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84 命 (アラン)

アラン視点になります



 団長の剣が貫いていたものが霧散し、光の渦になって消えていく。

 こちらに抗うような力がふいに消えさる。怨念のような魔力のかたまりの靄が、リードの力によって消え失せたのを実感した。

 私自身の身体は衝撃を受けたのか痛む。幾らか身体に傷を負ったのだろう。とはいえ四肢は動く――美香の元へ戻らねば。


 そう思い振り返った瞬間、傷よりも衝撃的な姿を目の当たりにする。

 私の身体は考える一瞬すらなく彼女の元に駆け出していた。


「美香――……!!」

 

 ――……彼女の足から力が抜けて、倒れてゆく。ひとつに結った黒髪がふわりと揺れて。


 リードもミカにかけよっているが、彼が踏み出そうとしたところに大きな柱の割れた塊が落ちてきた。

 ガラガラと落下する瓦礫。倒れてくる柱、棚。

 それらは私を打つだけでなく、彼女の上にも平等に落ちた。

 彼女に直撃したどれかが――彼女の意識を奪ったのか。


 両腕を伸ばす。

 もう少し――……彼女が床に倒れ込む直前、腕の中に抱き留める。

 包み込むようにしてさらなる落石から庇う。

 

 しばらくすると、城の揺れが止まり、天井や壁からも大きなものが落ちてこなくなった。


「ミカはっ!」 


 幾つか額や頬に傷をつくりつつ、リードが駆け寄ってきた

 腕の中、呼吸はかすかにあるけれど――荒く不規則だ。

 リードが散乱した床から大きな布を引っ張り出してきて、埃をはたいて広げた。


「ここに。怪我の状況を確認せねば」


 リードの示した場所に美香をそっと寝かせる。

 額の端から血が流れている。それだけではない、彼女がドレスの上に羽織っていた上着の左側がじっとりと重い。


「これは……兄さんの血だけじゃありませんね……」


 美香のまぶたが震える。けれど、意識がないのか一瞬半目のようになり、又目を閉じる。

 上着をめくると、打撲と裂傷。血が青碧色のドレスの左半身を赤く染めていた。


 リードがミカの肩の上で手指をわっかの形にして詠唱した。澄んだ香草の匂いとともに、リードの指先がキラキラと淡くひかる。


「その場しのぎでしかありませんが……半刻ほどなら出血が緩やかになります。ですが……止めることができない。ここまでの怪我で魔術で出血を止めようとすると逆に彼女の心の蔵を壊してしまう。しかも、この外に流れ出る以外にも身体の内臓から血が出ている可能性もある。……今のフレア王国の医術でも対処できない」


 リードの静かな声に私の美香の上着を押さえる手が震えた。

 

 知らないわけがなかった。

 近衛ではあったが団長の位につくまでは、衛生担当をしたこともあったし、王城内での怪我の手当や死者の弔いもしてきた。


 頭や身体を強く打つことは、身体にとても大きな打撃を与える。

 意識をうしなって、出血により体温を失って――……。

 今、いくらリードが出血をゆっくりにするようにしてくれていても、流れ続けた血、つまり身体は血を失い一気に冷えが加速し、ガクガクと震えだすだろう。意識がないままに、血の巡りが止まってしまえば――迎えるものは。


「なんとか――なんとか、ならないのか……」


 左拳だけが震える。右はどうかなったのか動かない。

 けれど、自分の身体は今はもうどうでもよかった。

 美香を――美香の命を――……。


 動く左手を布で拭い、美香の頬に指先をあてる。冷たい。あまりに冷たい。


「美香……」


 剣がなんになろう。

 騎士団の位がなんになろう。

 ぬくもりが抜けていき、命がこぼれてゆくこの身体に、私ができること。

 守りたいのこの人に、私ができることは――なにも、なにも、なにもないのか。



 命を前に、なんと無力なのか。


 

「ひとつだけ。可能性にかけるなら……ひとつだけ、生かす方法があります」


 リードが小さく言った。

 心なしか、リードの声も震えているように感じた。

 風がふきぬけ、ズタボロになった宝物庫の瓦礫の粉が舞う。さきほど扉から差し込んでいた二つの月は、のぼってすこしずれたのか先ほどよりも宝物庫をあざやかに照らしはしていなかった。

 うすぐらい、宝物庫。


「――……ミカを”二ホン”に返せば――……ミカは生きられるかもしれない」 


 美香を――返す。

 

「それは……どういうことだ……」


 リードがミカの口元に手をかざす。また香草の匂いが微かに漂う。美香の呼吸がほんのすこしゆるやかになる。


「審問の術をかけたとき、ミカの元いた世界での記憶の中で、彼女の亡き父が医術を施されている記憶もありました。断片ですし、子どものころのミカの記憶でしたが、非常に高度な医療技術のようだった。他にも幾つか医術や薬師にかかっている記憶もありましたが、どれもが文明のすすんだものだった――そこであれば、ミカの今のこの状況も治療を受けられるかもしれません」

「……帰還の術を使うということだな」

「えぇ。剣とあなたの協力が必要です」

「だが、どこに着くのかわからないのでは? 元の世界とはいえ、誰もいない無人島に行きついては意味がない」

「それは、ミカが強く思慕している母親の記憶から手繰り寄せます。記憶にあったミカの母はとてもミカを大切にしていました。おそらくフレアに来てしまいいなくなった娘を向こうで探しているはずです。そのミカに向けられた母親の強い想いを探り当て送り込みます。それに関しては――……バレシュ伯の研究もあり、時代と場所を決めて戻す、ということはできるでしょう」


 横たわる美香を見た。

 先ほどよりも白くなってしまっている気がする。

 離れたくない、離れたくない――もう放したくない――……。


 でも、息がある。

 美香の命は、微かにでも息があって――生きている。

 かつて口づけた彼女の唇から、ちいさく息があるのだ。


 ここにいては、それが途切れてしまう―――……それだけは。

  

 ―――……もう会えなくとも?


 会えなくとも生きていて欲しい。

 

「……ミカは帰還の術があっても元の世界には帰らないと私に断言していました。ですから、元の世界に帰ったとしても……喜ぶとは限りません。遠いどこか知らない世界で、勝手に返したと憎まれることになるかもしれない。そもそもこちらでの記憶があるかどうかも、実際わからない」


 リードがそういった。

 私はリードの横顔を見た。


「リード」


 呼びかけると、白銀髪に片側だけの青緑の瞳の弟はこちらを向く。ほんの少し首をかしげてこちらを見上げる仕草。それは昔のあどけない頃を思い出させた。

 

「どこまでも私は利己的なのかもしれない。彼女を守りたいといいながら、結局、我を通してしまう」

「……」

「――協力する。美香を元の世界へ」


 告げると、リードは少し目を細め。頷いた。




 *****




 元の世界に戻ったときに、この血だらけのドレス姿は異様になってしまう。ちょうど彼女が髪を結った伸びる紐を取り出した彼女のバッグの中に元の世界の服があったはずだった。私たちは取り出し、着替えさせることにした。 

 傷口に布を巻き手当をして、他もできるだけ血をぬぐう。

 リードは怪我の手当だけは手伝い、着替えとなると「着替えは婚約者がやってください」と言って私たちに背を向けた。


 大きな布をかけて彼女の肌が極力見えないように、直接私の手が触れないように、できるだけ服ごしに隠しながら服を着かえさせる。コルセットの紐ははずすのが難しいので、切ってしまったが、あとは順調にミカに衝撃を与えることのないよう、彼女を自分の膝にのせて抱えるようにして着替えさせた。

 彼女の服の仕立てが裏表や前後がわかりやすいのと、元の世界の技術なのか布がおもいのほか伸び縮みするのに助けられた。 


 ――婚約者。


 リードはそう言ったが、ミカが元の世界に戻って適切な医術を施されて健やかになれば――……きっといつか誰かと出会い、結婚する日がくるかもしれない。

 私以外の誰かと。

 そこまで思って、手が止まり――……唇の痛みに気付いた。


 ――……無意識に唇を噛んだか。


 自分の幼さに苦笑した。

 

 ドレス姿ではない美香は、不思議な存在に見えた。

 どこか懐かしさを覚えるのは、この姿で空から落ちてきただろう。

 あれから一年半以上経った。

 愛おしい日々だった。


「……リード、支度はできた」


 彼女の怪我をしていないほうの腕にバッグをそっとかける。

 彼女の故郷に連なるもの。

 どうか――……無事に還れるように。


 リードは着替えさせたミカにちらりと目を向けて、着替えさせた血を吸った青碧のドレスやコルセットなどを受け取った。


「どうする?」

「焼却します」


 リードはそのドレスを軽くたたみ、床に置いた。何かを唱え始めると、その周囲にだけ膜がはる。次に指を数度動かすと膜の中だけでボンッと火が起こり――ドレスは灰と煤となった。

 立ち上がったリードは今度は美香のそばにひざまずく。


「兄さん」


 そう呼びかけつつも、リードは顔をこちらに向けないままに、休むことなく美香の周りに文字のようなものを指で刻んでいく。


「何をすればいい?」

「聖晶石のはまった騎士団長の剣を、ミカの横に寝かせてください」

「わかった」


 言われたとおりにすると、リードはしばらくまた文字のようなものを描き続けた。

 そうしながら、また「兄さん」と呼びかけてくる。返事をすると、


「……何か、ミカに渡しておきたいものはないですか?」


と言った。


「渡しておくものとは?」

「目を覚ましたミカが、あなたを想って泣かないように」

「……美香のそばには美香の母が寄り添うだろう」

「彼女の希望に反し、勝手に”還す”のですから、何かひとつ彼女に思い出の品を」

「未練に……いや、フレアや私の悲しい記憶を引きずる物になりはしないか」


 リードが私の答えに、明らかに呆れるようなため息をついた。

 

「貴方が”過去の男”になれば捨てるでしょう。でも、過去の男になるまでの間は、必要ではありませんか」

「……そうか」

「印を結んでいる間に、彼女の鞄のなかへ入れてください」


 リードが次は剣にはまった聖晶石に手をかざした。手の指と指を合わせて形を作り、また手をかざし、また手指を組むを繰り返す。

 

 私は少し考えて、左手を伸ばし右側の身体に添わせている剣のホルダーをはずした。

 鞘をホルダーに縫いとめている紐を切って、美香のバッグに入れる。

 跪いて美香を見る。魔術の中にいるからか、彼女は眠っているようにすら見えた。

 

「いいのですか、片方になれば威力はなくなる」

「一番、私のそばにあったものだ。今、美香に渡せるのはこれくらいしか思いつかないし、そもそももう持てないだろう」


 リードは私の右腕に目をやり、小さく息をついた。


「たしかに。では、次はミカのものを、兄さんは気が引けるとは思いますが、一つ拝借してください」


 思わぬ言葉に眉をひそめた。


「勝手に美香のものを盗ることはできない」

「借りるだけです――……というよりも、向こうの空間に辿るためのものを一つ借りたいのです。私が選んでも、術を行えば私がミカのものを持つのはおかしいですし、婚約者が拝借するほうが妥当でしょう」

「なんだその理屈は……」

「とにかく向こうのものがここにある方が、より精度があがるのです」 


 リードに言われて、今しがた双剣の右側をを入れたバッグの中を見ると一つのものに目がいった。

 それは手のひらに乗るくらいの硬くつやつやした幾分か厚さのあるカードだった。紙ではない、知らない物質。

 そこに――。


「――美、香」

「どうしました?」

「いや……。これにしよう。……美香、勝手にすまない」


 返事のない美香に語り掛ける。彼女の唇は青い。

 てのひらにのるその硬いカードには、かつて美香が教えてくれた、彼女が元の世界で使っていたという文字が書かれていた。

 他はわからないが、幾つかのならびの中に「美」「香」とあった。


 ――すまない。これをもらっておく。 


 私が美香を見つめていると、リードが印を結びおえたのか、聖晶石のはまった団長の剣の柄をとった。


「……では、今から聖晶石とあなたを紐づける魔術を切り、自由になった聖晶石の魔力を使い、帰還の術を行います」

「あぁ」


 

 美香に眼差しを向ける。

 着替えさせた服にもだんだんと血がにじみはじめている。

 どうか――どうか、どうか無事で。



 美香――どうか生きて――……



 リードが剣を振り上げるのを確認してから、私は目を閉じた。

 

 ビュン――ッ


 剣を振り下ろす音。

 何のためらいもない、いい音だ。



 騎士団長の剣と私を繋げる術を切る――つまり、騎士団長の剣で私を切ってその血をもって完了する――解呪の術。



 正式な手順により、リードは的確に私の右腕に剣を当てた。前の傷口に重ねなかったのは温情か――それとも、それたのか――……。


 腕に振り落とされた剣が血を吸ったのを感じて目を開けた。

 血とともに剣がぶわりと光っている。 

 

 リードはすぐさま私の身体から剣を抜き、脇に置いた。

 ドクドクドクと心臓が鳴る。右腕が熱い。

 リードが私のそばにひざまずく。傷の上を紐で強く縛り。切った痕に布を当てた。


「石との絆は切れました。止血の時間はないので……すみませんが、傷を押さえてください。今から、帰還の術に入ります」

「――……頼む」

「術を終えた瞬間、私はおそらく失神します。またそろそろ、王城の階下にいる者たちが、あなた方を連れてかえってこない私に痺れをきらしてこちらにあがってくるはずです。そちらに救助を頼みましょう」

「……バレシュ伯の怨念との戦いで、リードは失神……美香を失ったと伝える。失神したお前の身体はうちで寝かせる。目覚めるまで。リードが来れば、グールドも喜ぶ」

「それで良いです。……もし王や殿下の状況で、あなたは逃げてもいい」


 リードの言葉にあえて返事しなかった。

 ただ、左手でリードの肩に手を置いた。

 私とリードは自然に頷き合う。


「はじめてくれ」

「では――帰還の術を――……」




 そこからは、光の渦だった――おそらくあっけないほどの、一瞬。


 立ち上がったリードが剣の石にむかって手をかざす。

 剣にはめ込まれた聖晶石が大きな音を立てて割れる。

 その瞬間、リードの手が発光し、それが美香のまわりにぐるぐると光の円を作り始める。

 くるくると円を描いていた虹色のふしぎな光。


 リードの指先が大きく振り下ろされる。

 その刹那――円をつくっていた虹色の光が一気に形をかえ雷のような速さで、美香の中に吸い込まれ―――……


  消えた。


 

 一瞬、すべて無音。

 香草のかおりだけが風にまじって漂う。

 

 ガサリと音がした。リードがしゃがみこむ音。

 虹の光が消え、瓦礫の山となった宝物庫はぼんやりとした薄暗い空間となった。



 月はもう上りきったのか、扉からは月光が差し込んではこない。

 ただ、棚のぼんやりとした不思議な灯りが照っている。



 ―――行ってしまった


 

 最後に目に映ったのは、横たわった美香の青白い横顔。

 キラキラとした黒い瞳を――もう一度見たかった。




 遠くで――……ほんとうに、遠く微かに。


「―――アラン様ーーっ ミカ様――っ リード様――」

「アランっ―――おい、返事しろ―――っ なんか光ったが、無事かぁぁぁ」



 昔馴染みの友の声がした。若い声は寮の者たちか。

 団長の剣の割れた聖晶石。

 血だらけの敷物。 

 失神したリード。

 右腕をやられた近衛騎士団長――……魔術師の暴走でいなくなった、婚約者。

 

 この惨状を見れば、彼らは驚くだろう。

 私は、嘘と真実を混ぜて――友や部下にいつわりを語らねばならない。異世界の存在やそこへの行き来が明るみにならないように。追跡を受けないように……。

 


 

「美香……」

 

 

 どうか――無事で。

 どうか、生きていて。

 




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