72 狂宴 3(ミカ)
リードが立ち去り、少しずつ外の陽光もかげった、涼やかな風がそっと吹き抜けていく夕暮れ。
館の外が、来賓の馬車や先触れの人たちによってどんどんと賑やかになっていくのを感じていた。
人のざわめきが一段と大きくなってゆく。
ダンスのための音楽隊の試し弾きの音色も聞こえはじめる。
まもなくだ――……。
「夜会が開宴となりました。半刻ほどで、ディール様がミカ様をエスコートのためいったん退出されます。そろそろ部屋移動のご準備を――……」
そう告げられて、私は背筋を伸ばして立ち上がった。
*****
「いちだんと綺麗だね」
目を細めて紳士然としてエスコートしてくれるのはディールだ。
ディールもまた、体格の良さを活かした華やかな光沢ある紺色の衣服に身をつつんでいる。
彼に導かれながら、豪華に花々やリボンで飾られたソーネット家のホールへと続く廊下を歩く。メイド達もいつもよりも上質のメイド服にかわっており、お客様をお迎えするために臨時の雇い入れの者もいるらしい。
皆がディールと私が歩く道をあけ、傅く。
ディールはアランとの婚約を発表するまでの一時のエスコートをしてくれ、婚約発表後は私がフレア国の社交界で後見人となる。私の後見人になってくれる理由は、親切や親愛の情といったものではないだろう。ソーネット家の存続やさまざまな政治的背景がある。
けれどすくなくとも私の衣食住の生活を彼が後見人として養ってくれることになるのは本当のことで――……。
「ドレスの色も形も、ミカによく似合っているよ」
褒められて、暮らしも支えてもらって、よくしてもらっているのは本当で。でもその根底にはときどき私の心が悲鳴をあげたくなる一方的な支配もたしかにあって。だけどその支配にもディールなりの立場があるからで。
しかも、先ほどのリードの話で、私は帰還する選択もあったのにそれを選ばずここにいてディールのお世話になる生活を選んだわけで。どんな風に感謝して、どんな態度でいたらいいのかわからなくなるのも正直な気持ちだった。
「……ありがとうございます」
タイミングのずれた返事をし、フレアのマナーにのっとって、彼の肘にそっと手をそえる。
「この生活を与えていただいていること……感謝しています」
小さくつけくわえると、ディールは軽く笑った。
「ミカは悪人になれないね。……アランもね」
「……」
「それでいいんだよ。君たちは、私の手の内にいれば、安泰だし平和だよ」
私の感謝の気持ちの発言は、ディールやフレアへの従順と捉えられたようだった。
ディールは私を手慣れたようすでエスコートし、ホールに続く扉の前で止まった。従者が扉を開ける用意をしている。
「……アランに早く会いたい?」
ディールの問いかけ。
「はい」
「素直だね。もうすぐ会える。セレン殿下とアランが来るのはもう少しさきだが、アランもさすがに理解したのか、何も抵抗せずこちらに出席する準備を整えたと聞いている」
「……そうですか」
「来賓の方々に失礼のないようにね。君もこれからはソーネット家に連なる者になるのだから」
さらっとディールはそう言って、従者に扉を開けるように目線で指示した。
開かれた扉の向こうは明るい。
豪勢な蝋燭によって飾られたシャンデリア、鏡を壁に巧みにつかった広い広いホールからのまばゆい光、一瞬目を細めたくなる。
けれどディールの肘に手を添えて、私は目をつぶらないように、眉をひそめないように頬にだけ力をこめた。
仏頂面にもこびへつらう笑みにもならない適度に口角に力をいれるように。
しゃんと背筋をのばしているように、鎖骨を美しくみせて。
青碧の――アランの瞳のドレスが、綺麗に綺麗に映えるように――……。
私は一歩を踏み出した。
すでに夜会ははじまっている。
まばゆい光の中を、着飾った人々が談笑している。目線で私とディールを一瞬追うものの、談笑を止めることはない。ただ、話しながらもそれぞれが、和やかな表情の下で私の一挙一動を眺めているといった風だ。
ディールにエスコートされながら歩き、丁寧に一組一組へと紹介され、挨拶をかさねてゆく。ディールがそれとなく、縁のある貴族、お連れの夫人などに私を引き合わせていっているのだ。私は頭の中でリードにたたきこまれた貴族名や特徴などを引き出しながら、挨拶とともに二言三言ことばを交わす。
優雅に、けれど偉そうではなく、控えめに笑みをうかべる。
フレア国の中で影響力の強いいくつかの大貴族に挨拶を終えると、周囲で様子を伺っていた貴族の女性たちの方から近づいてきて話しかけられるようになってきた。
「お会いしとうございました」
「ご婚約のお話をお聞きした折は、近衛騎士団長様のお屋敷に贈り物をお届けいたしましたのよ、見ていただけましたかしら」
「まぁお美しい黒髪。その髪飾りは王都でも人気の高く手に入りにくいものですわ。さすがソーネット家にご縁のおありの御方。わたくしの娘もこちらの髪飾りをとても憧れておりますけれど、とてもとても」
褒めるようなこちらを試すような言葉がけに微笑みを返す。貴族の社交界でも当然アランと私の婚約の情報はいきわたっているからか、声をかけてくるのは社交界に慣れた感じの貫禄ある年配の女性ばかりだった。
私の対応ではおさまりきれないほど、ぐいぐいと話し出す女性陣を前にディール様がさっと少し一歩前に出て、会釈をした。
「このたびは、皆さま、久方ぶりのソーネット家の宴にお越しくださいまして、感謝いたします。私が後見人をいたしますこちらのミカはまだまだ若輩ゆえ、またフレアのことも学びの途中でありますゆえ、今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします」
ディールがそう挨拶すると、私たちを囲んでいた女性たちが扇で口元を隠しつつ軽やかに笑う。
「まぁまぁあの優等生のディール様がご当主になられあそばして、今度はご自分のご結婚の前に若い娘さんの親代わりのような後見人になられるなんて」
「本当に。このままでは、ソーネット家ご当主が独り身のままの恐れがありますわ。落ち着かれましたら、わたくしたちの屋敷にもいらしてくださいましね。美しき花々が咲いておりますことよ。今か今かと美しさを愛でられるのを待っておりますわ」
「あら我が館のつぼみももう膨らんで、見ごろが間近でございましてよ?」
女性たちの口々の言葉にディールは、優雅に笑みを返した。
「それはそれは。では見ごろが過ぎぬうちにお訪ねせねばなりませんね。それは大切な次の約束といたしましょう。今宵は、ぜひ我が館でごゆるりと楽しまれますよう」
ディールがそう言って一礼すると、女性たちはまた軽やかに笑いながら、私たちを通る道をあけた。
煌びやかに、上品に穏やかに言葉を交わしながら、その実は自分たちの要望を織り込みながらの挨拶。
足元をすくわれないようにと気をつけながら、私は数々の貴族たちとあいさつを重ねていったのだった。
ダンスの音楽が始まると、挨拶だらけの巡回もいったん終わった。
前もって依頼していた上流の貴族たち男女数組が典雅な音楽に合わせてダンスを踊りはじめる。それを合図に、皆が食事や歓談やダンスをめいめい楽しむ時間になったのだ。広間の中央では、リードする男性の元、女性のドレスの裾や背中のリボンがひらひらと舞う。ステップを踏み、音に合わせて優雅に広間をまわってゆく。
多くの貴族との挨拶と会話で疲れきっていた私は、いったん皆の注目がホールの中央のダンスをしている数組へと向いたことにホッとした。
「少し飲むといい。お酒ではないよ」
ディールにグラスを渡され、広間の脇の、テラスへと続く少し人の少ないところへと導かれる。風が通るそこは、挨拶を繰り返した広間よりも涼しい。
正直、のぼせかけていたから、助かった。
受け取ったグラスに口をつける。クオレの甘酸っぱい味と他の果実の甘い香りが口内に広がった。
喉が潤ってゆくのを感じる。一気に飲み干したいと思ったけれども、下品にならないようにと少しずつ飲むことにする。
ディールも隣でお酒らしき赤色の飲み物をゆったりと口に含んでいる。
「まずまずの出だしだね。そろそろセレン殿下とアランが到着し、また皆の様子が変化するだろうけど」
「もうすぐ到着ですか?」
「あぁそうだよ。ミカも今の内に休んでおくといい。セレン殿下が到着し、アランとの婚約が正式に告げられれば、先ほど以上に貴族たちに囲まれ、宴がお開きになるまで飲み物なんて口にするひまはなくなるよ。なんていっても婚約というおめでたい話だからね。皆が祝福に殺到するさ」
ディールがおどけたように肩をすくめて笑う。
けれど、すぐに「あぁ。ただし……」と続けた。
「セレン殿下の到着によって、この夜会の最高位の方はセレン殿下となる。婚約披露され、王から結婚を許されたたアランとミカは話題としては中心になりやすいけれど、常にセレン殿下が注目されるように話題選びを間違わないように」
注意の言葉に頷くと、「いい子だ」とディールは言って自分のグラスを飲み干した。
ちょうどその時、館の使用人姿の若者が私たちの元へと寄ってきてディールに耳打ちした。
「セレン殿下の馬車がお着きです。アラン様も付き添われています」
微かに聞こえてきた内容に、胸がドキッと強く鳴った。
……アランが来る、会える!
ディールは若者に頷きを返すと、私を見おろす。
「さあ行こう」
差し出された手をとる。
ディールに先ほどと同じように導かれて広間に行く。
ディールが片手をあげて示すと、音楽が鳴りやんだ。
広間にいる人々が察して中央扉の周りをあけはじめる。
一瞬の沈黙。
扉が開く。
ゆったりと進んでくるのは、セレン殿下と――……アランだった。




