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色譚録  作者: 花咲詠香
紅と銀
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王女と世話係 3


     3




 命を懸けたっていいと、そう思っていた。

 彼女も喜んでくれるに違いない。

 なぜならこれは、永遠を誓い合った彼女への、愛を込めた贈り物なのだから。



 差し込む光と人工的な光をあちらこちらに乱反射させ、部屋はキラキラと輝いていた。

 慣れていない者が目にすれば、目がくらんでまっすぐ歩くことも叶わないかもしれない。

 そんな部屋の一番奥、煌びやかな装飾に埋もれるようにして、誰かが座っていた。

 「―――アロマリィや。今日は良い天気だのう………」

 静かすぎる部屋で、彼はそう呟いた。そのそばに、他の人間の影はみえない。

 朝の空気が肌をなでる。心地がいい。

 「そうかそうか………、お前も気持ちが良いか………」

 そう呟く男の体つきは決して大きくはない。

 しかし、ごてごてと装飾された服が、男の見た目をずいぶんと大柄なシルエットに仕立て上げていた。

 男の顔つきはどこかこわばっており、笑顔を忘れてしまったかのように厳格なものだった。

 大きな部屋に、一人きり。広く美しい部屋は、しかしそのほとんどが奥に座る男の権威を象徴する以外の存在価値を持っていなかった。

 優雅な空間は、ただ静かに彼を包み込む。

 穏やかな時間だった。朝のひと時を、彼はいつも、そうやって過ごしていた。

 ―――カタン、

 椅子の側で、何かが揺れる音。否、それは男の手が、何かを持ち上げた音だった。

「今日も、お前は、美しい………」

 ひとつの写真立ての中。映っているのは、柔らかく笑う、美しい黒髪の女性。

 彼女を見ると、硬かった表情は綻び、目は優しく細められる。

 深い、深い、愛の感情が、そこには見て取れた。

 男の思考が、まどろみの中に吸い込まれてゆく。

 目を閉じると、いつかの記憶がよみがえった。


 花が見える。どこかの花畑だ。

 彼女が長いドレスを持ち上げて、楽しそうに走っている。

 楽しそうに笑っている。

 彼女は振り向いて、そして―――。


 ―――コンコン、

 「失礼いたします国王陛下」

 「………………あぁ」

 丁寧なノックと呼びかけによって、夢のような時間は消え去り、一気に現実へと引き戻された。

 玉座に座る男―――国王の返事を待って、扉がゆっくりと開かれる。

 一人の召使いと、それを監視するかのように、部屋の外に控えていた護衛兵がひとり横に着き、順番に部屋に足を踏み入れた。

 丁寧な最高礼の所作を行った後、召使いは王の前に跪き、頭を垂れる。

 「そろそろお時間です故、お迎えにあがりました」

 「………そうか、もうそんな時間か」

 「はい、本日のスケジュールは………」

 「よい、頭に入っておる」

 「………大変失礼をいたしました。では、これから謁見の間へお向かいくださいませ」

 「あぁ」

 召使いの言葉にうなずいて、国王は腰を上げた。今日は朝から面会の予定が入っているのだ。それは既に、何度繰り返したか知れない、『世話係』との面接だった。

 とはいえ、王による面接はその実形式的なものであり、その前に、選ばれた近衛兵が質疑応答を行っているはずだ。国王の前に通されたということは、雇用が確定したも同然だった。

 「今度は………いつまで持つのやら………」

 王はそう呟いた。

 世話係となった者の末路は、「死」のみ。残念ながら例外はない。

 死に方こそ違えど、皆ひっそりと、誰に看取られることもなく息を引き取っていた。

 ある者は眠ったように、ある者は血を吐いて、ある者は切り刻まれて………。

 いずれも等しく、死んでいた。

 それは、民衆の間では、いつしか『呪い』として広まるようになっていた。

 『紅髪の呪い』と、そんな名で。


 国王は自室の扉をくぐった。

 手には金とプラチナで装飾された杖を持っている。特に足が悪いわけではない。こんなものは、権威を示すためのただのアクセサリーだ。

 向かうは謁見の間。すでに目的の人物は控えているはずである。

 外に控えていた護衛兵が敬礼をする。王が特に反応を返すことはなかった。

彼らも杖と同じだ。杖が杖として働いたところで、褒めたり労ったりする必要はないだろう。つまりはそういうことだ。

 国王はそのまま彼らと共に廊下を進んだ。

 その先に待つ、いずれ死を迎えるであろう男を見に行くために。

 やがて王は自室からそう遠くない処に存在する謁見の間へ足を踏み入れた。

 控えていた兵士たちが一斉に敬礼。そして、案内役の近衛兵が跪いた。

 「ご足労に感謝いたします」

 「うむ」

 跪いた近衛兵は、よくみると女だ。

 王は彼女の名前を知らない。知る必要などない。

 だがしかし、近衛兵として緋色のローブを手にできる女性など多くはないだろう。彼女はおそらく相当の手練れだ。名を知らずとも、その程度のことは推察できた。

 その女兵士は、王が椅子に腰を下ろした機を見計らって言った。

 「世話役に申し出た者をお連れいたしました。こちら、クランデーム地方より参られたハルド=シュニヴァルト殿でございます」

 「ハルド=シュニヴァルト、と申します。お会いできて光栄でございます、陛下」

 ハルドと名乗った青年が美しい黒髪をふわりとなびかせて、見事な礼をした。

 「………………」

 その、文句のつけようのない完璧な最高礼に、王は違和感を覚える。クランデームのような田舎出身の者が身にまとう雰囲気にはどうしても思えない。

 いや、それよりも―――、

 「………何故、志願した?」

 王の問いかけに、周囲が一瞬だけざわつく。それもそうだろう。このような場で、王が自ら質問をしたことなどなかったのだから。

 「志願動機は………お恥ずかしい理由ではございますが、褒美目当てでございます」

 「…………………そうか」

 「………あぁ、申し訳ありません。このような場合、『国王のお役に立つため』などのように、嘘をついてでも体面を大切にすべきなのでしょうか………?」

 いかにも申し訳ないといった風な笑みを浮かべて、ハルドはそう首を傾げる。

 王はどこか胡散臭いハルドの表情を一瞥し、首を横に振った。

 「いいや、私の前で嘘をつくことは止めておけ。命を落としなくなければな」

 「かしこまりました………。しかし、動機が何であれ、一国の『姫』にお仕えすると誓った以上、しっかりと任務はこなす所存でございます」

 「うむ、良い心がけだ。仮にもアレは私の娘………。あのような場所に閉じ込めるなどということは、私も望むところではないのだ………」

 王がため息まじりにそうこぼした。

厳格な顔がぴくりと歪み、目は「残念だ」という言葉と共に伏せられる。

 「ご満足いただけるよう、誠心誠意お仕えいたします」

 深々とお辞儀をするハルドに対して、王ははじめと同じ顔で頷いただけだった。



 これはきっと、私の使命なのだ。

 どんなに心が傷ついたとしても、壊れてしまったとしても、

 それだけは、果たさなくてはならない。

 それは、いうならば崇高な―――――たった一つの愛なのだから。




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