69 花びらの手紙 3(アラン)
マーリから、美香の様子をひとおり話してもらい、少し安堵の息をつく。マーリから伝え聞く美香は疲れた様子はなかったとのことだった。
美香は付き人ともに使用人の控室で支度をしているマーリにバラを持ってきたらしい。
「ひとりでの行動は慎むよういわれているようです。女性の付き人を付き添わせているのであれば、庭とテラスの出入りは許されているそうです。私やアラン様に心配かけまいとしてなのか、妙に元気にはしゃいでらっしゃいましたけれど……」
心配をかけまいと笑顔をふりまく美香は簡単に思い描けて、苦笑する。
「アラン様がお元気だということは伝えましたわ。もうすこしアラン様のご様子をお話したかったのですけれど、付人の方が遮られてしまわれて……」
「美香を連れ出されたら困るので警戒しているんでしょう」
私が苦笑交じりにそう言うと、マーリは少し眉を寄せた。こちらを伺うようにして小さくたずねる。
「……もう、連れ出すなんてなさる気はないのでしょう?」
マーリがあの夜のことに関することを私に尋ねるのは初めてだった。美香の部屋でみつかって拘束されてから、マーリはあの件に関しては触れないように、ただ日常会話だけを穏やかにそして明るく続けてくれていた。
黙っていると、マーリが小さく微笑んだ。
「アラン様がミカ様を変装までなさって連れ出そうとしたのには理由がおありとは思います。キースも拘束されてるようですし、何か私にも思いもよらないようなことが背後で起こっているのだと……」
「……」
「私も、それにグールドも、アラン様の館の者たちは、アラン様とミカ様のお幸せを一番に願っています」
「ありがとう」
礼を述べると、一瞬驚いたような顔をしたマーリは、私の礼を拒むように強く首を横にふった。
「いいえアラン様……私は……なにもできませんでした」
「マーリ?」
「ここに……このお屋敷にミカ様が連れ出されてしまうときに止めることができなくて。ミカ様を守ることができず、申し訳ございませんでしたっ」
唐突な強い謝罪の言葉に驚く。
マーリはスカートの布をぎゅっと握っている。ランプの灯りからでもわかるほどにマーリの表情はこわばっていた。
「……本当に本当に……申し訳なくて……」
「マーリ、あなたはよくしてくれている」
声をかけると、マーリは眉を寄せつつもじっと私を方を見た。
その真剣な眼差しを見つめ返して、マーリのこの謝罪は唐突ではないのかもしれないと気付いた。
ここに連れてこられて以来マーリはずっと思いつめていたのかもしれない。
「……美香はマーリがいてどれだけ心強かっただろう。今も、私と美香を繋いでいてくれた。マーリがいてくれて、美香も私もとても嬉しい。でも、マーリの優しさに乗じて振り回してしまったのなら、申し訳ないとも思います」
「アラン様……」
「美香は強引にソーネット家に連れてこられ、そしたら私が変装して夜に現れる拘束される……マーリ、君にとって、とても不安だったことと思う。……すまなかった」
マーリが困ったように眉を寄せる。
「私は……私は、たしかに不安でしたけれど……わからないことだらけでしたけれど……ミカ様のことは、とても大切に思っているのです。こことは違う遠いところから来られて……すこしずつ馴染まれていった。最初は明るくてドタバタしていたのに、だんだんといろんなことを悟ってゆかれたように……落ち着かれたのか、お気持ちを抑えるようになってしまわれたのかわかりませんけれど」
「そうだね」
「でも、アラン様とお話する時間をとられるようになって、またミカ様が前とは違ったかたちで明るいというか綺麗になられて……私、純粋によかったなって思っていて……でも……」
そこで一度口ごもったマーリは、しばらく逡巡した後、意を決したように顔を上げて口を開いた。
「私、ミカ様とアラン様のご婚約とご結婚を応援してかまわないんですよね?」
敏い澄んだ瞳が私を見ていた。
「アラン様が拘束されたということは、ミカ様をどこかにお連れしようとしていたからでしょう。アラン様はミカ様にとって悪くなることはなさらない。ということは、ここから連れ出し逃げたほうがよいほど酷い何かが、あるのでしょうか?」
マーリの疑問はもっともだった。
酷い何か――……フレア国の美香への態度、扱い。
表面的には好待遇なのだともいえる。けれど――実際は、どうなのか。
「……私は、美香の幸せは何だろうと考えている」
「幸せ……?」
「美香は私と婚約し、ゆくゆくは妻として在れるようにとさまざまな努力をしてくれている。それは私にとって幸せだ。だが、美香にとってはどうなのだろうか。……彼女が犠牲にしているものがあるから、私は幸せにしてもらっているだけではないのだろうか」
「アラン様……」
「遠くから来た彼女に、フレアの習慣、生き方、文化をおしつけて学ばせて、私という国中に存在を知られている王城務めの騎士団長の妻の座に押し込められて……逃れられなくさせられているともいえるのではないか。もしかしたら、このソーネット家やフレア国やそれらに関わる監視から逃れて、誰も美香も私のことも知らない人々の中で生きていく幸せがあるのではないかと、そう思った」
私の言葉にマーリの瞳が揺れた。彼女ももしかしたら、同感なところがあったのかもしれない。
「私は、私が持ちうる立場や権威を捨てて美香とこの地を離れ、ただのアランとただの美香となったならば幸せをつかめるのではないかと思い、あの晩、美香の部屋に来たんだ。でも、美香は私の手を取らなかった。私が地位や家族やいまそばにあってくれる者を手放すことを”良し”としなかった 。……失ったことのある彼女だからこそ、止めるんだろう」
美香は、あの青碧の海が見えるところでも、強く伝えてくれた。手放すのはよくない、と。私が今あるものを手放すことを美香自身は望んでいないと――……。
あの時の綺麗な、空気に溶け込んでしまうかのような美香の風情が思い出されて胸が痛む。
「……美香を幸せにしたいと思う。けれど、彼女の幸せが、私との婚約や結婚にあるのかどうかは……ここに……フレアに彼女の幸せがあるのかは……私にもわからない」
私の言葉を最後まで聞いて、しばらくした後、マーリがスカートを握っていた手をゆるめ、姿勢をただすようにして私に言った。
「……ご婚約ご結婚となりましても、もし別の形でお二人の道を歩まれるのであっても……私、マーリは、お二人の選んだ道のお手伝いをしたく存じます」
「ありがとう」
私と美香の道――……。
今朝のリードの到来、魔術の完成の可能性、自分の返答を思い出す。
どのように進むのか、わからない未来だった。
……美香はもし帰還できるとしたら……どうしたいと願うだろうか。
沈黙がしばし部屋の中に落ちる。
しばらくして、
「最初にミカ様がくださったピンク色のバラ、少し乾いてまいりましたね」
と、ふいにマーリが声をかけてきた。
言われて、はじめにもらったピンク色の花に目をやる。彼女はその花瓶を手にして私に見せるように、少し乾き花びらが縮みはじめた花を私に向けた。
「アラン様、バラの花ひとつみましても、根を張った緑を育てる幸せもあれば、こうして枝から切りとって花瓶に飾る幸せもございますよね?」
話を掴みかねつつも頷く。するとマーリは続けた。
「こうした一時の開花を愛でる幸せもありますが、花びらを乾かしポプリにしたり押し花にして長い時間を楽しむ幸せもあります。……幸せとはこういうものだなんて、ひとつに決められるものでしょうか」
マーリは美香からの花にそっと視線を落とした。
「ミカ様から届く花一輪。育てたのはディール様のお屋敷の庭師ですし、そもそもソーネット家の持ち物といえますでしょう。でも、この花をアラン様に届けようとしたミカ様の心は唯一無二、アラン様への贈り物です。この花の贈り物が届いてアラン様はどうお感じになりました?」
花を見る。
その淡い色。もらったときは生き生きしていた花びらも今は少し色が強くなり、花は小さくなっている。
香りももう飛んでしまっている――。けれど、数日前はたしかにそこにあった香りを思いだす。
花を見ているときに、その向こうに美香を感じていた。
やわらかな優しい気持ちに触れた気がした。
「……あたたかく感じた」
「花ですけれど、美香さまのあたたかさを感じられたのでしょう? この花はミカ様からアラン様への手紙のよう」
「手紙?」
「えぇ……この花のようにアラン様のそばにありたい、と」
マーリの呟きに即答できないでいるうちに、「水替えしてきますね」と一礼してマーリは退室していった。
部屋には、今朝ミカがマーリを通して届けてくれた、新鮮な水をに差された赤い小さなバラだけがはかなげにたたずんでいた。
 




