60 捕らわれた者 5 (ミカ)
キースは聖殿に引き渡され、魔術師から審問を受けたという。
馬車が寄越される表玄関に向かう廊下を進むリードの後をついていると、ふいにリードが振り返った。
「……あなたは馬には乗れますか?」
急な質問にとっさに「乗れない」と答えると、リードは少し逡巡するように足を止め呟いた。
「馬車では時間がかかりすぎてしまう……」
独り言のように言って、その語尾が消えたとき、ふいにリードと目があった。思わず尋ねる。
「て、転移する魔術とかは――」
「禁術です」
とぴしゃりと止められ、はっとする。
転移だとか大きな魔力が動くものは禁じられているし、そもそも、ガタールとの戦い以降、今や大掛かりな使える人もいないとされているって聞かされたのを思い出した。
「そ、そうだったよね」
返事しながら、リードを見た。彼はすでに何かを考えているようで目を伏せていた。白銀の髪がさらりと揺れている。
――……「禁術」。
あぁ、でもきっと、禁止さえされてなければ、リードは使えるんだろう。使えるけれど、フレアの平和を維持するならば、均衡を保つためにもその力は使ってはいけないし、リードは使うつもりがない。
こんな急いでいるときも、力があったとしても、皆の決めた国のルールに従うってことで――……。
複雑な思いが横切った、その時。
「馬で行きましょう」
リードは唐突にそう言って、私の肘を取った。驚いて制止する間もなく、私を引っ張るようにしてリードはくるりと向きをかけ、廊下を進み始める。
慌てて私は叫んだ。
「え、ちょ、ちょっと待って!」
「あなたは、その黒髪を帽子か何かで隠しなさい。道中、目立っては困る」
私の言葉を無視して、リードはどんどんと歩きはじめる。また速くなる足のスピードに、つんのめりそうになりながらも、リードに向かって叫んだ。
「本当に、待ってよ! 私、申し訳ないけど、馬、一人で乗れな……」
「それはさっき聞きました。私の前に乗せます。せいぜい振り落とされないように気を付けてください」
「え……」
再び私の言葉をさえぎり言い放ったリードは、驚く私を引きずるようにしたまま、厩舎の方へと向かったのだった。
****
リードに抱きかかえられるようにして乗った馬の早駆けは――……とにかく怖かった。
冷たい表情のリードだけれど、彼は私を手荒に扱いはしなかった。淡々と馬に「乗せて」「運ぶ」という作業をしているという感じだったものの、支えてはくれたし、馬に乗りおりするときも手をさしのべてはくれた。
でも、馬に乗った目線は高く、聖殿に向かって風を切って走るときの振動はものすごくて、私は目をつぶっているしかなかった。腰もお尻も痛い。でも、それよりももっと、振り落とされそうで、怖い。
あらためて思った。アランはどれだけ私を丁寧に扱ってくれていたんだろうって。本当に本当に優しく接してくれたのだ。異世界に落っこちてきた、その日から。
こうして抱きかかえられて馬に二人乗りするのは、初めてじゃない。
このフレアに落ちてしまってから、取り調べ以外で初めてアランの館から「普通に」外出した、あの日。
アランが馬に乗せてくれた。馬車で出かけると思ってたから、あせりはあったけど――でも、怖くなんてなかった。
彼に包まれるようにして、今みたいに、前に乗り、館から出発して、森や林の木々の緑、花々、鳥のさえずりを楽しんだ。
あの時はまだアランに対して好きなのかどうか――今ほどに深く恋しいなんて思い、なかったけれど。でも、初めて乗せてもらうのに、アランに対して「振り落とされるかもしれない」なんて微塵も思わなかった。
リードの腕に掴まらせてもらいながら、ぎゅっと目をつぶって、アランのことを考えて、振り落とされる恐怖を逃した。リードは私を手荒に扱うわけではない、もし落ちそうになっても助けてはくれる気がする。
――でも、それは、私が「使える」からだ。
キースが異世界から来たかどうかの判定に、私の存在は有用だろうし。周囲の国に対して、異世界から来た人間を抱えているということが、使いようによっては外交の切り札にだってなるかもしれない。
私という存在が使いようによってはリードやその周辺のプラスになり得るから、生かしてくれるだけ。
息の根を止めないだけ――……。
なのに、アラン。
あの人は、近衛騎士団長だなんて、騎士の中では最も内政に関与してそうな立場でありながら、彼は私のために腕を差し出してくれるんだ。
落ちて来た私を抱き留めて――……。
ディールのところに囲われた私を逃がしに来て。
そして、一緒に生きようと手を差し出してくれる。
アラン……ごめんなさい、ありがとう、ごめんなさい、ありがとう――……一緒に行かなくて、ごめんなさい。
気持ちがあふれてくる。
青碧の瞳を思い出す。続くようにして、ディールの私兵によって連れて行かれた彼の背中を思い出す。
孤独な、背中――あの背を思い出したら、揺れの怖さなんて、これから何が起こるかわからない怖さなんて、すべて耐えられると思った。
彼の手を取らず、彼を傷つけてしまったことに比べたら――こんな怖さも、馬に乗れない情けなさも、全部取る足らないことだって思えたから。
****
前にアランと海を眺めた日に通った道を、リードは駆け抜けた。
途中から、海に続く道ではなく、森の中へと進む。迷いなく、鞭をあやつり馬の脚を進めていく。
そうして、やっと止まったのは、鬱蒼とした森の中の石造りの建物だった。
ふらふらしている私を馬からおろし、リードはそのまま私の手を引いて走り始めた。
ガクガクしている足をふるいたたせて、リードについていく。振動に酔って気持ち悪いのも、唾を必死でのみこみ、必死に吐き気を抑え込んだ。
リードはキースのいる場所がわかっているのか、迷うことなく石造りの廊下を走ってゆく。その後ろを私は懸命についていった。
聖殿の中は石の迷宮のよう。
廊下を何度か曲がり、階段も下り、さらに廊下をつきすすむ。
息が切れる。あしがもつれる――……そう思った瞬間、うなり声が聞こえた。
廊下を進むとさらに、布を引きちぎるような音。家具か何かが倒れ、バキバキっと壊れていくような激しい音が簡素な石造りの廊下に響いているのがわかる。
「グぅーーっ……あぁぁぁぁっ!」
まるで獣がうなり、叫んでいるような声がこだまする。
まさか、キースっ!? キースの声なの?
リードについて進むたびに声を大きくなってゆく。
何度目かわからない廊下の曲がりかどを曲がったとき、リードがふいに立ち止まった。
顔をあげると、リードの肩の向こうに、廊下を区切るように床と天井が結ばれた鉄の柵が見えた。
窓がなく、いくつかのランプの灯りはあるものの、鉄の柵の向こう側は暗い。
けれど、そこから叫びが聞こえた。獣のような、叫び。うなり。そして、言葉になっているのかなっていないのかわからないような、声。
そこに、何か別の人の呪文のようなブツブツいっている言葉が重なっている。目を凝らすと、魔術師らしき白い衣の人が数人がひっくり返ったり、しゃがみこんだりしていた。
そして、魔術師の向こうに、床に膝を頭を抱えるようにしながらも、全身を突っ張るようにして叫ぶ男の人の姿があった。
「キースっ!」
思わず叫んだ。けれど、彼の叫びにかき消される。床を転げまわったのか、それとも引きちぎったのかわからない。けれど、キースのシャツはところどころ裂けているのが見える。苦悶にゆがめた顔は、いつもの静かにバラの手入れをしている姿とは、程遠い。
「キースっ!」
もう一度叫んだ。けれど、キースは黒髪を振り乱し、こちらのことはわかっていないようだった。
彼が大きく口を開けた。そして、声をはっする。
『――』
何かの叫び。けれど、うなり声と違って、言葉のように聞こえた。
なのに、私にはなんといっているのかわからなかった。
古語として私に伝わってこないということは、キースの叫ぶ言葉は、彼が育った地方の言葉のはず。それが、このフレアのある世界のどこかで話されている言葉なのか、私のように、こことは違うどこかの世界の言葉なのかわからない。
ただ、日本語じゃない。それに、たぶん、英語とも違うように、聞こえた。
叫びとうなりのなかで、何かを願うように、請うように発される言葉。
『――っ、――……』
何を叫んでいるの、何を言っているの――?
疑問が湧いてくる。
もっと近くで聞こうと、リードが鉄の柵に近づいたのに後を追って、私も踏み出した――その時。
「ぅっ……」
思わず私は呻いて、立ちどまってしまった。
――……痛っ……胸が苦し、い……。
圧迫されるような、締め付けられるような息苦しさ。胸元を抑える。思わず咳き込む。
だけど遅れをとるわけにはいかない。リードについてもう一歩進もうと足をだそうとした。でも、さらにぎゅうっと胸が肺が圧迫されて押しつぶされるみたいだ。
「く……る、し……」
声が漏れ出る。足が、出ない。
数歩前に立ちはだかっていたリードが前方を向いたまま言い放った。
「あなたは、下がって」
「リー……ド?」
「キースから放たれる魔力が、周辺の気を強力に圧しているのです。周りの倒れている魔術師達も、圧迫され押さえつけられてしまっている――……。遮断の魔法を試みます、後方に離れて」
返事ができなくて頷くと、リードの腕がふわりと動き、何か呟く声が響いた。
途端、空気がざああああっと動き、風がうなった。鉄の柵が一度ガタンっと揺れ、倒れている魔術師達の長い衣装がフワっと空気をはらんだように見えた――その刹那。
「ぐぅぁぁあああっ!がぁぁ――……!』
うなり声をあげ、自らを服を引きちぎるようにして、暴れ、転げまわっていたキースの動きがピタリと止まった。苦しそうな顔のまま、全身強張ったままで。
見えない縄で身体を縛り付けられているかのようだった。苦し気な息遣いだけが漏れている。
だけど、キースが動けなくなったことで、彼から発されていたという魔力も止まったのか、私の胸をぐっと詰めてくるような力が弱まったのを感じた。そして、すーっと押さえつけるような目に見えない圧迫感が消えてゆく。
息が、普通にできる!
「リードっ、私、息、楽になった」
戻った呼吸を伝えたくて叫ぶと、リードは前方を向いたまま頷く。
キースの周りに倒れ伏していた白い長衣の魔術師達も、押さえつけられる力が弱まったからなのか、ぴくぴくと小さく身体を動かし始めた。倒れていた魔術師達の数人がそれぞれぶるりと頭をふり、よろけながらも立ち上がりはじめた。四つん這いのままでキースから離れるように逃げ始めたものもいる。
でも、キースは固まったままだ。髪が逆立ち、目がギリギリと宙を見据えているというのに、身体は動かせないようだった。
リードはそんなキースを見つめている。
そしてリードは、目線はキースに固定したまま、手指だけをすっと動かした。その直後、柵がガシャンと大きな音を立てる。柵の一部がまるで砕けるみたいにして、崩れてゆき、人が抜けられるような穴ができたのだ。
立ち上がったり、四つん這いで逃げようとしていた魔術師達が、我先にというように、リードが作った抜け道にむかってくる。魔術師達が白の長衣をはためかせて鉄の柵をくぐり、こちら側へと逃げて来た。
「リ、リード様っ」
柵から逃げ出してきた魔術師の一人が助けを求めるようにリードに腕をのばした。リードは、その伸ばされた手を避けるようにして身をよじり、柵を越えて逃げて来た者達をざっと一瞥した。
「緊縛の法もつかえないとは、審問の魔術師達は何をしている」
リードの低い声に、魔術師達は一瞬怯えるように肩を揺らした。何人もいるのに、皆が返答を譲り合うようにして顔を伏せたままだ。
「焦って、無理やりこじあけようとして失敗? それでも王都の聖殿に住まう者なのか?」
追い詰めるように、静かに、けれど低い声音で言葉をつむぐリードに、明らかにリードより年齢が上そうな人たちも、びくりと震えたままうつむいた。
沈黙が続いてしばらくして、ようやく一人が顔を上げた。
この人も顔に細かい切り傷ができており、髪もぐちゃぐちゃだ。この状況に怯え切った様子だったけど、何度も瞬きしながらも、口を開いた。
「こ、こ、この者の中に在る”亡きバレシュ伯の魔力”に跳ね返されました。すでに上級第一班は退避して……けれど、一人は失明、一人は気をうしなっている状態です!」
「上級魔術師連中があつまって、これか。バレシュ伯は”すでに死んだ者”。その者が”残した”だけの魔力を前にして、退くしかないのか」
感情がこもっていないのに、冴え冴えと切りつけるようにリードが言葉を放った。
「で、ですがっ! 術式が古く、新米の魔術師では対応しきれ……」
「言い訳は必要ない。ここは私が防ぐ。退出して、倒れた者たちの看護にあたれ」
「は、はいっ」
リードはキースの方に気をくばりながらも、背後であたふたしているボロボロな姿になった魔術師達に次々に指示を出した。リードの鋭い物言いに、魔術師達は圧倒されるようにしながら返事を繰り返す。
「怪我のない者たちは、結界の生成に力を出せ。バレシュ伯の残した魔力がさらに他の魔術を発動させることがないよう、三重結界だ」
「承知しましたっ」
「ただし、これらは緊急ということで、臨時で私が指示を出したが、今後は、再び、聖殿長に指示を仰ぐように」
「はいっ」
そこまで指示をだしたリードは、ふいに私の腕を取ったかと思うと引き寄せた。
思わぬ動きに私がリードを見上げると、リードは私を一瞥することもなく、
「見知ってる者もいるだろうが、この女性はアランの婚約者”ミカ”」
リードの言葉に、それまでバタバタしていた魔術師達が一瞬息をつめたように静かになった。
そして、今、私の存在に気づいたように、魔術師達が私の方を向いた。だが、まるで見てはいけないものをみてしまったのかのように、すぐに顔をそむけられた。
沈黙の魔術師達の中、身体を魔力で束縛されたらしいキースのうなり声だけが響く。
その中でリードが淡々と言い放った。
「ミカはキースとも顔見知りのため、連れて来た。まだ聖殿長から女性の入室許可証をもらっていないが、キースの魔力の暴走を防ぐため、この扉は閉めきる。聖殿長に報告しておくように」
「許可証が……な、ない……」
魔術師達の数人が眉を寄せたり、顔をこわばらせたのが私にも分かった。雰囲気から、よほど許可証なく女性がいるということに魔術師は抵抗があるんだということが伝わってくる。
しゃべらなくても、そこに女性への嫌悪のような距離をとろうとするような、あからさまな態度があった。
いまさらながら、初めてこちらに”落ちて”きてしまったときの魔術師達の審問が、形ばかりの「質疑応答」だったかがわかる。いろいろ聞かれたにしても、リードが私の記憶を開示したときみたいに近づいてきたりなど一切なかったし、決められた質問事項を私に読んでいるような感じだった。
リードみたいに女性に近づいて本当に魔力で中身まで暴くような生き方をしようとするのが、魔術師の中では異端なんだろうなってことが、すぐに伝わってきた。
そんな中、しばらく困ったようにおろおろと目線をせわしくなく動かしていた小柄な魔術師が、もじもじしながら言った。
「も、もしお咎めがあるようでしたら、リ、リード様の責任になりますが……」
するとリードは「かまわない」と言い放った。次いで、そのまま畳みかけるように魔術師たちに言った。
「キースの中のバレシュ伯の魔力と決着をつけなければ、聖殿が吹っ飛ぶ。早く、他の者達とも力を重ね、三重結果をつくれ!」
リードの強い言葉に、魔術師達の背が伸びる。
「りょ、了解いたしましたっ!」
と口々に言うと、去っていったのだった。
そして、この聖殿の奥深い場所、柵に囲まれたところには、リードと私と、荒い息を繰り返すキースだけが残った。




