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08 戸惑い 2 (ミカ)

7戸惑い-1に続いて、ミカ視点です。

 


 部屋を抜け出した私は、柔らかな絨毯が敷かれた廊下を抜け、ランプをかざして階段の横の目だたない扉を探し、そっと開けて身をすべりこませた。

 もちろん開けた扉をしめるのは忘れない。

 すると、そこは絨毯もなにもない、石と煉瓦と木がむき出しの狭い階段が続いている。ここは使用人たちが利用する階段であり、通路がはりめぐらされている。

 私はそこをいっきに駆け下りた。


 この館の驚くべきところは、貴人たちが利用する豪華な壁と絨毯敷きの廊下の他に、使用人たちが利用する裏通路というのが存在するところ。

 もちろん隠されているわけじゃなくて、使用人たちが仕事を行うために使う通路として、ちゃんと主人アランも執事グールドさんも把握している。


 たとえば、使用人の洗濯係が私やアランが着たドレスや服を洗うためにあつめてくれた後、その洗い物が入った大きな籠を運ぼうとしたときに、ふだんアランや私や執事、侍女が利用する廊下は絨毯がふかふかでは歩きづらいし、いつご主人様やお客さまが通るかわからないのに、ドタドタ走るわけにもいかない。

 だから、こういう裏側ルートにすべりこんで、階段を上り下り(荷物をすべらすスロープみたいなのもついてる!)したりできるようになっているのだ。


 この裏ルート(って私はひそかに呼んでいる)は、アランはもちろん、執事、侍女は利用していないようだった。

 この世界は、身分制度というのがはっきりしている。観察していると、この裏ルートを通るのは洗濯係・掃除係・食事係・新人メイド・庭師・伝令係の役職あたり。

 正装ブラウス着用の執事グールドさん、地味な色目とはいえペチコートをはいて裾が広がったスカートを身につけている侍女たちは、この通路を利用しているのをみたことがない。

 そんな暗黙のうちの了解みたいなものを私なりに嗅ぎとって、私もドレスを着ている昼間は通らないようにしている。


 階段をおりると、狭い踊り場に木製の簡単な棚とハンガーがある。

 そこには、新人や見習いの使用人が最初の頃に渡される共用のスカートやズボン、シャツやエプロンがある。

 正式に雇用されると、各自自分の制服(?)みたいに支給されるみたいなんだけど、最初のうちは借りられるっていうわけ。

 私はその一枚をかりて、手早く寝間着からシャツとスカートにはきかえて、ジャンパースカートみたいになったエプロンを着る。洗濯係の見習いの姿だ。

 脱いだものはたたんで棚におき、さらに、階段をおりる。


 ここからは、半地下となる。

 この先にある、館の裏側の半地下に広がる大部屋は、アランはじめ、よほどの用がないかぎり執事のグールドさんもたずねない場所のようだ。逆にたずねられてしまうと使用人たちは恐縮する空間なのだと思う。


 今は夜だから暗くて当たり前だけど、昼間だってほとんど日がさしにくいこの半地下が、使用人部屋につながるというのは、正直、こちらの異世界に来て最初はなじみにくいものだった。


 「身分」がはっきりしている世界の中で生きるのは、私のように「日本」で庶民として生きてきた自分は、ときどきどうしようもなく苦しくなることがある。

 私は元の世界でアルバイトをしてたけど、バイト先では使われる立場でも、仕事先を出れば誰かに命令されるという立場にはなかった。

 でも、こちらでは、身分というものがあって、仕事先だから……ということじゃなく、身分が違うからということで、住む場所も暮らしも変わってくるみたいだった。

 あくまでこの館内で感じたことだけだけど。


 アランは使用人たちに威張った態度をしたことがないし、グールドさんもマーリもメイドにつらくあたったりしないものだから、私はこちらの世界に来た当初はあまりよく身分制度についてわかっていなかったし、ほとんど気付いてもいなかった。


 だけど、以前、伯爵令嬢のレイティという女の子がアランの不在にこの館にきて「この女(つまり私…)の教育がなっていない!」と怒り出したときに、私はつきつけられたんだ。

 10代前半のように見えるその女の子が、相手が自分より年上だろうがなんだろうがかかわりなく、とにかく見下げるようにあざけるように怒鳴っていて……。

 しかも理不尽きわまりない内容なのに、それをここの使用人が誰も止めずに聞いていて……。 まるで、嵐が過ぎ去るのを待つかのようだった。

 それは、暴言を吐き続けるレイティ嬢の姿を、あきらめ半分とはいえ、受け入れているように見えたんだ。


 あぁ、立場がちがうってこういうことなんだって、初めて付きつけられた気がした。

 「身分が違う」となったら、いくら理不尽でも反発できない状況ってあるんだって。

 もうどうしようもなく、ここが異世界で価値観が違うってつきつけられて、怖くて哀しかった。


 そして同時に、私も落ちた場所や、拾ってくれた人によっては、今、どんな状況で暮らしているかわかったもんじゃない……と考えさせられた。

 身分の差によって暴力ふるうのが常な人もいるかもしれないだろうし、異世界から落っこちてきた私を「人」として扱ってもらえてたかすらわからない…。


 本当にアランに拾ってもらえたことは、ラッキーなことだったんだ……と思ったし、今も本当に感謝している。

 人を人として扱ってくれたこと、この世界のことを何も知らない私を出来る範囲で保護しようとしてくれたこと……それは本当に幸運だったんだ。


 だからアランには、もう私のせいで恥をかいてほしくないって心から思っていた。

 私はこの世界から見れば、女性にあるまじき乱暴な物言いをしちゃうし、淑女みたいな行動をうまくとれないけれど、せめて私の行動や発言でアランがまわりの人たちに大笑いされたり、馬鹿にされたりすることだけはないように……って、今は思わずにいられない。


 拾ってくれて大切に保護してくれた恩人に対して、それはあまりに申し訳ないもの……。


 だから私は、あることを使用人たちにたずねたくて、この裏ルートを通って、半地下の使用人の広間にやってきたのだった。




 *****




 階段を降り切ってつながる、少し大きめの木戸の向こうからは、ガヤガヤとにぎやかな笑い声や話し声が聞こえる。


 私はコンコンとノックしてから、

「こんばんは」

と、顔をひょっこりだした。


 白ひげのおじいさんのドンは、玄関から林道の小道担当の庭師さん。その周りにも、洗濯係のまとめ役の中年女性ドーラ、伝令係の若い子や、見習いで入りたてのひとなどが、手仕事をしながらお酒や飲み物を楽しんでいた。奥には黒髪のキースもいる。


「お~嬢ちゃん、よくきたな」


 白ひげのドンが声をかけてくれて、私はちょっと安心して中に入る。

 洗濯係のまとめ役のドーラに「ごめんね共用スカートかりちゃった」と声をかけると「いいさね!」明るい返事をくれる。


「ミカ嬢、婚約おめでとう~」

「ほっほっほっ、この元気な娘っ子がアラン様の婚約者とはのお!」

「からかわないでよ」


 私は頬をあからめながら、いままでマーリから習ってきたフレア国で一般に使用されている「一般共用語」でみんなに答える。

 異世界トリップした当初から使えた「古語」と違い、「一般共用語」はまるで英語を勉強するみたいに勉強して覚えてきた言葉だから、まだあまりうまく話せないけれど、ここにいる皆のおかげもあってずいぶんと話せるようになってきた。


「夜にごめんね。残り仕事は終わったころかなぁと思って、たずねてきたんだけど……」


 私が、まだ網づくりや、リネン類の繕い物をしている人をいるのをみて申し訳なくって言うと、ドーラは大きな声で笑う。


「な~に、気をつかってんの、ミカ嬢。庭師たちも夜の害虫退治から帰ってきたところで、こちらもだいたいは今日の仕事は終わってんのさ。いつものように寝る前の一杯をやってところだよ」

「そうさ、今日の害虫は、嬢ちゃんの嫌いなヌル虫……嬢ちゃんの国では『ナメクジ』とかいってたか……? それが、いっぱいいたぞ~。たんまりやっつけて帰ったところさ」


と、ドンもあわせて笑っていってくれる。


 庭師たちは、夜になってから這い出てくる害虫退治も大事な仕事。

 特に、今の新芽がでる時期は、ここで「ヌル虫」と呼ばれている、いわゆる「日本」では「なめくじ」たちが、あたらしく育て始めた芽を食べてしまうので、毎夜のように丁寧に害虫駆除をしている。

 私は、日本にいるころからナメクジはじめ、虫は大の苦手!

 こちらの花壇や庭園で、ほとんど害虫に出会わないのは、ひとえにこの庭師たちの手作業による害虫駆除のおかげなのだ。



 使用人たちは、ここで繕い物や後片付けなどひと仕事してから、各自の部屋や使用人用別棟に寝に帰って行く。

 アランの館では、通いの使用人も少しはいるけれど、やっぱり館を支える中心の使用人たちは住み込み。

 だからこそ、私の噂も「異なる世界から来た人」ということは外に漏れないように統制できてるんだけどね。

 他の館は知らないけれど、このアランの館で仕える人たちは口が堅くて、「アラン様の館の使用人」であることを誇りに思ってるところがあるからというのもあるみたいだけど。


「それにしても、ミカもいよいよアラン様と婚約。ほんと、アラン様もようやく落ちつかれるねぇ」


 しんみりとドーラが言った。


「でも、ミカ、あんたもよくがんばったよ。古語しかしゃべれないあんたが突然あらわれたときは、本当にどうなることか、本性は魔性の子かとびっくりしたがね」


 異世界からトリップして当初は、もちろん使用人たちからは警戒されてた。この部屋にだってこれなかった(まず、知らなかった)。

 でも、アランのこの別邸にいりびたっているうちに、手持無沙汰になって屋内探検したりしているうちに、使用人の仕事や生活に目がいきはじめた。


 もともと私は家事手伝いして育ってきたし、大学生活が始まってアルバイトで働くのも楽しかったから、何か私にできることがないかって探してみた。

 でも、使用人のすべき仕事を私がしてしまうと、手伝いにならず邪魔になったり、ときには、使用人の方が怒られることになることがわかった。


 そういうのを経験しているうちに、私がここでやるべきことは、まずみんながふだん使っている言葉を覚えることかな……と考えたんだ。

 だから、少しずつ「一般共用語」をマーリに教わりはじめたんだけど、ふだんの会話の相手に困ってしまって。


 それで、いろいろと世話をしてくれる使用人、通りがかる人たちに習った言葉を話しかけるようにしたら……。


 ある日、ドーラに言われた。


「お嬢さん、あんまりに話しかけられたら仕事がすすみません。私たちの仕事が終わってからにしてください」

って。


 これって、ようは私と会話したくないっていう断り文句だったんだと思う。

 でも、私はあえて夜まで待った。

 みんなが仕事を終えるころっていうのを待って、そして、終えた後どう過ごしているかも調べて、出来るだけ仕事の邪魔にならないように考えて、しつこく話しかけたのだ。


 かなり鬱陶しかったと思う。

 でも、私だって必死だった。

 私なりに居場所が欲しくってしかたなかった。


 もちろん、マーリだって素敵な話し相手だし、グールドさんも質問すれば答えてくれる。

 それに、アランだって仕事を終えて帰宅すれば、私の話しを聞いてくれる。共用語の練習にだってつきあってくれたと思う。


 でも……。


 私は庶民生まれで、なんていうか、生活とかかわりあうような、生きた言葉をかわしたかった。

 上品な貴族の暮らしの会話は、私にとって現実感がないものだ。

 それよりも、洗濯の話、植物のこと、仕事の愚痴や、夫婦ののろけ……普段の会話を話せるようになりたかったし、知りたかった。


 あまりにしつこくて折れてくれたのか、哀れに思ってくれたのか。

 私の必死な態度を、いつのまにかここの人たちは受け入れてくれた。

 そして、私はこうやってときどき使用人たちの寝る前の一服時間にお邪魔させてもらえるようになったのだ。


「あのね、今日ここに来たのは聞きたいことがあって……」


 私は共用語の単語をいろいろ思い出しながら、話す内容を考える。


「なんだい?」

「私がアランと婚約したことになってるのは、みんな知ってるよね?」

「そりゃそうだ」

「それで……アランって、私みたいなのが婚約者になってしまって、その周りの方々から奇妙に思われたり、笑われたり、困ったりすることになってないかな……って。気にかかってて」

「まぁ、なんでそんな風に思うんだね」


 ドーラがわからないって顔をする。


「だって、私、黒髪黒眼でしょう? こちらではほとんど見ない姿って聞いたし。私と婚約してアランの外聞が悪くならない?」

「何を言ってるんだね。街中、あの恋に手をださない堅物アラン様が遠き国より意中のお嬢様を迎え入れたって、驚きと応援でいっぱいなのに」

「ありがとう。うん、街中に噂が慣れてることは、城下の少女たちからいろんな応援のプレゼントやメッセージをもらってるからわかってるんだけど……」


 私が言葉をにごすと、ドーラはすぐに気付いた。


「あぁ、他の貴族だね。」

「うん」


 私はうなずいた。

 ここの使用人は、こちらに住みこみだけど、もちろん街の商人との出入りや他家の使用人とのやりとりもある。

 その中で、他の貴族で私の存在がどう受け取られているのか……なにか情報が入っていないかと私は気にかかっていたのだ。


「まぁ、レイティ嬢の館の使用人たちは、アラン様がミカ嬢をかくまった時点でピリピリしていたな。レイティ嬢が当たり散らすから、手におえんのじゃろ。他では、あまり良くも悪くも何も聞かんなぁ」

「黒髪黒眼の者をたしかに貴族様が正妻に迎えるのは聞いたことがないけどな。」

「あぁ」

「まぁ、だからといっても、アラン様が伯爵位をついでいるならともかく、近衛騎士団のしかも団長だからなぁ…」

「だれも、文句はいわないだろ」


 使用人たちはわいわいと話している。


「ねぇ、伯爵位だと黒髪黒眼は問題があって、騎士ならいいの?」


 私がたずねると、皆は頷く。


「あぁ、フレア王国の騎士団というのは、入団してからはたたき上げなんだ。」


 奥で、使用人の一人が声をあげた。


「おうよ! フレアの騎士は、皆、騎士団寮で過ごし、実力でのしあがってく。階級があがりゃ、アラン様のように自宅から王城に出仕することも可能になるがなぁ。入団してから6年は、ほぼ全員騎士団寮で朝から晩までしごかれるぜ」


 答えるように、馬丁が説明してくれる。


「もちろん貴族出だから、上位の騎士に覚えめでたき……っていうのはあってもよ。結局、剣技なり、槍技なり結果として秀でたものがなけりゃ登っていけねぇ、過酷な世界よ」


 頷きながら、男たちがいろいろと話し始めた。


「近衛は、その上、王族を守り、本城を守る重要な要だからな。腕がたつだけじゃなくて、知力も必要だし、容貌もある程度整っていないと選ばれねぇんだ」

「もちろん騎士団の位階を授けるのは貴族様たちの策略がかかわってくるらしいけどよ、結局騎士は騎士のみの力がモノをいう世界だから、奥方に誰を選ぼうが……政権には関係ねぇから、貴族も口出ししてこんだろ。」


 そうなんだ。


「けど、伯爵位をもつものの奥方は『伯爵の正妻』としての権限がいろいろ与えられるんだ。妻にも貴族の位が与えられる。もしミカが、アラン様の兄上様の婚約者となろうものなら……のんびりとはしていられねぇだろうなぁ……」


 馬丁の一人が腕を組みながらそう言った。

 その隣に座る、使用人たちも大きく頷いた。 


「そうだそうだ。今以上に家庭教師も厳しいことになるだろうけど、食事の毒味、暗殺者への対応って、闇の部分もかかわってくるわな……」


 暗殺者の対応!?

 私がおびえた顔をすると、ドーラが笑った。


「ほらほら、怖がらせちゃだめだよ、それは伯爵さまの奥方にフレアの貴族出じゃない女の子が選ばれる場合の話さ。ミカ嬢は、剣技大会でも他の騎士団団長も総ナメにする近衛騎士団、団長アラン様の婚約者なんだらか、だあれも手をだしてこないって!!」


 ドーラはがははと笑いながら、私の背中をたたいた。

 その明るい笑い声に、少しほっとしながら、私はたずねた。


「アランって強いの?」

「そうさ! アラン様は強い! そして、この下々のものにも良くしてくださるよ」


 自信のある顔でドーラは、また笑った。

 あんな豪華な部屋の並ぶ中を綺麗にするのに、自分の住まいはこんな館の半地下なのに。

 それでも「良しくしてくださる」ことになるんだな。

 では、私にしてくれている扱いって、どれだけ大切に保護してもらってることになるんだろう。


「……じゃあ、黒髪黒眼の私を連れてアランが外出しても、モノ笑いの種にはされないよね?」


 私がもう一度確認すると、ドーラはうなずいた。


「なに怖がってんのさ! こんな艶々な黒髪に、キラキラした黒曜石みたいな目。そりゃあちょっと動きは、貴婦人の方々に比べりゃ大雑把なところがあるけれど、あんたは誠実で真面目ないいこだ。もし悪い噂流すようなヤツがいたら、あたしがしめてやるよ!」

「はは、ドーラはミカが気にいってるなぁ!」

「ドーラ姉さんにかかったら、どこの貴族の使用人たちもうまく言い含められて、いろんな貴族の食事やら洗濯がうまくいかなくなるに違いないぜ」

「そりゃそうだ! 洗濯できてねぇ、におう服を着せられちゃ、どんなにカッコつけても台無し紳士だからなぁ」


 みんなでワイワイと酒盛りが組みかわされていく。

 私は、ちょっと安心した。


 ひとまず私を連れて外出してもアランが軽蔑されることはないし、黒眼黒髪の私が「婚約者」という立場になったからといてアランが蔑視されることもないらしい。

 使用人たちは、貴族たちの動向をよく見ているから、これはたしかだろう。


 私はこちらに来た目的を終えて、ちょっと安心した。

 顔をあげると、ちょっと離れたところでお茶を飲んでいるキースが見えた。

 次は、もう一つの用件を済まさなきゃ。


 私はみんなでワイワイはなしている輪を離れて、キースの隣に座る。


「キース、あのね、ちょっとお願いがあるんだけど……」


 キースは私の方に顔を向けた。この使用人部屋で、わざわざ話しかけることはあまりなかったので、ちょっといぶかしむような目をしている。

 私は覗き込むようにして彼の目を見つめた。


「バラの花を、分けてほしいの。花弁を……」


 私の言葉に、キースは瞳の色を和らげた。


「……種類は……?」

「できれば、赤いのがいいな、そして香りが強いものがいい」

「部屋に飾られるならば、トゲ抜きをしてから部屋にお持ちしますが……」


と、キースが言うのに、首を横にふって答えた。


「あのね、大事なバラをちょっと申し訳ないんだけど……料理したいんだ」

「え?」

「せっかく、綺麗に咲いているでしょう? バラのジャムを作りたいんだ。あ、ジャムってね、いわゆる砂糖漬けみたいなものなんだけど……」


 私の言葉に、キースは茫然とこちらをみる。 

 やっぱり、こちらでは「花を食べる」って在り得ないかぁ……。

 果実のジャムはあっても、花のジャムはないし、花をお茶にするようなものに出会ったことがなかった。


「私の元いた世界でね、バラのジャムがあったの。香りが封じ込められているから、お茶に落としても香りがひろがるし、焼き菓子に混ぜ込むこともできるし。しかもお砂糖で煮詰めているから、きちんどビン詰にしたら何カ月ももつんだよ?」

「……」

「散っちゃうと香りが残らないし。せっかくこんなに綺麗に咲いてるから、すこし分けてもらえないかなって。飾るだけじゃなくて」


 キースはこちらを見ていた。


「駄目? やっぱりお料理やお菓子にするって、あり得ないかな?」


 私がたずねると、横から


「ほら、キース返事してやりな!おまえは、了解だろ! 大事なバラを食べられる形にしてくれるってんだぜ。おまえ、前にいってたじゃないか……この香りを食べてみた……」

「黙れ」


 キースは、ドンの方を一瞥した。

 そしてまた私の方に目を向け、頷いた。


「わかりました。菓子にするとなると、やはり枝のトゲは処理してからお持ちします。庭師はミカ様の居室のある階までの出入りは許可されておりませんので、侍女殿にお預けいたします」

「ありがとう。5日後に出かけるまでに用意したいんだけど、いいかな?」

「明日にはご用意いたします」

「……ありがとう。お願いします」


 バラのジャム……まだ実際に作ったことはないんだけど、私が「日本」で使っていたレシピ集にのっていたんだ。いつか作りたいと思ったけど、そもそも無農薬のバラなんて手にはいらなくって。

 この世界の綺麗なバラは、庭師が手入れしたもの。農薬なんてもちろん使ってないみたいだ。

 調理場をかりたことはないけれど、ジャムならなんとかできるかも。そうだ、赤を発色させるために、レモンみたいな柑橘も用意しとかないとね……。


 私が頭の中で算段していると、ドーラに肩をたたかれた。


「ほらほら、あんまりここで遅くまで過ごしてアラン様に気付かれちゃ、いらない心配かけるよ」

「あ、みんなも仕事でつかれてるのに、ひきとめてごめんなさい!」


 私が慌てて立ち上がると、


「いやいやミカ嬢がいてくれるのは、嬉しいことよ! でも、アラン様がなぁ……」

「そうそう、いらんヤキモチ焼かれちゃ困るだろ」


と、みんながひやかすように笑った。


「やきもち? アランはそんなこと感じないと思うけど……」


 私が呟くと、ドーラが大口で笑った。


「この子ったら! あの美丈夫のアラン様があんなに見つめてらっしゃるのに、ほんと、気付きもしないで!」

「そりゃ、アランは私を保護だか監視だかしないといけない立場だもの……」


と、私が言うとドーラは肩をすくめた。


「アラン様はとうぶん苦労なさるね。でもミカ、やっぱりそろそろ帰りな。婚約発表された女性が、いくら館内とはいえ、夜中に部屋から出歩くもんじゃないよ」


 そう言うドーラに促された。

 たしかに長居はよくないだろう。

 私はキースに「お願いね」と一言付け加えてから、ドーラとともに出入り口に立った。

 

 扉を開けて、来たときに持ってきたランプを手にする。

 暗闇が目の前に広がるのを感じた、そのとき。

 私は急にこれから先のことが不安になって、横に立つドーラの顔を見上げた。


「……ねぇ、ドーラ」

「なんだい?」

「もう、婚約したから……もしかして、私、ここには来ちゃダメ?」


 私が言うと、ドーラは苦笑いした。


「まぁ、当分はまだ来てもいいよ。でも……」


 ドーラはちょっと言葉を探しているようだった。

 そしてしばらくしてから、声をひそめ、私の耳元で言った。


「あんたは19というのに少々男女関係に疎いから、あえて言っておくがね。結婚したら、夜は旦那と一緒の寝室、一緒の寝台に寝るのが、この国の基本だ。それは庶民も貴族様も一緒さ。」

「……うん、知ってる」

「そりゃ良かった。ここだけの話だが……。婚約が公表された直後から、あんたとアラン様が使う寝室の改装の話が決まってるし、リネン類、カーテンの新調の手配はもう始まっているよ」

「……」

「つまり、あんたは、いずれ夜にひとりで出歩くのは無理になるってことだ。隣にアラン様が寝てるんだからね」


 その意味するところが、じんわりわかってきて、頬が赤らんだのが自分でもわかった。


「照れるとこみると、本当にミカは幼いね。ま、アラン様はお優しい方だから安心していいと思うけれどね。世の中には、結婚式を待たず婚約中でも寝室をともにしようとなさる男もいるからね……」

「――……っ!」

「あんたは、もうちょっと男女の駆け引きを学ばないといけないよ。アラン様は基本的に決してミカにご無理はなさらないだろう。」

「……うん」

「でもね、ミカ」


 私は不安になってドーラの目を見つめる。


「あまりアラン様を不安がらせちゃいけない。婚約者というだけでなく、これから人生を共に歩むものとして、ちゃんとみなきゃ」


 現実を、つきつけられた気がした。

 私は、ここでアランの婚約者……ゆくゆくは妻として……生きていく覚悟を決めなければいけないってことだろう。

 でも……本当にできる?……わからない。


「……ありがとう、ドーラ」

「おやすみ、ミカ。いい夢をみなよ!」

「うん」


 私はみんなにも会釈をしてから、階段をのぼる。

 ランプで足元を照らしながら。


 私の存在がアランの足かせには、今のところならない様子がわかって、ホッとしたけれど。バラも届けてもらえるように頼めて良かったけれど。

 これから、アランとの関係をちゃんと考えないとって思うと、それはとても緊張する気がした。


 ……アランとこれから一生を共に生きる……。ここで?

 本当に?

 でも、それ以外の道はないだろうし、想像もできない。

 アランはもうその準備をはじめてる。

 好きとか嫌いとかじゃなくて、そういう立場だからだろう。殿下からそう命令されたから。



 ドーラに言われたこと、自分の立場をもんもんと考えながら、私は来た道をたどり、階段の踊り場で寝間着に着替え、ケープをはおる。

 そして裏ルートの階段をあがりきって、表の豪華な廊下にでる扉をそっと開けた。

 ランプでそっと照らしながら、今度はふかふか絨毯のしかれる廊下を進んでいく。


 

 私の居室は奥にある。

 もうすぐだ……。自分の部屋のすぐ近くまで進んで……。

 私は足を止めた。


 ランプのゆらめく明かりでは、はっきりとは見えない。


 でも、そこに明らかに人の姿があった。

 私の居室のドアの前、壁にもたれかかるようにしてこちらを見ている姿……。

 それは、アランだった。


 ゆっくりと近づいていくと、その姿がよりはっきりと見えてくる。


 アランの姿は、いつもよりくだけていた。

 たいてい後ろに流している前髪は洗いざらしで、サラサラと目にかかっていた。

 常にぴっちりと着こなしている服装は、今日は上のボタンは2つほど開けたラフなシャツ姿に、ガウンをはおっただけ。

 ランプの柔らかなあかりに照らされ陰影が出来て、綺麗な碧眼から鼻筋にかけても、どこか陰りのある美しさがあった。


 じっとこちらを見ていた。

 何もいわない、言ってくれない。

 沈黙の時間が怖い。


 アランの目は、私の目だけでなく、全身をみているような気がした。

 一瞬私は自分の姿を確認するみたいに目線を足元に向けた。

 その瞬間、いっきに青ざめる。

 

 私……寝間着だ。

 

 寝間着というのは、白い柔らかな布でできた足元までストンとした長いネグリジェ型。

 ケープをはおって胸元で留めているから、胸は透けてないとは思うけれど。

 こちらの価値観では、かなり「はしたない姿」なはずだ。


「あ、あの……」


 私はアランの視線に耐えられなくなって、口を開いた。

 でも、何かをいえるわけじゃなくて……そのまま固まってしまった。

 魚が口をぱくぱくさせてるみたいで、無様だ。


 そんな私の前でアランはスッと目を細めながら口を開いた。

 

「どこへ……?」

「あ、あ、使用人用の居間へ…」


 碧い眼の光が、ますます険しくなった気がした。


「そんな姿で? あなたは私の婚約者です」

「……はい」


 アランの言う「婚約者」の言葉に、さきほどドーラが言った「寝室」の話が浮かんできて、私はいたたまれなくなった。

 よくないと思いつつも、目をそらしてうつむく。


「いけませんね」


 あ……と思ったときは遅かった。

 私のあごに、アランの長い指がのばされ、添えられた。

 軽い力だが有無をいわせぬ明確さをもって、上に向けられる。

 のぞきこまれるようにして、アランの顔が近付く。


「なぜ目をそらす? 何か、やましいことでも?」


 優しい口調なのに、追及するように、逃さないとでもいうように喰い込んでくる声音に、心がきゅっと縮む思いがする。


 アラン……怒っている。何かに、彼は怒ってるんだ。


「やましいことなんて」

「あなたが平気なことでも、私はやましいことと思うかもしれませんよ?」


 息がふれあうほどに、顔が近づけられた。

 こんなにそばに寄ったことは初めてで、あっと思ったときには、ランプを持つ指先の力が抜けたのがわかった。


 落ちる…!


と、思ったのに、衝撃音は聞こえず、明かりも保たれたままだった。

 器用にも、アランは空いた左手で、私が落としかけたランプをすくいあげていた。


 それをかかげるようにして私の顔を照らしてきた。


「やっ」


 突然のランプの明かりのまぶしさに一瞬目をつぶった、そのとき。

 ……唇にあたたかなものが重なった。


「んっっ」


 未知の感触に私が目をひらくと―――暗闇。

 ランプの明かりは消えていた。

 自分がアランに口づけられているということが、唐突にその感触で突きつけられる。

 半ば茫然としている間に、合わせられた唇は角度をかえて何度もついばんでくる。

 アランの右手が私の頭を抱くようにしてくるので、のがれることもできない。


「……ん、あっ」


 あいまあいまに息をしようとするけれど、追いつかなくて、どんどん苦しくなってくる。


 合わされた唇から、もっと湿った何かが私の唇を優しくつつく。

 息苦しさもあって。唇をすこしあけると、その湿り気のある塊が私の中に侵入してきた。


「っっ……んっ」


 私は突然のことに…息苦しさとパニックで、もがくように、アランの腕と背を叩いた。

 驚きとともに、とにかく苦しくって、しばらく叩き続けた。


 そうして――……もがいているうちに、口内を蹂躙してきたものが大人しくなっていく。

 暗闇の中、唇がすっと離れたのがわかった。

 でも、……かわりにぎゅっと抱きしめられる。



「ミ……カ」



 震えるように呼ばれる、名前。

 

 でも私の心は、拒むように耳を塞ぎたがっていた。

 

 ――……名前なんか、呼ばないで。


 いつのまにか、私のギュッとつぶった目から涙がにじんでいた。

 こらえたいのに止められなくて、目尻をつたって頬に流れるのがわかる。


 ――……いや、だ!


 涙を見られたくなかった。

 暗闇でそれを見られることはないだろう。でも、私のこらえても漏れる嗚咽のような震えは、抱きしめてくるアランに直に伝わっていることだろう。

 それすらも嫌だった。

 なのに、私の震えに反応してか、だきしめてくるアランの腕に力がこもるのがわかった。

 

「……ぃや」


 身動きしようとも、少しも動けなくなるほどの……隙のなさ。

 男の人の身体の大きさ、圧倒的な――……


 ――……抗えない強さ。


「いやっ」

「ミカ」

「……こ、わい、よ……」


 私の口から、こぼれて出ていた。

 涙がどんどん止められなくなるように、唇から出る言葉を、私は止められなくなっていく。

 まるで、身体を抱きしめられて、溜め込んだ涙ものみこんできた言葉もすべてが絞りとられるように……。


 こんなこと言いたいわけじゃない、と頭の半分では思っている。


 アランにはお世話になっていて。

 感謝してもしつくしきれない「恩」があって……。


 どうしてキスされているのか、アランの怒りがなんなのかわからないものの、私の置かれている立場を考えたら、アランを拒める立場にないってぐらいはわかる。

 フレア国ただ一人落っこちてきた私なんかを、こんなにちゃんと保護してくれるアランの言うことに、反発してはいけないはずだ。

 厄介払いを引き受けてくれた人なのに。

 こんな子供じみた仕草で泣きながら『こわい』なんて言ってるなんて、こちらの世界の19歳からしたら、なにを子どもぶってるんだろうという感じだろう。


 でも……。


 心がきしむ。抱きしめられる身体が痛い。のみ込まれるような熱が苦しい。

 そして、抗えない強さが……怖い。


 アランの腕の強さだけじゃない。


 本人の知らないところで、命令で結婚が決まって行くことも。

 婚約者として、アランと初めて館の外に出かけることも。

 こんな……。

 こんな、男の人の腕の中で、熱を伝えてくるような激しい唇をうけることも。

 抗えない強さで抱きすくめられることも。

 慣れていない。

 フレア王国も、アランも、全部、わからないことだらけ。未知の領域だ。


 それらすべてが、怖い。

 怖いよ。

 見えなくて、わからないことだらけで、どうしたらいいか思いつかない。

 


 止めたいのに流れてくる涙をどうしようもなくて、手の甲で押さえていると、そっと手首をつかまれた。

 びくっと肩がゆれる。

 しばらくして、私とアランの間に隙間がうまれた。


 そこにしばらく沈黙があった後、アランが小さく呟いた。


「ミカ……」


 小さいけれど、先ほどとは違う柔らかな声だった。

 暗くて、アランの瞳は見えない。

 でも、さっきと違って優しい色をしている気がした。


「無理を……無理なことをしてしまいました」


 耳に響く、アランの小さな声。

 私が答えられずにいると、アランが静かに私から少し離れ、私の居室のドアをあける。

 そして導くように私だけを中にいれ、手にランプを持たせてから、そっと背中を押した。


「おやすみ……ミカ」

「……」

「……もし、許してくれるならば……」

「……」

「許されるならば……。五日後の外出、楽しみにしています」


 アランはそう言って。私だけを部屋に残して、そっと扉をしめた。

 私はぼんやりとしまった扉の方を見ていたが、そのまま力がぬけて、膝をついた。


「も……なにがなんだか、よくわかんない……」


 そのままひきずるようにして、ベッドに這いあがって。

 私は、布団の中にもぐりこんだ。


 今は、もう、何も考えたくなかった。



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