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色譚録  作者: 花咲詠香
紅と銀
1/9

紅髪の姫 1





この世界は、ただの物語だ。

未来は、決まっている。


















Ⅰ:紅髪の姫 ロザリー



         1



 空を真っ赤に染め上げて、夕日がゆっくりと沈んでゆく。

 オレンジ色に照らされていたページをめくりながら、今日もいつものように、本の中の文字を追っていた。

 今朝から読み始めた物語は、長い、長い時をその世界のなかで様々に展開し、いよいよクライマックスに突入していた。

 主人公の少年が、ゆっくりと目を開ける。ヒロインを強く抱きしめた。

全てが終わって、目の前には、広大な、海が、

 「う、み………」

 思わずそれは、言葉となって、少女の唇から零れ落ちた。

 海って、どんなものだろう。概念はわかる。写真も見たことがある。波も、文字の上では知っている。

 でも、本当に見たことは、なかった。

 塩のにおいも、波の音も、風の感覚も、少女にはわからない。

 「…………」

 気付けば手元は暗くなっていて、文字は紙との境界線をおぼろげにしていた。

 海のことを考えている間に、太陽は大地の向こう側へと消えかけている。

 最後に世界を淡く照らして、やがて日は完全に沈みきった。途端に窓から差し込む光は極端に減り、部屋は急激に薄暗くなる。

 まだ残った光が空を照らしているけれど、もう今日中にその光がこの部屋に届くことはないだろう。

 こうなってしまっては手元の文字を追うのは困難だ。せっかくいいところだったのだが、読むのは諦めよう。

 陽が沈んだら、何もできなくなってしまう。

 仕方がない。ここには灯りになるようなものが、何一つ無いのだから。

 「………………」

 無言で本を閉じる。年の割に未発達な少女の身体。こんな小さな手のひらでは、その壮大な物語を片手で持つことはできない。

 文字通り、手に余る大きさの本を両手で抱えて、ベッドからおりた。

 「っ………………」

 ひやり、と冷たい石の床が素足に触れ、体に一瞬寒気が走るが、我慢した。

仕方がない。絨毯やカーペットなんてものは、どこにも敷かれていないのだから。

 今にもぽきりと折れてしまいそうなほど細い肢体をゆっくりと動かし、少女は本を本棚へと運ぶ。もとから線の細い体質であるだけでなく、一日中ほとんど動かしていない体は、それだけで異様なほどに細くなるのだ。

 力の入らない足を何とか前に進めて、本棚の前まで進んだ。

 天井まで延びた背の高い本棚は、ずらりと、そう広くない部屋の壁一面に広がっており、その一つは、窓を半分塞いでいる。

 本棚の空いているところに持っていた本を入れ、ふぅ、と息を吐いた。

 自分よりもはるかに背の高い本棚を見上げてみる。まだ、上の方にある本は読んだことがなかった。

 けれど、それも仕方がない。とってくれる人もいなければ、足場になるようなものを動かす力もないのだから。

 ―――と、その時、本棚に塞がれていない方の窓から、ふわりと柔らかい風が入ってきた。そうしてはじめて、朝に開けた窓を閉め忘れたことに気づく。

 よたよたと歩きなれない歩調で窓へと近づいた。

 あぁ、空はもう暗い。

 さっきまで、あんなに紅かったのに、淡い光さえ消えてしまった夜の空は、恐ろしいくらい真っ暗だった。

 さぁぁぁ、と木の葉の揺れる音と共に、また吹き込んできた冷たい風は、床まで届くほどに長い、長い、少女の髪を舞いあげる。

 「………………っ」

 鮮やかな、得も言われぬ赤い色をした髪が、部屋の中に広がった。

 それはまるで、世の全ての『アカ』を集めて練り上げたような、そんな色をしている。


 ―――私は、この色が嫌いだ。


 ぱたん。

 内開きの窓を閉めると、途端に髪は落ち着きを取り戻し、少女の周りへふわりと落ちた。

 ストレートよりはもう少し柔らかい髪質だったが、これだけの長さの重量に逆らうほどのくせ毛でもないので、髪は少し乱れただけだ。

 なんとなくそのまま、窓の外をじっと見つめてみる。

 まだ、城下町は明るく賑わっているのだろう。すこしだけ、窓の下の辺りが明るい気がした。

 部屋の明るさは外とほぼ等しいため、窓に顔が映ることは無い。

 丘の上にあるこの塔からなら、きっと窓の外へ身体を乗り出して見下ろせば、賑やかな街並みがみえるはずだった。

 けれど、それは不可能なことだと知っている。

 だって、仕方がない。

 その窓の外側は、しっかりと、厳重に、


 鉄格子で塞がれているのだから。

 

 「………………………」

 外を見つめていても、いつも通り何も見えない。少女は窓に背を向けた。

 もうずいぶんと長い間、外に出ていない。

 そして、きっとそれは、自分が死ぬまで変わらないだろうと、そう少女は思っていた。

 出たいと思わないわけではない。

 けれど、そんな願いが刹那に霧散する程度には、この場所は固く外界との接触を閉ざされている。

 そして、長い時間は、ただそこにあるだけで精神を疲弊させ、何かを為そうという気力を無残なまでに踏みつぶしてしまうのだ。

 少女がここで生活をすることになったのは、もう何年も前の話だ。記憶が曖昧だが、少なくとも五歳の頃にはここにいて、本来なら記念すべき誕生日を、薄暗いこの部屋で過ごしたのを覚えている。本を五冊立てて並べ、一冊ずつ倒して一人で寂しくその儀式を終えた。

 思い返せば生誕を祝われた覚えなどは一切なかった。

 仕方がなかったのだ。

 少女の誕生など、少なくともこの国では、お世辞にもハッピーとは言えない。

 とはいえ、その頃はまだ周りに世話係として沢山の人がいたような気がするが、 一人で出来ることが増えるにつれてその数は減ってゆき、今では食事管理と見張りを兼ねた一人しか、世話係は雇われていない。

 外出が制限されたのは確か八歳の頃だ。

 その日から少女は、この石造りの塔の中から出ることが、原則として許されなくなったのである。元からあまり活発な方ではなかったが、それでも外に出ることができないというのは、当時は酷く退屈なもので、仕方なく毎日、本を読んで過ごした。今となっては手に届く範囲の本は、もう全て読みつくしている。

 先ほど読んでいた本のタイトルは『呪いの姫君へ』というもので、お気に入りの物語小説のひとつだった。

 もう何度読み返したことだろう。それは単に気に入っていたからと言うのもあったが、そもそもここでは、読書以外にできることがない。


 だから毎日。


 毎日毎日毎日毎日。


 十五歳になった今までずっと、少女は本を読み続けた。

 そしてきっと、これからもずっと、一日の時間をただただ黒い文字で塗り潰してゆく。


 それがこの少女、ロザリー=ミラ=アレミシェルの日常だった。





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