53 目覚め 3 (ミカ)
ディールが出ていくと、マーリがかいがいしく世話しくてくれた。あたたかい飲み物を運んでくれたり、血行を気にして手指をマッサージしてくれたり。
しばらくして血色がよくなったらしくて、私も「もう大丈夫だよ」と笑っていうと、マーリは安心したように笑顔を見せた。
それから、マーリはあらたまるみたいにして姿勢を正した。
「ミカ様。お耳にいれておきたいことが」
硬い声にドキッとする。
まだマーリにはリードの審問のことには触れてなかった。キースのことも。
マーリの方で何かあったんだろうか……。
「マーリ、どうしたの?」
おずおずと尋ね返すと、マーリが眉を寄せて私を見つめた。
「ミカ様……キースが捕まえられたようなのです。身元を偽っていたらしく、ディール様が動いたようです」
マーリの言葉に、とっさに反応に困り、返事が遅れた。マーリはそんな私のとまどいを見逃さなかった。
「ミカ様、あまり驚きになられませんね。ご存知でしたか?」
……知ってるというか、もうまさに渦中というか……。
でも、どこまでマーリに話したらいいかわからず、ひとまずうなづくのにとどめた。
「ん……実はさっきディールから聞いたの」
「そうでしたか! まさか、それで驚かれてお倒れになったのではっ!?」
「ううん。倒れたのは、たぶん疲れからだと思う。ねぇ、マーリはどこでそれを聞いたの?」
たずねると、マーリは少し声を小さくした。
「先ほど、こちらの館の裏口に急ぎの使者が来たのを見かけたのです。その者はアラン様の館にも出入りしているので、館に何かあったのかと思い、つい聞き耳をたててしまいました。詳細までは聞こえなかったのですが、キースが捉えられたということがわかって……動揺してしまって……」
「うん……。私もびっくりしてる」
「驚きです。でも、これでなんとなく意味がわかりました。ディール様が今日、半ば無理に馬車を寄越したのも、キースを取り押さえたかったからなんですね。私……キースが古語をあまりになめらかに話せることに疑問を抱いてましたから……まさかという思いと、やっぱりという思いが混じってます」
マーリの言葉に私が首をかしげると、マーリはちょっと苦笑いした。
「同じ館に勤める者を不審に思いたくはなかったんですけれど……。キースはミカ様とお話するときは古語なのでしょう? でもキースは、私が古語で話しかけようとしても、古語を使わないんです。それが奇妙に感じていて……実は貴族出身で、身を隠しているのかもしれないとか、勘ぐる気持ちをもってしまっていたんです」
言葉を濁すマーリの姿に、マーリもちょっとキースに対して複雑な目をもっていたのだということが初めてわかった。
私は本当に何も気づかずに、キースと古語で話せるのを当然のように思っていたけれど、やはりここでは不自然なことなんだ。
「……身元を隠して勤めていたら、重い罪になるの?」
「処罰はいろいろかと思いますけれど……。館の信用にもかかわることです。それはつまり、アラン様の信用にも関わるということになりますもの。アラン様でなくディール様が動いてらっしゃるのが、私には少々わからないことなんですけれど、きっとソーネット家としての判断があるのでしょうね」
マーリの言葉にあいまいにうなづく。
この話によると、マーリは、キースが異世界から来た可能性があるということまでは知らないみたいだった。
マーリにキースのことを私の知る限り詳しく話していいのか、迷う。
もし私がマーリに話して、マーリが知るべきじゃないことを知ってしまったら、巻き込むってこともあるわけで……。
でも、すでに私に関わったってことで、巻き込んでるんだろうか。
そばにいてくれるマーリに、キースのこと、ディールから聞いたこと、もっといえば今日リードからの審問を受けたこと、全部話してしまいたい気持ちがあった。
いろんなことがありすぎて、誰かに話したい気持ち。
でも、同時に同じくらいの強さで、巻き込むのが怖いとも思った。
何も言えず布団の中でごそごそと足だけ動かす。
アランがここにいてくれたら……そしたら、相談できるのに。
一瞬、そんな気持ちが頭の片隅をよぎる。でもすぐに、そんな気持ちは、ため息に変わる。
だって、アランは殿下の視察に行ってて……。今の館の状況も私のことも、キースのことも知らないだろう。
もし知ったとしても、すぐには戻ってこれない距離だ。立場もあるんだし……。
いろんな気持ちがぐるぐるとめぐる。
マーリには話していいか迷うし、アランはここにいないし……。
私がしっかりしないといけないのに、すごく不安になってくる。
なんだか足先から居心地悪くなるような気がして、私はもう一度布団の中でもぞもぞと動いた。
するとマーリが、ベッドに横になっている私の顔をのぞきこむようにした。
「あの……ミカ様。ディール様と何か言い合いなさいました?」
思いもよらない問いかけに「え? どうして?」と聞き返すと、マーリが苦笑した。
「先ほどもなんだかディール様に対して、よそよそしいといいますか……お言葉つかいも、なんだかいつもと違う気がして」
マーリ、鋭い……。
そう焦りつつも、それくらい私を見ていてくれるってことが嬉しかった。
「言い合いっていうわけじゃないけど……。不愉快なことがたまってて。ディールに腹が立ってるの。こちらに無理やりつれてこられてるし。穏やかな態度なわりに、よくよく考えてみると、すごく支配的だなって感じちゃって……。それが態度に出てたのかも。マーリ、鋭いね」
本音を交えつつも私が語尾を茶化して言ったのに、マーリは真面目な顔で私を見つめた。
その真剣なまなざしに私の方がたじろぐ。
「どうしたの、マーリ」
「……ミカ様。以前、アラン様が、私とグールドに頭をおさげになったことがあるのです」
「え?」
「ミカ様とアラン様がテラスでおしゃべりの時間を持たれ始めた頃です」
突然の話にびっくりしていると、マーリが話をつづけた。
「アラン様は、ミカ様をお守りするには、ご自分の力だけでは足りないとおっしゃって……。私やグールドの力が必要だとおっしゃいました」
「アランが?」
「えぇ。私、その時はてっきり、恋愛で女心をつかむのに、私の助言が欲しいといってくださっているのかと思っておりました。アラン様、女心に疎いですから、女側からの本音を聞きたいという意味なのかと。でも、違うのですね」
マーリの言葉の意味がもっとしりたくて、「どういうこと?」と尋ねると、マーリは私のベッドサイドの床に膝をつき、さらに私の顔に近づくようにした。声を潜める様子に私も耳をすます。
「今回ご事情があったとはいえ、ディール様は、アラン様のご不在時に、半ば強引にミカ様を本宅に連れてきてしまいました。……私、実は少し怖かったのです」
「マーリ……」
「ディール様が怖いといういうより、実際にそれができてしまう本家のお力を感じたからです。寄越された馬車の御者も使者も、こちらの使用人一同が何を言っても”ミカ様を連れていく”の一点張りでした。もちろん、アラン様のお帰りまでミカ様が館から出ない選択も無理やりにでもできたかもしれませんが、それをしたら、アラン様のお立場まで危ぶまれるようなそんな使者の強引さでした」
たしかにそんな感じだったよね。たぶんディールの方も、この館に他の貴族の間者を集め、リードを連れてきて私に審問させるために強引な手法をとったんだろうけど……。
「それでわかったのです。アラン様がおっしゃった、ミカ様をお守りになるのに私たちの力が必要と言ってくださったのは、こういうことだったのか……と。といっても、私はお止めできず、こちらについてくるのが精いっぱいでしたけれど」
「それで十分だよ。しかも、こちらに来ると承諾したのは私だし……」
「いえ、だとしても、ミカ様がお倒れになったときにお傍にいられませんでした。申し訳ありません」
私は思わず、マーリの袖を握った。
「マーリがいて心強いよ。あやまらないで」
「いいえ。ミカ様。私はアラン様からミカ様のことを任されていたのです。おそらく館のグールドもとても歯がゆい思いでいると思います。何よりも……ご帰宅されたときのアラン様のお気持ちを考えると……」
マーリの濁した言葉に、私も黙るしかなかった。
……館に勤めていたキースがディールに取り押さえられていて、私もいないんだもの、アランは驚くだろう。
「アラン、びっくりするだろうね」
「えぇ。驚かれるかとは思いますが、はやくお戻りになることを祈るばかりです」
マーリの言葉に私は小さくうなづいた。
***
疲れた……。
頭の中に巡っていく。
今日は、いろいろなことがありすぎた。
私は消灯した部屋で、何度も寝返りを打った。
マーリは隣の部屋で控えてくれている。
カーテンを下した窓の向こうは真っ暗で、もう夜が来ていた。
館もずいぶん静かだから、皆それぞれが眠る時間なのかもしれない。
暗闇の中で、手を開いたり握ったりしてみる。
月明りもない今晩は、真っ暗すぎて自分の手すらよく見えない。
形すらみえないこの手。でも、この身体の中に流れている魔力があるなんて。
手を動かしても、そんな魔力なんて全然感じないのに……見えないのに。
だけど、見えなくても感じなくても、あるんだ。流れてるんだ。
すくなくとも、私は古語を聞き取れるし話せる。しかもとても自然にあつかえるんだもの。
古語限定とはいえ言葉を自由に扱える魔力なんてものがあったとして、それをキースが流してくれたんだとしたら、それは「なぜ」なんだろう。
空から落ちて来た私が、この世界で、やっていけるようにしてくれたんだろうか。
親切心? それとも、何か裏があるの?
そしてそれが今後解明されたとして……キースの扱い、私の扱い、そして私やキースを預かってきていたアランはフレアの中でどうなるの……。
いやだな、また何か疑いをもたれたら、リードみたいな魔術師に何か暴かれるんだろうか……。
まとまらない考えの中に沈んでいると、ふいにコツコツと硬い物に何かが当たるような音がした。
ノックではないと思って、身体を起こしてみる。
何の音だろう?
すると、またコツコツと聞こえた。
……窓の方からだ。
窓を見ると、風のない静かな夜だったはずなのに、カタカタと窓が揺れた。明らかに不審で私は肩を強張らせた。
返事はおろか身動きもできずにいると、ギギィと小さな音をたてて、石壁にはめ込まれている窓の木枠が開いた。
「だ……れっ」
影が動く。
物音ひとつ立てず誰かがするりと滑り込んできた。
「だれなのよっ」
声がかすれる。
闇の中に誰かがいる。
あかりの無い部屋に感じる人の気配に全身が硬直する。
誰……逃げなきゃ。ベッドから這い出ようとした。
まさにそのとき、影は動き、長い腕らしきものが伸びてきた。
「……っ!」
伸びて来た腕、その先の大きな手が私の口元を押さえた。相手は夜目がきくのか私のことが分かっている様子で、確実に口元を押さえてくる。
「……ゃっ」
抗おうと首をふる。
けれどそのとき、耳元で囁かれた。
「……しずかに」
え……。
耳に響いた声。
驚きで私の時が止まった。
そのとき、廊下に続く扉の方からノックが聞こえた。
「ミカ様? 今、お呼びになりました?」
とマーリの声。
とっさに私は、口を押さえてきていた大きな手をぐいっとはずし、
「ううん、ちょっと布団を落として声が出ただけ」
と答えていた。
「眠れないようでしたら、何かあたたかいお飲み物をおもちしましょうか」
「大丈夫、眠れそうだよ。おやすみマーリ」
私の言葉にマーリの足音が遠のき、また隣室に戻っていく。
マーリの気配が完全に消えたとき、私は、闇に浮かぶ人の名を吐息に近い小さな声で呼んだ。
「……アラン」
闇の中で、金の髪も青碧の瞳も見えない。でも、確信していた。
呼びかけに応えるように、先ほど私の口を押えてきた手、その鍛えられた硬く厚い手の平が、私の頬に添えられる。
「……美香。遅くなりました」
耳元でつぶやかれた声が、私の身体をすっとめぐる。
強張っていた力が抜けて、自分の目尻が濡れたのがわかった。




