07 戸惑い 1 (ミカ)
ミカ視点。
アランが夕食のときに言った。
「五日後、一緒に外出しましょう。馬車の窓のカーテンは開けて良いですよ」
……え?
私はお肉を切っていたナイフの手をとめて、テーブル向こうのアランの顔をまじまじと見た。
「外出?」
「そうです」
「そとを眺めて……いいの?」
私は、驚きのあまりに、あたまの中がぐるぐる回って次の言葉がでない。
「えぇ。今まであなたの処遇が決まってなかったので、安易に外出はできなかったのです。ですが、私の婚約者として決まりましたの…」
婚約者になったから外に出られるようになったというのは、正直なところ複雑な気分だ。
それと同時に、驚きでぼうっとしてた頭がだんだん冷静になってくる。
「それって……つまり、あなたの婚約者として、一緒にでかけるってことよね?」
「まぁ、そうですね。いやですか?」
アランは、少し顔を傾けてたずねた。
サラサラの金髪が軽く揺れる。碧い瞳は、どこまでも穏やかに、優しさをたたえているけれど。
……用心にこしたことはないのを知っている。
「いやじゃないけれど……戸惑ってる」
「そうでしょうね。今までは、あんなに泣いてもわめいても、怒鳴っても暴れても、外に出ることは許可が出ませんでしたからね」
「……暴れてまではいないよ」
あまりなアランの言葉に私が言い返すと、アランはくすっと笑った。
「壁に縄ばしごをかけてまで、逃げようとしてたのに?」
「……逃げたんじゃない。外を見てみたかっただけよ」
そう、私はこの館から出ていこうとしたことがある。
この館のバラ園に落っこちて助けられたものの、よくよく周囲を見渡してみれば、人間の服装、言葉、地図や文字から……すべて未知のものに囲まれていた。
異世界だと知らされて、パニックになった。
……本当にここは日本じゃないの? 地球ですらないの? 本当に異世界なの? 何か盛大な詐欺で、だまされてるんじゃない?
って、気になって気になって……。外を確認しにいこうとしたのだ。
飛び出す前に、見つかって戻されたけれど。
そのときアランに、穏やかに、でもきっぱりと宣言された。
『ミカにすれば、単に外を見てみたかっただけの行動でしょう。ですが、あなたの異世界からの到来がまだ確証されていないのですから、場合によっては他国からの密偵や暗殺者の行動ととられかねません。 私がかばえるのは、この館内での行動だけですから……。今後は、お慎みください』
このアランの言葉で、自分の危うい立場に気付いた。
それ以降、スパイとかに誤解されちゃって、それこそ拷問やら極刑やらになっては大変と……館からの外出に関しては、わがままを言わないようにしていたのだ。
この一年、聖殿や王城で審問されるときだけは、この館を出た。
でも馬車には厳重に二重カーテンがかけられ、しかも狭い馬車に私の隣にアラン、前に近衛騎士団の団員と思われる方々が座り、ちょこっとも外を眺められなかった。
聖殿内と王城内でも、審問用に使われる離れの別宅に馬車から直接通され(多分、城内の見取り図が外に漏れないようにするため)、兵士に囲まれつつ天井や壁を眺めただけ。
気分は、まさに籠の鳥だった。
ただ、アランは最初のころから、この館では比較的自由にさせてくれてたように思う。
私が異世界からの到来者だと確証が増えてくると、書物を用意してくれたりしはじめた。聖殿の魔術ミスで到来してしまったことが判明し、暗殺者やスパイだとの疑いがはれると、高度な学識をもった家庭教師までつけてくれるようになった。
こちらになじむように最大限に手を差し伸べてくれたのが、アランなのだ。
そして、今度は外に出て良いという。
アランの婚約者になったから……。
アランが私という厄介者を引き受けてくれたから……フレア王国を立ち歩いていい許可が出た、というところだろうか。
私がそんな風に考えていると、
「嬉しくはありませんか?」
と、アランがたずねてくる。
私はフォークとナイフを置いて、首をふる。
「嬉しいよ。すごく!」
「そういう顔にみえませんが」
「……本当に……戸惑ってるの」
だって、嬉しいけど……ずっと1年この館にばかりいたんだよ?
私にとって、今さら外に出るっていうのは、覚悟のいることだ。
以前、壁を乗り越えてまで外を見たいと思ったのは、異世界に来たことそのものがパニックだったから、ある意味「わけがわからないこの状態をどうにかしたい!」っていうエネルギーがあった。
自分の身に起こったことを解明したい強い気持ちがあったんだ。
でも、今ここにいるのは、とにかくこの異世界を少しでも理解して、生きぬいていくことに気持ちを塗り替えようとあがいてきた「私」なのだ。
そんな私に今更「外に行ってもいいよ」と言われても、今さらどうしろっていうの……という戸惑いしかない。
こういう気持ち、アランにどうやって話したらいいかわらかない。
『外に出られる、やったぁ!』みたいに単純にはいかない気持ち、なんていったらいいんだろう。
そもそも話すほどのことじゃないかもしれない。
私が黙っていると、アランはじっと私を見つめた。
そうして一度小さな息をついた。
なんかため息みたいな感じ。
そうして口を開く。
「……共に行くのが私では、いやですか?」
「え?」
アランからの思いもよらなかった質問に、私は目を瞬いた。
私の反応に、少し眉をよせるアラン。
綺麗な碧い眼が、少し暗くなったように思った。
「私と出かけたくない?」
もう一度問われ、その意味を理解して、私はあわてて返事した。
「アランと出かけるのがイヤなんて、まったく思ってないよ。騎士団長様に守ってもらえるなんて、どんな暴漢が来ても安心だし」
まくしたてるように言うと、今度はアランの方がびっくりしたようにちょっと眉をあげた。
そして、しばらくして微笑んだ。
甘くやわらかに差し込む春の日差しみたいな笑みに、私は目が釘付けになる。
キラキラさらさらの金髪に、碧い眼がやさしく細められて、すっと通った鼻筋に、薄めの唇が綺麗な弧をかいたら……なんか麗しすぎて眼がまぶしい。
「お守りしますよ」
「え?」
「どんな暴漢が来ても。この剣に誓って」
「あ……ありがとうございます?」
私は、騎士に守られるに値する姫君じゃないんだけど。
こんな優しげにきらめいた瞳で、こんな甘い言葉をささやかれたら、思い違いってわかっていてもさすがにドキドキする。
恋愛スキル皆無な私に、この美貌と徹底された騎士道精神・レディーファーストはクラクラものだ。
「守りますから……」
アランは立ちあがって、こちらにきた。
テーブルについている私の横にたつ。そして、まるで優雅なダンスのように、そのまま片膝をつけてかがんだ。
……そう、映画で騎士が誓いをたてるときのように。
「アラン?」
アランは、その片膝をついてかがむポーズのまま、私の右手をとった。
そして、指先に口づけた。あたたかな感触が指先に触れて、緊張するものの手を引くこともできずに、私はそのままの姿勢で固まるしかない。
「あなたのことを守ると誓うので、どうかあなたも約束してくださいませんか?」
「約束?」
「離れない、と」
「……離れない?」
私が戸惑ってたずねると、アランは少しだまり、それから言いかえるようにして続けた。
「いいえ、『離れない』でなく、離さないでください。館から出たら、どうかこの手を離さないで……」
アランは左手で私の右手をかるく握った。そして今度は手の甲にくちづける。
はずかしくって、私は柄にもなくうつむいた。
だってさすがに指先や手の甲に何度も連続で口づけられたら、照れる!
ほほが熱くなるのがバレるのも恥ずかしかった。
「あ、の、わかったから。手を離さなきゃいいんだよね? ずっと手をつないでる、それでいいよね!?」
私がうつむいたまま、口早に確認すると、
「えぇ」
とアランは返事して……。
なんとアランは、ちゅっと音をたてて私の中指にキスをした。
「っ!」
「では、私も楽しみにしています…」
そういったアランは、ようやく私の手を離してくれた。
*****
「まぁ、デートですか!」
「デートじゃないよ! 外出って言ったらいいのかな?」
ここは、私の居室の中にある、寝室横の化粧台。
寝間着に着かえた私は、くつろいだ格好でマーリが髪をブラッシングしてもらっている。
優しい感触のブラッシングに、私は心身リラックスする時間だ。
私は、夕食でアランに言われた「五日後の外出」について、マーリに話してみた。
マーリに確かめたいことがあったのだ。
「ね、マーリ?」
「なんでございましょう?」
手際良く私の髪をブラッシングして艶を与えてくれながら、マーリは話の先を促す。
「外って、どんなところかな?」
「どちらに行かれるかは聞いたのですか?」
「王城の城下街だと聞いたけど……。城下街って一言でいっても、やっぱり広いよね?」
私の質問に少し考えるようにしてから、マーリは口を開いた。
「そうですね。城下街は居住区と商業区、職人区におおまかに分かれています。おそらくアラン様がミカ様と一緒にお出かけになるのは、商業区でも貴人が集うお店の集まるところでしょうから、城下の南区あたりでしょう。落ちついた雰囲気で石畳とレンガが綺麗な街並みが見られると思いますよ」
マーリは丁寧に説明してくれる。
私は意を決して、いちばん聞きたかったことをたずねることにした。
「あの……」
「はい」
「あ、あの……やっぱり、みんな金髪碧眼なのかな?」
私がおずおずとたずねると、一瞬、ブラッシングする手は止まった。
「ご、ごめんね。気になっちゃって」
私が申し訳なくてそう言うと、マーリは少し微笑んだ。
「そうですね、金髪や銀髪、または薄い茶色の方が多いですね。目は、濃い茶色、草原のような明るい緑、黄色に近い淡い茶色の目もありますね。ですが、黒はやはり、めずらしいかと……」
「そっか、ありがとう」
マーリが丁寧に教えてくれて、感謝する。
同時に、そのほんの少し言いにくそうに言葉を選んでくれる態度から、黒髪黒眼は珍しいんだろうなってことが伝わってくる。
やっぱり、私のこの黒髪黒眼、目立つよね……。
私がため息をつくと、マーリはあわてて私の顔をのぞきこみながら言った。
「まったくいないわけではないのです!」
私はうなづく。
「まぁ、そうよね、キースは黒髪と黒眼だし……」
「!」
私の言葉に、マーリがのけぞった。
どうしたんだか、オロオロしている。
「どうしたの、マーリ?」
「い、いえっ、キースの名前がミカ様のお口から出てきたので……ちょっと動揺しまして。そ、それよりも、私はミカさまの御髪、大好きです。綺麗ですもの!」
「ありがと……」
マーリがなぜ私がキースの名を出したことでうろたえたのかは分からなかったが、私の髪を好きでいてくれるという言葉は嬉しかった。
マーリは私の髪をときおえたので、私はそっと立ちあがった。
「ありがとう、マーリ。もう、寝るね」
「は、はい」
私は寝るためにベッドに移動する。
マーリは礼をして、「おやすみなさいませ」と言って退出準備をする。
「おやすみなさい」
私があいさつすると。キキィとドアを開けるおとが聞こえ。部屋の明かりが消された。
***
マーリや他のものたちが廊下を行き来する音が聞こえたが、やがてその足音も聞こえなくなって……館に静寂が落ちる。
皆が静かになっても、月が昇り始めるころま私はベッドの中で静かにしていた。
館全体が静けさにつつまれていく。
そうして3時間ほどたったころ、私はそっとベッドから起きた。
寝間着の上に、手編みのケープをはおる。
ぎゅっと前を硬く結び、ベットからすべりおりて、足に布のシューズを履く。
ちいさなランプに火をともすと、オレンジ色の炎がときどき揺れる。
私はそうっと自分の居室のドアをあけて……廊下に出た。
暗闇の中、ドアを閉める。
そして、息を詰めるようにして、ランプの明かりを頼りに、館の廊下を静かに走りだした。