日常と化す異常 1
Ⅲ:日常と化す異常
1
ハルドを離れの塔に案内した後、ルディナスは暇を持て余していた。それもそのはずで、そもそも今日は非番の日であるはずだったのだ。が、世話係を迎え入れる任務が早朝から下されたために、用意していたはずの予定は全部狂ってしまった。
今から城下に繰り出す気も起きず、一人稽古も一通りこなしてしまったルディナスに残された時間は、無駄に多い。
とはいえこんなところでダラダラしていても仕方がない。
少し考えて、ルディナスは隊を任せてあったイェランの様子を見に行くことにした。
全体訓練を行える運動場からは、大きな掛け声が聞こえてくる。今日は歩兵術の訓練のようだった。ざっと広い運動場を見回して、目当ての人物を見つける。
ルディナスが見つけたのとほぼ同時に、相手もこちらに気付いたようだった。
その人物―――イェランは全体に訓練を続けるよう指示して、柔和な笑顔でこちらへ手を振った。
「やあ、ルディナス。どうかしたのですか?」
「なに、暇を持て余したからな。様子を見に来た」
「せっかくの非番だというのに、仕事熱心ですね」
「他にすることがないだけだ」
「そうですか」
小さく笑うと、イェランは訓練中の者たちに視線を移した。少し癖のある髪がふわりと風に揺れる。見目はまだ若いというのに、その髪色は見事な純白だった。とても珍しい、先天的な白髪である。アレミスでは黒髪の次に美しいとされる髪色だ。
メガネをかけた細身の出で立ちはあまり戦闘に長けているようには見えず、下手をするとどこかの新兵に見えなくもない。が、彼が羽織るのはルディナスやアルヴァンスと同じ、力のしるしである緋色のローブ。言うまでもなく超人的な才能を隠し持つ男だといえた。
「真っ黒ですね」
「は?」
急に呟かれた脈絡のない言葉に、ルディナスは首を傾げる。
「いつも、真っ黒の大軍と金色の大軍がぶつかっているのでしょうね。鳥から見ればさぞ滑稽でしょう」
そこまで聞いて、漸く兵士たちの髪色のことを言っているのだとわかった。真っ黒の大軍はアレミス国の軍。金色はハルネール軍のことだろう。
確かにこの国の人口の約8割は黒い髪であるし、この国の兵士として名を挙げるのもまた、多くが黒髪である。貴族の側近などとは違い、兵士に髪色の限定はされていないため、稀に茶色や金色の髪をした者が名乗りを上げるが、大抵が待遇の違いに居づらくなってやめてしまうか、捨て駒として使われて早々に命を落とすかの二択であるため、結局は黒い髪色ばかりが揃うことになる。
そんな群の中で、イェランの純粋な白は、ルディナスにはとても輝いて見えた。
「お前が目立っていいじゃないか」
「それ………嫌味ですか?」
「心からの賛美のつもりだが?」
「………性の悪い人だ」
冗談なのか天然なのかわかりゃしない、と苦笑して、イェランは肩をすくめた。
「あぁ、そういえば話したいことがあったのです。この後、お時間いただけますか? 氷の戦士さま」
「………気に障ったのなら悪かったよ。まったく………お前にだけは、性悪と言われたくないな」
さらりと笑顔で人が嫌う呼び名を持ち出してくるようなやつよりも性悪になった覚えはない。ルディナスはため息をついて謝るしかなかった。
「私はもとより非番の身だ。いつでもいい。機密事項があるようなら兵舎の裏庭で聞くが?」
「そうですか。でしたら、夕餉の二十分前に裏庭で」
「了解した」
「ふふっ」
「………? なんだ」
「何も任務や命令ではないのですから、そんなに固くならずとも。用事はいたってプライベートなことですよ」
「ううん……。誰に対しても敬語のお前に言われてもな………」
「僕の敬語は柔らかいでしょう?」
「色々と、黒い含みがあるがな」
「おやおや、これは手厳しい」
おおげさに肩をすくめて笑うイェランに、ルディナスは苦笑した。
そうして、ふと、先ほど王城へ案内したハルドという男のことを思い出す。
彼もイェランと同じような丁寧な敬語を話していた。その裏に何か含みがあるところも似ているように思う。
しかし、イェランとは、どこか決定的に雰囲気が違っていた。少なくともルディナスがあの男から感じ取ったものは、もっと冷たかったように思う。
「………何が違うのだろうか」
「なんですか、いきなり」
「いや、先ほど案内した世話係がお前と似た話し方をしていたのだが、どうも雰囲気が違っていてな。何が違うのかと考えていたんだ。奴にはどうも………警戒させるような何かがあった」
「ふむ。まぁ顔見知りか否か、ということもあるでしょうが………」
イェランは訓練を続ける真っ黒な大軍を見つめると言った。
「言葉の裏に、含んだものの違いでしょう」
「………………お前、何か私に隠しているのか?」
「おや、そう取りますか」
本当に、貴方は面白い人だ。そういいながら、イェランは困ったように笑った。