4 陣川の苦悩
「畜生、もう我慢ならねぇ」
苛立ちを押さえられずに口から出るのは畜生、ばかりの陣川少年は刃物らしきモノを片手に街路灯の光を光らせていた。
彼の苛立ちの原因は今日の午後から始まっていた。というのも、陣川少年もこの御祭りの日が来るのを楽しみにしていた一人だったのだが、思わぬ不幸に巻き込まれ、この一日だけでなく、今後何ヶ月か惨めな日々を過ごさなければならない事が決まってしまったからである。
その不幸の始まりとは陣川少年の兄、泰助の思いつきが始まりだなのは明白だった。
泰助は所謂不良の類の生徒として中学では知られている。自分たちを子供扱いして押さえつけ、抑制しようとする大人達への反発なのか。それとも、大人達に反抗する事が自分たちの存在意義を証明する行動なのか。はたまた、ただの欲望のままに行動しているだけなのか。周囲の人間は彼の集団を作り問題を起こす行動に対して辟易し、教師達も彼らの更正には骨を折っているようだった。
学校の昼休みでは、仲間で何処から手に入れたのか煙草を体育館裏でふかし教師に何度かバレそうになった事もある。と、いっても本人がおめでたい性格なのか、気が付いてないだけで教師にとってはお見通しだっただろう。
御祭りの日には大人達も浮かれ、自分たちの監視の目が緩くなるのは必然と言える。この機会は泰助とその仲間にとっては都合の良い日なのだ。彼らの言葉で言えば合法的に大人の嗜好を行う事の出来る日というのだった。
泰助以下取り巻きは呆れる事にその言葉に目を輝かせる。滑稽極まりない。
勿論、それは彼らの勘違いであり、唯の我儘だ。彼らがリキュールショップに足を運び、度数五パーセントにも満たないチューハイ缶一本をレジに通そうとするものなら、店員は内心鼻で笑いながら身分証の提示を求めてくるのは当然だ。
しかし、この夜には大人達が阿呆な顔になり、酒をしこたま抱えるのだ。この機会はいつもの酒・煙草の入手方法に比べると危険もハードルも無に等しい。そうなると自分達の宴会を開くのも困難ではない。
自分を含めた取り巻きをこの御祭りの日のために設けられた田野芳賀に点在する仮設支部に向かわせ一升瓶を一人一本のノルマを課すのだった。この仮設支部と言うのが田野芳賀を区切る区ごとに一軒づつは簡易施設がある。建物の規模は区によって差異があり、街の公民館レベルものも在れば、多少プレハブより大きいぐらいのものもある。
この日の宴会に必要なお酒の量を確保するにはそれぞれ保有する冷蔵庫には到底収まるものではなく、全ての支部はポリバケツなりFRP製のバスタブにも似た容器なりを用い、氷水で冷やすという方法を取っているのだ。
そうなると必然的に屋外に設置するのは仕方が無い。
それを良いように、と言うより強引かつ非合理的な解釈をしたのが泰助の合法的に大人の嗜好を楽しむことの出来る日、という事なのだ。
お酒を持ち出す事はなんの問題も無く出来た。他の泰助の取り巻きたちもそのようで彼らの大人の真似事はすぐに始まり、陣川はそれに参加させてもらう事に満足していた。
いくら粋がっている中学生とはいえ、子供なのにはかわりなく宴会の始まりは声を殺すような乾杯から始まった。
陣川はその光景に少し期待とは違ったなぁと思ったのだが、三十分程過ぎた頃ぐらいから、回し飲みをしていた純米酒が効いてきたらしく、その場にいた取り巻きは陽気に頬を赤くさせてる光景が広がり、全体の声量は大きくなっていくのだった。
誰が言い出したのかは覚えていないが、彼らの中の一人がトランプを持ち出し、ゲームをしようという話になり、また誰かが「普通のは詰まらない、罰ゲーム付きがいい」と持ち掛け、ゲームは始まった。
多分、陣川にとっての不幸の始まりはここからだったのだと思う。
一緒にいた陣川だが上級生に囲まれていた事もあって、おおそれて輪に入るわけにはいかず、横で楽しんでいたに過ぎなかった。
一度目のボーカーゲームでは一発芸、なんの変哲も無い罰ゲームだったが、回数を重ねる毎にエスカレートしていくのが目に見えた。
陣川はそれを恐れていた、なぜかと言うと泰助が罰ゲームを受ける側になった場合のみ、彼は無言で弟の陣川を指差し、代わりに罰ゲームをさせられるという鬼畜っぷりだったのだから。勿論彼の取り巻きはそれに対し興ざめと不満はあっただろうが、彼らを締めている泰助にそんな事は言えずに続いた。
泰助はカードゲームは基本強くはないのだろう。勝率は低く、ゲームが終わるたびに陣川少年の肩は縮んでいった。
そして、ついには仲間の一人がバリカンを何処からか持ち出し、罰ゲームは髪の毛を賭けることになり、陣川の中にあった不安がドンぴしゃりと命中した。
陣川はその場から逃げ出そうと試みたが、気が付いたときにはすでに遅く、全員に押さえつけられ、バリカンの振動に涙をしながら、陣川の両側の髪の毛は無残に地面に落ちるのだった。
「まぁ、そんなに苛立っていても何もおきないよ」
少しおどつく陣川の取り巻きらしきが言った。
「うるせぇ、俺はむしゃくしゃしてるんだよ、伊藤」
「しかし、それどうするんだい?流石にそれでは明日の学校には行けないだろう」
「帰ったら自分で続きをやるよ、クソ」
「しかし、なんでそうなる事になりそうだって感づいてたのにお兄さんの所に居続けたんだい」
今となってはもう遅い質問に陣川の苛立つは膨らんだ。
「なんだよ、お前俺が阿呆だったって言うのか?」
「そうは言ってないけど・・・」
「じゃあなんだよ、お前も俺とお揃いになるか?」
そういうと頭に巻いた手拭いを左手で撫でながら続けた。
「それとも俺のイライラをお前らが解消させてくれるっていうのか?」
陣川は右手に握ったモノをチラつかせると、一歩ずつ伊藤の方に近づきニヤッっと笑う
。
ひっと短い悲鳴が漏れるのにも構わず陣川は距離を詰める。
陣川と伊藤の距離が三歩ほどに縮まった時、振り下ろされる右手は容赦なく伊藤の体に向けて流れていった。
横で見ていた小川はその光景に直視することは出来ずに一瞬目をそらし、もう一度目を開いた時には陣川の右手に握られていたそれは伊藤の胸に対し柄を残し埋っているように見えた。
「ちょ、お前、本当に・・・」
恐怖で思った事を最後まで言えずに途中で声が途切れた。
陣川は再びニヤッっと笑うとその握ったものを引くと同時にプラスチックの擦れる音がそれから鳴った。
伊藤ははっとした顔をして胸の辺りを弄りつつ何が起こったかわからない顔をしている。小川も同じ顔をしていた。
「ハハハッ、びびったか?冗談だよ!冗談、何玩具のナイフに本気になってんだよ」
陣川は二人にそのナイフに似たものを突きつけて見せると、ゆっくり刃の先端に自分の人差し指を運びそれに触れた。
すると、再び玩具らしいプラスチックの擦れる音と同時に十センチほどある銀色の刃が柄の中に沈み込んでいった。そう、正真正銘今まで陣川の手の中で転がされていたのはプラスチック製の玩具のナイフ。中にはバネが仕込まれていて、人に向かって刺すとまるで体に刺さったの用に見えるジョーク玩具だったのだ。
「ちょ、心臓に悪いよ陣川くん・・・」
「流石の俺も本当にこんな事はしねぇぜ、すると思ったか?」
「いや、まさかとは思ったけどもさ。それでも驚くよ」
安心の中に小さな嫌悪を隠しながら伊藤は答えた。
「まぁ、少しスッキリはしたけどよ」
陣川は玩具のナイフをポケットにしまって続けた。
「しかし、わからねぇ。あの男はなんだったんだ。見た事の無いやつだったけどよ。なんであいつがこの頭の事知っていたんだ?家を出る時から手拭は取ってないはずなのによ」
「そういえばそうだったね・・・僕らもまだ見てないんだもんね。すれ違いざまに言われたんだろ?」
「クソッ、あいつは誰なんだよ、わからねぇのがむかつく」
「僕らもまだ見てないから見せてくれないのかい?」
陣川は伊藤を睨んだ。
「わかったよ、いやなら別に見せなくても」
「やっぱり、気にくわねぇ、あいつもそうだけど他の三人も気にくわねぇ」
「もしかして、またちょっかい出しにいくのかい?」
「・・・それもそうだな、うん、それがいい。よし、そうと決まったら神社に戻るぞ。嫌だって言ったらお前らもモヒカンの刑だらかな」
伊藤の言わなければそうならなかもしれない、という顔を小川は見逃さず、次に呆れた顔をするのだった。