90 美しき香り 1(アラン)
アラン視点です。
―――……
―――……
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波の音に囲まれている。
穏やかな海岸沿いではなく、聖地の島は断崖絶壁に囲まれている。
泡立つ白い波が岩をも砕く勢いで絶え間なく波音を立てる。
海の向こうには、フレアの本島があり、今日のように晴れ渡った日には、白亜の城の一部が見える。解体作業がずいぶんと進んだようだ。
見上げると雲一つない青い空で、こういう何処までも続く青空を見ると、思い出すのはいつも同じことだった。
「おーい、アラン!」
古くからの友の声に呼ばれ振り向く。
「ユージン!」
「久しぶりだな。四か月ぶりくらいか。都からいろいろ運んで来たぜ、ちょっとこちらまで戻ってきてくれ」
大柄のユージンは、岩場の向こうで片手を振りながら、もう片方の手に持つ袋を上げ下げして見せつけてくる。
「わかった今行く」
慣れた岩場をトントンと進んでユージンの元まで行くと、
「すっかり馴染んだなぁ、ここに」
とユージンが笑った。
初夏の日差しを遮る緑は、島には少ない。燦燦と降り注ぐ陽光の下を二人で話しながら歩く。
「岩場を歩いて毎日すごしているからな。随分、海風の匂いや海の色で天候も予想できるようになった。この日差しにもずいぶん慣れた」
「そうか、元気そうでなによりだ。……腕の調子は?」
「あぁ、指はあまり動かないが、肘ならだいぶ動かせるようになった」
右腕を上げて肘をまげてみせると、ユージンが「前よりはましだな」と笑った。
「今日はロイと一緒に来たんだ。お前の家の前で荷物番させてる。アランの館から、例のもの預かってきたぜ。マーリさんやグールドさんからの手紙もある」
ユージンと歩きながら家へと向かう。
草は生えているものの、木々のすくない、岩が剥き出しになった島。
過去、「聖なる島」「聖地の島」などと呼ばれていた聖晶石が採れる島――それがこの島だった。
この島は聖晶石が乱獲され一度はガタールに占拠されていた。戦後フレアに返還されて以降は、フレアから派遣された魔術師や騎士たちが交代で数年住み込み守護している。たしかにガタールからの侵攻に対する守護という名目はあるが、フレア国内でいえばある意味それは左遷の意味あいもかつてはもっていた。
そして今の守護は――……私とリード、その他聖殿でかつて勤めていた者数名で担っている。私含め、表舞台から退いた面々だ。
聖地の島は、今や採掘跡だらけの荒れた島である。水や食料、日用品などは定期的に船で運ばれることでなんとか生活ができる状態だ。
その船に数か月に一度、ユージンが同乗してリードの頼みごとの用事を済ませるとともに顔を見せに来てくれていた。
ユージンは歩きながら、湾を挟んだ対岸に見える解体作業中の城の方を指した。
「城の解体も難航しつつも徐々に進んでるらしい。先日、見習い寮の生徒を連れて近場まで見学に行ったが、ありゃ、魔術と石工技術を合わせた根気のいる仕事だなぁ」
「城は内部まで公開されているのか」
「見学申し込みが受理された場合だけな。四年前の暴走魔術師のあの襲撃で不規則に破壊されて以来、いつ崩れるか、どこから崩れるかが予測がたたないらしい。少しずつ分けて結界を張り、その中で粉砕させて解体してるんだってさ。俺だったら、キーっとなって一気に全部壊してしまいたくなりそうだ」
ユージンの話しを聞きながら時の流れを考える。
――四年前。
そう四年も経ったのだと感慨深く思う気持ちもあるし、心のどこかで今もなお生々しくリアルに再現できる記憶でもある。
キースの暴走。
バレシュ伯の力の爆発。
あのキースの身体にあったバレシュ伯の魔力による影響は、すさまじかった。
王都も王城も地震で崩れた。
表向きには狂気に陥った魔術師の暴走としてまとめられているが、実際のところはすでに亡き魔術師の魔力の暴走だった。
死んだ者の魔力が残りそれが暴走とすることが広まれば、魔術師への弾圧につながりかねないとして、バレシュ伯のことは伏せられたままだ。
ただ、王都ではあの日のことを「災いの夜」と呼んでいる。
私も遠くに見える半壊の城を見ていると、ユージンは息をついた。
「いまだに王都の者はあの災いの夜をなにかあっちゃ語るからなぁ。セレン様のおかげでうまく回ってるが」
その災いの夜、王は城の瓦礫に埋もれ崩御した。セレン殿下ーー現王は、足を倒壊した柱ではさまれ重い怪我は負っていた。四年経った今もなお歩行に杖と付添を必要とする。
「アラン様――! ユージン様――!」
張りのある若々しい声が響く。
白の騎士服姿というのに、子どものように大きく袖をふるのはロイだ。
ずいぶんと背丈も成長し、正騎士にふさわしい鍛えられた体つきなのが遠目でもわかる。
一目散に丘の上からこちらにかけよってくるロイを見ながらユージンが苦笑した。
「ありゃ、ロイのやつ、待ちきれなくて迎えにきちまったのか。憧れのアラン様に会えると大喜びだったからなぁ」
「連れてきてくれて私も嬉しい。見習い騎士たちのことは気にかかっていたんだ」
「あぁ、災いの夜のあと、騎士についてもいろいろ変化があったからなぁ。今はずいぶんやつらも落ち着いているさ。まぁでも、まさかロイ・アスカムが近衛騎士になるとは思ってなかった。アランへの憧れっぷりからすると、当然のことなのかもしれんが……俺は頭が固いのか、まだ落ち着かん」
「今のフレアは変化の途中だから――……」
「そうだな。ついこの前まで、平民じゃ、なりたくてもなれないはずだったからなぁ」
「災いの夜」のあと、セレン殿下が王となってから、フレアの政策が大きく変化した。
若くから和平の外交に努めていたことから、国家間の取り決め、外交政策を武力・魔術での圧力中心の方針を改革したのだ。その流れから、騎士団のありかたも大きく変わった。
最低限の実力は求めるものの、基本的には上流貴族の子息に立場を与えるための面が重視された近衛騎士団の門戸が、騎士全体に広げられたのだ。
見習い寮での学習量が増え、紳士のあり方の学びや古語の学習なども多く割かれるようになった。自然と貴族でかたまっていた近衛騎士団にも、学ぶ気とやる気があれば、平民も入団できる機会が生まれたのだ。逆も然り。地方勤務の騎士は地元の騎士というのが通例であったが、さまざまな出自の者が任務につく融通が生まれるようになった。
今まで情報が下部から上部への一方通行、上流階級のものが情報を牛耳っていたが、情報を対等に共有する形がところどころで生まれはじめている。
また外交が充実したことで、ここ数年でいっきにフレアと他国との貿易も進んでいるらしい。
商人が流通に関わることで経済力をつけはじめたことに、良い顔をしていない貴族もいるらしいが、この様子だと、今は内政は王を中心として貴族が担っているが、いずれ平民からも政治に深く関わるものが出てくるかもしれないとユージンは前に話していた。
白を基調とし、金の細工や刺繍をほどこした懐かしい近衛騎士団の騎士服、それを身にまとうロイがこちらに走り出してくる。
こちらからも歩みをすすめながらユージンに尋ねた。
「ユージンは、見習い寮の指導者を続けているらしいが……、今からでも正騎士団にはいることは可能だろう。このままでいいのか?」
「俺は指導が好きなんだ。……まだ修練生だったときには、お前と一緒に正騎士になれたら楽しそうだなと思ったこともあったさ。戦うなら、信頼できる友と一緒がいいだろ?」
初めてそんな言葉を聞いた。――どちらかといえば、お坊ちゃんの出自でからかわれてきたと思ってきたのだから。
「でも、俺たちの卒寮当時では平民の近衛はありえなかったし、お前は近衛になることはほぼ確定していたし。まぁ無理だなって悟ったのも早かった。でも、俺はしぶしぶ指導者をしてるわけでもない。年若いやつらの面倒を見ているうちに、自分にはこれがあってるなって思ってるんだ」
「……たしかに、ユージンは面倒見がいい。私のような者のところに、忘れずにわざわざ顔を出してくれる」
「だろ? 俺は良い男なんだぞ。……と、いつかマーリさんに伝えてくれ」
「え?」
ユージンの言葉に思わず問いかけようとしたとき、ちょうどロイが、
「アラン様……! お久しぶりです!」
と、私たちの前に到着した。
「もう待ちきれなくて、走ってきてしまいました」
「ロイ、お前、荷物番の意味わかってるのか?」
「あ、ユージン指導総長! 大丈夫ですよ。運んで来たものは、リードさんが持って行ってくれたのです。荷を置き去りにしてきたわけじゃありませんよ」
ロイはそう説明しながら、私の前に姿勢を正して立った。
「アラン様、あらためてご報告いたします。ロイ・アスカム、この春無事に近衛騎士団に入団いたしました!」
溌剌とそう挨拶したロイは、輝かしい未来を背負っている明るさを放っていて、まぶしい。
「おめでとう――……正騎士ロイ・アスカム殿」
私が敬礼の姿勢でロイに向かうと、ロイの目が大きく見開かれた。
「アラン様……」
「何も祝いの品を用意してやれずすまない」
「そんな、そんなっ!」
ロイがぶんぶんぶんと首を横にふった。
「アラン様にアラン様にこうしてお会いできただけで……わ、わたしはっ」
とあわてふためくように言うロイの肩をユージンが優しく叩く。
「ロイ、最後の指導だ――……こういう時にはな、ちゃんと頼むんだ」
「はい?」
「『特別なものはいりませんが、美味い酒があれば飲んでみたいです。もしくは素敵な方がいれば紹介してほしいです』って言えばいいんだ」
「……は?……ユージン様! 何いってんですかぁぁぁ!」
二人の会話を聞いて、私は申し訳ないと思いつつ、黙っていても仕方がないので二人に口を挟んだ。
「ユージン、ロイ、申し訳ないが、ここに酒はないんだ。しかも紹介できるような人もいない。希望に添えず申し訳ない」
あやまるとユージンは、大きくため息をついた。
「おめぇなぁ……冗談だよ、冗談。堅物なの変わってねえなぁ」
「指導総長……アラン様が堅物なのではなく、あなたがふざけすぎなのでは……」
「そんなことはない! だいたい、美味い酒なら持参済みだ! 帰りの船は明日の朝に出航だろ? 飲もうぜ! 宴会だ!」
「……マーリさんに見せたいです、このユージン総長の姿……」
ロイがそう言ったので、先ほども一瞬疑問に思ったことを口にした。
「なぜ、マーリの名がでてくるんだ?」
聞くと、ロイが満面の笑みで答えてくれた。横でユージンがヌメ虫を踏んでしまったような顔をしている。
「マーリさん、見習い寮の古語の学びの講師として何度か来てくださったのです。 今まで古語は貴族が身に着けるものでしたから、なかなか教えることまでできる人が少ないらしくて」
「……セレン様の治世になってから、騎士の修練生は平民も武術だけでなく学問や社交術も多岐に学べるようになっただろう。そのご縁で、マーリさんの父上が歴史を、マーリさんが古語を担当して、親子で時々見習い寮に来て下さるようになったのだ」
「そうなんですよ。もともとユージン様はアラン様の館からここに荷を運んでいらしたでしょう。だからか、来校されたマーリさんがユージン指導総長に声をかけて……それ以来、ふふふ」
「ロイ! なんだその含み笑いはっ!」
「いえ、寮内の修練生の間では、もっぱらの噂です。ユージン指導総長は才女に弱かったんだなぁ、と」
ロイがにんまり微笑むと、ユージンがめずらしく何も言わず照れたように横を向いてしまった。
「……そうか、マーリは元気にしているのだな。良かった。彼女には多く助けてもらって……心配もかけて迷惑もかけてしまった」
「元気にしてらっしゃいますよ。そうだ、今日はアラン様の館から預かった荷物と、マーリさん、執事さんからの手紙もあるんですよ」
「あぁ……楽しみだ。ロイ、来てくれてありがとう、家に戻ろう」
ロイの言葉に微笑みを返し、歩きはじめると、ユージンが少し後からポンと私の肩に手をおいた。
「……マーリさんは、あの方の侍女ができた時間はとても大切な思い出だと言っていた。迷惑だなんて少しも思ってやしないぞ」
ユージンの言葉にふっと心が騒ぐ。
――あの方。
その称された姿が脳裏に浮かんで、青空に溶け込んでゆく。
――落ちてきたら、いつだって、受け止めるのに。
記憶の波に浮かんだ姿は、消えてゆくだけだ。
「アランは―――……その様子からすると、忘れていないんだな。 まるで、あの方のように長くなった髪……願掛けなのか」
「……切れなくなっただけだ」
答えると、ユージンが何も言わずポンポンと二度肩を軽くたたいた。
近衛騎士団長であったアラン・ソーネットの婚約者、黒髪の女性ミカ。
婚約披露のその夜――災いの夜の災害に遭遇し、暴走の魔術師との格闘の末、行方不明。
暴走の魔術師により、禁術の転移の魔術をかけられて何処かに飛ばされてしまったのではないか、もしくは身体が残らないほどの攻撃で死んだと噂される悲劇の姫。
「災いの夜」の不幸と重なって、「ミカ」という名を口にすることがはばかられてしまうほどの、悲劇の象徴になってしまった――……ミカ。
――美香。
――元気でいてくれるだろうか――……
――母と会えただろうか――……
左手で、服の上から首に下げたものをそっと押さえた。
双剣の片割れと引き換えに美香の物を一つもらってしまった――そのカード。
革でカードをいれる袋をつくり肌身離さず持っている。
彼女がここに、この国に、私のそばに、幻ではなく本当にいてくれたという証。
美香。
美しい香り、バラの香り――……。
どうか、今の彼女が、美しい花が咲く国でその香りを楽しめるような穏やかな日々を送っていますように。




