61 捕らわれた者 6 (ミカ)
キースは苦しそうに眉を寄せながら、リードを睨んでいた。その目はランプに照らされて、まるで燃えているようにギラギラしている。
身体全体で息をしているというのに、顔色は怒りのためか赤い。乱れた黒髪に、ところどころ切れた肌には血がにじんでいた。
そんなキースを前にしてもリードは表情ひとつ動かさず、淡々とキースに近寄ったかと思うとおもむろに右手をかざし、何かを唱えた。
途端に、キースがぶるりと一度大きく頭を振った。と、同時に、私の身体に絡みつくようだった重い空気が、ふぅっと軽くなる。
息をすいこむと、鉄格子と石壁の湿り気を帯びた心地のよくない匂いがした。今いる場所が、牢屋だとか、監禁する部屋だとか、そういう良くない雰囲気のする部屋だということに、あらためて気づく。 キースは、聖殿の中でも牢屋のような所で、なんのフォローもなく、あの記憶の開示の魔術をかけられたのだということに気がついた。
私の隣でリードがキースに向かって近づいた。
「術をゆるめたので、動けるはずです」
リードはキースにそう告げながらひざまずき、座り込むキースに近寄った。キースは避けるようにやや後ろに下がる。
「キース、痛みは?」
リードの問いかけにも、一瞥しただけで返事はしない。すべてを拒むようにキースはリードをにらみつけながら、一度だけ強く首を振った。何か痛みを感じたのか、眉をぐっと寄せたのがキースの乱れた前髪から垣間見えた。
「制御できないままで、肉体の限界を考えない魔力解放でした。肉体に相当な負担をかけたはずです。横になりますか」
重ねて気遣うようにそう言ったリードの声かけにも、キースはまるでつきまとう蝿を追っ払うみたいに、うっとうしげにもう一度大きく顔を振る。
強く睨むような瞳だけは、リードに向けたままだ。
ついさっきまで大きなうなり声が響きわたり、異様な圧迫感とパニック状態の魔術師達の声がこだましていた空間は、今、しんと静まり返っている。
けれど、物音はしないというのに、何一つ落ち着くことのできない、全身が強張るような気持ちで私はリードの横に立っていた。
何も言葉が見つからない。ただただキースを見つめるしかない。
心の中にはたくさんの疑問がめぐっているというのに。
私に魔力を流したのが、本当なのか。
今、大きな魔力を持っていたというバレシュ伯とのつながりはどんなものなのか。
どうして今まで隠してたのか――聞きたいことなら、山のようにある。だけど、口が動かない。
……キース、あなたは、本当に異世界から来たの?
聞きたいのに、ことばにならない。
胸の中でグルグルと想いだけが行き交っている。
今の私は、とにかく、目の前のキースの姿に気圧されていた。
暴走の後の破れて乱れた衣服。
初めて目の当たりにした、とげとげしく、周囲を拒絶するようなキースの態度。口調、目線。
館での、薔薇を扱う優し気な庭師の彼とまったく違う目の前の姿に、困惑し、怖いとさえ感じていた。
私の戸惑いをよそに、リードはいつものように淡々と、キースに話しかけている。
「では、そのままの姿勢で良いので、答えてください」
「……」
「貴方の内に巡る『バレシュ伯の魔力』は今は抑制されているはず、言葉もいつもどおり話せるはずですよ」
キースは「バレシュ伯」の名前に反応したみたいに、バッと顔をあげた。険しいまなざしが見て取れる。
彼は、忌々しげに吐き捨てた。
「……余計なことを」
ずんと響く低い声に、思わず手を握りしめた。薔薇と向きあってたときの穏やかな笑みとは、あまりにほど遠い声音だった。
けれど、動揺する私と違い、リードはキースの態度にも平然としたままだ。
「余計なこととは?」
ただ、そう静かに問い返す。キースはその言葉にも苛立ったように、口元を歪めて言い放った。
「無能な者たちなど、あの方の魔力で一掃されればよかったのだっ!」
最後、叫ぶように言い放つと、キースは膝の上で拳を握り締めた。
よほど強く握っているのか、浅黒い手の甲に、筋が浮かぶ。その甲もわなわなと震わせ、キースはこちらに言い聞かせるように低く、ゆっくりと言った。
「陥れるようにミカ様をさらい、庭師の私に対しては無理矢理に連行。さらに、このように記憶をこじ開けるような魔術をしかけるとはな。 さらに、無残にも能力が足りず魔術失敗とは、笑わせる」
低くうなるように並べられた言葉は、明らかに嫌悪を含ませていた。
「おまえ達は、無能きわまりない。 階級意識と選別意識だけが、特上に磨かれているだけだ」
さして大きな声ではないというのに、並べられた言葉は気迫に満ち、私は息をのまずにいられなかった。
隣でリードだけが、小さく息をついた。
「……たしかに、我々、魔術師は無様なありさま。聖殿の魔術師達の力は、あなたに流れる亡きバレシュ伯の魔力に、ことごとく跳ね返された。結局、あなたの記憶には少しも触れられなかったようですね」
「はっ! ひとごとのように言うんだな。 おまえもその”聖殿の魔術師”だろうに」
「えぇ、聖殿の魔術師ですよ。ですから、今、ここにいるのです」
リードがそう言ったとたん、キースはリードを睨み返し、警戒するように上体を起こす。けれども、リードは淡々と続きを述べた。
「誤解しないでいただきたい。聖殿の魔術師として、あなたに質問するためにここにいるだけです。もちろん、あなたから答えを得る必要はある。ですが――私は、記憶開示の魔術をあなたにかける指示はうけていないし、今の段階では、強制的に答えを得ようと、あなたに記憶の魔術をかけるつもりもない。もちろん、暴れるならば緊縛の法は強めますが」
リードはそう言い切ると、ふいに私の方にむいた。
「ミカ、息はどうです? 体調は?」
突然の言葉に戸惑いつつも、私は「今はなんともない」と答える。すると、リードはキースと私を交互に見た。
「ミカ、先ほどは、胸が詰まり相当苦しかったことでしょう」
「うん」
「貴女に流れる微かな魔力が、キースの中にあるバレシュ伯の魔力の暴走に同調し、若干ですが増幅されたんですよ。他の無防備な魔術師たちは攻撃を受けた形に近いですが、あなたは体内の魔力の波動に身体が追い付かず苦しくなったのです」
「つまり、それって……」
私がリードを見返すと、リードは頷いた。
「あなたに流れる微量な魔力は、キースの内にある、バレシュ伯の魔力と同質ということの証明」
「キースと同じ……」
「えぇ。もっとも、ミカの内にあるものは、普段であれば、誰にも気づかれない程度の微量。今は、まだ、キースの内にある魔力の影響をうけて、そばにいて感じ取れるほどに力が揺れていますが」
私はリードの言葉に頷きつつも、実感があまりわかない。息苦しさはなくなったけれど、魔力が揺れているといわれても、全然わからない。
ただ、リードの言葉から、決定的に、私の中に微量とはいえ魔力があるのは――……なぜか、この異世界……フレアに落ちて来てから、こちらの『古語』がわかるのが、キースから受けた魔力のせいだということはわかった。
――……なぜ、キースは私に魔力を?
しかも、今の話の流れだと、その魔力はキースのものというよりも、バレシュ伯というすでに亡くなった方のものらしい。いったい、なぜ、その人の魔力をキースが?
いっぱいの疑問を抱えていると、リードが無言でこちらを見つめていることに気付いた。
青緑の瞳と視線が交わる。
彼の瞳はいつものように冷ややかで静かであったけれど、この沈黙の意味が突然、ふっとわかった。 リード自身がキースに質問を重ねるのではなく、私にこうして話しを振ったのは……。
『ミカが、自分で、キースに問うてみろ』と時間をくれているんじゃないかと感じたのだ。
キースと話せるのは、たしかに今しかない――……。
アランも捉えられている今、もしかしたら異世界から来たこの人と、ちゃんと話せるチャンスはいましかないのかもしれない。
私はもう一度汗ばんだ自分の手を握りなおして、キースの前に両膝をついて向き合った。
いつもは大抵見上げることの多かったキースの顔、それが、今は同じ目線の高さとなる。
黒い瞳を見つめて、ゆっくりと、ことばを選んだ
「……キース。私に魔力を流したの? 何か理由があって、魔力を流してくれたの?」
キースは、思っていたほど険しいまなざしを私に向けなかった。
ただ、微笑むような和やかさもない。唇も動かない。
答えてくれる気はないのだということだけが伝わってきて、私は質問を変えた。
「キースは、このフレアとは別のところから来たの? 私みたいに……別の世界から来たの?」
彼は、表情を変えない。
「キースは、空から落ちて来たんじゃないかって、言われてるんだよ? どこからか、こちらに迷いこんだの? バレシュ伯とどうやって出会ったの? 教えて欲しい、キース」
私の問いが石造りの部屋に響く。しばらくの沈黙の後、キースの唇が動いた。
「……今、話さなくても、結局は、その隣にいる魔術師が、私の記憶を開示させることだろう」
皮肉気な言い方に、胸が痛んだ。
「キース……記憶を開く術は辛いよ、私も……知ってる」
小さく呟くと、キースがほんの少し目を開いた。それから、察したように瞼を落とした。
「あなたも生贄か、この国の。この世界の、哀れな生贄」
キースの言葉が胸を突く。
「……生贄だなんて」
「生贄がふさわしくないのならば、犠牲者とでも言えばいいのか」
「犠牲者?」
「……この国は、この世界は――……異なる世界から、人を引きずり込んでおきながら、見て見ぬふりをするのだから」
「え?」
キースの唇がゆがむような笑みを浮かべた。皮肉るような、あざけるような笑みを、私の隣にいる人に向ける。
「魔術師は、気付かぬフリ、見て見ぬフリ、”無かったことにする”というのが、お得意だな。あの方――バレシュ伯以外の奴らは」
「キース、どういう意味?」
「そのままの意味です。このフレアの魔術師や貴族連中は、都合の悪いものは”なかったこと”にするのが得意だってことだ」
膝をさらに近づけると、キースは私に目線だけを寄越し、膝の上にあった右手を私の方に伸ばしてきた。
ごつごつとした、いつも薔薇を手入れしていて傷跡の多い彼の手が、私の肩に落ちてきていた髪をひと房つかむ。
私はとっさに肩に力を入れてしまったけれど、キースは、つかんだ私の髪をしばらく眺めた後、はらりと放した。
キースの目は、髪先を追ったまま伏せられたままだ。
黒く長いまつげ、その伏せられた視線の先で、彼は何を見つめているんだろう。彼は何を見てきて、何を考えて、私に魔力というものを流したんだろう?
ふいに、低い声が響いた。
「……私の妹も、黒髪だった」
ぽつんとつぶやかれた言葉に、私は胸がどきっとする。
――妹?
「妹さんがいるの?」
「……私の故郷には、茶色の髪や金茶の髪も稀にいたが、黒い髪の者も多かった。両親は茶色の髪をしていたが、私と妹は母方の祖母に似たのかもしれない。妹は……ミカ様とは違って、すこし癖のある髪だった」
過去形で話していることに、胸がどくどくんと鳴り始める。
「妹さんは、今……」
「今。いま……今はきっと、おそらく、遠いところにいる。いや、俺が遠くに来てしまったのか」
――……俺が遠くに来てしまったのか。
キースの言葉が妙に耳に残る。
「キース、それって……」
私は彼の顔をのぞきこんだ。
伏せられた彼の目とは、視線があわない。ただ、彼の沈むような、暗い表情だけが、目に入ってくる。
彼の口元が、ふっと弧を描いたのがわかった。
「……ミカ様と俺は、ある意味同じかもしれない。だが、違うといえば違う」
「どういうこと? どういう意味なのっ!?」
キースの言葉が謎だけを持ってくることに苛立って、私の声は少し甲高いものになった。
すると、それを聞いたキースが今度は明らかな笑いを見せた。肩を揺らして、笑いながら、顔をあげて私を見た。
笑っているのに……瞳は笑っていない。その目は昏くて……昏くて、木炭のよう。
「前から思っていました。ミカ様の、そのちょっと怒った声や雰囲気が、妹に似ていると。……あなたが時々漏らす、古語にならない『元の国の言葉』のわめきは、何を言っているのかわからなかったけれど、ころころと変わる喜怒哀楽や、浮かべる表情は、似ているものなのかもしれない」
「……元の国の言葉って……」
ひっかかりを覚えて、つい繰り返してしまったとき、キースがゆっくりと浅黒い逞しい腕を伸ばすようにしてから、自分の黒髪をかきあげた。
魔力の暴走で、ボロボロになった衣服がガサリと音をたてた。傷からは血がにじみ出て、流れでているところすらある。見るからに痛そうなのに、彼自身はそんなことにかまう気持ちはないようだった。
ただ、キースは一度大きく息をすうと、今度は、身体に入っている力をすべて抜ききるみたいな、大きく深いふかいため息をついた。
「もう、十年ほど前になる。――……俺も、なぜか、気付いたら、落ちて来てしまっていた。この見知らぬ国に……世界に」




