいた。
こんなことをするから、オルトから離れられないんだろうなとは思わないでもなかった。
だがいいのだ、これが俺とオルトの関係性ってやつなんだろう。




