68 花びらの手紙 2 (アラン)
ランプで照らされる淡いピンク色は、はかなげだ。少し萎れ、花びらと葉の先が少し縮んでいる。
ピンクのバラの隣には、またもう一本、ピンクのバラ。ディールが持ってきたものよりも、少し赤味が強い。そしてその隣には白に近いバラ。これは昨日の朝に届いたものだ。
ディールがミカからのバラ一輪を届けた以降、朝にふらりとディールがここに立ち寄り「ミカからだ」と花が届けられるようになった。
窓のない外とのつながりは扉と小さな通気口のみの部屋ゆえに、一日中、明かりはランプの灯火となる。それをとおしてみる花は、陰影ができていっそう儚げに見える。
花は届くものの、彼女自身には会えておらず、一目見ることすら叶わない状態が続いている。
この部屋から脱することはできるが、それをしてしまうことで彼女に与える影響を考えると、今はまだ動かずにいた。
ここ数日早朝の日課となっている身体をほぐす運動を終えた後、双剣をホルダーからはずし、ゆっくりと磨きあげる。
ときおり机に並べた三輪の小さき花を時折眺めると心が和んだ。
そしてまた剣を丁寧に磨いていく。
父から譲りうけた以降、肌身離さず共に私の人生と在った双剣の存在は兄ディールもよく知っていることだろう。それを取り上げることなくこの部屋に留めているということは、彼は本気で私を監禁するつもりがないのかもしれない。
他の貴族がこの館に仕込んでいる闖入者や監視者への建前なのか、ソーネット家は近衛騎士団長アラン・ソーネットとミカの婚約婚姻にあたり、すべてをフレア国の指示に従うことを示すつもりだということをあらわしているのか、それともアランは逃げることはないと高をくくっているのか……ディールの真意は掴みかねるが、すくなくとも私のすべての行動を拘束するつもりではないことはわかった。
やわらかな布で刃を磨き上げ、鞘に納める、ホルダーにはめ込み、自分の身に添わせる。
室内で出来る鍛錬の動きを一通りこなし、汗ばんだシャツを着かえたときだった。
ふいに扉の方に気配がした。
咄嗟に振りむくと、思わぬ人物が立っていた。
「……リード……」
銀の髪と片目の黒い眼帯――……。白装束が基本である魔術師にはあるまじき、全身黒の装い。
弟リードは、気配をすべて消し、そこにたたずんでいたのだった。
「気配を消していても、昔からあなただけは勘付いて私のいる方を向きますね」
リードがにこりともせずそう言った。淡々とした物言いは小さなころからだった。
黙々とリードが私の方へと近づいてくる。ディールの話ではリードは聖殿でとらえられているキースのところにいるはずだった。
なぜ、ここに。
その疑問だけではない。彼にはさまざまな聞きたいことがあった。
だが、私が問いかけるよりも先に彼が一気に私との間合いを詰め、耳に顔を近づけてきた。
まるで監視や盗聴をさえぎるような仕草。
そして、私の耳のそばで告げられた言葉。
『……ミカを元の世界に戻せる可能性があります』
息をのむ。
瞳だけで間近な白銀の髪、白き頬、その上の青緑の瞳を追う。リードの片目と視線がぶつかる。
眼帯をしているが、リードは目が悪いわけではない。
良すぎるだけだ。両眼では常人の見えざるものまで魔力によって視えてしまう……放たれてしまう。
だから、こうして片目だけでも封じて、膨大な魔力をその細身に抑え込み静かに生きている。
その弟が告げる。
『まだ可能性までしか調べていませんが、おそらくは私の手で術式は完成させることができます。……ただ、最後まで調べ上げ完成させる前に、あなたにだけは伝えておこうと思って』
「……なぜ」
『聞いてみたいと思ったのです』
「なにを……」
『アラン・ソーネット、あなたはミカが帰還する魔術の完成を望みますか?』
凍てついた湖の如き静かな眼差しが問う。
続けざまに彼は口を開く。
『術の完成は、貴方の……いえあなたがついこの前まで所持していた騎士団長の剣の聖晶石が必要になります。あの石に込められる魔術に結びつくあなたの協力も要します。つまりあなたが望まなければ、術の完成は難しい』
「彼女の意志は!?」
『まだミカは何も知りません。ですが、あともうしばらく調べあげれば完成させられる。そうすれば私は彼女に術を使うかどうかたずねてみようと思っています』
術を使う――元の世界に帰るかどうか――ミカがこのフレアからいなくなるかどうか。
行ってほしくない、いなくなってほしくはない。
けれども。
美香がそれを望むのならば。
それが、彼女の幸せならば――……?
拳を握り立ち尽くす私の前でリードは続けた。
『ミカがもし魔術の完成を知って、帰りたいと望んでもあなたが団長の剣の聖晶石を使うことを許さず魔術に協力しないのなら、結局のところミカは帰還できません。なかなかあの純度の聖晶石は手に入らないし団長のあなたを転移させないように結び付けている術をあなたの協力の元いったん切らねばならない。私の力も万全のときでなければならない――おそらく今しかないといえる。だから、考えておいてください。ミカが帰りたいと望んだときに、あなた自身が協力できるかどうか』
協力――その言葉にぐっと唇を噛みしめる
わかっている――心は決めている。
引き結んでいた唇をほどき、声を発した。
「答えはでている。彼女が望むのであれば協力する」
「……そうですか」
リードが声で返事をした。それに対して私は頷きつつ言った。
「だが、言っておくがもう近衛騎士団長の剣は私の元にはない」
私は空の両手と空いた腰ベルトを見せる。だがリードは表情をかえなかった。
「長剣は、セレン殿下の元に置いてきたのだとしても、結局はあなたの元に戻ってきます。現段階でアラン・ソーネットが近衛騎士団長なのです。あなたには見えないかもしれませんが、結び付けられた騎士と剣の糸は簡単に切れないのですよ」
「……」
「では屋敷の者に見つからないうちに戻ります」
リードは言いたいことを言い終えたのか、踵を返した。
その背中にとっさに私は声をかけた。大きな疑問であり、今までのフレアやディールや聖殿に比較的従順であったリードへの違和感が私にそうさせた。
「なぜ魔術の完成を目指す? フレア国や聖殿の思惑からすれば、帰還の術は存在しない方が良いはずだろう」
「これは、私の独断による行動です」
「なぜだ。明るみになればリードも罰せられるだろう?」
何も答えない。
リードは背を向けたまま去ろうとしていた。
けれど扉の向こうに消える瞬間小さな呟きが聞こえた。
「……持て余しているのです。……この自分の器を」
言葉の最後は自ら扉で遮るようにして。
リードは立ち去った。
*****
リードが消えてからしばらくして、聞きなれたノック音が響いた。
「朝食をお持ちしました」
マーリの声に扉を開ける。
「ありがとう」
答えながらマーリの背後とそこから見える範囲の廊下の状況を確認する。通常と同じく警備の者がいる。
先ほどリードは、気配を消しこれらの警備や館のメイドの目を避けて私の部屋に来たようだった。この奥の部屋に誰にも気づかれずに来るのは至難の業だ。あらためてリードのその能力の高さを知る。私とはまた違った形で潜入する術をもっているのだろう。
そんなことを考えつつマーリから朝食のトレーを受け取ろうとすると、トレーと共に小さな花の花瓶
を手渡された。
「これは……」
「ミカ様からです」
ここ数日、美香からの花がディールから届いていたが、マーリが運んでくるのは初めてだった。
花を凝視している私に気付いたのか、マーリが微笑む。
「ミカ様が、アラン様がお元気でありますように、と」
「ミカに会えたのか? 話せたのか?」
「はい、やっとやっとお会いできました。ミカ様、お顔色悪くございませんでした」
マーリの裏表のない弾んだ声に肩に入っていた力が抜ける。
「そうか良かった……」
赤い小さなバラの一輪挿しから、バラの香りが美しく漂った気がした。




