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75 狂宴 6(ミカ)

 

 キースの消えた空間を私は呆然と見ていた。

 

 ――……消えた。しかも……最後の言葉……高笑い……あれって……


 力が抜けてへなへなと座りこみそうな私を、アランが抱き留めてくれた。

 双剣はすでにしまわれていて、彼は両腕で私を支えるようにしながら立たせた。心配そうに顔をのぞきこんでくる。


「美香、怪我は?」

「あ……あぁ、ううん、私は大丈夫」


 そう答えて、ふとアランの顔を見れば、その額は斜めにざっくりと切れていた。

 血は流れていないものの傷口がひらいて赤黒い血の塊がこびりついている。頬や髪も血や煤や泥で汚れて、アランの方が全身に被害を追っていそうだった。


「アランこそ、それっ」

「この額は血は止まっているので大丈夫ですよ。あの直後、リードに会えて、血止めをしてもらってるので心配いりません」

 

 アランはそう言って微笑むものの、生々しい傷は明らかに痛みそうだった。

 気持ちが苦しくなり腕に力が入る。その瞬間、自分がぎゅうっと今まで抱えていたものを思い出した。

 ――近衛騎士団長の長剣。

 この剣を必死に守っていたというのに、アランが現れキースが宙に消えたという次々に起こる出来事ですっかり頭から消えてしまっていた。

 慌てて私は自分が今まで抱きしめていたものをアランの前に差し出した。


「これ、この剣を、アランに渡さなければと思って!」

「美香……」

「なんとかキースに奪われずにすんだよ」


 微笑んで見上げると、アランは一瞬目を見開いた。それからなぜか、くしゃりと泣きそうな顔をした。


「アラン?」


 剣を受け取ると思ったのに、アランの両腕は私の身体に回された。

 そしてぎゅうっと抱きしめられた。


「アラン、剣を受け取ってよ……」

「少しだけこうさせてください」

 

 そんな風に言って、アランは私がここにいることを確認するみたいに、頭、額、瞼に口づけを落とした。

 くすぐったいくらいの優しい触れ方。背中に回された手がしっかりと私を抱きしめる。

 けれど、アランが私の肩に顔を伏せた瞬間、私を抱きしめるアランの腕が明らかに強張った。さらりと私の首元に触れるアレンの前髪。アランがそれまでよりさらに優しくゆっくりと、私の晒された肩の肌に口づけを落とした。


「……アラン?」

「私に癒しの魔術が使えたらいいのに」

 

 アランが小さく呟くのが聞こえて、今アランが口づけたところが先ほどキースに掴まれたところだったことを思い出す。同時になんだか肩がヒリヒリずきずきすることに気づいた。

 みれば、私の肩に指痕のような青黒い痣が数個できていた。床にころがったせいか細かな傷や汚れもある。

 アランが私をのぞきこむように見る。

 何も言わないのに、アランの瞳から心配や気遣いや悔やみといった私に向けられるたくさんの思いがこぼれ出ているように感じた。

 アランの額の傷にくらべたら、ただの痣でどうってことないのに。


「平気だよ。掴まれた痕とただの擦り傷だし……。それより、幸運だったんだよ? キース、今すごい魔力をもっているのに、この剣は自分の手で奪おうとしてきたから。魔力で奪われていたら太刀打ちできなかった」


 心配そうに見つめてくるアランをなだめるように言うと、アランは心配そうにこちらを見つめてくる。


「手当は……」

「大丈夫だって。それよりも、どうしてキースは魔術でこれを盗らなかったんだろう……」

 

 話題をかえようとしてたずねると、アランは小さく息をついた。


「近衛騎士団長の剣には、持ち主を転移を抑止する術がかけられています。聖晶石に込められた強力な術らしいので、キースに流れるバレシュ伯の力をもってしても剣を魔力で奪うことはできなかったのでしょう……」

「そっか。とにかく奪われなくてラッキーだった。今のキースじゃ、この聖晶石を使って本当にこの王都すべてを壊し尽くしそうだもの」

「たしかに……あのキースは、普段の姿とは違った」


 私は消えたキースの、あの最後の場面を思い出していた。たぶんアランも。

 あの言動は、キースだとは……思えない。じゃあ誰かと言えば……。確実ではないけれど、言葉にするのが怖い。

 私は抱きしめていた剣をアランの方に差し出した。


「これ、どうぞ。アランが手にしていた方がいいものだと思う」

  

 私が差し出した剣をアランは両手で受け取った。

 彼の手に戻った豪奢で美しい長剣を見て、ほっとした。やっぱりキースに渡さなくてよかった。

 わけもなくそう思えた。


 この聖晶石をつかってキースが自分の世界に戻りたいならば……もし純粋にその願いだけだったなら、叶えてあげたい気持ちもどこかにあった。

 異世界に突然すいこまれてしまった不幸――それがわかるから、帰りたいという願いに協力したいという気持ちはある。

 だから、本当にキースが「帰還」だけを願うなら、この剣にはまっている聖晶石じゃなくても同じくらい純度のたかい石を探せないか、手伝えないかなって考えなくもない。

 だけど……。

 あのキースは、明らかに破壊を望んでた。帰還したいから剣を狙ったはずなのに、それ以上の騒ぎを起こしわざわざ破壊を行っている。

 話していたとき、キースだった。

 キースのはずだった。

 だけど、消える直前なにかたくさんのものが揺れて……まるで二重人格みたいに別の人みたいに……。

 彼の十年の怒りがそうさせたのか……それとも。

 あの最後睨みつけられたあの瞳を思い出すと、背筋がぞわりとした。

 

 ――あれは、放っておいたら駄目だ。



「キース、どこかに移動したんだよね」

「……おそらく」

「すべてを壊したいと言っていたし、止めないといけないよね……でも、どこに……」


 そう呟いたときだった。

 一瞬、なぜか納屋の扉のむこうに見える夜空が明るくなる。

 

「えっ?」


 と思った瞬間だった。


 ドォォォンッーー……ドオォンッ


 大きな爆発音が響きわたった。

 アランがはっとしたように顔をあげ、一部が赤々と明るくなっている夜空を睨んだ。


「あの方向――王城かっ!」


 鋭いアランの声が響いたのだった。



 *****



 納屋から駆け出した私とアランは、ソーネット屋敷の広い園庭で救護や避難の指揮にあたるディールの姿が見えた。


 煤けた姿の男女、仕える人、使用人――……。怪我をおったり、破れた衣服をひきずった人が、園庭に布で仕切られた救護の場所に行き来し、座りこんだり、泣いたりしている。身体の元気な者は水をはこんだり、まだ崩壊していない建物から荷を持ち出したりと忙しく働いている。

 ディールは無事だった執事や使用人たちに指示をとばし、建物内に残された来賓がいないかの確認や他の貴族の屋敷の安全確認などに奔走しているようだった。


 私とアランの姿を認めたディールは、驚いた顔をした。


「アラン、何をしている! セレン殿下はすでに先に王城にむかっているぞ!」

「キースを追っていたのです。美香を剣ごとさらっていきました」

「キースだと! あいつを捕えたか!? あいつが聖殿から逃走し、この騒ぎを起こしたことが報告されてきたばかりだ」


 ディールが憎々し気にキースの名を呼んだ。

 アランは首を横に振って否を示した。


「キースは逃げました……。追い詰めましたが、バレシュ伯から継いだ魔力を使い、消えました」

「消えた!? まさか、禁術の転移を……」


 アランが頷くと、ディールはいまいましげに眉をひそめた。


「単独行動でこれだけを起こすとは……力がはかりしれないな」

「被害状況は?」

「キースは聖殿の結界から逃走する際、多くの魔術師達を昏倒、幻惑した。怪我人もでている。キースはその後、ソーネット家に潜入、おそらく背格好が似ているからだろう、夜会のための臨時雇用の男性使用人が制服を脱がされ縛られた状態で見つかっている。ここまでは死者はなし」


 ディールがそこで腕を組んだ。


「だが、その後、先ほどの地震だ。地震はこのソーネット家周辺が大きく揺れている。同時に王都の貴族の屋敷の各所で原因不明の爆発音とともに火事も発生している。当主が今日の夜会の来賓だった場合も多く、今、安否確認や指示連絡の統制に手間取っているところだ。……地震の被害状況は、夜が明けてみないと正確にはわからないのが正直なところだが。同時に多発した、王都全体の爆発やら火事、その他全体でみれば、おそらくは死者もでている。ここは鎮火したものの……まだ王都は……」


 そこで言葉を切ってディールが夜空を仰ぐ。

 本来なら星がよく見えるフレアの夜――……。

 なのにぼんやりと空の各所が赤い。

 胸がきゅっと縮こまる気がした。

 しばし流れた沈黙に、アランがディールの方に向いた。


「先ほど王城の方向で爆発音がしました」

「あぁ私も聞いた。お前は王城にいかねばならない。……地震の原因は、まだ正確には判明されていない。だが、聖殿からの逃走、夜会のタイミングでソーネット家を中心に揺れる地震。キースの中の魔力が引き金か、原因と考えられる。 騎士団長として王城を守るのと同時に、ソーネット家の者としてキースを必ず捕らえねばなるまい」


 ディールの言葉にアランは頷いた。それからアランは私の方を見た。

 

「……美香はここにいてください。王城は危険だ」

「アランっ!」

 

 思わず抗議の声をあげた。


「キースは到来者だよ? 何か役立つかもしれない、私も連れて行って……」


 アランが首を横にふる。


「キースはすでに常軌を逸していた。連れていけば何が起こるかわからない――」


 そういうアランに私がもう一度「でもっ」と言いかけたときだった。


「ミカを連れていった方がいいですよ」

 

と背後から聞こえた。

 振り向くと、リードが立っていた。

 眼帯をしたまま、片方の目で私とアランとディールに順に眼差しを向けた。

 そして最後にまた私の方を向く。


「ミカはキースから微力ながら魔力をもらっている。キースの居場所を辿れるはずです」

「え……」


 リードの言葉に困惑する。私はキースの居場所なんて全然わからないからだ。


 ――辿るって、どうやって?


 戸惑いの気持ちが顔にでていたのか、リードが少し顔を傾けて「今のミカにはわからなくて当然です」と言った。

 リードの言葉はアランやディールにも不思議だったのだろう、ディールが横から

 

「どういうことだ?」


とたずねた。


「バレシュ伯は巧妙だ。キースやミカに流し込まれた元バレシュ伯の魔力、そこに掛けられた魔術というのは、非常時に発動するように組み込んでいるんですよ」

「非常時?」


 ディールがリードに問いかけると、リードはおもむろに自分の眼帯をはずした。

 驚いて彼の所作をみていると、眼帯をはずしたリードは顔をあげると両目で私を見た。

 彼の目が私を射止める――……身体がピリッと固くなった。

 リードの両目が私の中に食い込んでくるように感じた。

 目をそらしたい、だけど、できない!

 

 ――い、や……


 心がギュっとなった。


「リード!」


 アランがリードを制止しようと腕を伸ばしたときには、ふっと私の身体の力が抜けていた。

 座り込みかけた私をアランが支える。


「リード、何をしたっ」

「特別なことは何も」

「眼帯をはずして見ていたではないか!」

「見ただけです。見ただけですが――……強いていえば、目を見せて、恐怖を思い出させました」


 リードが淡々と言った。

 恐怖――……眼帯をはずして両目で見つめる、恐怖。

 それは――……私が記憶をこじ開けられた審問のときの恐怖の記憶。何か存在を揺るがしてくる、侵入されるような恐さ。


「恐怖、生存をおびやかされるような危機感、苦しみ――……その想いが、普段は心の奥にひそませ蓋がされているバレシュ伯の魔術の起動のきっかけとなるようです。つまり穏やかにくらしていれば――……少々の喜怒哀楽くらいでは開かれず、古語を話せるだけの穏やかな術が静かに微量に流れているだけなのです」


 リードが静かに話した。


「今、私は審問のときの苦しみをミカに思い出させました。今、前にキースが聖殿で魔力を暴発させていたとき、息苦しさを感じたでしょう?」

 

 問われて頷くと、リードは続けた。


「今、ミカは聖殿で感じたような圧迫感や息苦しさをバレシュ伯の力が動く方向に感知できるはずです。もちろんある程度近づけばの話ですが」


 説明するリードに、アランが少し首を横に振った。私を支える腕に力がこもる。


「王城の状況は不明だ。美香を連れて行くのは危険だ! キースを追って捕らえるのに美香を使う必要はないだろう。私を含め、騎士で追えばいいだろう!?」


 アランが言うと、リードはじっとアランの方を見つめた。


「キースがキースのままとは限らない。このソーネット家にだって潜入できたでしょう? なぜ誰も気づかなかったんです? 服装は使用人のものに着替えていたようですが、ふつう気付くでしょう……きづかないということは目くらましの魔術もかけていたのかもしれないし、禁術で点々と移動したのかもしれない」

「……」

「魔力をどう用いてくるかわからない。キースはもう元の”キース”だと思わない方がいい」


 リードの言葉に、私は息をのんだ。


 ――キースだと思わない方がいい。


 それは、先ほどの消える直前のキースが「キースでないように感じた」ことに重なったからだ。おそらくアランも同じことを思い出したんだろう。

 

「ミカに流れる微量のバレシュ伯の魔力。それを辿る方が、確実です。存在そのもので感じとるのですから。……必ず連れていくべきです。アラン・ソーネットが騎士団長としての役割に動かねばならないならば、私がミカの護衛についてもいい」

 

 リードがそう言うと、ディールが横から「今はまだリードはこちらを離れるな。魔力で制してもらわねばならないものもある」と口を挟んだ。

 それからディールがアランに向いて言った。


「リードがここまで言うんだ、ミカを連れていけ。こちらが片付けば後からリードを城に向かわせるから」

「アラン、私もついて行かせて! 足手まといになるかもしれないけれど――……キースは異世界から来た。私も何かの助けになるかもしれないし、リードの言うようにバレシュ伯の魔力でキースの居所がわかるかもしれないから……連れて行って!」


 アランがつらそうに眉をよせたので、私はもう一度「お願い」と言って彼の腕を掴んだ。

 視線が合う。

 私は強く頷いた。

 私の目をしばし見つめたアランは息をついた。


「……わかりました」


 私を支える彼の手にギュっと力がこもった。

 まるで守ってくれるかのように。

 


 


 

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