78 月明り 1(アラン)
アラン視点になります
美香を宝物庫に誘導し、扉を閉めた。
すぐさま剣を構えなおし、態勢を整える。
「これで思い存分戦えるというわけか?」
キースの顔をした――おそらくはバレシュ伯の人格と思える者が嘲るように言った。
「お前からは魔力が見えぬ。魔力の器をもたぬ者であろう。真の剣術のみで私に対抗するとは、その意気だけは褒めてやろう」
そう言った瞬間、私の足元でバンバンバンッと小さな爆発が起こる。
音と気配ですぐに飛びのくものの、右ふくらはぎから騎士服がやぶれ熱傷を負った感覚がした。
ヒリッとする痛みは皮膚の一部のみ、裂傷は負ってない。痛覚から状態を判断しつつ、身構えながらも、次の動きに備えを思いめぐらす。
弓や投擲のように物が実際に見えて攻撃してくるものと違い、魔術は見えないゆえに防ぐのが難しい。さらに魔術師の場合、動きを封じても詠唱で攻撃してくるため、口の動きも封じなければならない。
――……距離があるよりも、接近して相手の懐に入ってしまう方がいいか。
判断して、剣を一気に横ぶりしてその勢いで屈んだ姿勢のまま、キースの方へと突き進む。
キースは飛翔して私の剣を交わす。
魔力で宙にのぼる瞬間、キースの身体がわずかに強く発光するのを目に捕らえた。キースが持つ魔力は発動するときに光をまとう性質をもっているのだとわかる。
消費魔力が大きいと、常人にも知覚できるくらいに変化を起こす――これは昔、弟リードが幼い頃に教えてもらったことだった。
魔術師は、それぞれが持つ魔力の特性のためか、強く大きな力を使うとき何かしら自らの身体や周囲に変化させる。
例えばある者は周囲に淡い光を帯びる。あるものは肌や目の色が変化し、ある者は空気にキィインという音を響かせる。そして弟リードは、微かに香草のスッとした匂いをまとわせる。
これら光や音、匂いといった変化は、本当に微かではある。
けれども注意深く感覚を研ぎ澄ませれば、常人にも魔術師の魔術の行使を知覚できるという貴重な情報だった。
光か――…
あの身体のほのかな光が強く濃くなる一瞬をいかにとらえるか。
浮かび上がったキースの身体を見上げる、微かに光がゆらめくのを捕らえ、先に私は廊下の反対側へと跳躍した。
床を蹴った瞬間、床の敷物がジュッと焦げた。
「はははっ、先を読むようになったか、ではこれはどうだ!?」
キースが腕をふりあげると、風がうねってこちらに向かってきた。逃げきれぬ勢いに、剣で防ぐようにして姿勢をかがめる。
「防戦一方ではないか、面白くないぞ」
「面白さは必要ありません」
返しながら、私は片手を服の内にいれ、投針を指にはさみ、瞬時に投げ返した。数本の針がいっきにキースに向かうが、予想通りすぐに風のようなもので跳ね返される。針を跳ね返すためのキースの詠唱の合間が欲しかったのだ。
私はキースが一瞬詠唱を唱える間に長剣を鞘におさめ、騎士服の身頃に腕を差し込む。
キースがぎょろりとこちらを見る。
瞬間、手に馴染んだ双剣を手にした私は、壁を蹴った。
「グワァッ」
私の右腕の刃が宙に浮くキースの脛を裂く。予測していなかった攻撃だったのかキースが呻き、宙から落ちるように床に転がった。
即座にキースの胴を抑え込み、両刃を首にあてて固定した。顎が動けば切れる、ギリギリのところで刃を止める。捕縛する
刹那。
「甘いっ!」
自分の顎がざっくりと切れるのを厭わず、キースが大きく叫び動いた。
顎から首に食い込む刃。瞬時にキースがさらに動き、刃がはずれ――飛ぶ血飛沫。
「死を恐れると思うたか――っっ!!」
キースの身体が強く発光する。
魔力が動く!
私の剣がキースの胸に狙いを定めたその時。
キースの両腕ががむしゃらに動き私の帯剣した団長の剣の柄をもった。
私は肘でその手をはじく。
だがその時キースの眼差しが私を射た。
赤い血が吹き上げる、その中でキースの口が動く。首の血管が、どくんどくんと脈のたびに血を吹き出す。
「アラン様……今なら」
「……!」
キースの口調の変化に目を見張る。
と思うと、キースの頭がぐんぐんと揺れた。口元が今度は歪む。
「なにぉぉ……こしゃくな、儂をおさえ…つ……け、ようと…は……っっ、――アランさ、まっ、今!」
「キースか、キースなのか」
「……こんな……こ、んなふうに……なる、まで……バレシュ伯に狂ってなど……ほしくは……」
「キース!」
「やさし……い……亡き子を……しのぶ……良い……ひ、と……だった……帰れないだけじゃなく……こんなでは……母にも……妹にも顔向けできない……」
「……止めろ、出血がっ!」
「俺ごと……こ、ろ、さねば……。伯の魔力も俺も……まとめて……無に……」
キースの腕がいっきに私の帯剣している剣の柄を引き、鞘から刃を抜いた。
止めることはできた。だが止められなかった――止めなかった。
キースが聖晶石きらめく長剣を振り上げる。
そして、自分の胸に一気に突き刺した。
ゴブッとキースの口からさらに血が噴き出る。
「ぐっ……が……お、の、れ……」
瞬間だけかっと目を開きキースの全身が光る。捕縛の体制をとったが、目を見開いたままキースの動きが止まり、そのまますぐに身体からの発光が消えた。
廊下に微かにのこるは、不規則なキースの呼吸音のみ。
キースの身体からの光が消えたが、闇にはならず、その血にまみれた身体が清らかな光で照らされている。
先ほどキースが割り入って来た窓、そこから光が差し込む。フレアの二つの月の、ちょうど片方だけが窓の方向から淡い光を注いでいるのだ。
その月明りを頼りに血にまみれたキースの傍に膝をついた。
発光が止まった彼の身体。おそらく魔力が消費されていない、キース本来の身体だろう。
「キース……」
呼びかけると、瞼がふるえた。うつろな目が動いたが私の方に焦点はあわない。ただ揺れた瞳が、誘われるかのように窓の月明りの方へと向いた。
「……ぁぁ……」
血飛沫が飛んだ口元が小さく動く。
私は剣をしまい、居ずまいを正し、キースの唇の動きに耳を澄ませた。
「……月は……やっぱり……一つが……いい……、――、――……」
フレアの古語のつぶやき、そして私の知らぬ発音が最後にかすれるように響き――一度大きくガクッ
と全身を揺らすと――キースの身体は完全な静かなるものになった。
彼が最後に見たであろう月の片割れの光が、キースの胸を貫く剣の聖晶石をきらきらと照らしている。
私は、彼の瞼に手を置き、そっとすべらせた。私に出来るのは、それだけだった。
****
キースの身体を貫く長剣。
ここに置いておくべきか一瞬迷ったが、もし万が一、バレシュ伯の魔力何か残っていて動きを見せた場合、この聖晶石がはまった剣を置いておくのは危険な気がした。
土気色のキースの額にフレアに伝わる死者への弔いの印を指で描く。
一礼してから、剣の柄を握り、抜いた。
彼の身体に自分の騎士服の上衣をかける。白いそれも今や赤く染まっている。
騎士位の下のブラウスの袖をやぶり、剣の血糊を拭く。こびりついて取れるわけではない。血を吸った鈍い輝きの剣、刃こぼれはしていなかった。
美香の元に急がねばと宝物庫の前に進む。
閂に手をのばしたものの、一瞬手が止まった。
美香はキースの死を悲しむだろう。そして、これが到来者の顛末なのだと、自分の身の今後に不安も抱くだろう。
キースを捕らえ、王都や王城への攻撃を止める必要はあった。その過程で、私自身がキースを殺して阻止することはありえた。それは私自身予測の上だった。
だがキースは自分で自身を貫いた――……。
バレシュ伯を止めるため――。聖晶石の剣を手にしていながら――それは血にまみれ、死が近づいていたからにせよ――帰還の術を無理にでも行おうとするのではなく、バレシュ伯の怨念のような威力を抑えて自らの肉体の死をもって、暴走する魔力を抑える側になろうとした。
これは、予想だにしていない形だった。
そもそもバレシュ伯が暴れていた理由は、フレア国への復讐。
そのバレシュに拾われたキースはフレア国には保護されないままの到来者。
美香はフレア国に受け入れられているようでありながら――傀儡のように人形のように意見を封じられた者。
――フレア。
私が仕えてきたこのフレアという国は――何なのか。
一度ぐっと拳を握り締める。
まずは美香の身をまもらねば――……そう思ったときだった。
人の気配を感じた。
――衣擦れの音、そして、足音――二人。聞きなれた、それ。
即座に振り向いた。
そこには、ここにいないはずの二人。
「あぁ……これはまたまさしく血の海だな」
呆れたように言うのは――黒衣をまとい、ランプの火を掲げるセレン殿下だった。ランプを持っていない方の手にはなぜか取ってつきの木桶を持っていた。
「セレン殿下! ここで何を……」
そしてその少し後ろから現れた人が、私に声をかける。
「荒くれ者を仕留めたか、ご苦労」
鷹揚に声をかけてきたのは、セレン殿下の父であり――平和のための外交をしくことで誉れ高い、フレア王であった。
「殿下、王! 避難されていたのではなかったのですか? 警備の者は……」
「警備の者は私が下がらせた」
「何ゆえ……。ともかく至急、避難を。たしかにキースの絶命いたしましたが、城が安全な状態かは未確認です!」
「わかっているさ」
セレン殿下は軽く私をあしらうと、私が今閂をはずそうとしていた宝物庫の前に立った。
「ここに用があったのさ――それで、アランもここに用が?」
「……キースとの戦闘に備え、美香をいったんこの中に避難させています。緊急時ゆえの選択ですが、宝物庫への未許可での入室、処罰は受けます」
私が述べると、私の言葉に驚くこともなく、少し肩をすくめた。
そうして、少し王の方を振り返る。
「父上、ここの中に到来者のミカがいるそうですよ」
「ほほう、この部屋に入れたのか。……都合よく機会が揃ったものだ」
王が軽くそう言って笑う。
だがその笑い方は不自然で、私の心になにかよくないことが起こるような胸騒ぎが生まれた。
「……申し訳ございません。後ほど処罰は受けますから、いったん美香をこの部屋から連れだしたいのです」
そう私が口にした時だった。
「ならぬ」
はっきりとした言葉が廊下に響いた。
「閂はあげるな」
「王!?」
疑問を含んだ抗議の声をあげたものの、王は飄々とした表情をくずさず、言った。
「セレン、予定どおり続けろ」
「はい」
王の指示がおりると、セレン殿下がおもむろに片手で持っていた取って着きの木桶の中身を宝物庫の扉にビシャビシャビシャとかけた。
その拍子にその液体の匂いが広がる。
――燃料!
「まさか……燃やすおつもりですか!?」
思わず声をあげると、セレン殿下が私の方を見て「そうだ」と淡々と返事をした。
「悪く思うな……。この宝物庫は燃やす予定だったのだ。ミカがいるのは予定外だったが――……おっと」
殿下が火をうつす前に、セレン殿下の腕をつかみひねり上げランプを奪い取る。
セレン殿下は私の阻止に抗うでもなく、冷めた目で見つめた。その目を見返す。
「さすが皇太子の指示よりも恋人の元へ駆けつけることを選んだ愚か者よの」
横から王が言った。
王もまた感情のこもらない、強いて言えば呆れたような声音。
「王よ……、なぜ、なぜですか!」
――人が……ミカが、この中にいるというのに火を放つ――殺してしまう――何故!
私の抗議この声が廊下にこだまする。
だが、それへの返事は、淡々としたものだった。
「愚かな者だな。理由を問うか。――邪魔だからに決まっておろう」
「邪魔……」
「そうだ。この代々引き継いできた宝物庫も……到来者も。和平を乱すばかり、面倒を増やすばかりじゃ」
王の言葉が、キースの血の匂いと殿下のまいた燃料の臭いが混じった生々しく重い空気の廊下に響いた。




