リュカの旅立ち
豊漁祭の最後は、港で大きな大きな火を囲んで締めくくられる。
キャンプファイヤーのようだとも思った。木の櫓を組んで、その中に祭りで大量に出た捨ててしまう魚の残りかすなんかを突っ込んで燃やしてしまうのだ。
人々はその周りへ集まって、陽気な歌を歌ったり、肩を組み合って踊ったりする。まさしくキャンプファイヤーみたいだが、港で行われるもんだから、俺のイメージの山の中とは違っているもんでちょっとアレだ。
バリオス卿は屋敷の全員を引き連れながらそこへ来て、領主として締めのスピーチをしていた。
元浮浪者の、今では立派な労働者勢からはヒーローのように、元々、領民として暮らし、バリオス卿を慕っていた民衆は古くからの知己や、あるいは家族のように親しげにする。
俺とリュカは、輪から少し離れたところでそれを見ていた。
「なあレオン」
「ん?」
「サントルと屋敷の皆に言わなきゃいけないことって、何?」
「……あるだろ? 別れ際のこと想像してみろよ。何か言うだろ?」
「行ってきます?」
「……まあ、それもそれだけど。
何かねえの? 4年も一緒に暮らしてきたんだぞ?」
「手紙書くとか」
「うん、書いてやれ……。けど、ちょおーっと違うんだよな」
火に照らされるバリオス卿をリュカはじっと見つめる。
「……ありがとうとか」
「……ファイナルアンサー?」
「え?」
「こほんっ……あーあー、ん? 何?」
「……何か言ったじゃん」
「忘れろ」
「…………」
「忘れたか?」
「忘れた」
「よし。ありがとう、が正解だと思うか?」
「違うの?」
「……お前って、何かなあ……。正解だよ、正解」
「よっし!」
「でも、言わされるんじゃなくて……本当にお前、それ言うつもりなかったのか?」
だったら、少し色々と考えなきゃならなくなるぞ。
いくら、ちと育ちが良くなかったとは言え、感謝の言葉のひとつも言えないのは人として良くない。
「だってさあ?」
「何だよ?」
「何か……」
「…………」
「いる?」
「あのな、世話になったとか、食わせてもらったとか、色々ありすぎるだろうが。
お前はあの屋敷に住まわせてもらってた身分なんだよ。そこんとこ分かってんのか?」
「だって、そういうんじゃない……気がするし」
「そういうのじゃねえって?」
「何か、んー……何て言うか、当たり前っていうか、当たり前じゃないけど……。
よく言えないけど、それが普通……普通も違う、何て言うの?」
「いや知るかよ。普通でも当たり前でもないのはその通りだけど」
「うーん……サントルってさあ?」
「ああ」
「お父さんみたいだなあって思った。ほんとのお父さん忘れたけど」
意外な言葉が出てきて、火を眺めるリュカの横顔を見る。
「家族って、そういうの普通じゃん。
だからそんなこと言わなくてもいいんじゃない?」
何か斜め上――いや、下か?
何とも言い難い、ビミョーな気分だな。
「家族だから遠慮とかしないでいいやってことか?」
「そんな感じ」
「確かにそれはそうかも知れないけど、違うんだな」
「違うの?」
「お前が家族だって思えたんなら、それはバリオス卿にちゃんと言え。
だけど、お礼だってちゃんと言え。
いくら家族だからって、それは楽しくて何となく安らぐだけの関係じゃないんだよ。
バリオス卿が毎日必死になって働いてるからお金が入ってきて食べていられるんだ。
目に見える形でそういうのは教えてくれないだろうけど、色々と大変なんだよ、食べるだけの金を稼ぐって。
そういうところは分かるだろ?」
「……ちゃんと金稼いだことない」
「そういうもんなの」
「ふうん……」
「それにお前のこともかわいがってくれて、良くしてもらえただろ?」
「うん」
「家族だって言っても全部の家庭でそういうことがあるわけじゃないし、バリオス卿の本当の息子達は……まあ、可哀想なことになってるんだ。
なのに赤の他人のお前を住まわせて、家庭教師をつけて、剣だって教えてもらってさ、そういうのはこれからずっとお前について回る大切なことばっかだ。
そういうことをたくさんくれた、って思えないか?」
「思う」
「じゃあ、何て言う?」
「……ありがとう」
「そういうこと」
「家族にも、ありがとうって言うんだ……」
「当たり前だろ。
家族だろうが、他人だろうが、良くしてもらったと思ったらお礼くらい言わねえとダメだぞ。
それに言うだけならタダだしな、損するもんでもないし、互いにハッピーになれるんだから言った方がいいってもんだ」
そっか、と呟きながらリュカはじっと火を眺める。
それから不意に、俺を見た。
「でもレオンには、まだまだ言わないから」
「はあっ?」
「て言うか待たせ過ぎなんだから謝れよ」
「……絶対言わねえ」
「あっそ!」
「ああそうだよ」
べーっ、と小生意気にやってからリュカがバリオス卿の方へ走っていった。
喧噪の中でもよく通る大声でバリオス卿を呼び、振り返ったところへ飛びついていく。危うく倒れかけ、それを使用人達がどうにか支えた。軽く叱られている。あいつはほんとに……。
が、眺めていたらリュカは何かをバリオス卿へ言った。
魔手で視力を強化してよくよく見れば、面食らったバリオス卿の顔が見える。
ちゃんと言えたらしい。
使用人のひとりずつに、リュカが言っているのが分かる。
素直なやつだ。
つっても、今、言う必要もないだろうに。
「ま、リュカらしいっちゃあ、リュカらしいか」
やがて、火を囲んで踊る人達にリュカはバリオス卿と、使用人達を巻き込んで乱入していった。
スタンフィールドへ連れていけなかったからこその措置だったが、どうやら大正解だったらしい。
明日からは俺が責任持って、面倒を見るとしよう。
あと数年して、あいつが成人を迎えるまでは。
別れの朝は屋敷中がバタバタしたものだった。
祭りにかまけて荷造りを全然していなかったリュカは屋敷の者総出で、バリオス卿まで直々に、あれを持ったか、これを持ったかと手伝われて大人が3人ほど小さく座ったかのような大荷物ができた。さすがにそれを持っていくのは難しいから俺がばっさり選別して70パーセントは置いていかせたが。
そうしてようやく、朝の内に出るつもりだったのに昼過ぎになってから出発できるようになった。
「じゃあ行ってきます」
「……ああ、行ってらっしゃい、リュカ……」
ちゃんと乗馬も教わったリュカが馬へ乗る。
疲れきったバリオス卿がそれに返す。本当に苦労をかけたと思う。
「リュカ、いいなら行くぞ」
「うん、平気」
淡白だな。
いや、楽天的って言った方がいいか?
けろっとしてるリュカに対して、見送りに出ているバリオス卿と使用人達の不安そうな顔ったらもう……。
「リュカ」
「何?」
バリオス卿に呼ばれてリュカが返す。
と、使用人のひとりから何かを受け取ったバリオス卿がそれをリュカに差し出した。布に包まれている。
「お前に2つのものをやる」
「これ? 見てもいいっ?」
「ああ、見なさい」
想像はできていたが、布から出てきたのは一振りの剣だ。
随分と古いもののように見えるが、ボロっちいというよりは年季が入っているような印象。何かの革製の鞘はすっかり黒ずんでいるが、刻印された紋様は失われていない。リュカがそこから剣を抜くと、刃こぼれのひとつもない剛直な剣身が出てきた。剣身にも鞘と似た紋様があるが、それはまさに今出ていこうとしている屋敷でも見かけられるものだ。
「それは代々、このバリオス家に受け継がれてきた剣だ」
「へえーっ! かっこいい!」
かっこいい、ってお前は……。
バリオス卿も苦笑いしちゃってるじゃねえかよ。
「そしてもうひとつの贈り物だが……」
「うん、何?」
「……リュカ、お前にはファミリーネームがなかったな」
「ない」
「それでは不便なこともあろう。
ゆえに、わたしから最後に、お前にはバリオスの名を贈ろう」
「バリオス?」
「これからは、リュカ・バリオスと名乗りなさい」
貴族様特有の重みがあるものではない。
だが、そこに込められた想いはそんなものよりも、ずっと深いだろう。
リュカは理解してか、していないようにも見えてしまうが――考え込むように眉根を寄せていた。
「リュカ・バリオス……」
「そうだ」
「でもなあ……」
渋るなよ。
そこは渋るなよ、リュカ。
「不満か?」
「……それだと何か、サントルだけって感じしちゃう。
サントルもそうだけど、皆も……家族でしょ? 何かな」
不意打ちの発言に、使用人の一部が顔を覆ったりした。
今いる使用人は誰もがリュカと時を同じくして、バリオス卿に召し抱えられた者ばかり。リュカは立ち位置こそ違ったが、行き場もなく、身よりもなかった彼らからしても、屋敷でともに暮らした腕白坊主には手を焼かされながらも可愛がってきた存在。それに家族と言われ、感極まった――というところか。
「ではこうしよう、リュカ。
お前は今日からは、リュカ・B・カハール。
このカハール・ポートで育ち、わたし達の子であるということだ」
「リュカ・B・カハール……いいかも! じゃあそうする!」
まさかのミドルネームでございますか。
まあ、ありっちゃああり――なのか? ありなんだろうな、多分。
「……リュカ、元気でな」
「うん、サントルもね」
あっさりしてんなあ、やっぱ。
俺なんかじいさんとこ出る時は――いや、あれは年のせいだな、うん。泣いてねえし。潮風がいつになく強かっただけだし。
「レオン、行こ」
「あいよ。じゃあバリオス卿、これで」
「ああ」
「じゃあね!」
馬を歩かせてリュカと一緒にバリオス邸の庭を出ていく。
振り返ると誰もがリュカを見ていた。だが、リュカは振り向こうとしない。
「ちゃんと前見ておけよ」
「見てる」
さて、それはどうだか。
そんなに目をこすってばっかりだと、よそ見してるのと一緒だろうに。
一度もリュカは振り返ることなくカハール・ポートを出ていった。
何度も目元を拭われた袖はしっとりと濡れていた。




