74 狂宴 5(ミカ)
地響きと大きな揺れを繰り返し、悲鳴と怒号、人が押し合いへし合い逃げ出すソーネット家本家の屋敷。つい先ほどまで夜会が優雅に催されていた大広間から抱えるように引きずり出され、そのまま大きなブランケットに頭からくるまれたかと思うと、抱きかかえられる。
暴れてもびくともしない無言の相手。脳裏に何度もフラッシュバックするアランの額から飛び散った赤い血。
崩れ落ちる屋敷から逃げまどう人波にのまれるようにして屋敷から押し出される。暗い庭、被されたブランケットの隙間から、暗い夜空が赤くなっているのが見えた。
――火だ! 地震だけじゃなくて、火事も起こっているの?
アランっ、アランっ、どうか、逃げて――。
すぐさまブランケットの隙間がとじられ、抱えなおされ動きを封じられ運ばれる。
やっと解放されたのは、屋敷のどこか片隅なのだろうか。それとも別の場所なのだろうか――……。わからないけれど、とにかく使用人が使う小さな納屋にまで連れていかれたときだった。
暗闇とはいえ空が赤くなっているせいか、うっすらと見える小さな戸。そこを蹴るように開けて納屋の奥に放り込まれた。少し遠くで馬車がひしめきあうような音がする。興奮した馬のいななきや、救助を求めて叫ぶ人の声も。
戸が閉められ、すぐに暗闇になる。
放り込まれた拍子に躓いた私は、床に転がるようにしながらも暗い納屋の中で私はギュっと長剣を抱きしめた。そしてなんとかずりずりと上体を起こして座りこむ。
私を抱え連れてきた者の大きな影がごそごそと私のそばで動く気配がする。私は歯を食いしばり、少しでも後退りして距離を保とうとした。
何かを擦る音がした。
ほわりと暗闇の納屋の中に小さな灯りがともり光が差した。
瞬間、その火を灯した者の顔が見える。
「どうして……?」
そう言わずにいられなかった。
「……なぜあなたが」
思わずつぶやいた私を、蝋燭に照らされた瞳が淡々と見ている。
黒い瞳。
目の前にいたのは――キースだった。
キースは聖殿で眠らされているとリードから聞いていた。
リードや他の魔術師達の厳重な結界に封じられていたはずだ。
なのに今、キースはソーネット家の使用人の服を着て髪の色を茶に変えてここにいる。
倒壊していく建物の中を駆け抜けたせいか、キースの服はあちこちが破け煤けている。けれども、そのキースの服は先ほどの夜会の時のいつもより少し上質な使用人の衣装に間違いなかった。
「どうして? どうしてキースがここにいるのっ!?」
混乱して叫んだ私にも顔色を変えず、無表情のまま口を開いた。
「バレシュ伯の力を使い切るために」
「え?」
意味がわからず咄嗟に聞き返した私を見つめたまま言った。
「バレシュ伯は、最後の力を注いでくれたんですよ――……死ぬ間際に」
「力って……」
「魔力です。俺の中に注ぐ魔力の中に、いろんな仕掛をしこんでおくから、と。あとは純度の高い聖晶石が手に入れられるならば、ミシェルを愛してくれた人の元へ帰ることができるだろうと言って、死んでいきました」
「帰る? 帰るって、まさか元の世界に……」
私の呟きにキースは頷いた。
「そうです、元の世界ですよ。たぶん、あのリードとかいう魔術師も、バレシュ伯の研究に気付いたんじゃないですか? 相当な力の持ち主のようだから――帰還の魔術式そのものはバレシュ伯の手によって仕上がっているのですよ。あとは実行に必要な石をそろえるだけ」
キースは静かにそう言いながら、蝋を少し地面にたらし、乾く前に蝋燭をたてる。
安定した小さな灯りによって、キースの顔が先ほどよりはっきりと見えた。
よくよく見るとキースは目がくぼみ、頬がこけ、見たことがないほどに顔色が悪い。
「実のところはね、先日ソーネット家当主の部下たちに捕らえられ聖殿にひっぱってこられ、魔術師の一人がなにか頭の中に無理やり意識を突っ込んでくるようなことをするまでは、俺もあんまり自分の中に魔力の流れがあるって実感したことがなかったんです。ミカ様に古語を話せるようにと微量の魔力を流した、あれくらいがせいぜい実感できる”量”だった」
私の横に腰をおろしたキースは蝋燭の火を見つめている。
「でも、聖殿のあいつらが俺の中に意識をつっこむような、俺の中身を暴き出すような魔術をかけた瞬間から、俺の中で何かが目覚めた。自分の内部から爆発するような感覚です。たぶん、この熱く湧いてくるものが、バレシュ伯が流してくれた魔力なんだ」
「熱く湧いてくる……?」
「とにかく願って動けば、何かが起こるんです。聖殿の結界も”視たい”と思ってちょっと目に力をこめると視えるんですよ、俺を閉じ込めようとして張った結界の光る糸みたいなのが、どこをどうほどけば網目に穴があくのか……魔術の隙間みたいなのが、見える。大地を揺らし、何かを破壊したいと思えば、そこに流れる魔力の流れをどう利用すればいいか力を探ることができる。見えないはずの何かに触れて動かしことができる。」
「まさか、あの……地震も……屋敷の倒壊も……」
「そうです。俺は魔術なんてしらないし、術を使うすべもしらないけれど、バレシュ伯はその術式を組み込んだ魔力をながしこんでくれたんでしょうね。これがバレシュ伯が死に際に伝えてくれた仕掛ってものなのかもしれない。だから俺が念じれば、大地も動くし揺れるし、物が壊れ、風が空を切っていく」
「そんな……」
あの大きな揺れ。ソーネット家の立派な屋敷が崩れていくくらいの、揺れ。
地震じゃなかったの?
本当にキースがわざと引き起こしたっていうの?
じゃあ――……あの、アランの怪我は。アランに直進で何かが突撃した……あの風の刃みたいなものも、キースがした技ということ?
私の脳裏には、さっきのアランの額から散った赤い血しぶきと金の髪がこびりついている。
「……アランを攻撃したのもあなたなの?」
「風の塊のことですか? そうですよ、出どころは俺です」
「アランはあなたに何もしていないでしょう!? なのに切りつけたの!?」
「あの人にその長剣が戻ってしまっては、この騒ぎを起こした意味がなくなる。風の塊をぶつけて怪我させただけですよ。あれくらいで死にはしないでしょう」
「なっ……」
怪我だけと軽く言い切ったことにも、キースの狙いにも絶句した。
自分が抱きかかえるアランの剣――それが一気に重みを増した気がした。
この剣――近衛騎士団長の長剣、これを狙って騒ぎを起こしたっていうの?
「バレシュ伯が亡くなった後、しばらくして若い金髪碧眼の騎士が近衛騎士団長に就任しているとの噂を使用人ききました。殿下と各地によく視察に回っていたでしょう。バレシュ伯の領地の近くの騎士分団にも来たんですよ……」
「え……」
「若く美しく有能な騎士の剣技を見てみたいと、使用人たちの何人かが見物に行くというので、私もまぎれてついていきました。まさかそこで、素晴らしく純度の高い聖晶石と出会うとは思ってもみませんでした。俺は聖晶石の純度なんてわからない。なのに、その剣にはめこまれたものを見た時、瞬間これだと直感した。亡きバレシュ伯が導いてくれたのかもしれない」
剣を抱く腕に知らずしらずのうちに力がこもった。
キースはけっこう長くアランの館につとめていたはずだ。
じゃあそんな前から? 最初から、これを狙っていたの?
「純度の高い聖晶石がはめ込まれた剣。その剣を例年になく年若い者が団長に就任しているなんて幸運でした。アラン様は別館住まい。使用人たちもこの本宅ほどに経歴や経験値を問われない。バレシュ伯の庭師だったことにして、バラを細かく扱えることを言ったら、アラン様の館にすんなり入れた」
「……そんな……」
「でも勤め始めても、庭師の身分ではまったく剣にもアラン様にもそばに寄れなかった。庭師の立場で団長の剣を手に入れるなんて、なかなか無理な話だと後から気づきました。でも、他に行く当てはないし、別の聖晶石のあてがあるわけでもない。バレシュ伯を継ぐ者といわれる魔術師リード様がアラン様の弟にあたるし、情報収集を兼ねられるかもしれないと勤め続けていた。まさか……異世界からの到来者が、そのアラン様の庭に落ちてくるとは、俺も思いもよらなかった」
キースは淡々とそう言った。
それから、彼は剣を抱きしめて座り込んでいる私をかがんでのぞきこむようにして見た。
「その剣を渡してください」
「これを使って、帰るつもりなの? キース、あなたはアランやグールドや他のみんなを騙してたの? 剣を奪うために、あそこに勤め続けて……狙い続けていた?」
裏切られたような哀しみが胸にせりあがってくる。
「ぜんぶ嘘だったの!? 偽りだったの!?」
キースに自然と詰め寄っていた。
声を上げた私にキースは小さく小首をかしげた。
「偽り……ですか。では聞きますが、ミカ様は本当の自分なんて、ありますか? どれが本当でどれが嘘なのかなんて自分で本当にわかってますか」
「キース……」
「私はわからなくなった。昔は……母と妹と暮らしていたあの頃は、嘘なんかなかった。俺は俺、だった。でもここに来て――自分がわからない。断ち切られた過去、戻れないあの場所。じゃあ、ここにいる自分は何だというんだ? 過去と今がつながっていないのに、俺はどうやって生きていったらいいんだ?」
「だから帰りたいの? 帰るためにこれを奪うというの? 怪我させて、破壊して……」
私がキースを見つめていると、キースは地面に目を落とした。
「帰りたいと思っていました。でも、アラン様の館に勤めてみても聖晶石には近寄れない。だから……諦めていた」
「……」
「バラの手入れをして、穏やかに暮らしていくのも良いのかと思い始めていた。ミカ様が落ちてきて、微量ながらなんとか力も注げた。バレシュ伯の残してくれた力を誰かの役に立てた。俺がここに……ここに来た意味もすこしはあったのか……もうそれでいいか、ここで骨をうずめるかと、近頃は思うようになっていた」
小さくそう言った。
そのままキースはまたしばらく地面を見つめた。
私も何もいえなくて、ただ蝋燭の火だけがゆらゆら揺れて、私たちの影をもゆらしている。
つかのま沈黙がただよう。
その静けさを破ったのは、キースの肩の震えだった。突然、うつむき加減だったキースが震え出した。
「キ、キース?」
見ると、キースは……笑っていた。肩をゆらして。
「どうして……なにをわらっているの?」
キースは肩をゆらし、声を「はははっ」と出して笑い始めた。
「ははっ……はっ……ミカ様……俺はね、帰りたかった。帰りたかったけれど、まぁいいかと、そう、諦めて区切りはつけていたんですよっ! なのに、今になって、あいつらが……貴族が俺を連れ去り、無理やり魔術師が俺の中に注がれていた力の蓋をこじあけたっ! 今さらだっ! ははっはははっ!」
キースが高く笑う。
「キース!?」
「帰るつもりはないんですよ、あるわけない、帰れるわけがない……ははっ」
笑いながら、肩を震わせながらキースは私をみた。
「帰る場所なんてどこにあるんです? 十年! 十年です!」
「っ……」
笑っていたはずのキース、なのに一瞬黒く強い瞳が私を射抜いた。
「俺がいなくなって十年! 故郷はまだ私の故郷でいてくれるだろうか? いや、無理でしょう……恨まれるだけだ。男手が消えて、困り切った十年を送った家族に今更会えるわけがないっ。下手すれば貧しく食えず野垂れ死んた母と妹のむくろを見ることになる!」
全身からの叫びに、その激しさに圧倒された。けれど、アランの剣をぐっと抱きしめて私は湧き上がる疑問をキースにぶつけた。
「じゃあなぜ! なぜ今更だと言いながら、こんな壊し方をするのっ!」
「復讐だ!」
私の叫びに間髪いれずキースは声を上げた。
「バレシュ伯は私には優しかったが……フレアのことは憎んでいた。多大な魔力を持つことで妬まれ、ありもしない禁術を使った罪をでっちあげられ追いやられ――……その実は、フレアにとって都合の悪い真実にいきあたりそうになったばっかりに、隠遁生活を強いられた! そう、バレシュ伯の復讐です、この国への! その剣を……聖晶石をわたせっ! それを使ってバレシュ伯の魔力でもってフレアの王城を王都を破壊する!!」
「何を言っているの!? あなたはバレシュ伯じゃない、キースでしょう! 復讐の肩代わりをする必要なんてないっ!」
「だが、この流れる魔力は伯のものだ!」
無茶苦茶なことを叫んだキースは、突如私に腕を伸ばしてきた。
逃げ場所なんてない。
私は剣を奪われまいと抱え込んで身体を丸くしてキースの腕を避けようとした。
「よこせっ!」
「いやっ!」
かつてない荒々しさでキースが私の肩を押しのけ剣の柄に手を伸ばしてくる。のしかかられ力を込められた肩に痛みが走ったけれど、必死に身体を丸くした。
駄目だっ、この剣を――聖晶石を今のキースに渡したら、ただただすべてを破壊することに使われてしまう――!
ドレスから剥き出た肩、生身の肌をギリッと掴まれる。食い込むキースの指に。嗚咽が漏れそうになる。必死に歯を食いしばり剣を抱きしめる。
キースの身体の重みがさらに私にのしかかってくる。納屋のささくれ立った木の床に押さえつけられる腕が脇腹が痛い――怖い。だけど、必死に抵抗する。からだを丸め込んでキースの腕をさけようと身体を丸めながらもがくようにしてキースの腕を拒む。
私とキースの動きが風をおこしたのか、蝋燭の火が消えた。
納屋はまっくらになった。
キースがいら立ったようにさらにぐいっと強く肩を床に押し付けてきた。もう片方の腕で二の腕を掴まれた。無理やりにひねられた二の腕が悲鳴をあげる。剣を抱く腕の力が弱まった瞬間を狙ってか、剣の柄に手を伸ばされる。
だ……め……
もう駄目だ、そう思った一瞬。
私にのしかかるキースの背後、納屋の扉が――……バアァァァンッと吹っ飛ぶように、開いた。
暗闇の納屋に一気に光が入る。
息をのむ暇もなかった。
扉から飛び込んで来た何かが、私を押さえつけていたはずのキースを背後から拘束したと思った刹那、キースの身体が納屋の隅に投げ飛ばされる。
のしかかるキースがいなくなりふっと身体が軽くなった瞬間、私は剣ごと抱き上げられ、強く強く抱きしめられた。
「美香……美香、生きてて……良かった」
苦しいほどに胸板に押し付けられ、抱きしめられる。私の肩に顔を埋めるようにして何度も何度も私の名を呼ぶのは――アランだ。
けれど、私がアランと呼びかける前に、納屋の隅でガタンと音がする。
見れば、アランが床に置いたらしきランプに照らされて、ゆらりと起き上がるキースがいた。
瞬時に私を抱きしめていたアランの腕が動き、私をキースからかばうように自分の身体をキースの盾にして私を背後においやる。
「聖晶石をよこせ……」
うなるようにキースが言った。
思わず肩がすくんだ。
聞いたことがないほどの地の底からの呻きのような濁った声。そこにただよう、只ならぬ気配に肌が粟立つ。
キースが少し顔を傾けた。
シュッという音がした瞬間、私をかばうアランの片腕が私を脇に押してアラン自身も上体をそらした。ガッガッガッと脇の納屋の壁に何かが突き刺さる。目をやれば壁に釘のようなものが刺さっていた。
先ほどのキースの言葉がよみがえる。願って動けば、何かがおきる――起こすことができる。
納屋に落ちている鋭利な釘も、首を少し動かし念じるだけで飛ばせてしまうんだ。アランは咄嗟に気づいて庇ってくれたけれど、次は何がくるかわからない。
キースの姿に目をこらす。
アランに対峙するキースはバラを扱っていたかつての彼とは程遠い。
目がくぼみ、険しく暗い顔つきでこちらを見ている。
「……よこせ、石の力で…王城を壊してやる」
またキースからしわがれたような言葉が発された。
アランがかちゃりと自分の衣服に手をやるのが見えた。――双剣を出そうとしているんだ。バリーとの戦いの最後、彼はたしかいつも服の内側に身に着けている双剣で戦っていた。
間合いを取りながらアランがさっと自分の服の脇から手を差し込み――引き抜いたときには、彼は身をかがめキースの前まで飛び込んでいた。早い。
両手の剣がキラリと光ったと思ったら、瞬く間にアランの両剣がキースの首の前で交差している。
「キース、やり過ぎだ。今、多くの者が傷つき手当を受けている。死者もでているだろう」
キースに詰め寄ったアランが低くそう言った。
するとキースがぐわっと目を見開いた。
「……フレアがしてきたことに比べればこんなものっ……。壊してやる、王都も城も、国も……みんな壊してやる!」
そう叫んだ途端――……アランの剣で止められていたはずのキースの首元が――その身体が、ゆらゆらとゆらめきはじめた。
「っ!」
アランも私も目を見張る。
キースの身体が溶けるように――……見えなくなっていく。
「……キースっ! 貴様……それはっ……禁術かっ」
アランが大声を出した。
その声をかき消すようにして、不意に高笑いが納屋に響いた。
溶けるように消えていくキースの身体の方向から声だけが響いてくる。
しわがれた声の――笑い声。
「はははっ……あーははははっ、禁術? フレアの禁忌!? 誰が決めた禁忌だっ!」
溶けてゆく。
空気がゆらゆらと揺れて、そのゆらめきの中にキースの身体が溶けていくかのように。
ただキースの顔が、その目がカッと開かれた。宙に目だけがぎょろぎょろと残りこちらを向いている。
「転移の術が禁忌など、ただのフレア国の戯言ぞ! 世界を渡るわけでもなし、ただ肉体を気に溶け込ませて瞬時に別の場所に送り出す、ただそれだけのこと。そんな簡単な転移すらを禁術扱いするフレアの狭量なこと! 低能集団よのぅ!」
「……キ、キース?」
「フレア国にはそれだけの魔術をできる者がいない。私がもつような魔力の半分すら持つものがほとんどいない――持っていないから、おのれらが出来ぬことを禁忌にし、縛っておるだけのこと! だが、今の儂にはもうそんなフレアの戯言は無意味じゃ――……あーはっはっはっはっ」
空気に眉が溶け、瞼がとけ、目玉だけ浮かぶ、その黒目が私とアランを見た。
「その剣の石など、もうよい。この力、この身体があれば、もっと都合のよいものを集められる。そして壊すのだ。すべてを壊してやろうぞ」
高笑いだけが響いて。
キースの身体は、消えた。




