54 目覚め 4 (ミカ)
言いたいことなら山ほどあった。聞きたいことも、たくさんある。
なのに、何も言葉にならなかった。アランの手を握り締めるしかできない。
そんな私を、彼はもう片方の手で抱き寄せた。
頬にあたる布はザラリとしていて、粗末なマントのようだ。どこか遠くから駆けてきたのか、土埃のような、砂のような匂いがした。
目を閉じて、彼の鼓動を感じようとする。
暗くてもわかる。いつもと違う衣服の感触でも、そこにある腕のたくましさ、寄り添うときの優しさはアランそのものだ。
もっとアランを感じたくて、頬を胸板に押しあてる。応えてくれるみたいにして、さらに強くしっかりと彼が私を抱きしめた。
ぬくもりがじんわりと私を包み込んでいく。
そのあたたかさが、頑なになっていた私の心を溶かしていく。
「……びっくりした。突然、窓から入ってくるなんて」
いつのまにかするりと言葉がでていた。
そんな私のささやくような声を聞き漏らすことなく、アランは答えてくれる。
「誰よりも何よりも、ミカに会いたかったので」
安心させるかのように、背をゆっくり撫でてくれながら そんなことをいう。
「美香……つらかったでしょう」
問われて、私は返事に詰まった。
アラン、どこまで知っているんだろう……。
答えあぐねて黙った私を、アランはさらに強く抱きしめた。
「リードの審問で一番強力なものは、記憶を直接開くもの。……耐え切れず倒れる者も多い術です。記憶に触れられる強烈な嫌悪で、気が触れる者すら出る」
アランの言葉で、私は昼間を思い出す。瞬間、ぞわりと身体がすくんだ。
その一瞬だけで、彼には伝わってしまったんだろう、回される腕に力がこもった。
抱きしめることで、私の無事を確かめているかのようだった。必死さを感じさせるくらいの力で、私は彼がどれだけ心配して、この夜の闇の中を駆けてきてくれたのかがわかった。
「私は大丈夫。もちろん怖かったけれど……大丈夫だよ」
「……美香」
「私は大丈夫だから。それより、アラン! アランの方が心配だよ。殿下と視察中でしょう? 抜け出してくるなんて、まずいんじゃないの」
たずねると、アランが少し身を離した。
「美香」
あらためて、静かに名を呼ばれて「はい」と答える。
すると、アランがゆっくりといった。囁くように小さな声におさえているけれど、私に言い聞かせるみたいに、ゆっくりと優しく言った。
「私を気遣わなくていいんです。逆に、美香は私をもっと、なじってもいい。『遅かった』と。『守ってくれなかった』と。リードは弟、ディールは私の兄です。……あなたを辛い目に合わせた兄弟を持つ私を、もっと糾弾していい」
アランの言葉にとっさに言い返す。
「こうして来てくれてるのに? そんなこと言わないよ。そもそもリードとディールがしたことでアランを責めるなんてできないよっ」
返事をしたら、ふいに右頬に口づけを落とされた。かすかに当たったアランの唇にドキッとするけれど、暗くて表情までは見えない。
なのにアランには私の困惑した表情が見えるみたいだ。次は私の左頬に口づけた。
「本当にあなたは……」
「なに?」
「優しすぎる。その優しさに私は甘えた。そして、周りのもの達は……優しさにつけこんで、利用した」
アランは呻くみたいにそういった。
「利用した」という言葉が、私の胸をトンと突く。
「リードの審問は、苦しかったでしょう」
あらためて問われた。返事ができない私の背をアランの手がさする。
そうして言葉をつづけた。
「私の不在の間に、なかば強制的にこの館に連れてこられ、怖かったでしょう。それでもきっと、私の兄だから、なんやかんやと関わりがあったディールだからと、不審があっても信じてくれ、ここに来たはずだ。なのに、突然のリードからの審問の術……美香がつらくないはずがない」
アランの声は、私の心に寄り添うみたいにして、辛そうだった。
その声に反応するにみたいにして、私の心の奥が揺れる。
アランが私をなぐさめるみたいにして、今度は額にくちづけを落とした。先ほどに頬の挨拶みたいな短いものではなく、唇を額におしあて、まるで祈願して力を込めてくれるみたいに。
すべて、話していいんだよって、私に無言でうながすみたいだった。
自然とつむんでいた口がほころんでゆく。
「……うん……怖かった」
そうして、私が抱えてた気持ちは、「怖かった」という言葉だけでは足りないことに気付く。
「……屈辱だった」
私の唇が付け加えるみたいにして動いていた。
アランが額の口づけを離し、再び私を抱き込むようにしてぎゅうっと抱きしめてきた。
思わず彼の胸に顔をうずめる。
……大丈夫、ここは、この胸は安心していい場所だ。
そんな想いがあふれてくる。
「……どうして、あんなことするの……すごく、いやだった。アランとの思い出まで、流れるみたいにして頭からひきずりだされるみたいで……。信用されてないんだって、突きつけられるみたいで」
彼の衣服越しの胸に顔を押し当て、くぐもった小さな声しかでない。けれど、アランはきちんと聞いてくれているのだろう。うなづきの代わりに背をさすってくれる。
「私、フレアで悪いことした? ここに来たのだって、私の意志じゃないのに。こっちの魔術のせいで引きずりこまれたはずなのに……どうして? 私が来たことが悪いの?」
耐え切れず、私の声が震えた。
「……私だって、来たくてきたわけじゃないのに……どうして……押さえつけられて、記憶探られて……当然みたいに。私がそうするのが”当たり前”みたいに……」
アランがそっと背を撫でる。私の言葉が止まった後、しばらくして、
「……美香は何も悪くない」
アランはそんな風に言って、私の背中を数度安心させるかのようにさすった。
***
私の言葉がすべて吐き出されるのを待ったあと、アランが片手で何か上着からさぐるような仕草をした。
闇の中に微かな衣擦れの音だけが響く。
「……何を探してるの?」
「小さいですが、明かりをつけます」
明かりということばに不安になる。
「木窓も閉めてるけど、外に漏れない? 窓から来てるってことは、密かに来てるんだよね?」
尋ねる私に、アランは「大丈夫ですから」と言って、ただ私の手を引いた。
アランは私を寝台と壁の隙間に導いた。たぶん、光を窓の外に漏らさないように。
シュッと音がしたかと思うと、マッチのような小さな明かりがアランの手元に灯る。それを指先サイズの蝋燭につけかえてアランは私たちを照らした。手元とのぞき込む顔がほんのりと明るくなるくらいの小さな炎。
けれど、その小さな明かりをたよりにアランの顔を見たとたん、その予想していなかった姿に大きく息をのんだ。
私の強張った表情を見て、アランが苦笑する。
「また、驚かせてしまいました」
「アラン……どうして……」
あまりの驚きに言葉が続かない私の前で、アランが指先で自分の髪を小さく摘まんでいじった。
「髪の染粉、初めて使いました。時間がなかったので、粉の量がわからなくて、濃すぎた気もします」
蝋燭の明かりでオレンジ色を帯びているとはいえ、明らかにその指が摘まむ髪は金髪ではなかった。
その色は、濃い茶色。明かりが小さいからはっきりとはしないけれど、ミルクチョコレートのような色みたいだ。
でも、私が息をのんだのはそれを見たからじゃなかった。
一番驚いたそれから目を離せない。
「それ……」
アランの頬には、耳にかけて大きく赤痣があったのだ。
整った顔立ちに目を引く、赤い傷跡のような痣。
私はアランの姿をもう一度全身に目をやる。
茶色の髪に、頬に赤い痣。黒の簡素なマントの下には、今までアランが着ているのは見たことがないような派手めで質のあまりよくない生地の衣服……。
そうして、この姿にやはり見覚えがあると思った。
「まさか……『サム』?」
尋ねると、茶髪のアランはうなづいた。
「覚えていましたか?」
「うん、忘れるわけないよ。初めてアランと外出して城下に出たとき、ディールとリードと一緒にいた”サム”」
そして、それは――……。
アランが私の言葉の続きを引き受けるみたいにして言った。
「そう、ディール・ソーネット伯爵と仲の良い中流貴族の”サム”、つまり、セレン殿下がお忍びに使う姿の一つ」
以前は言葉を濁したはずのことを、他人事のようにはっきりと言ってから、アランは髪をかき上げた。
「どうして……」
「彼らが使う”世を欺く技”をお借りしたまでのことですよ」
そう言って、口角を上げた。
一瞬、騎士見習い寮でバリーとアランが一戦する前のピンと張り詰めるみたいな空気を思い出した。
「……アラン。あの……かなり怒ってる?」
「さあ?」
ふっとアランは笑った。
「もちろん美香には怒ってませんよ」
そんな風に言って、私の黒髪をつまんで指をすべらす手先は優しい。
けれど、ふいに扉に視線を向けたアランの横顔は、あたたかな蝋燭の光に照らされているとは思えないほどに、冷ややかに変わっていった。




