52 目覚め 2 (ミカ)
「キースが? そんな、まさかっ」
「わたしも信じ難い。アランの館は私にとっても少年時代に暮らした家だ。そこに勤める者が……まさか、とね」
ディールが肩をすくめた。
「だが、ミカに流れる魔力の出どころを突き止めるために、アランの館の者たちの身元や職歴を洗った際、不可解な点が出てきた」
「どういうこと?」
問い返すと、ディールは私のいるベッドの脇の椅子に腰をおろすと、ゆったりと話し始めた。どうやら隠すつもりはないらしかった。
「キースは、6年ほど前、メイド頭の斡旋でアランの館の庭師として雇った。その斡旋したメイド頭は病死しているが、キース本人のそれまでの職歴は雇用のときの記録として残っている。それを元に、前の職場などをさかのぼって情報を集めた。資料通り、アランの館の庭師となる前は、地方の屋敷で庭師として勤めていたことがつかめている。だが、確認がとれたのは、今から10年ほど前までだ」
「10年前まで?」
「そう。ある地方に隠居していた貴族の家に雇われていた記録が最後。それより前の情報がぷっつりと消える」
「昔すぎて、だれも覚えてないだけじゃないの?」
ディールが首をふり否定した。
「キースはアランと同じくらいな年齢のはずだ。十年前といえば、十八か十九歳。フレアでいえば、すでに大人扱いの年齢だ。フレア内に移動するにしても、何らかの身元証明や保証人が必要になる。サインなり、記録なり、住んでいた村や勤めていた屋敷に、何かしら残っているものだ。まして貴族の屋敷に雇われるとなれば、それがたとえ短期間の使用人であっても誰かの口利きなどが必要になってくる」
説明を聞いて、たしかに貴族が身元不明の人間を簡単に雇うわけがないのは頷けた。
ただ、王都じゃあるまいし、地方でそこまで人の出入りって厳格にわかるものなのかな……とも疑問が浮かぶ。
気持ちが顔に出ていたのか、ディールは手を組みなおしながら、
「ガタールとの闘いがあって以降、島国であるフレアは、国内での警備に敏感なんだよ」
と、私の疑問に答えるみたいにして説明した。
「よそ者に対して敏感だ。特に平民の同士の間では、すぐにわかる。そもそもそういうよそ者を察知するように、各地方、各村に、騎士の修練所や小規模の騎士寮や稽古場を配置しているんだから」
「どういう意味?」
「田舎の平民であるほどに自分の土地や住まいへの愛着があるものだ。土地勘もあり、地元の人間であるかないかに目が行き届くものだろう? よそ者を呼び入れて不審な行動をされて、愛する土地や村に問題がおきては困るからな。自治意識が高い。それを貴族も活用している」
「活用って……」
「領地を統括する貴族が、領地に暮らす平民一人ひとりの顔や身元を覚えるのは難しい。だが、村単位、街単位で考えれば、その各地域で暮らし仕事をしている平民同士は、互いが誰だかわかる。名簿もあるし、家族構成も把握している。各地方の騎士団は地域の自衛団と共同活動しながら、民の情報を掌握しているんだ」
ディールの言葉に頷いた私に、さらに納得させるためか、ディールの言葉は続いた。
「ミカはアランと、王都の騎士見習い寮に行っただろう。あそこには平民出身の者たちもたくさんいたはずだ。あそこにいる者は皆、有事にそなえて剣や槍も鍛錬し、それに憧れて来た者も多くいるだろう」
言われた言葉に、アランに連れて行ってもらった王都の騎士見習い寮の人たちを思いだす。平民と貴族の間に確執はあるみたいだけど、身分に関係なく同様の修練を積んでいるようには感じた。
たしかロイもユージンも平民出身って言ってたし……。
私が思い返していると、ディールは少し肩をすくめた。
「見習い寮では剣技や槍、戦い方を学ぶ。だが、王城務めや要塞への派遣される騎士は一部だ。若者たちの多くは、騎士団といっても第四騎士団となり各地方、村や小さな街にある小規模の騎士宿舎へと配属になる。ようは騎士としての基礎的訓練、また基本的な学問や集団行動の知識を手に入れた後、”地元”に戻るんだよ」
「地元に戻る……」
「修練を終えて戻った者たちは、有事に備えて剣や槍の剣技も続けはするが、普段は子供たちの文字や歴史、基本的な武術を教えるような先生で小遣い稼ぎをしたり、親から継いだ土地で畑仕事に時間を費やすことになるだろう。……それこそが大切な情報源なんだ」
「情報源ってどういうこと?」
「自分の出身地に戻り、そこに異変がないか、良からぬ者が街に紛れ込んでいないか、見つめる役になるということだ。本人たちに自覚があるかどうかはともかく、戦乱の時代から遠のいた我々フレアにとって、各地方末端まで張った重要な存在だ」
フレア国内に張り巡らされた情報網がふと浮かんだ。
さっきリードからの審問の時に、間者は監視者が私に向けていた目とはまた違った、地方に張り巡らされた”普通の人々”からの目……。
それは、時には密告や内密の取り締まりなんかにもつながるのかもしれない。
ぞわっと背筋が寒くなった。
でもディールには気取られたくなくて、私は平気な顔をしてうなづいた。
「つまり生まれたときから、だいたいの身元経歴は、探しさえすればつかめるようにできてるってわけけね」
「そうだ。だが、そんなフレアで、しかも10年前に貴族に雇われていたキースが、それ以前の足取りがつかめなかった。本当に不自然だ。可能性としては、その10年前に最初にキースの情報が出てくる貴族が何か嚙んでいるはずだ。だから、その約十年前に庭師として雇われた館を重点的に調べることにした。そして、かつてそこに勤めたという老婆に行き当たったんだ。そしてキースらしき青年の話を得た」
そこでいったん言葉をきって、ディールは足を組み替えた。
「その者の証言では、老いた当主が、ある日、窓から大きな鳥が森に落下したのが見えたから、森に探しに行くと言い出したらしい。下男を連れて森に入っていったそうだ。証言者は、普段から幻聴やら幻視がみえて妄言も多い当主だったから、どうせまた何か幻をみたんだろうと思いつつ送り出した。だが帰ってきた下男が背負っていたのは、鳥ではなく人間だった」
「人間!?」
ディールがふと、顔を窓の方に向けた。
私も同じように目を向けると、もう日が落ちて、外は見えなかった。
視線をディールに戻すと、ディールはまるでその窓の向こうにあるものを見つめるように、目を細めていた。
そうして言った。
「その人間は、木の葉と傷だらけのまま意識を失った青年だったそうだ。……証言してくれた老婆は、まるで空から落ちてきた者を拾って帰ってきたようだと、話していたよ」
……空から、落ちて……。
じっと窓の外を見つめるディールがふいに私の方を見た。
リードじゃないけど、その目はまるで私の中を見透かすような目つきだった。
「空から落ちて来たなんて、誰かに似ているだろう? その青年は、誰にも受け止められず、木に引っかかったようだが」
揶揄するような言葉。
返事ができなかった。
つまり、キースもまた、私みたいに落ちてきた人間で……だから異世界から来た可能性が高いとディールは言ってるんだろうか。
あまりにたくさんのことが頭に入りすぎて、おかしくなりそうだった。
でも、考えなければ。今、すごく大切なことをいくつも知ることができたんだから。
たしかに、空から落ちてきたということは、私と同じような状態で、異世界から来たかもしれなくって……。
え、でも、なんかおかしい。ちょっとまって。
だって、キースはどういうきっかけで異世界から来たというの? 私のときは、聖地の清浄化をする魔術が失敗してひきずりこまれったってことだった。
10年前にもそんなことがあったの?
それに、何らかの原因でキースが異世界から来たとして。だからって、どうしてキースが私に流し込めるような魔力を持ってるの? 魔力を流す術みたいなのが使えるの?
さらにいえば、どうしてそれを私に流し込んだの?
疑問がいっぱいでてくる。
私は思わず問いかけた。
「10年前、どういう力が働いてキースがフレアに来たっていうの? 私のときみたいに魔術の暴走があったの? キースがフレアとは異なる世界から落ちてきたんだとしても、どうしてキースが魔力なんて持ってるの? そもそもフレアの人は”よそ者”に警戒心が強いんでしょう。いくらケガしていたとしても、そんな空から落ちて来た人を、貴族がどうして王城や役人とかに突き出さないのよ! 大騒ぎになってるはずじゃないの!?」
こらえきれず並べ立てた私の問いを、ディールは黙って聞いていたけれど、ふいに息をついた。
「キースがこちらに来た原因は不明だ。あくまで可能性を話しているだけだ。詳細は、これからキースを審問していく中でわかっていくだろう。ただ、キースらしき青年を拾った老いた貴族というのが……あの方なのだ。何が起きても不思議はないと私は思っている」
「あの方って誰!?」
「バレシュ伯だ。高齢で、もう亡くなっているけれどね。継ぐ者もおらず、いろいろあって廃絶した家の最後の当主、アルトゥル・バレシュ」
バレシュ伯という初めて聞く名前だった。
「十年前といえば、バレシュ伯はすでに老いと病で、現実と幻の中を行き来している状態だった。地方の片隅でひっそりと隠居生活していた。証言したかつての使用人の老婆によれば、バレシュ伯は、その拾った”青年”が、昔幼くして亡くなった息子が見つかったんだと信じて疑わなかったらしい。髪も目の色も違うというのに、大きく育って帰ってきてくれた我が子だと思い込んでいたそうだ。そして、隠居生活を送っている当主のそばにいた数少ない使用人は、老いた主人が、やっと人生の終わりの時期に得たささやかな喜びを奪えなかった」
ディールの話に私は眉を寄せずにいられなかった。
「……それって、つまり、当主が子どもが帰ってきたと信じこんでるから、空から落ちて来たことなども、不審な点も全部伏せて、受け入れたってこと?」
「そうだ。ケガを介抱した後、庭師として表向きは雇ったことにしたそうだ。内実は息子……年齢的には曾孫のようなものだが、まるで本当に親子のように、バレシュ伯がなくなるまでの3年を共に暮らしたらしい」
「……」
「そうして、伯が亡き後、”バレシュ家に雇われた経歴”を元にして、次の勤め先からはすんなりと市井に滑り込んでいったというわけだ」
「キースが過去が異世界から来た可能性があるっていうのは、わかった。でも、それじゃ、魔力についてはどう考えているの?」
私が追及するとディールは息をついた。
「……バレシュ伯は生まれが貴族、一人息子で爵位を継いだため”貴族”ではある。だが……魔術師でもあるんだ」
「魔術師!?」
「しかも、”聖なる島”に派遣されたうちの一人だ」
「聖なる島って……海から見える島よね? 聖晶石が乱獲されて、廃墟だって」
「そうだ。ガタールとの闘い後に廃墟と化した”聖なる島”。ミカの言う通り、ガタールによって聖晶石の採掘で形が荒れはてた島だ。その占領されていた島がフレアに返還された後、島の守護者として、聖殿から魔術師と騎士が出向いていた数名の中にバレシュはいたんだ」
アランと一緒に行った、青碧の海が思い出される。
広がる海の向こう、アランが指さしてくれた先にかすかに見えた島。昔は聖晶石がいっぱいとれたってたしか言っていた。それを争ってガタール国と闘いが起きたという島のことだ。
ガタールに占領されていたけど、返還されて、選び抜かれた魔術師や騎士が数名守護のために上陸するってアランも説明していた。
「バレシュ伯は、もう30年以上前、私も幼く、アランはリードは生まれていない時代において、随一の魔術師だったんだ。老いと病のため妄言や幻視が増えてしまい隠居したが、現役の頃、二十年くらい前までは、おそらく、過去最大の魔術師。今のリードと匹敵するか、それを凌ぐほどの者だったと聞いている」
「……じゃあ、その人がキースに魔力を与えたとか、魔力の使い方を教えたと、デイールは考えているのね」
たずねると、ディールはうなづいた。
「あくまで憶測だが、たとえば傷だらけ身体をいやすために、もしくは言葉の不自由さを解放するためにか……キースに魔力を流した可能性を考えている」
「それで、今度は、キースは私に言葉をつかえるように流してくれたってことね」
私がつぶやくと、ディールは何も答えなかった。
沈黙が気になって、彼の顔を見ると、ディールはまた窓の外を見ていた。
「……キースがミカに魔力を流した意図、それはこれから審問次第だ。ただわかっているのは、キースは何らかのきっかけで10年ほど前に異世界からきて、貴族であり魔術師であるバレシュ伯に拾われた可能性が高いということ」
キースが異世界からっていうのも衝撃的だし、それに、前に説明されていた”聖なる島”やら魔力のこと、あまりにいろんなことが出てきて、頭も心もごちゃごちゃになりそうだ。
でも、ここで私がため息をついたりするのは、ディールに負けてしまいそうな気がして、私はぐっと背筋に力を入れてため息をこらえた。
ちょうどそのとき、扉がノックされた。
ディールが返事すると、扉の向こうから、
「マーリです。ミカ様がお倒れになったと聞き、かけつけた次第です」
と、うわずったようなマーリの声がした。
さっき廊下で別れたばかりなのに、すごく懐かしい声に聞こえた。
ディールが「入っていい。ミカは起きている」と答えるやいなや、扉が開く。
マーリの大きな目が私を見たと思ったら、ベッドまで走ってきた。
「ミカ様っ!」
「マーリっ」
ベッドサイドで床にひざをついたかと思うと、マーリは私の手を握り締めて顔をのぞき込んできた。
「ミカ様、大丈夫ですか? 私が離れましたのが間違いでした。申し訳ありません」
裏とか影とかのない、一心に心配そうに見つめてくれる瞳に、私はそれまで冷え切っていた胸がほわっとあたたかくなるのを感じた。
私の手を包み込むように握ってくれる手のぬくもり。それは、さっきリードに手首をつかまれた熱さと全然違った。
「マーリ……」
すごく安心して、思わず用があるわけでもないのに、名前を呼んでいた。するとマーリが、もっとぐいっと私の方をのぞき込んできて勢いよく返事した。
「はい! マーリですよ、ミカ様。どれだけ心細かったことでしょう。お顔の色も青ざめてらっしゃいます。馬車のお疲れがでたのかもしれません。もうマーリがついていますから、安心してお休みになってください」
そうしていたわりの言葉を伝えてくれるマーリの横で、くすっと笑い声がした。ディールだ。
「過保護だね、マーリ。屋敷の医師の見立てでは、初めての場所での緊張のためか血の気が引いたんだろうということだ。そんなに心配ないと……」
そうディールが口を挟むと、マーリがもの凄い勢いと険しい顔つきででディールの方を睨んだ。
「ディール様っ! ミカ様はご結婚前の大事なお体です。心配しすぎくらいで良いのです!」
「そうなのかい?」
「そうですとも! そもそも半ば無理やりに、今日こちらに来るように使者をお立てになったのはそちらではございませんか。”心配ない”とミカ様ご自身がおっしゃるならともかく、急な馬車移動をさせて無理させたディール様の口から、そんな言葉聞きたくございません!」
マーリの勢いに、ディールはわざとらしい驚いた顔をして見せた。
「あぁ、わかったわかった、すまないね」
そのおどけた口調にマーリの眼がさらに険しくさせると、ディールは役者みたいに降参だという風に肩をすくめて、
「マーリがどれだけミカのことが大切なのか伝わってくるよ。私は退散するから、用があれば、屋敷の者に指示してくれ」
と笑って言った。
今の私には、その朗らかなディールの会話も、からかいの口調でありながら、マーリをメイド扱いせずに席を譲る態度も、すべて茶番に見えた。
そんな中、マーリは真剣な顔でディールに言い放ってくれる。
「ディール様、今日はもうミカ様にはごゆっくりしていただきますから!」
「はいはい」
強気なマーリにディールは軽快な返事をすると、私の方に向き直り「ゆっくりやすむといい」と告げ、なんの影も感じさせないような優雅な足取りでディールは部屋を出て行った。
彼の姿が扉の向こうに消え、扉が完全に閉まる音がした。
そこでやっと、私は自分の身体から張り詰めていた力が一気に抜けていくのを感じたのだった。




