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79 月明り 2(アラン)



「邪魔なものを処分するのは道理であろう」


 呆れたとでもいうような言い方で王のしわがれた声が告げる。

 邪魔……ミカのことが、到来者が、邪魔というのか。

 目を見張る私の前で、王はゆったりと近寄ってきた。

 

「そもそも異世界から来たものの望みというのは、代々面倒なものと決まっている。昔の文献にもそう書かれている。帰還の術を生み出せやら、権利をよこせやら……」


 王が心底面倒だというような、馬鹿にしたような言い方でそう言った。


「到来者というのはだいたいが厄介者なのだ。時に興味深い知恵や技術を持ってるものもいたらしいがな。そういう貴重な者であるかどうかの判断のため、まずは監視することになっておるが……実際のところ、知恵や技術を持つ者など稀。たいていがまぁそこの娘のようになにも出来んやつがほとんどだ。基本的に邪魔者でしかないのだ」


 王が大きくため息をついた。


「どうせ”来る”ならば、フレアにもっと有益な知恵や技術をもたらすものが到来すればいいものを。しかも今回は……なんじゃ、その男」


 王がセレン殿下の方に顔を向けた。

 私に腕を掴まれたままの体勢で、殿下はいつもの態度で王に微笑を浮かべた。


「キースです、父よ」

「あぁ、そうだった、キースとか言う者だ。あの狂った魔術師バレシュ伯に拾われ、その力を受け継いだそうでこのように暴れたそうだが。これもまた、実に面倒を起こしよった。我々がこんなに日夜苦労してフレアの平和を築いているというのに……いったい王族がどれだけの労力をもってこの国を維持し、外交を保ち続けているか。まだフレアの民の訴えであれば聞く気にもなるが、こやつら到来者は野蛮な面倒ごとをこの世に持ち込む」


 王は血だまりの中のキースの亡骸を汚物でも見るかのように眉をしかめて見た。

 知らず知らずのうちに私のランプの持ち手を握る手指に力が入る。

 王はまた面倒そうに息をつき、私の方に顔を向けた。 

 

「まぁそれでも、私は和平を望む王だからな。ミカだったか、お前の館に落ちてきた娘の報告を聞いたときは、それなりに手厚くしてやったであろう。人目のある貴族の庭、しかもセレンまでいる席に落ちてきた娘であるし、好待遇にしてやったというのに。恩を返すどころか、このように近衛騎士団長を誑かしよって。堅物の団長が本職を忘れこのざまだ。嘆かわしいことよの」

「父王、ミカがアランをたぶらかしたというわけではなさそうですがね」

「そうか? 結果的にはそうなるであろう? ……まぁだが、骨抜きにされようとも、結局のところアラン・ソーネットの見目は華やかで目を引くし、剣の技術はまことに典雅でいて勇壮さも持ち合わせて美しい。今後の祭典でも、王の権威の象徴としてその容姿と技術は宝であろう。セレンもその娘ごとアランを残す方がフレアのためになると言うっておっただろう」

「はい、申し上げました」

「だからまぁ、見逃しておったがな……。だが結果的にはこの騒ぎだ。……もう面倒ごとはいらぬ。やはり、到来者は厄介者」


 たまりかねて、私は口を開いた。


「王よ、美香は望んでここに来たわけではありません!」


 私の声に眉は白い眉をひょいと上げた。

 その目は馬鹿にしたかのように細められており、私の言葉など重きを置かれていないことはよくわかった。

 それでも言わずにいられなかった。

 

「美香はこのフレアに楯突いたこともありません。……私、アラン・ソーネットが王のご希望に添えられぬのは、美香のせいではなく私自身の不足といたすところ、美香を貶める必要はございません! もちろん殺める理由もありません!」

「……このようにその娘を守ろうと必死なことがすでにフレアに盾ついておる。そもそも、今ほど到来者を根こそぎ断つ良い機会はない。キースが地震を起こし王都や王城を壊してくれた。まあ大いに面倒事だが、これに乗じて死んだキースの亡骸も、ミカという娘も、到来者に関するものもすべて処分してしまうのが一番である」


 ちょうどその時、遠くで大きく崩れる音がした。かすかに床も揺れる。

 王城のどこかが崩れている――先ほどの爆発の影響か。

 それなのに、王は怯えるでもなく笑いを滲ませたこえで言う。


「ほら、城が崩れておる。今なら事故死も火事も自然に成り立つ。火をつけろ!」

「……何をおっしゃるのですかっ」

「アラン・ソーネット、お前は婚約披露の夜に地震により起こった火事の被害で婚約者を亡くした悲劇の団長になるのだ」

「王よ! そもそもこの宝物庫に火事を起こせば、王族の方々にとっても大きな被害となりましょう! 城も中央部が火の海になってしまいますっ」

「和平のためには、少々の犠牲も必要だ。そもそもこの宝物庫は宝物もあるが、過去の遺物にとらわれておる。 地震や崩壊を理由に過去と決別して建て直すほうが良いのじゃ。これからますます他国から信頼され外交を結び、平和の道を歩むには、到来者などの未知で不穏なものが現れた国であってはならんのだ!」


 王が叫ぶと、セレン殿下が小さく息をついた。 

 

「……父王よ、アランを説得しようとも無駄ですよ。こいつは堅物だ。それより賭けをさせてくださいませんか」


 殿下の言葉に私も王も、驚く。


「賭けとはなんだ、セレン」

「私とアランにここで一戦の場をください」

「何?」

「私はアランと戦いたいのです。アランが勝てば、ミカを助けましょう。この暴動以前の予定通り、アランとミカを婚約者、いずれ夫婦としてまとめて監視してゆけばいいのです。ただし、私が勝てば――アランもミカとともにここで葬る。いかがでしょう?」

「セレン、なんだその案は。私には何も得るものがない」

「ソーネット家と、ゆくゆくはディールが継ぐ侯爵家が完全に王家に従います」

「ほう?」

「アランが勝ち、ミカが生き残ればディール・ソーネットは後見人としてミカを支え、王家に楯突くわけにはいかない。またアランが賭けに負け、アランとミカを失う形の場合、今回の騒乱を地震のせいではなく、キースというアランのが抱えていた使用人の仕業であることを明らかにするのです。つまりソーネット家の失態です。ディールはソーネット家の信頼回復のため、王家、貴族界にさらなる忠誠を誓わざるをえなくなります」


 殿下の言葉に王は「なるほど……」と頷き、それから首を少しだけ傾けてじろりと殿下を見た。


「……セレンの勝率は高くはなかろう」


 殿下は肩をすくめた。


「たしかに、アランは強い。疲労と少々の裂傷を受けている彼とやっと五分五分の戦いになるでしょうね。ですが、父王、それでも私はアランと戦いたいのですよ」


 殿下が私に視線を向けた。

 静かな瞳だった。


「アラン、お前もミカの命を守りたいのだろう? 命乞いをしたいのならば、私に勝てば良い」


 殿下が私にそう言い放つ。

 私が答えるまもなく、王がため息をついて先に言った。


「お前がそんなに言うならば、賭けとやらの一戦をするがよい。お前は次の王。臣下に禍根を残したままじゃと後々面倒が増えるだけ、今はっきりさせるがよい。それから火を放っても遅くはあるまい。余興とでも思って見物しよう」

「ありがとうございます」

「セレン、どちらか一方死んだ場合は、私の好きにさせてもらうぞ」

 

 そう言うと王はゆうゆうと歩き、壁際に立った背をもたれるようにして腕を組んだ。


「―――はじめるがよい」

「アラン、私はもうお前の意志を確認するつもりはない。ミカを助けたければ剣をとれ、そして私と戦え。私も負けるつもはない」

「……殿下……このような場合では……」

「つべこべ言うな!! 灯りを置け、剣をとれっ!」


 殿下のことばに私は、ランプを床に置いた。

 セレン殿下の腕を放し、間合いをとって向かい合う。 

 視線を殿下の双眸からそらさぬまま、剣の柄を握る。同時に、殿下も自らの腰の剣に手をやり――互いに抜いた。

 煌めく両刃。


 瞬間、私も彼も廊下を蹴り、剣を振り上げたのだった。






 キィィィィン――……

 カンッ

 キィンッ



 互いの剣を打ち合う音がこだまする。

 音の余韻の間なく、次の打ち合う音が重なる。


 セレン殿下のたたき割るような上からの攻撃にわざと剣の厚みのある部分を当てて返す。盾がない今の状況では、殿下の重みがあり破壊力のあるバスタードソードの攻めを交わすには剣そのもので打ち返すのみ。

 だが、これでは守り一方になる。

 

 宝物庫の中の美香、助け出さねばならない。

 今の状況では、いつ引火するかもわからない。王城がキースの破壊の被害を被り、火事や崩壊が起こっている部分もある今、火が別のところから来るかもしれないのだ。

 キースの亡骸も弔ってやらねばならない、また王城と王都の被害状況も把握して救護班も必要になってくる。


 戦っている場合ではない――。


 けれど、セレン殿下の私に注がれた瞳から、逃げることは許さないという気迫も受け取る。


 聖晶石をきらめかせる私が持つ団長の剣――それを今、王族にふるうことになろうとは。

 今まで殿下を始め、王族との剣の手合わせの機会はあったが、模擬刀もしくは団長の剣ではないショートソードやロングソードを使った。

 近衛騎士団長の剣は、王城と王族を守るものだからだ。


 キイィンッ


 殿下が剣の長さを利用して”突き”を向けてきた。身体をひねって返しながら、持つ剣を斜めに振り下ろす。殿下の身体を切らないすれすれのところで刃を浮かせて、そのまま間合いをとって離れた。

 

 勝敗をどこでつけるか。 

 この一戦は、ルール無きもの。

 殿下を傷つけず、かつ私が勝利し美香を助け出すには、剣を放し、殿下を捕縛してしまうほうがよい。

 

 頭の中で算段をつけながら殿下との間合いをはかりつつ、睨みあうようにして殿下と立ったときだった。 



「アラン、剣を手放すなよ」


 殿下の言葉の真意をはかりかねて彼を見返すと、殿下は目を細めた。


「お前は一度、その剣を手放そうとした。二度目の過ちは許さん」


 二度目。

 そう、私は殿下の視察の同行中、彼の指示を抗い、美香の元へと走った。

 剣も、そして騎士位も返上する、と告げて。

 

 セレン殿下が剣を振ってきた。応戦して打ち返す。軽い打ち合いが続く。

 最中に殿下が口を開いた。


「アラン、私は平和のために行動してきたつもりだ。お前も知っているだろう?」

「……はい」

「それは、私は自分の権力を意識しているからだ。そもそも民のもつ『意志』というのはな、権力の庇護下で保護されるから尊重されるにすぎない。権力の元からはずれるような『意志』は存在を許されない。それがこのフレアの在り方だ。だからこそ、逆に権力を持つ、力ある者は民を守るよう努めねばならないと私は考えている。平和を維持するよう実行してきたつもりだし、お前はそれに賛同してきただろう?」

「はい」

 

 キイィィィンと金属の打ち合う音が続く。

 たしかにセレン殿下は、戦いを繰り返さないために王の長子としての立場で出来る限りのことをし、奔走してきた。それは事実であり、「和平の殿下」という呼称は偽りではない。

 国家という規模において、セレン殿下は真に平和とために動いていた。そのことに私は賛同していたし――誇りに思っていた。いや、今も、このフレアにはこの方が必要だと思っている。 


「そのお前の持つ近衛騎士団長の剣は、かつては実戦の剣として活躍した。代々の騎士団長が持ち、何代も王族を守りぬいてきた剣だ。だが、フレア国もガタールとの戦い以降は平和が続き、その剣はフレア国にとっていったん『実践用』としては役目を終える段階へときている。お前は、この剣で戦地に赴いたことはない」

「……」

「命の血を吸ったのは、さっきのキースが久々のことであったろう。それくらいに、今フレアは穏やかななのだ」


 打ち合い、時に間合いをとりしながら、殿下は話し続ける。


「王の権威、魔術師の権威、フレアの繁栄。平和が長く続くからこそ、この刃は敵の血を浴びずにすむ。もちろん少々の小競り合いや王城に忍び込む暗殺者の血は吸うにしろ……戦争の血に比べれば少ない。逆に言えば、この剣は一級品の強い刃を持つのに、その力を見せることなく鞘に納め続けられる――お前と同じように」

「私と?」


 思わぬ言葉に聞き返す。

 すると、殿下はざっと大きく後退しながら剣を横にふりつつ言った。


「そうだろう? アラン、お前は鍛錬を怠らず、つねに実地を意識した剣技を磨き、どんな戦乱の世になっても耐えうるようにと訓練を怠らない。けれど、実際にはフレア国ではそんな剣技が必要とされるような戦いはない。刃こぼれを抑え、体力を出来得る限り残す動きで確実に人を仕留めていくような地味な剣の技をいくら身に着けていても使う時が来ない。この団長の剣もお前も宝の持ち腐れだ。……だが、それが平和というものだ。」


 私が伝統的に身に着けている実践的な剣の技が、あまり求められなくなっていることはわかっていた。似たようなことを、騎士見習い寮で美香を侮辱したバリーも語っていた。

 わかっている。

 平和が長く続くゆえに、剣も槍も……戦いの道具が一つの美術品のようにすら扱われる。そこに傷も死も血も生臭さも存在する――戦う道具、命を奪うものであるということが、貴族の中でも理解が遠のき始めるであろうことは予想がついた。


 私自身も、数代前から語り継がれるフレアとガタールの騎士も魔術師も混戦状態であった戦乱の状況など、想像はしても実際に見たことも体験したこともない。団長になる前に幾度か戦地に赴いたことがあるといっても、それは領地や国境の小さな争いで、数日でおさめられるような規模のものばかりだった。


 だが、なぜ今そんなことをセレン殿下が話すのかが理解できない。


 私が怪訝そうな表情をしたのに勘付いたのか、殿下は薄く笑った。剣先を私に向ける。


「お前が――その力を持て余すのはわかるのだ」

「――?」

「アラン、お前は煌びやかな外見の割に、中身は筋肉馬鹿だ。ミカを愛し、守る――その方が、この平和にむかってゆく国を守る道よりも面白かろう。フレアの貴族界は騎士と言いながら位を上げるたびに政治的駆け引きこそが中心になってゆくような世界だ。騎士団長だとかの責務より、ミカと駆け落ちするほうがよっぽど魅力があっただろう。何よりも誰よりもミカを優先するほうが、たしかに面白かろう、嬉しかろう」


 殿下の言葉に私は息をのんだ。


「和平をこつこつと築くのは、面白くはない。恋をし、女を守るために、自分の力を最大限使って生きるほうが、アランにとって惹かれる道かもしれないが――」

「違いますっ!」


 思わず、私は殿下に言葉を放っていた。


「違う? 何が違うんだ」

「私が……私が、剣を返し騎士位も返上する覚悟をし、美香の元に駆けつけたのは、美香との生活に刺激や面白さを求めたからではありませんっ」

「なんとでもいえるさ」

「殿下……。殿下はフレア国を平和に導いてくださっている。外交を盛んに行い、国内の視察を活発にし……それは私にも誇りであった。ただ美香は、美香には……誰も彼女を一番に考えて守るものがいない」


 私がそう言ったときだった。

 セレン殿下は真正面から剣先を私に向けて突進してきた。

 突くにしても、切るにしてもあまりに隙だらけの殿下の動き。

 

「アラン。……一番の護り手であるお前を失う私の気持ちがわかるかっ!」


 腹から絞り出すような声だった。


「私のことを一番に考え仕えてくれるはずの者が……裏切る。その悲しみを、私が覚えなかったとでもおもうかっ!!」


 私は突き出されてきた剣を長剣ではじいた。剣の持つ重心、要の部分を狙って充てる。

 殿下の手から剣が跳ね上がった。

 けれど、セレン殿下は剣に見向きもせずに叫んだ。


「お前がフレアからいなくなるのは不自然だっ。家柄もよい、顔も花があり、剣技も随一。フレアにとって失くせる存在ではない。だから、近衛騎士団長の位はそのままだし、その剣の持ち主は今もお前だ。お前が仕えるべき者は私であり、王族でありこれからもフレアであろうっ」


 セレン殿下がまくし立てるようにそこまで言うと、いったん言葉を切った。

 ガシャンーー……とはじかれたセレン殿下の剣が床に落ちた。


「――だがっ、だがなっ! 私はもうすべてをゆだねてお前に背をあずけることはできなくなった。サムという市井に現れる中流貴族の男も――消え失せた、すべて消えてしまった!」


 彼の叫びに何の答えも返すことはできない。

 私は道を選んだ。近衛騎士団長ではない、信頼される位置 ではない――その道を選んだのだ。

 殿下の命ではなく、美香の命を最優先にする道を。

 

 誰かを守るということは――他の誰かを傷つけることでもありうる。

 皆に良い顔をできるものでもない。


「殿下――セレン殿下。私はこの授けてくださった剣に値する騎士ではないのです」


 私は剣を落とした殿下の前に立った。

 ゆっくりと剣を振り上げる。

 

 ――亡き母の言いつけを守り、良き騎士であろうとしてきた。騎士の鍛錬を繰り返した。

 ――女性やこども、老いた人に皆に優しく接するように、との遺言だったから、守って来た。


 その言いつけに従う人生は、フレア国の中で誉れ高く、団長の位までこれた。

 たしかにそれも私の選択、私の生き方ではあった。

 けれど、考えなかっただけなのだ。

 私は何も自分のことも、その言葉を残してくれた母の心も考えず――ただ、その言葉に「従って」しまったのだ。

 

 亡き母が言った「良い騎士」とはどのような騎士だっただろうか――?

 母はなぜ、女性を大切にと言い遺されたのか……。それは、ただ柔和に接するという意味っだっただろうか?


 母の意味を想いを考えもしなかった。額面どおりに、皆に柔和に穏やかに優しく接した。こどもの頃の言いつけを思い込みのように守り、大人になってもそのままそれが正しいと思い込んだままだった。

 けれど、美香と出会い、自分が今まで丁寧に接してきたと考えてきた女性たちを実は「傷つけていた」ということを知った。バリーの怒りを招いたのが良い証拠だろう。

 そして、私が騎士として忠誠を誓った「フレア」という国が何をしたのか――何を隠しているのかにも気づき始めた。良い騎士であろうとフレア国の騎士を見習い、鍛え、フレア国が望む騎士の姿を追いかけているときには思いもしなかったことだ。


 私は何も考えずにただ目の前のことに従ってしまったから――本来考えるべき他者の心も背景も、自分が守っていると思い込んでいる国の本質もあり方も――見ているようで見ていなかった。 

 体裁だけを整えて――自分の心を伴わせていなかった。

 


 私は美香と出会った。

 そして美香を選んだ。

 それは団長という地位も今までの暮らしも手放すという選択だった。

 しかもそれは美香自身も望んでいない、暴挙だろう。すべて私の身勝手な行いにすぎない。

 そう、誰に言われたからでも求められたからでもない。

 私は、私が、美香を、美香の命を――失くしたくない。美香の笑顔を失いたくない。

 

 そうして道を選んだときから。

 さまざまな疑問が浮かびはじめた。今までの「正義」について――それが本当に正しかったのか、について疑う――考えることを知った。



 振り上げた剣を一気に下す。

 殿下は私を見ている。見つめている。


 刃を肌に当てぬことも、

 軽い傷を与える程度におさめることも、

 息の根を止めるように切ることも、私にはできる。


 いま、美香を守るために必要なことだけを行う――……。

 それは、殿下を傷つけることになったとしても。


 ――……殿下とは国内さまざまなところを視察した。変装をして田舎町にも出かけた。安い酒場で杯をかわした。貴族が出入りする賭博場に潜入した。剣の打ち合いをして、互いに切磋琢磨した。

 少年から青年へと成長をとげる年月の多くの時間を共にした。

 そのすべての記憶は、いまもなお残る――。

 それでもなお。

 

 

 振り下ろした剣、握る柄から伝わる振動。

 手ごたえを確認しながら、剣の動きを止める。

 王家の者に、切り傷を、与える。生死には関わらぬすぐに乾き治る程度の傷。

 けれど、わざと、一筋の血を流させる……謀反。


「これが……お前の、選択か」


 殿下が笑うような泣くような呆れるような――顔をした。

 少し目を閉じた殿下は、ゆっくりと王の方に顔をむけた。


「――父王よ……。残念ですがこの一戦、私の負けです。ミカを助けましょう」


 壁際に私たちを眺めていた王はため息をついた。


「茶番よのぉ。セレンは気に入った者に情があつすぎる」

「いま打ち合って、剣の技では対抗できないと自覚したので、言いたいことを言うのに変更しただけですよ」

「……まあよい、賭けの結果はでた。アラン、婚約者の娘とやらを連れ出してこい、しばし待とう」


 セレン殿下は私が切った二の腕の部分をもう片方の手で押さえながら、早口で言った。


「はやく行け。どちらにせよ、この部屋には火を放つ。――過去の遺物は、他の国と歩みを同じにしていく上で争いの種になりかねないからな。はやくミカを連れ出してこい」


 殿下の言葉に私は一礼して、宝物庫の扉の前へと身を翻した。

 閂をはずし、扉を両手で開き固定した。

 

「美香――っ!?」


 踏み入れた宝物庫はぼんやりと明るい。だが入口付近には人影はない。奥にいるのかもしれない。


「美香、どこに――」

 

 彼女を探そうと奥に足を伸ばそうとしたときだった。

 背後で、大きな足音がした。

 振り返ると、


「――父よっっ! だめだっ」


という切羽つまった殿下の叫び声が響いた。

 それと共に、開いたままで固定したはずの扉が、しまってゆくのが見えた。


 瞬間、真っ赤な炎が目を奪う。

 鼻に焦げる臭いが一気に届く。


 ……火をはなった!?


 耳に届くのは。


「セレンは、甘い。到来者もそれを守る者も、この死体も、これからのフレアの未来にすべて邪魔だ」


 木枠が燃える音に混じる王の声。

 赤い火と燃料が燃える臭気が押し寄せる直前、扉が完全に閉まり……結界が外界の気配を遮断したのだった。








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