表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/104

59 捕らわれた者 4 (ミカ)



 ディールから運ばれてきた楽器を前に、リードは思案顔になった。


 リードの前にあるのは、バイオリンみたいな弦楽器。たしかダンスを習っていたとき、音に合わせて踊る際に先生が呼んだ楽師も弾いていた。バイオリンみたいに肩において、弓を動かして奏でていた気がする。

 そういえば、初めてアランと城下に外出したときに、屋台が並ぶ街中で楽師たちが演奏していたっけ。ふいにまたアランの青碧の瞳が思い出されて、胸が締め付けられた。

 

 気持ちを切り替えるみたいにして、リードに「弾けるの?」とたずねれば、彼はすんなり頷いた。


「こちらにならんでいるものならば」


 言われて、もう一度近くで楽器を見つめる。飴色の木の艶、美しい曲線を描いた楽器は、アランの館では楽師が持っていたくらいで間近でみたことがなかった。

 リードが手をのばし、バイオリンによく似た弦楽器を手にした。


「このヴィオリノは、前ソーネット伯のものですね」


 リードの言葉に一瞬戸惑う。

 表情に出てしまっていたのか、私の顔をみたリードが楽器の弦の調節をしながら、


「この弦楽器が”ヴィオリノ”。前ソーネット伯は、父のことですよ。父と母の楽器は、ソーネット伯、つまり兄であるディールがすべて受け継いだので」


と言った。


「すべて?」

「アラン団長は楽器が苦手でしたから、受け継いでも弾けませんし。私は……聖殿に入る際、親から与えられたものはすべて放棄したので、魔術師見習いの間は、楽器も聖殿のものを使っていました」


 肩にのせると、リードがすうっと弓を当てた。

 音がこぼれる。

 数度試し弾きみたいに音を鳴らしたリードは、そのまま姿勢を整えると何かの旋律を奏で始めた。

 音が連なって部屋に流れはじめたとたん、私は、その音に身動きができなくなった。


 目の前で銀色の長い髪をゆるやかに揺らしながら弾いている、そのリードは無表情だというのに、その弓と弦から紡がれるのは、ダンスのときのような優雅な音楽とも、街で聞いた軽やかで明るい音楽とも違う、切なくなるようなどこか悲しみすら孕んだ音色と調べ。

 恋しい誰かを慕って歌いあげるような音に、どんどん引きこまれてゆく。


 最初は心の中で「このリードがこんなに繊細な音を出すの!?」と驚きに満ちていたけれど、いつのまにかそんな違和感も流れて、私は熱心に聞き入ってしまっていた。


 楽器に詳しくないけれど、素人の耳にも綺麗だと思わせる響き。

 目をつむっていると、アランのこと、母のこと、亡くなった父のこと――……たくさんの言葉にできない気持ちが震えた。

 悲し気なのに暗くはなくて、切ないのに鬱々とはしていなくて。

 どこか明るさがあるのに、けれどそれは笑い声があるような明るさではなくて――……。


 小さな頃、友達と笑いあって遊んだ楽しい時間の後、夕暮れにそれぞれの家に帰るとき、バイバイと手をふった後に振り返ったときの、消えてゆく人影と沈む太陽を見送るみたいな。

 夢中になって読んでいた本が終盤を迎えて、終わりを予感しながらページをめくるときの、もうこれから先にこの物語が続いていかないことを感じる寂しさのような。

 楽しんでいた花が季節を終え、最後のつぼみが咲き、その花びらが散り始めたときの気持ちのような。


 そんなつかみどころのない、けれども確かにある寂しいような悲しいような、でもほんの少し未来に期待するような気持ちが、緩やかな波のような音にのっては流れ消えていった。

 

 リードがいつのまにか、弾き終えていた。楽器を肩からおろしても、私はその余韻からなかなか冷めなかった。それくらいに、胸に訴えかけるような演奏だった。

 

「……上手、なんだ」


 もっと何か言いようがある気がしたけれど、リード相手に素直に褒めることもできなくて、私はそんな風に声をかけていた。

 私の言葉にリードは目をむけたものの、何も答えない。彼の冷ややかなまなざしを受け止めた瞬間、音楽に惚けていた心がちょっと冷やっとする。

 さっきまで感情豊かで、色彩が思い浮かぶような深い音色を奏でていた人が、この冷たく無表情なリードだなんてやっぱり信じられなくて、思わず口を開いていた。


「魔力と音楽の才能って関係あるの? 魔力で楽器もあやつれるとか? 魔力で音色を豊かにするとか?」


 リードはちらりとこちらを見て、首を横に振った。


「魔力の無いアランは音楽を奏でることが苦手ですが、それは魔力とは関係なく、彼の資質の問題ですね」

「魔力と音楽の才能は関係ないってこと?」

「関連性は証明されていませんね」

「じゃあ、楽器の演奏そのものは? あなたが演奏するときって、魔力で音を良くしてるんじゃないの?」


 その質問にもリードは首を横に振った。


「いいえ。今の演奏も、私の”身体”や”腕”が行ったことです」


 そう答えたリードは指先でそっと楽器を撫でた。

 しばらくそうして楽器を見つめていたあと、リードはぽつりと言った。

 

「魔力を使うことも……おそらくは、できますが。あえてそれをしようとは思いません」


 その言葉を聞いた瞬間、私は、先ほどの自分の問いが失礼だったのかもしれないと気づいた。リードがあまりに綺麗な演奏したことが信じられなかったからといって、その演奏そのものを魔力だとか魔術だとかのせいにしたような言い方をしてしまった。  

  

「……今の、私、いじわるな聞き方だったね。ごめんなさい」


 私がそう言うとリードは、ほんの少し眉を寄せて、こちらを見た。あまり表情としてはっきりしないけれど「怪訝な」という言葉があうような顔だ。

 なんとなく説明を求められている気がした。 


「だから……その……。すごくきれいな音色だったから、……あなたが弾いているというのが驚きで、受け入れられ難かったというか。魔力効果みたいなのがあって、綺麗に聞こえたのかなと思おうとしたというか……」


 しどろもどろに説明するのを、リードは黙って聞いていた。

 私も言葉にすればするほど、結局失礼の上塗りになっていることに気付いて、それ以上何も言えなくなった。

 私とリードの間は沈黙となった。

 しばらくして、リードが言った。


「……あやまる必要はありません。あなたが誤解をしたとしても、それが完全に間違いだと証明するものもない」


 変な言い方が気にかかってリードを見ると、リードは再び楽器を手にしてそれを眺めるように掲げた。


「実際……私は魔力を意識的に外に放出してはいないだけで、常に私の内部は魔力に満ちている。……こうして息をしているのも、楽器を奏でるのにも、魔力を使った意識はないですが、それはあくまで自分が”魔力を使っていない”と思っているだけかもしれない。現時点で、それを感じ取る人間が存在しないだけであって、実は魔力が作用しているのかもしれない。たとえば……」


 リードがそっと弦を弾いた。小さくビィィンとはじく音が鳴った。


「今鳴らした音を聞き取る者もいれば、聞き取れない者もいる。正確な音程までわかって再現できるものもいれば、”音が鳴った”とだけ感じ取るものもいる。耳そのものが聞こえないものもいるでしょう?」


 頷くと、リードはもういちど弦を鳴らした。


「……魔力も似たところがあります。魔力というものは実は世に満ちているけれど、それを多く感じ取り魔術として使えるものもいれば、アラン団長のようにまったく感じ取ることがない人もいる。感じ取ることがないから、アラン団長にとっては魔力は”ない”ものとされる。ただ、魔力と音楽と違うのは、音はいずれ消えてゆくけれど、魔力は消えずに人の身体に留めることができる。そして、人の体質によって魔力の持てる容量があまりに差がある」

「差?」

「そうです。たとえば、アランの身体は魔力を持たず、流し込もうとしても通過していってしまう。貯めこめないので、結果的に”彼の魔力”が無いことになる。逆に、私はどんどん蓄積することができてます。元来の魔力量に加えて、ますます”魔力がある”と言われることになる。魔力を貯め込むかどうかの容量がひとそれぞれなのです」


 それが魔力の能力差ってことになるんだろうか?でも、魔力があっても使えるようにならないといけないんだよね?


「リードは、そんなに魔力を持っているの? というか、貯め込むことができるの?」


 たずねると、リードは楽器の弦をまたいじりながら、言った。


「先ほど、あなたが覚えた貴族の名簿の誰よりも貯めているでしょうね。聖殿の魔術師も……現在生存している者の中では、一番となるでしょう。あなたも聞いているとおり、キースという人物を十年前、屋敷に置いたらしきバレシュ伯は魔術師でした。彼もまた、身体に甚大な量の魔力を貯める体質でした。私もバレシュ伯も……”生きた聖晶石”と影で囁かれているらしいですよ」


 自分のことを話しているというのに、無機質な声音の中に、どこか皮肉気な色が帯びている気がした。自慢していいことじゃないんだろうか。


「”生きた聖晶石”って……たくさん魔力がため込めるってことは、魔術もすごいものが使えるってことでしょう? ……昨日、私にしたみたいなこととか……」


 そう言うと、リードは楽器に向けていた瞳を私に向けた。

 その目線は突き刺さるようだった。


「聖晶石も使いこなせなければ意味がないでしょう。私の身にありあまる魔力も、制御することが第一です。使いこなせねば、自滅……いえ、他を巻き込んでの壊滅です」

「自滅、壊滅……」

「そう。魔力はたしかに便利です。瞳を通さなくても感知することができる。使いようによっては万能でしょう。実際、私の持つ魔力を最大限解放すれば……おそらくは、国の境を越えて遠くを見、聞き、感じ取ることができる。移動も転移で済む。極端にいえば、この身体を使わなくても、目も耳も口も手足も使わなくても……世界を感じ取ることができてしまう。それは……どういうことかわかりますか?」

「え?」

「身体が”いらない”ということになってしまう――……自分と他者の境界線がなくなってしまう。その恐れは……記憶を暴かれて身体から流れ出る経験をした貴方になら、少しはわかるでしょう」


 リードが言ったとき、ぞくっとした。

 昨日、記憶をリードによって暴かれたとき、自分の内部が全部波打って出て行くみたいだった。

 身体を越えて、「感覚」が外に露わになっていく辛さ――……それは、魔力を解放してしまうことと似ているってことなんだろうか。

 力を使いすぎると、肉体と感覚が離れてしまうってことだろうか。

 それって……もしかして、すごく辛いことなんじゃないの?


 そう思ったけれど、問う暇はなかった。リードが淡々と言葉を紡ぐ。


「今、世で認められている魔術というのは、あくまで普通の量の魔力を貯め込む人間に適したものに過ぎないのです。私のようなものは、いわばはみ出し者で、自我を保ちながら魔力を制御することに、人生を費やすのみ。……戦乱の時期であれば、力を解放して敵軍を壊滅させ、生をまっとうすることもできるかもしれませんが。今、フレアは和平の時ですから」


 リードの言葉に、胸がしんと静まり返る想いがした。

 その言葉は、平和だからこそ居場所がなくなると言っているような気がしたから。


 そういえば、騎士見習い寮に行ったとき、平和の時期となり、騎士団の存在意義がどうのこうのってアランに食ってかかってたバリーが言っていたっけ。


「……リードは戦いを望むの?」


 いつのまにか聞いていた。

 青い目が私を見返し、口を開いた。


「望みません」


 静かに言い切った。

 リードは私から目をそらさず、言った。


「戦乱の世となれば、私のこの魔力の使い道が生まれ、私のこの能力の存在意義は見いだせるかもしれませんが――……戦いというのは、それ以上に多くの命が犠牲となる。それは、このフレアの未来としてふさわしくない」


 無表情のままだというのに、言葉の内容は、不思議なくらいに落ち着いて、そしてどこかぬくもりを感じた。さっき聞いた音楽の調べに似ている気もした。

 無機質な声の向こうに、はじめて、なにか色があるように感じた。


「おそらくアラン団長も――……騎士として、今後、平和が続けば、彼のような伝統的な剣と戦法を実直に身に着ける騎士は、あまり登用されなくなっていくでしょう。剣技や武術も、あくまで華のあるものが好まれてゆき、騎士でも、貴族とうまく渡り合い、政治に長けた人物がのしあがっていくようになる。平和は必ずしも、”個人の繁栄”にはつながらないことがある。ですが、アラン団長……兄は、フレア国が平和であることを望むでしょう」


 たしかにアランは、そうかもしれない。うなづきかけたところで、リードが言葉をつづけた。


「けれど、逆に戦争を望む者たちもいるのです」

「え……」

「ミカ、あなたの存在を利用して、再びフレアに戦機が訪れるように仕向けたい者も、フレア国内国外問わずいる。……その、今、あなたが覚えている”来賓名簿”の中にも、です」


 思わずテーブルの上の名簿に目をやる。


「……あなたにとって理不尽そのものでしょうが、ディールや殿下は、そういう者たちの思惑からフレアを守るために動いている。政治的駆け引きをしながら、フレアが戦乱の地にならないために」


 思わず唇を噛んだ。

 ディールやセレン殿下は、フレアという国を守ろうとしている。

 アランは、その元で生きていたけれど、その中で”私”という異物を守ろうしてくれた。けれど、同時にそれは、アランが二つのものを守ろうとすることになってしまったということでもあるんだ。

 わかっていたことだけど、こうしてリードの口から言われるときつかった。

 

 ……私がフレアに来なければ……アランも苦しまずにすんだのに。


 そう思う自分がいて、でもそんな今更どうしようもないことを思ってしまう自分が嫌だった。

 爪痕が残るくらいに手を握り締めて、次に向かう気持ちで顔を上げた。


「……リード、その名簿の後半の暗記に取り掛かろ……」

 

 言いかけた時だった。

  

 ドンドンと大きく扉がノックされた。

 いつものメイドの音とのあまりの違いに返事するまもなく、扉が先にあいた。

 扉の向こうに現れたのは、ディールだった。先ほどと打って変わった厳しい表情に、なぜか背筋がぞっとした。

 ディールはつかつかと部屋の中に入ると、私の方は一瞥もせず、リードに向かっていった。


「リード、至急、キースのところへ。ミカに付く者は別をまわす」

「何か起きましたか」

「審問で沈黙を押し通すキースに、埒があかないと焦った魔術師の一人が”記憶の開示”を強行して、失敗した。キースが錯乱を起こしたとの連絡だ」


 ――……キースが錯乱!? あの寡黙なキースが?

 私がディールの言葉に驚いて二人の顔を交互に見上げる。ディールは口をぐっと引き締め険しい顔をし、リードも微かに眉を寄せていた。


「急がねば――……状況によっては、すべての情報が無になる」


 足場やにリードが退出しようとしたのを見て、私は思わず声をあげていた。

 

「私も、連れていって! 異なる世界の情報が必要なんでしょう!」


 何かわからないけれど、今、キースのところに行っておかなければならない気がした。

 リードとディールが私を見下ろしてくるけれど、強く二対の目を交互に見返す。

 しばらくして、ディールが頷いた。


「情報を整理するには、ミカも必要だろう。リード、連れていけ」

「……キースの錯乱の程度によっては、連れていかない方がいいかもしれませんが」

「錯乱しているからこそ、叫びや妄言に何か故国のヒントが隠されているかもしれん。連れていけ」


 ディールの二度目の「連れていけ」をリードは遮らなかった。

 私はリードの後について走りだしていた。





 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ