ミシェーラの帰郷
「お姉様、おかえりなさい!」
「ただいま、ロージャっ!」
馬車から降りられたミシェーラお嬢様は見違えたように綺麗になっていた。
奥様にとてもよく似た顔立ちになっていらっしゃって、思わず後ろにいるはずの奥様を振り返ってしまったほどだ。駆け寄って行ったロジオン坊ちゃんを抱き上げてくるくると回り、それから降ろして笑っていらっしゃる顔で、ずっと、ブリジットさんやイザークさんと一緒に不安に思っていた、ミシェーラお嬢様の不良化がなかったことに安堵する。
「おかえりなさいませ、ミシェーラお嬢様」
「おかえりなさいませっ」
「…………」
ロジオン坊ちゃんと手を繋いで屋敷の方へ歩いてこられたお嬢様を揃ってお出迎え。
「ただいま、皆。それに……お母様も」
「おかえりなさい、ミシェーラ」
お嬢様と奥様が抱擁する。
これでほろりとしてしまうのは、わたしが感動しいだからなのだろうか。
「ねえ、マノン。レオのお墓に行こ」
「はい、分かりました。じゃあ今、準備をしてきますので――あっ!」
「うわっ、ちょっ……!」
お掃除をしていたところで声をおかけいただき、急いで終わらせようとしたらバケツを倒してしまった。
「ご、ごめんなさい、ミシェーラお嬢様っ……お召し物、汚れてませんか? 濡れていませんか?」
「大丈夫、大丈夫」
「すみません〜……」
「いいのいいの。それに、これくらいはちょちょいのちょい、って」
ミシェーラお嬢様がにこっと笑われると、床に撒いてしまった水が蒸発するように消えてしまった。立てられたバケツにも、新しいお水が張られる。
「ねっ? 大丈夫でしょ?」
「わあ……すごいです。さすがはミシェーラお嬢様ですね」
「えへへ、誉めないでよ〜」
「すごいですっ、誉めずにはいられませんよ」
「えへへ〜」
「うふふふ」
すっかり大人になられたけれど、こういうところは昔のお嬢様のままでとっても可愛らしい。
――と、そこでコホンと咳払いをする声がして背筋が伸びた。
「マノン、早くなさい」
「は、はいっ、すみません、ブリジットさん!」
「慌てず素早く、丁寧になさい」
「はい!」
「ブリジット、あんまりマノンを叱っちゃダメだよ? 一生懸命なんだから」
「お嬢様、いいんです。これはわたしが愚図だからいけないんですから」
「分かっているなら、口ではなく手を動かしなさい」
「は、はあい……」
床をよく拭いて、道具を片づけてからイザークさんに摘んでもらったお庭の花を持ってレオ坊ちゃんの――偽物のお墓へ赴いた。屋敷の近くにある、綺麗な林を抜けた先にその墓石はある。
誰が言うでもなく、使用人のわたし達は定期的にここを訪れては手入れをしている。
今日もまだ数日しか経っていないと思しきお花がそこに置かれていた。
「ただいま、レオ」
わたしがミシェーラお嬢様にお花を渡すと、それをそっと備えられた。
簡素な、石に名前を彫り込んだだけのお墓。イザークさんがこしらえてくれたものだった。
「……あのね、マノン」
「はい。何ですか?」
「……レオって、生きてるのかなって」
「ほえっ!? な、なななっ……な、何故、ですか?」
「学院でね、レオと同じ年で、同じ髪で、同じ目をした男の子がいたの。
名前も一緒の、レオンハルトだった」
「えっ? ほ、本当……ですか? レオ坊ちゃんと、同じ……」
「それに、レオと一緒でね、小さいのにすごく賢いし……いい子だったよ」
レオ坊ちゃんが、生きて、元気でいらっしゃる――。
ミシェーラお嬢様のお言葉で、目に涙が溜まりそうになった。
「偶然には、ちょっと思えないんだ……。
レオは死んじゃったから、あり得ないはずなんだけどね、何だか……本当に、レオなんじゃないかって」
でも。
でもお嬢様――レオ坊ちゃんは、もうこの屋敷のお子様ではないのです。
仮にお嬢様が出会われた男の子がレオ坊ちゃんだったとしても、その子はブレイズフォードを名乗れないのです。
「あの子がレオだったら……このお墓って、一体、何なのかな?」
「……それ、は……そのぅ……」
「……なんてね。偶然だよね、きっと」
「っ……は、はい、そうです。だって、レオ坊ちゃんは……」
旦那様によって、遠くへ送られてしまったのですから。
「ごめんね、マノン」
「はいっ? な、何もお嬢様が謝られることなんてありません」
「ううん、いいの。……探りを入れて、ごめんねって。
うん、決めたよ、わたし」
「何を、お決めになられたんです?」
「このお墓にはもう来ない」
「へっ?」
「だって、ここにレオはいないもん」
「そっ、そそそそそんな、そんなことはっ――」
「マノンは分かりやすいから分かっちゃうんだ〜」
「あうっ……!? わ、分かりやすいも、何もないですぅ……」
「きっとお父様にも何か考えがあって、お母様も何も言えなかったんだよね。
そんなの、もう子どもじゃないから分かるよ」
「…………」
そうだ、お嬢様はもう、子どもではいらっしゃらない。
ちゃんと心身ともにご成長されているのだ。
「レオ――学院で会った、レオンとね、また会う約束をしたの。
だからその時には……ここの場所教えちゃう」
「お嬢様っ?」
「なーに?」
「そ、それは、ちょっと……」
「学院のお友達に、実家をちょっと紹介するだけだよ。
多分だけどね、レオンも何か……わたしに感じてくれてたと思うんだ。
やっぱりわたしがお姉ちゃんだからかなあ? すっごくね、それが分かったの。
だからマノンはレオが来た時はお客様として迎えてあげてね」
「で、でも……ブリジットさんや、奥様や……だ、旦那様が……何と仰るか……」
「わたしのお友達だからいいじゃない。
お客様として、最大限におもてなしして、自分のお家みたいにくつろいでもらってね。
レオのいたあのお部屋を客間にして……あっ、そうそう、ロジオンにも何回もお誕生日の度にプレゼント送ってくれてたんだから、これまでわたしが溜めてたレオ用のものをあげちゃってね。ちゃんと保管してあるでしょ?」
「ちゃんと、ありますけども……」
「お母様にもちゃんともてなしてもらわないと。どんな話でもいいから、もう2人きりにして閉じ込めてあげてね。
あとロジオンともいっぱい遊んでくれると思うよ。レオって遊ぶの好きみたいだし、あっ、歌が好きなの。
楽器も弾けちゃうし、いっぱい、色々な歌知っててね、歌ってくれたんだ」
お嬢様は学院で会われたという、レオ坊ちゃんと思われる男の子のお話をたくさん聞かせてくださった。
ちょっとお行儀は良くないし、ひねくれたところはあるけれどミシェーラお嬢様にはいつもやさしくて、気遣いをして、年が上の子達に混じっても負けない強さを持っているとも仰られた。
寝顔はわたし達の知っているレオ坊ちゃんとそっくりで同じだとも。
お屋敷へ帰る時間も忘れて、聞いてしまった。
聞けば聞くほどに、レオ坊ちゃんだと思ってしまう。
ずっと胸につかえていたものが、ゆっくりと溶けて消えていくかのようだった。
「レオのことをよろしくね、マノン」
「はい……」
「多分、見た目は驚いちゃうと思うけど、目を見たら絶対にマノンなら分かるから」
「はい」
「……だから、いっぱい、いっぱいいっぱい、レオがここへ来たら、かわいがってね。
わたしはきっと、そういうことはできなくなっちゃうから」
やさしくほほえまれたミシェーラお嬢様のお顔は、ひどく切なかった。




