表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
色譚録  作者: 花咲詠香
紅と銀
2/9

紅髪の姫 2


 悪意の全てを凝縮した、そんな色だと誰かが言った。

 まるで悪魔の血色だと。きっと、災厄を呼ぶのだと。

 そういって、その色を拒絶した。

 その色の出現に、前兆などなかった。

 例え、茶髪ばかりが生まれる地域だとしても。

 例え、金髪ばかりが生まれた時代だとしても。

 例えそれが、代々純血の黒髪で受け継がれていた、高貴な王家の娘だったとしても……。

 この世の全ての法則性をあざ笑うかのように、唐突に、赤子の髪は(アカ)に染まる。

 それは、この世の赤を全て集めたような、奇妙な色をしていたことから、いつからか、一つの名で呼ばれるようになった。

 忌まわしき呪いの髪色、『(こう)(はつ)』と………。


 ロザリーは、当時の女王であった母の命を奪い、この世に生まれ落ちてしまった。

 そんな、紛れもない本物の、『呪いの姫君』だったのだ。





 ゴォォオォォオオォ………


 気がつくと、炎が目の前で踊っていた。

 化け物のうなり声のような、あるいは地響きにも似た、そんな音を上げながら、その炎は何もかもを飲み込んでゆく。

 綺麗に装飾されていたであろう、壁を、床を、天井を、真っ赤な舌で舐めるように削り取りながら、炎は空へと昇ってゆく。

 バラバラっと舞い上がる火の粉をみて、やっと、ロザリーの思考が働いた。


 ―――あぁ、アカい………。


 赤い、赫い、緋い、紅い……。

 広がった鮮血の、赤。燃え盛る火焔の、赫。裂けたローブの、緋。

 そして………誰よりも、何よりも、忌み嫌われた、紅。

 たくさんのアカがそろった部屋で、ロザリーは、燃えさかる炎の中心に座っていた。

 何処にも逃げ道などはない。部屋の中は、炎の灯りで必要以上に明るくなっていて、微かに見える外の暗さがいっそうと際立っている。

 まるでこの部屋だけが、この空間だけが切り取られてしまったかのような、そんな錯覚に陥った。

 室内の明るさと外の暗さが、窓に亡霊のような姿の少女を映している。

 空の青に血の雫を落としたかのように、濁ってしまった紫色の瞳。まるで死人のように透き通り、青ざめた真っ白な肌。

 そして、炎に溶けるように地面まで伸びた、紅い髪………。

 「………っ、か、はっ………ぁっ………」

 水分が奪い去られ声がうまく出ない。助けも呼べない。泣き叫ぶことさえ、できない。


 ―――でも、そうだ、そうしたところで、私を助けてくれる人なんていないじゃないか。


 どうしようもないけれど、仕方がないのだ。そう、全部、仕方がないことなのだ。

 頬を、一筋の涙が伝った。

 それは、悲しみでも悔しさでもなく、ただ、息ができないことに対しての生理的な涙だった。

 苦痛に顔をゆがめながら、しかし心は、怖いくらいに動かない。

 動揺も、恐怖も、焦燥も、何もなかった。ぼんやりと、死ぬのだろうか、と思うだけ。それだけだった。

 渦巻く熱気に、表情はゆがめながらも、冷静に今の状況を分析する。

 この場所は、ロザリーがいつもいる塔の中ではないが、しかし、微かに見覚えのある豪華絢爛な装飾からして、城のどこかの部屋であることは確かだろう。

 美しい数々の装飾品は、とうに炎に飲み込まれ、ステンドグラスは粉々に割れている。

 どうしてここにいるのか、わからない。ここに来る前の記憶がない。

 どうして一人なのかも、どうしてそこらじゅうに血だまりが広がっているのかも、何も、わからない。

 そうこうしているうちにも炎は着実に迫ってきた。

 その熱さと勢いに、意識をごっそりと持っていかれそうになる。

 ぐらり。

 視界が揺らいだ。

 正確には、起こしていた上半身がバランスを保てなくなったのだ。

 だんだんと、心臓に響くほどの炎の音も、後ろの方へ遠ざかってゆき、明るすぎたはずの視界もかげってゆく。

 体が完全に倒れた。

狭くなる視界の中に小さな手が見える。自分の手だ。

 炎に照らされて、赤く見える。


 ―――誰も、いない………。


 そんな呟きを最後に、意識は暗闇の中へと落ちていった。




 微かに目蓋の向こうに光を感じて、ロザリーはゆっくりと目を開けた。

 まず初めに視界に入るのは、見慣れた殺風景な天井。首をひねれば見えるのは、外側に鉄格子のはまった窓と、石造りがむき出しになった壁。そして、その壁のほとんどを埋め尽くす、背の高い本棚。

 それ以外にあるものと言えば、この簡素なベッドと小さなテーブルセットだけ。

 塔の造りに合わせて作られたこの部屋は、奥行きはなく、どちらかと言うと横長の形をしている。

 「………………」

 いつもと、全く同じだ。

 少しだけ、頭がくらくらするが、それ以外に体に異常はない。もちろん、炎に触れた形跡など、どこにもなかった。

 ゆっくりと起き上がって、しばらくじっと目を閉じる。迫ってくる炎の勢いも、熱さも、夢だったとは思えないほど、全て鮮明に思い出せた。

 ――――――あぁ、

 ぼんやりと目を開ける。

 あぁ、あの感覚は、きっと………。

 夢の内容にも炎にも覚えはなかったが、あの妙にリアルで頭に残る感覚は、何度か覚えがあった。

 何度か、嫌な記憶として、覚えがあった。

 「………………っ」

 じわりと気持ちの悪い汗が背中を伝った。夢の中では感じなかった恐怖。それは、それが『意味のある夢』となった瞬間、小さな少女の胸に牙をむき、襲い掛かってくる。

 これはただの夢ではない。

 この夢が持つ意味を、少女は知っている。

 小さい体をさらに小さく縮めて、小刻みに震える自分の身体を抱きしめた。細い腕が、同じく細い肩を内へ内へとまとめる。

 独りきりで、この空間にいるということが、たまらなく怖かった。独りなんて、もう慣れたはずだったのに。

 『誰もいない』

 そんなことを、改めて、思い知らされたような気がした。

 しばらくそうして震えていたが、少女はやがて縮めていた体を解放し、空を見つめる。

 「………………」

 急に、虚しくなった。

 何もない自分がこんなところで一人で震えたって、何も変わらない。

 運命は、どうせ、変わらない。

 だから全部、生まれた時から、何が起こってもそれは「仕方のないこと」なのだった。

 そして、そう思うと、途端にすべてに諦めがついて、楽になることができた。

 ―――仕方がない。

 それは、もう癖になっている。

 ようやくベッドから降りて、冷たい床に足をつけると、ひやり、と床の冷たさが足から頭の先へと一気に駆け抜けた。

 今日も変わらず生きている。それを再確認して、複雑な気持ちになる。

 ―――………シャワーを浴びよう。

 四肢をよろめかせながら、ドアへと向かう。

 この気持ちを、嫌な汗と一緒に全部洗い流して、そして今日も本を読もう。

 現実なんて見なくていいように。

 未来なんて見なくていいように。

 物語でも、伝記でも、図鑑でも、何でもいい。

 心だけでもせめて、ここでないどこかへ――。

 そんなことを念じながら、部屋のドアノブに手をかけて、ゆっくりと回した。カチャンッという音と共にドアが静かに開く。まだ食事が部屋の前に置かれるような時間ではないため、部屋の前には石壁の廊下があるだけだった。

 今は光の感じからすると、おそらく早朝と呼ばれる時間帯だろう。ここで何年も生活をしていると、時間の感覚が、光の強さや射し込む角度でつかめるようになってくる。

 この国にはっきりとした四季はなく、年中比較的過ごしやすい気候であり、日の長さも、一年で大きく変わることは無い。

 年に一度、激しい寒波が襲う時期があるが、それも一か月ほどだ。

 塔の中で暮らすことに、まったく不自由がないとは言えないけれど、それでも人間の「慣れ」とは思う以上に恐ろしいものだ。

 ロザリーは、今となっては大した不便を感じることもなく、毎日を『普通に』過ごしていた。



 三十分ほどでシャワーを終え、やはりふらつく足取りで廊下を部屋へと進んだ。

 シャワー室と自室として与えられている部屋は一番遠い。ロザリーのように歩くのが遅いと特に、往復には時間がかかってしまう。

 この三階建ての塔の中は、広いものではなかったが、それでもいくつかの部屋が存在している。今いるのは塔の最上階である三階だが、この階にある部屋は五つだ。

 三つは何もないただの空き部屋で、使われていないし使っていない。

 そして残った二部屋のうち一つは今出てきたシャワー室。最後に、一番奥にあるのが私の部屋だ。

 あまりこの塔を外からしっかりと見たことはないが、おそらくやや奥に長い長方形気味の間取りで、上部は細く天へと伸びているのだろう。その証拠に、三階部分はやけに天井が高く、しかし下の階より明らかに狭くなっている。

 一階と二階は吹き抜けになっていて、二つは簡易な螺旋階段でつながっているが、三階部分だけは何故かきれいに隔絶されていて、一本の狭い階段でしか行き来ができなかった。

 元はロザリーを閉じ込めるために作ったわけではなかった様だが、今となってはこれほどまでに人一人を軟禁することに秀でた建物はないのではないかと思うような造りだった。

 これも運命というやつなのだろうか。ならば、ロザリーがここに入るのも必然のことなのだろう。

 そんなことを考えながら、冷たい壁に体を支えてもらいつつ廊下を進んでいると、

 「………………?」

 来るときには気付かなかった、小さな異変が視界に入った。


 ―――扉が………開いてる………?


 三つある空き部屋の、ちょうど中央の部屋。もちろん中には鉄格子のはまった窓以外に何もないはずだから、いつもそこはしっかりと扉が閉ざされている。

 けれど今、わずかだが、確かに、目の前の扉は開きかけていた。

 「………あ………」

 ロザリーは、ふと、あることに気が付いて、ゆっくりとその扉へと歩み寄る。

 静かにドアノブを握って、開きかかったそれを引いた。

 キィ………とドアがどこか哀しげに鳴る。

 隙間から中を覗き込んだ。

 「………………………」

 薄暗くて埃っぽい部屋には、鉄格子のはまった窓があって、そこから斜めに入り込んだ朝の光が、キラキラと室内の一部を照らしていた。


 ―――………人間の慣れとは、本当に恐ろしいものだ。

 

 どんなに貧しくても、生きてゆくために、残飯に慣れる。

 片方の足が無くなっても、生きてゆくために、一本足に慣れる。

 

 空き部屋の中で、男が一人、切り刻まれて死んでいたとしても―――、

 少女はもう、驚きの声すら上げなくなっていた。


 静かに扉から顔を離し、しかしそれを閉めることはせずに、その場を後にする。

 今回は随分と持ったほうだったなぁ、とぼんやり思った。ロザリーが知る限り、前にアレを見つけたのは、確か、三か月前だったからだ。

 そう。『いつも』なら、おおよそ一か月半ほどで、世話係と呼ばれていた者の死体が一つ、塔に転がる。

 きっと彼はもう昨日のうちに息絶えていたのだろう。

 ということは、今日は一日、食事は抜きだ。どうということはない。

 今までだって、すぐに代わりが用意されたのだから。

 

 人がひとり、死んだというのに………、ロザリーの心はどこまでも冷静に物事を見ていた。

 こんなことが、おかしいことぐらい分かっている。

 人として、完全に間違っていることも、正常な考え方でないことも、理解している。

 でも、仕方がないのだ。

 ここで生きるためには、心が壊れないように、生きるためには、

 全部に、慣れるしかないのだから。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ