少年の詩
春が静かな足音と共に僕らの元へ訪れた。
やさしい陽の光が僕らと僕らの街を包む。
桃色のつぼみは一つ一つ花開き、私達はここよと歌っている。
そんな柔らかい歌に誘われて、僕は玄関の戸を開け外へ出た。
いつもと同じ朝、いつもと同じ街、いつもと同じお隣さんに元気良く挨拶をし、いつもと同じ服を着て出掛けた。
「いらっしゃいませっ。何名様ですか?」
ここの喫茶店カフェドマルドではいつも優しいお姉さんが、明るい笑顔で迎えてくれる。
「あっ、はい。一名です。」
私は元気よく返答する。
「いつもはマッつんやターちんなんかと一緒に来るのですが、今日は二人とも河川敷に野球を見に行ってるというのがあっちゃったりなんかしちゃってですね。
はい。
あと僕は野球はあまり詳しくないっていうのがありまして、まぁそれならキー坊はやめとけよ,なんて言われちゃったりなんかしてました。」
「お、お一人・・・・・・様ですね?」
「あっ、はい。友達はいます。それは本当です。」
「さっ、左様ですか。タバコは吸われますか?」
「あっ、いえっ、タバコは父ちゃんがいつも吸ってるんですけど、お爺ちゃんは吸わなかったというのが・・・・・・ 」
(・・・・・・スッと言えよ)
「禁煙席でよろしいですね?こちらへどうぞ。ご注文がお決まりになりましたらこちらのボタンをお押しくださいませ。」
「あっはい、どーもどーも、i-domo」
いつものように明るい笑顔。
人は違っても、常に暖かい笑顔がここにはあるのです。
暖かい人と暖かい人が出会い触れ合う。
そんな掛け替えのない宝物がここにはあるのです。
うーん、昨日はクリームパヘを食べたよ。
一昨日も食べたんだよね。あまり毎日同じ物ばかり頼んでると、バカの一つ覚えか何かと間違われるよね。うーん。
でも昨日と違う人だから大丈夫かね?
うんうんうんッ!
「すみませんっ!すみませーんっ!どなたかおられませんかっ?」
僕は立ち上がり、元気よく手を上げ、係のお嬢さんを呼んだ。
「はい。お決まりですか?」
(ボタン押せっちゅーたわな)
「あっはい。クリームパッフェを一つばかり頂こうと思いまして。
あと、お水をこぼしてしまったので、おしぼりを五つ下さい。
それでクリームは多めでお願いします。汁だくでね。えへへ。」
「はい、かしこまりました。」
(あ?汁だく?)
「クリーム忘れないでね?えへへ。汁だくだくね?
んだんだ。」
ウェイトレスの女性は足早に去っていった。
今日の早番は田中美代子さんじゃないのか。
どうしたのかな?
野球でも見に行ってるのかな?
えっ!?
まさかマッつんと?
いやいや、やめてよやめてよ。
ないよね。
うん、ないない。
田中美代子さんは、僕が初めてこの店にきた時に受け付けしてくださった方で、髪の長いスタイルのよい、22〜3才の素敵な方でした。
マッつんは僕に
「好きなんじゃないの?ええっ?」なんて事を言ったが、僕にも選ぶ権利があるよね。
うんうん。でもまぁ、僕が本気になった時はどうなるか分かったもんじゃ無いけどね。
うん。
貯金は無いけども万が一の時の為にカブト虫を十匹程飼っているものね。
まぁ、いざとなったらヘラクレスとミラクルを売ってしまえばそれなりの金額にはなるはずだからね。ただスーパーワンだけは新居に連れて行きたいからね、うん。
あっ、ミラクルやスーパーなんちゃらというのは僕の飼っているカブト虫の名前で、常に超人ランキング上位五位に入ってくる強者達なのです。
昨日もうちのミラクルが山ちゃんのMAX2号を叩き潰したのでした。
ただ、個人的にはヘレンちゃんにがんばって七位くらいには入ってほしいんですけどね。
彼等には内緒ですよ。うふふふ。
そっかぁ。田中美代子さんかぁ、うーん、もう5センチほど髪が長ければ理想像にピッタリなんだけどなぁ。僕が今一歩決断しきれないのはそこであった。
5センチ。
たった5センチであったが、それは永遠に続く長い道のように辿り着くのは困難だった。
その点、先程の方。吉田真理子さんはちょうどよい黒髪だったね。
肩まで伸びた髪、優しい笑顔、スラリとした脚線美。そしてなによりボインちゃんなのだ。
拍手ーっ、わーっ。パチパチパチパチっ。
いやーまいった。
こめったわ。
米なだけにこめったわ、うん。
マッつんが居たらまた冷やかされちゃうな。
もう、すぐ誤解するんだもんね、あの馬鹿野郎は。
コテコテの馬鹿だからね。死ねばいいよ。
うんうん、うんうんうんうんうんっ。
でも、こうなってくると、かなり分からなくなってはきたよ。うん。
ランキングはいつ入れ替わるか分かったもんじゃないからね。
ふざけんじゃないってんだよ、馬鹿たれが。うん。
はっきり言って、遅番の鈴木美紀さんだってまだまだ頑張りしだいではトップ3に入ってくるからね。
これは忙しくなってきたぞ。
よし、帰ったら最新版に書き替えよう。はいっ!
「お待たせしました、クリームパフェでございます」
(一気に食べてスッと帰ってね)
真理子さんが笑顔と共に持ってきてくれた。
「あぁ、うん、ありがとう。汁だくだよね?うふふ。
しかし、あれだね?
クリームパへいうのは白くて甘くて、なんだね、言わば初恋の女性のようだね。えへへ」
「はっ、はい?」
「いやいや、うん。クリームの白くて甘いのと、初恋の白くて甘い感じをかけてみたんだけどね。うん、いいよ、うん。」
「ちょっと分からないですが?」
(て言うか、早く帰ってください)
「いやぁ、なに、あれだよ君、ファーストチッスは何才なの?セカンドチッスじゃないぞっ!
えーっ?えへへへへへ。んがっんがっ。」
興奮して喉が鳴ってしまった。
「いえ、そういう事はちょっと。」
(警察は1・1・0だったよね)
「なになにっ、えーっ。僕なんかはもう両手では数えきれないくらいファーストチッスをしてるよ。うんうん。いいよ、いいんだよ。」
「あのぅ、失礼いたします。」
(永遠に失礼します)
「あっ、ちょっつ待っとくれやす。これ。」
僕はポケットから2百円を取出し渡した。
最低限のマナーである。
「いえ、困りますから。」
(桁をお間違えですね?)
「いいよいいよ。」
僕は彼女の手を掴むと半ば無理矢理手渡した。そのほうが受け取りやすいからね。
これも大人のマナーである。
その時、私の野獣のようなゴツゴツした手が彼女の柔らかくて白い肌に触れた。
M子の白くて艶やかな頬が赤らんだのが見て取れた。
彼女の煌めく黒髪、清潔感のある白いブラウス、すらりと伸びる足、その総てに私の男性的欲望が高揚したが、落ち着いて言った。
「ほんばにええねんで。」
M子は恥ずかしそうに去っていった。
いやぁ、あの白い肌は秋田美人だね。
秋田は肌の白い美人がわんさかいるからね。
だとすると家は農家をしているかもしれないな。
秋田で農家の旦那か。悪くないね、うん。
しかし農家っていうのは楽なもんじゃないよ。うん。
あまり軽く見てもらっては困るんだ。
ふざけていいことと悪いことがあるんだよ。うん。
農家の過酷な一日というのは多分こんな感じであろう。
朝五時に起きて、土を均して種を植える。
そしてじっちゃんばっちゃんが、ぎっこんばったんと田畑を耕す。
12時位になるとお母ちゃんが呼びに来て、おにぎりと佃煮を食べるんだ。
そしてしばし昼寝をしたり、オセロなんかをして夕方まで待つんだ。
夕方になるといい感じになった作物を刈ったり、牛や豚の世話をするんだ。
夜になったら、お父ちゃん、お母ちゃん、お兄っちゃ、お姉っちゃ、じっちゃん、ばっちゃん、ぎっこん、ばったん。大体10人位でご飯を食べるんだ。
大人数で囲む食卓はワイワイ楽しくて美味しいけど、そんな時でも決して作物の見張りを怠ってはいけない。
下手をすると牛や豚が田畑を荒らしてしまうからね。まったくとんでもない奴らだよ。
まさにメスブタなんだわ。
まぁそんな時でも大概はポチみたいな、犬っコロみたいな奴が吠えてくれるんだけどね。
賢いんだわやっぱ。
犬のおまわりさんだわ。
で、食事が終わったら可愛い弟や妹がやってきて、「お兄っちゃ、宿題おせーて。どーかひとつ、どーかひとつ」なんて言ってくるんだよね。
「うん、いーど、いーど、e-domo」なんて言ってね。
君、そこはね、2・1が2、2・2が4、ニンニキニキニキニンニキニンっ!なんて言ってね。うん。
794うぐいすコケコッコー!!なんて言っちゃったりなんかしちゃいましてですね。
うふふ。
程々に小汚い鼻たれどもの相手をしてやって、その後は・・・・・・うふふ、大人の時間だよね。
うふっ、ふふふふ。
真理子さん。
はい。
今晩あたりいいじゃないですか?
え?なんのこと?
とぼけるのはよしとくれよっ、おまいさん。
真理子の白い頬が赤らむんだ。
いいだろ?なぁ?
え?でも・・・・・・
もう辛抱たまらんにゃわ。
でも隣にお父っつぁん、お母っつぁんが。
うるせーっ!あいつらの耳に粘土でも詰めとけっ。
バシッバシッ!
なんて言ってね。
うんうん。
いいね、いいね。
うん、やっぱりクリームパヘていいね。甘いよ。うん。初恋の味だね。
僕はクリームパヘを食べているときは本当に幸せな気持ちになれるんだ。
どんなに嫌なことがあっても忘れられるんだ。
あんなこともあった、こんなこともあった、泣きたくなるようなこともあった。
自転車を盗まれたとき。
おまんじゅうを地面に落としてしまったとき。
通りすがりのおばちゃんに叩かれたとき。
どんなときだってがんばってきたんだ。
お母さんに一日2千円もらって、その中からどうにかここでパヘとかプリンとかを食べるのが、僕の唯一の楽しみであり慰めなんだ。
だっ大体僕はいつだって・・・・・・
気持ちが高ぶりすぎて、知らぬ間に思っていることを口に出してしまっていた。
その為、周りの心ない人々にジロジロ見られていた。
とても熱く、それでいてとても冷たい視線を浴びていた。
「どうかされましたか?」
(まだいたの?)
ウェイトレスの真理子さんが飛んできた。
「いや、なんでもないんです。ちょっと雑誌の上にクリームをこぼしてしまったっていうのはあります。それは本当です、信じてください。」
「な、何度もこぼされるとこちらも困るんですよ。」
(出てけっ!)
「そ、それは自分でも納得いってないっていうのはあります。真理子さんも嫌でしょうけど私もうんざりなんです。」
自分をもっと彼女に理解してほしい、そんな気持ちだった。
「え?真理子さんてどうして私の下の名前が分かったんですか?
名札には名字しか書かれてないのに。」
(気持ちが悪いです)
「いやぁ、なに。レジの横のタイムカードを見たのさ。うん、なんて事はない裏技を使ったのさ。んだんだ。
真理子さんていい名前を付けてもらったね。毬のように丸い娘になってほしかったんだろうね。うん、丸いボインボインに」
「おっ、お客さま、そういう事をされると困るんです」
(裁判沙汰です)
真理子は少々感情を露にした。
「お客さまってあーた、キーちゃんでいいよ。キーちゃんね。
お宅のじっちゃん、ばっちゃんもそう呼んでくれるよ。きっと。」
「はいっ?私にはお爺ちゃんもお婆ちゃんもおりませんが?」
「え?じゃあ秋田の田んぼは?」
「はあ?なんの事かさっぱりわからないんですけど?」
冷淡な真理子さんの表情が見て取れた。
「えっ、えっ?ぽっぽっポチは?」
「意味が分からないんですけどっ!」
「じっ、じゃっ、じゃぁ、けっ、けっ、結婚は?」
「・・・・いい加減にしてくださいっ!!なんで私が初対面のあなたと結婚するんですかっ!私にはハンサムな彼がいるんですっ!」
「あっ、そっ、そっ、そうなんですか?でっ、でっ、では田中さん、田中美代子さんはいつ、きっ、きっ、来ますか?」
「田中さんなら辞めましたけど。」
「ええっ?なっ、なんでなのですか?」
僕はショックで水をこぼしてしまった。
先程もらったおしぼりをカバンから出し、一生懸命拭いていると彼女は冷たく言い放った。
「毎日来るしつこいお客さんがいるって。半分ノイローゼだったらしいですよ。
まぁ誰かは大体想像つきますけどねっ!」
(確定だよね)
「えっ!そっ、それでは遅番の鈴木さんは?」
「辞めました」
「ええっ!国木田さんは?」
「故郷へ帰りました」
(青春18切符で帰りました)
「まっ、まっ、マスターは?」
「神経衰弱で入院してます。」
(昨日は笑いながら泥を口一杯に頬張ってました)
「えっ、ええっ!?二丁目の東国原さんは?」
「誰ですかそれ?あと私も今日で辞めますし。」
「あっ、そう、そうですか。みんないなくなってしまわれたのですね。そうですか。
あなたも・・・・・・では私もおいとま致します。」
僕は突然の事にとまどいと驚きを隠せなかった。
いつも七杯は飲む、おかわり自由のミルクティーも頼まず家に帰ることにした。
人間というのは素敵な出会いがあれば、必ずいつか辛い別れがやってきます。
春が来て桜が散ったかと思えばもう夏が来て、秋が来て紅葉が散ったかと思えばいつの間にやら冬になる。
こうして四季が次から次へやってくるように、出会いや別れもやってくる。
人との出会いや別れは四季の移り変りのように淡々としたものではないもので、そこには必ず喜びや、辛く悲しい人間の感情というものがあるのです。
いつも道ですれ違う人々。
電車で一緒になる人々。
テレビの中の人々。
今はお互い知らぬ者同士だけれども、もしかしたらこれから友達になったり家族になったりするかもしれないのです。
私たちはそうした“もしかの友達や家族”との出会いや別れを毎日何十何百何千と繰り返しているのではないでしょうか。
転んだ人がいたら手を差し伸べましょう。
お年寄りや具合の悪い人には席を譲りましょう。
落とし物があったら届けましょう。
だってどの人もこの人も、もしかしたらこれから友達になったり、家族になったりするかもしれないのですから。
僕は今日ひとつの素敵な出会いと、沢山の悲しい別れがありました。
辛いし、やるせないし、泣きたくなる。
でもそんな時はカフェドナルドでクリームパフェを食べるのです。
つらくたっていいのさ、悲しくたっていいのさ、僕は笑うよ。
いつだって笑ってたら不幸が気持ち悪がって逃げてくんだ。
夕焼け小焼けで帰ろうか、君の家まで100歩200歩。
明日は晴れるかな?昨日は晴れたっけ?
気持ちが晴れてりゃ関係ないのさ。
みなで肩組み歌おうよ、月陽が眩しく笑ってら。




