76 狂宴 7(ミカ)
アランについていくと決心した。
とはいえ、私は明らかに足手まといなドレス姿だし、かといって着替える間もない。
とりあえず上着を借りて羽織り肌を露出しないようにし、靴も歩きやすいものに変えた。スカートはリボンで結びあげて少し裾をあげ歩きやすくした。マーリはどうなっているのだろうと心配したら、ディールがマーリにはアランの館への安否確認に行ってもらってるとこのことだった。
心配しているだろうからとマーリに私が生きていることを伝えてもらうように頼み、私とアランは馬でソーネット家をあとにした。
王都では煙があがってるとこもあり、町中が逃げまどう人や避難する人でいっぱいだった。ディールの家で借りた馬上のアランに横抱きにされた私は、彼にしがみつきながら街の人たちの様々な呻きや嘆きを耳にした。
――キース……。どうして、こんな……。
ただただ苦しい。
とにかくこれ以上被害が広がらないよう、キースを止めなければと思った。
アランは王都の中を進む途中で大通りを迂回し、森の方へと進んだ。王城まで特別な抜け道で駆け抜けるのだ。
限られた貴族や騎士だけが知る特別な通り道を抜けると、王城の外庭の裏に通じる小さな門に行きついた。
王城に近づくにつれて、白亜の城の窓からも煙が上がっているのがいくつか見えていた。門をくぐれば、消火活動が行われているのか水を桶に入れて運ぶ人たちがいる。城は崩れているようには見えなかったけれど、働いている人たちの中には煤けた姿の人や、服が破れている人もいた。
城でも何か大きな被害がでているのは明らかだった。
アランは乗って来た馬を厩舎にいれた後、城で走り回っている数名の騎士姿の人に声をかけてゆく。何か指示をいくつか出しているようだった。話しかけられた人が頷いて、一礼した後、また駆け出してゆく。
幾人かに同様にアランは話しかけ、励まし、指示を出すと、私の元に戻って来た。
「副団長に指示を済ませました。王、王族はすでに見通しの良い広間の方へ避難しています。セレン殿下も王の元に無事に戻られているそうです。いくつか爆発があったそうですが、今のところ死者はでていないらしい」
「よかった」
「ただ、まだキースの姿は確認できていないらしいので、私たちはキースを探しましょう。被害が広がらないうちに食い止めねば」
「うん」
「王城の中は広い。王城の非常用の通路を使い、一気に中心部に入りましょう。こちらへ」
アランに連れられて、城の中の廊下を走り抜ける。最初は使用人たちが行き交っていた廊下も、アランが迷いなく進んでいくと、だんだんと人通りのない場所になっていく。
アランはひっそりとした廊下奥の書庫のような一室に私を連れてはいった。
暗い部屋にランプを持ち込み、アランは書棚をひとつひとつ照らして確認するように見ていく。何かの表示を確認したあと、一つの棚から幾つか本を抜き取った。そして本を抜き取った隙間におもむろに腕をつっこんだ。
ギギッと何かが軋む音が響いた。
アランが棚に入れた腕を上下にうごかすと、ギギギギとさらに音が響く。
音とともに壁に設置されているはずの書棚が横にずれて動きはじめた。次第に、書棚と書棚の間に人が一人通れるくらいの隙間ができていく。
その隙間には小さな扉があった。
アランはランプを掲げ持ちその小さめの扉の前にかがむ。アランの背後から私ものぞいていると、アランはかがんで扉の取っての部分を回した。右に数回、次に左に数回。
どうやら鍵をかねているらしい。
アランがそっと取ってを引くと、扉が開いた。
「暗いですが、空気の通りが悪いので灯りは消さねばなりません。私の手を絶対はなさないでください」
「うん」
ぎゅっと右手を握られて、引かれた。かがむようにその扉をくぐると本当に真っ暗だ。湿ったカビのような匂いがする。
「石造りなのですべります、足元に気をつけて」
扉をくぐると、狭い廊下のようなものが続くのか、アランが私の手を引いて慎重に進んでいく。直進しているようでいて、すこしずつカーブしているようにも感じる。
真っ暗な中で歩いていると、自分がどの方向にあるいているのかわからなくなってきた。
たしかなのはアランとつなぐ手のぬくもりだけで、私は必死になってその手にしがみつくようにながら、足を動かした。
しばらく歩いて、途中でアランは立ち止まる。
「次の扉を開きます」
アランはそう言った。まっくらで見えないけれど、どうやら何か壁を触ってさぐっているようだ。
アランの身動きがつないだ手から伝わる。片手で作業をさせてしまって申し訳ないけれど、真っ暗闇でアランの手を離すことは怖くてできなかった。
ゴゴっと石がすれる音がした。
それからまた何かを引く音。
「こちらです。これから階段です。ずっと上ってゆくことになるので、つま先で次の段をさぐってからゆっくりと進んでください。焦らなくて大丈夫ですから」
アランが優しくそっと言うと、ゆっくりと私の手を引いた。
一段一段、手探りならぬ足探りで階段をのぼってゆく。少し螺旋状になっているところもある。足で感触をたしかめながらのぼる。
ずいぶんと歩き、目が慣れてきてもいいはずなのに、いまだに暗くてみえない。
たった一つ、たしかなものはアランとつないだ手のぬくもりだけだった。
アランは静かなままだけど、私の息がだんだんと上がって来た。
上り続ける階段に、だんだんと私の膝はガクガクしてくる。途中、アランに止まってもらい、ドレスをたくしあげるようにして手探りですそを結び歩きやすいようにして、また登った。
私もアランも黙っていた。
けれど、決してこの空間が静かなわけではなかった。
階段をのぼっている途中、何度も揺れや振動も感じた。
どこかで爆発か何かをしているのかもしれない。
なにか石の階段をたどって響くみたいな音がする。
だんだんと、それが自分の足音の残響なのか、それともこの振動の向こうで誰かが悲鳴をあげている声なのかわからなくなってきた。
ドクンドクンドクン……
心臓の音も強く聞こえはじめる。
けれど、それが自分の心臓の音なのか、なにか爆発音なのか……わからなくなってくる。
幻聴なの? それとも本当に私の心臓がなっているの?
わからない――前も後ろもまっくらで……。なにか遠い振動だけが伝わってきて―――……怖い。
「ね……アラン」
思わず声をかけてしまっていた。
足でまといになりたくない、邪魔になりたくないと思うのに。
なにも話すことなんて思いつかないのに、ただ怖くて、呼びかけていた。
すぐにアランが「なんですか、美香」と返事してくれる。その優しい声音が耳にじんと染みる。
何か話さなきゃと思って、でもすぐに話題がでてこなくて、ふと思いついたことを深く考えずに言った。
「この通路って……他の人は使ってないね。……今、非常時なんだったら、使ってる人もいてもいいのにね」
私の声が暗闇に響く。慣れない長い階段に、息があがっていて、言葉きれぎれになるのに、話す方が気持ちが明るくなった。
アランが「あぁそれは……」と返事をかえしてくれる。それが無性に嬉しい。
「それは……この道は近衛騎士団の高位の者しかしらないからですよ。王族の避難通路は別にあります。ここはまぁいわば、私が王の玉座のある城の中央部に駆けつけるための道です」
アランの返答に驚く。
城の中央部に駆けつける道だなんて……。この通路はすごくフレアの内密な道だということだ。
……それ、私が通ってもいいんだろうか。いや、たぶんまったくよくないだろう。
つないだ手から私の怯えを感じ取ったのだろうか。アランが、ちょっとだけ私の手をつよく握った。
「美香は不安に思わなくてよいのです。おそらく一番安全、かつ確実に王城の内部にいける道はここだと判断したので使ったのは私です。あと――……」
「あと?」
「この道で行きつく先に、キースが現れる可能性も高いのではないかと思って」
「どういうこと?」
王の間につづくところにキースが現れるというアランの考えは、たしかにそうかもしれないけれど、アランがそう考える理由がよくわからない。
「キースは聖晶石にこだわっていました。純度の高い、大きな聖晶石です。団長の剣以外に思いあたるとすれば王の宝物庫くらいでしょう。宝物の中には聖晶石を使った装飾品があるかもしれません。おそらくは数はあまりないでしょうけれど……。ただ装飾品なら団長の剣のように転移を禁ずる魔術はかかっていないでしょうし」
「奪いやすいってことね」
「えぇ。平民であれば王城内に入り宝物庫にたどりつくことの方が困難です。いつも騎士の私が帯剣している方が日常的には目に入る『聖晶石』だと思います。……ただ、今のキースなら、魔術で王城にはいっていける。だとすれば、この聖晶石のはまった団長の剣にこだわるよりも、狙いを他の王族の宝物の聖晶石にかえるのではないかと思いました。私は宝物庫に入ったことはありませんが、近衛騎士に入
りたてに警備についたことはあります。そこを目指します」
目的地を聞いて、少しだけ安心した。
アランはしっかり考えてくれている。私は足手まといにならないように、今はひたすらついていくだけだ。
膝の痛みをこらえて上っていく。
アランの説明を聞きながら、階段をのぼっていく。
「……キースは本当にすべてを壊したいのかな。最初は……帰還するために、石が欲しいみたいだったのに。話しているうちに、王都を王城を、フレアを壊したいって話にすりかわっていったの……」
キースの変化する眼差しや雰囲気を思い出して言葉にする。
アランが励ますように私のつないだ手をもう一度ちからづよくつなぎなおしてくれる。
「……私もアランがいなかったら、フレア国を恨んだり、怒りをもっともっとためてたかもしれない」
「美香……」
「……でも、今はアランのおかげで、前向きな自分でいられるよ」
こう告げられて、心からそう言えて、本当によかったと思った。
キースもバレシュ伯に拾われて、バレシュ伯を慕っていたのかもしれない。だから、バレシュ伯がこのフレアを恨むから……一緒に恨んでしまうのかもしれない。
それだって、莫大が魔術が注ぎ込まれていても抑え込まれていたときは、キースはこのフレアでバラを育てていきようと思い始めてたって言っていた。
それを無理やりこじあげて、バレシュ伯の魔力と魔術を開放してしまったのは――数日前の聖殿の魔術師のキースへの審問を強行したせいだ。
巡り巡ってこんなことになってしまって――……。
そう考えたとき、さきほどダンスを踊っていたときに話せずに終わっていたことを思い出した。ダンスの音楽が終わってしまい、アランに伝えきれていなかったこと。
リードに帰還ができるかもしれないと言われたけれど、それを断ったこと。
帰るつもりはないということ。
アランは私が帰還をのぞめば協力してくれるつもりだったみたいだけど、私が心のそこからアランのそばにいたい、フレアでアランと共に生きようと思っていること。
そう、アランにちゃんと信じてもらいたい。
「ね、ア……」
私が話しかけたときだった。
アランが立ち止まって、手をちょっと握りなおしたので、私は瞬間口をつぐんだ。
「美香、着きました」
「あ……うん」
タイミングがまた悪かった。
「今、何かいいかけて……」
「ううん、急ぎじゃないから」
アランの問いかけに暗くてみえないはずなのに咄嗟に首をふって、言葉をさえぎった。
今は私の気持ちを話している場合じゃない。
まずはキースを捕まえないと。
つい暗闇の中で感傷的になっていた自分が恥ずかしい。目的を忘れてたらアランの足を引っ張ってしまう。
「着いたんだったら、また扉を開けるのかな?」
話題をかえてこちらから聞くと、アランは「……えぇ」と少し怪訝そうな声になりながらも、
「今から開けますね」
と返事をした。
それから先ほどと同じように壁を調べるようにしてから、どこかの壁の部分を押し始めた。
しばらくすると、ガガガッと壁の石がずれる音がして――……。
すっとした空気が入ってきた。壁に穴があいたみたいだった。
「城の中央に通じる部屋のひとつに辿り着きました。少しまっていてください」
アランは壁にあいた穴のところに腕を差し込み、何かを回すしぐさをした。
するとどんどん、穴だった部分が広がってくる。人が通れるくらいの隙間ができて、アランがそこに身を入れる。身体をよじって私の方をむくと、そっと私を包むようにして、壁にひっかからないように腕で守ってくれながら隙間のような穴を通る。
アランの胸に押し付けられるようにしながら狭い場所をごそごそと抜けたとたん、空気の匂いが変わった。湿気のふくんだじめっとしておらず、息がしやすい。花のような香水のような香りまでする。
目を開けると、そこは小窓のある部屋だった。暗闇に慣れた目には、ランプがついてない部屋なのに、うっすらと部屋のようすが見えた。
衣装がいくつもかけられている以外に調度品などがない。
「ここは王の衣装や備品をしまっておく小部屋です。ここを出てもうすこし進めば、王族の方々の居室や宝物庫があります」
「静かだね」
「王族は皆、広間の方へと無事に避難できたとさっき衛兵が言っていましたから、警護の騎士しか残っていないからかもしれません」
アランが私を連れて部屋を出た。
さすが王城の中央部、歩くとふかふかの絨毯に高い天井。アランが付けてくれたランプを頼りに進むけれど、ただの廊下のはずなのに美術館を歩いているかのような豪華な壁の装飾、彫刻などが飾られているのが見えた。
もの珍しくて少しきょろきょろしていたとき、アランが私の肩をだきよせるようにした。
「警備の者がいない。あかりも消している。王族の方が避難しても最少人数は残すはずなのだが……。美香、ランプを頼みます」
アランが廊下を睨むようにしてそう言うと、ランプを私にわたした。それから彼はあいた手で長剣の柄を握った。
ぐっと鞘から引き抜く。
きらめく刃。
アランは重く長いそれをたやすく片手でささえると、もう片方の手でわたし肩をふたたび引き寄せた。
密着した形で包んで守られるようにして廊下を進む。
アランが周囲に警戒しながら歩むのが伝わってきて、私も慎重に前をランプで照らしながら進んだ。
趣向をこらした細工のついた柱や壁の飾りがつづく。手持ちの明かりでこれだけの美しさが見られるなら、日中窓を開けて光が差し込んだ状態で見ればどれだけ美しいのだろうと想像する。
奥に進んでいくと、それまで見た以上に重厚な扉があった。
「ここも警備無しか」
アランが足を止める。
「ここは?」
「宝物庫になります。城にはいくつから宝物をおさめる場所がありますが、ここは王が格別大切に扱っているものを収納している場所です」
「重々しい扉だね」
そう答えたときだった。
突然、自分の胸がグっと圧迫される感覚に襲われた。
息が苦しくなる感覚――それは、聖殿でキースが魔力を暴走させていたときに感じたもの。
「美香!?」
「……あ、らん……これ……キースの……バレシュ伯の魔力……」
苦しい――だけど、どっちに強く感じるのか必死に身体の感覚を研ぎ澄ます。
ぐっとみぞおちを押されるような感じも加わる。強い、きっと近い――なりふり構わず、その圧を強く感じる方向に私は腕を突き出した。
「この先っ! この向こうからっ……」
「窓、つまり外からかっ」
アランはガッと私の肩を掻き抱いたかと思うと、そのまま抱えるようにしてそのまま廊下の脇に身を寄せた。
その瞬間――……私の身体の中の圧が最高に強まる。と、同時に。
バリッ ガッ バリバリバリバリ――ッ
廊下の先の窓の木枠が、木っ端みじんにふっ飛ぶような爆音。
一気に風が廊下を吹き込む。木の粉塵や破片が飛ぶのをアランが自分の身で私を包むようにしてかばう。
「――……また会ったな」
しゃがれた声がした。
ランプの灯りはさっきの爆風で私の手からふっ飛んでいた。
なのに、見える。
広い廊下の中央に立つ、男の姿。
それは、禍々しい靄のような光をまとっている。
――キース……?
思わず心の中で名を呼んだものの――……口に出来なかった。
だって、その靄の光をまとう人の姿のその顔は……目鼻立ちはキースであるのに。
目をぎょろりとさせたその目元も、口元に浮かべた人を見下したかのような笑みも、かつて見たことがない形相だったから。
そして何よりも。
その姿から感じる強い圧力。なにもないはずなのに、その人からぐいぐいと押され、けれど身を掴まれているのような苦しく絞められるような感覚――……。
私の身体の中の血がドクンドクンドクンと脈打ちはじめるような気持ち悪さ。
あぁ……これは、この人は。
「……バレシュ伯」
そう口にすると。
キースであっとその人は、ゆったりと貴族の紳士が貴婦人にするような会釈の礼をとった。
――嘲りのような笑みを浮かべて。




