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43 青碧の海 3 (ミカ)

 シエラ・リリィさんが運んでくれたお茶をいただいた後、アランと私は衣装店をあとにした。

 前のときと同じように、ここからは馬車は使わずに城下を歩きはじめる。

 アランは、自然に私の手をとり、寄りそって私を促すようにして歩調をあわせてくれる。


 しばらく歩いていて、さまざまな視線に気付いた。

 アランと私にさっと目を走らせて通り過ぎる上流階級らしき男性、アランの騎士位を知ってか黙礼の態度をとる騎士、私たちを眺めながら付き人に何か耳打ちする貴婦人、親しげに手を振ってくる少年少女……。通り過ぎゆく人がちらちらと見ていくのが、前を向いていてもなんとなくわかってしまう。

 

 ――やっぱり、目立つかなぁ。


 黒眼黒髪の私が青碧のドレス姿でアランと手をつないでるんだから、視線を集めてしまって当然なんだろう。

 もちろん視線に気づいているアランは、


「大丈夫ですか?」


と、声をかけてくれた。


「ありがと。緊張はするけれど、大丈夫」


 不思議と、不安や怖さはなかった。


 ――きっと、さっきアランが私の黒眼黒髪を認めてくれたからだ……。


 自分の心が落ち着いている理由は、なんとなくだけどわかっていた。

 アランの隣でなら、私は私のままでいいんだ――隠さなくても、取り繕わなくても……このままでいいんだ。

 それは、私にとってすごく心が軽くなることだった。


「ねぇ、これってやっぱり噂になるのかな」

「噂ですか?私と美香の?」

「うん。デートしてたって」


 私が隣のアランを見上げると、アランはふっと微笑んだ。


「――きっと、婚約発表した二人は仲がよさそうだと言われるでしょうね。異国からの姫君はフレアに馴染んでいると周知できて、城下の人も安心するのかもしれません」

「そういえば、私って『異国から来た姫君』ってことになってもんね。付き人もつけずに出歩いている姫君なんて、あきらかに胡散臭い気もするけど……」


 フレア王国の宰相が流したという「私の設定」に苦笑すると、アランは少し笑って私の方をのぞきこんだ。


「私も一応、守り手なんですけどね。付き人として、ご不満ですか?」

「えっ?あ――付き人って言ったのは侍女とかの意味で……。守り手として騎士団長のアランが不足なはずないよっ」


 私の答えにアランは、くすっと笑った。


「そう言ってもらえると嬉しいですが、実際は、美香を守るのに私はまだまだ未熟です」


 アランの言葉が意外に思って顔をあげた。

 アランは前の外出のときも、それまでも「ミカのことを守ります」と言いきっていたから。


「未熟なの?アランが?」

「えぇ――そうです。……私は『守る』とは命や身体に害を及ぼすものを退け、倒すことだと思ってきました。近衛騎士が王族を守るというのは、究極はその命のみだからです。でも、美香を守るにはそれだけでは足りない」

「足りない?」


 私が不思議に思ってたずねると、アランは前を向いて歩き続けながら話した。

 

「美香は、前に夕暮れの丘で涙を見せました――。あの日、あなたの身体は傷を負っていなくても、何かで傷ついて苦しそうでした。私は守れなかった」

「――アラン」

「美香を傷つける敵は、命を奪おうとする者に限らない――……」


 アランがめずらしく語尾を濁したので、私は話す彼の横顔を見上げる。

 アランの眼差しは前を向いていて。そこにかかる金の髪が陽光をはね返していて、表情はよみとれない。

 ただ、つなぎつづける手はあたたかだった。

 少し沈黙が落ちた。 


「そういえば――バリーと一戦を交えたときに、初めて気付いたことがあったんです」


 突然、アランが話題をかえた。

 私がびっくりしていると、アランは少し私の方を見て自嘲的に笑った。


「バリーはおそらく……ずっと長く、レイティ嬢のことを特別に大切に想ってきたんですね」

「え?」

「槍と打ち合っていたとき、彼から私に向けられる底知れぬ怒りを感じて、気付きました」

「怒り?」


 私が不思議に想って尋ねると、アランは頷いた。

 ゆっくりと歩く道のまわりは、少しずつ人が多くなり、大通りに近づいてくることがわかるる。


「レイティ嬢とバリーのことは、彼らが幼い頃から知っているんです。パール侯爵とは先代からのつきあいがあって、内輪の園遊会にも兄と共によく呼ばれましたから。特にレイティは私になついていて、小さな頃から私を追ってきました。少々いきすぎて、他の人との歓談中でも割り込んでくることがあったので、バリーはそんなときレイティの諌め役でした」


 私は頷いた。レイティは小さな頃からずっとアランのことを好きで追いかけていたって、館の使用人たちが言っていたもの。

 

「私が剣技大会で優勝をおさめるようになった頃からだったか……。レイティが私と婚約したいと口にするようになりました。少女のわがままにしては、行きすぎたものになっていたのに――私は子供の戯言ととりあうことなく、真剣に聞いたことがなかった」

 

 聞き流すような態度のアランというのが思いつかなくて、私はアランを見上げる。


「美香が館に住まうようになり、レイティがわざわざ私の不在時に館に来て、美香の前で使用人を罵倒したことすらあっても……正直、彼女のいつもの勝手な行動だろうと流していた。騎士が勝手な行動をすれば、私は行動の理由を追い、その心の動きをたずねて仲裁に時間を割くというのに――。私はレイティに真剣にとりあわなかったし、気付かなかった……」


 そこでアランはいったん言葉を切った。


「きっとバリーからすれば、侯爵令嬢であるレイティの言葉に耳をかたむけず、適当にあしらう私に苛立っていたことでしょう。そこに、レイティを相手にしない私が、フレア王国の貴族出身でない美香を婚約者にし、さらに騎士見習い寮に連れてきた――」

「私?」

「バリーのような家柄に重きを置く価値観の者からすれば、慕ってくるレイティ嬢の相手をせずに美香を選ぶということは、レイティを侮っているようにしか見えません」


 ――『泥棒猫』

 バリーのあざけるような古語の言葉を思い出す。

 これで、バリーがアランを挑発するような発言を重ねた理由が少しみえた気がした。もちろんバリー自身の傲慢さもあったのかもしれないけれど、アランと一戦を交えたい気持ちがずっとあったからこその暴言だったのかもしれない。

 納得しつつ話を聞く私に、アランは静かに言った。

 

「――美香に向けられた暴言は、いわば私のせいです。私は、もっとはやくにレイティ嬢の想いにこたえられないことを、はっきりと伝えて、後は拒むべきでした――それが厳しい態度となっても」

「それは、アランのせいでは……」


 アランは軽く首を横に振る。


「美香に出会う前、ずいぶん前ですが……ユージンにも言われたことがあるんです。言葉や態度が柔らかいだけなのは、大切にしていることにならない、と。あいまいな優しさは相手に期待させて誤解を生むだけであって、本当に人を大切にしたり守っていることにならない、と――でも、若い私は……いえ、美香に出会う前の私には、その言葉の意味は正直よくわからなかった」


 アランは足を止めた。ちょうど大通りに出る手前の角。

 私が見上げると、アランの髪は緩やかに風になびいて煌めいていた。青碧の瞳は、澄んでいてとても静かだ。

 彼の向こうには晴れた青空が広がり、その先には白い王城の塔が見えた。

 

「バリーの美香やユージンに向けた態度が正しかったとは思いません。ただ――私がバリーの美香への酷い言葉に強く怒りを感じたように、彼もまた、私のレイティへの態度にずっと不満を抱えてきたのだと、私はようやく気付きました」


 私はアランを見つめた。

 アランは、ゆっくりと微笑んだ。あいた方の手が伸びてきて、私の髪を一房とった。さらさらと髪先を梳く。

 その仕草は、あまりに優雅で、そして――なんていうか慈愛に満ちていた。

 アランが……私を包むように慈しむように見つめ、髪を撫でた。


「バリーは騎士見習いとしてやり方は間違ったかもしれませんが、自分の立場を手放すのを惜しみませんでした」 

「……」

「私も、失うことを恐れずに美香を守れるようになりたいと思っています。まだ、今の私では足りないところが多くても……未熟でも」


 私の髪を撫でるように梳いていたアランの手のひらから、私の黒髪が零れ落ちて風に揺れた。

 

「ここから大通りに入ります。今、歩いてきた道以上に、人の視線を感じるかもしれません――」

「うん、大丈夫」


 私の言葉に、アランは頷いた。

 ぎゅっとつないでいる手をさらに握られ、大きな堅い手が私を包みこむ。

 そのあたたかさがある限り、今の私はちゃんと立っていられる気がした。



*********

 

 アランと共に大通りに出て、マーリが教えてくれたという甘い菓子と飲み物をだしてくれる店に行く。

 そこは、私と同じような昼間用のドレスを着た夫人や少女、また夫婦らしき男女がいて、シエラリリィさんの店のような、上流階級と一見でわかるような、お伴を数人連れた豪華で上品な貴婦人はいない。

 中流貴族やある程度ゆとりある生活をしている人の社交場という感じ。

 視線を感じるけれど、誰もあからさまに声をかけてきたりはしない中、ゆったりとした大きなソファとテーブルに案内された。しばらくすると、軽食のような野菜をくるんだパンと、そして甘いクッキーのような焼き菓子、そして香りのあるお茶が出される。

 食べ方のマナーも、家庭教師に教えてもらったことを必死に思い出しつつ切抜けた。アランとの会話も、一般共用語で話すように気をつけながら、なんとかやり通せて少しずつ自信がついてくる気がした。


 次に店を出て、アランと少し歩く。 

 前にもディール様や殿下たちが合流した後に歩いた道。あの頃より、少し日差しが強くなって、果物屋さんで並ぶ果物が少し変わったように思った。

 露店の通りでは、私たちは、店のおやじさん達にいろいろと声をかけられることになった。


「おや、アラン様――素敵なお連れさんで」

「そうでしょう」


 お店のおじさんのからかうような言葉に、さらりとアランが答えると、お店のおやじさんは「噂どおりに、仲がよいことで」と大笑いしたりする。


 他にも、

「婚約おめでとうございます!お菓子を買いに城下に出ていることは噂になっておりますよ!」

「剣ばかりのアラン様に、やっと女性の手をとる日が来たんですなぁ」

 だとか、

「甘いものばかり贈らずに、こちらの装飾品などどうですか?気軽に身につけられるものばかりですよ」

 と、親しげだったり、からかい半分だったりする声がかかる。

 

 くすぐったいような、照れるような気分の中、アランはずっと私の手を引いていてくれる。

 アランは、サラリとからかいをかわし、適当に受け止め、祝福の言葉には礼を言う――その横で、私は会釈したり小さく手を振ってこたえる。

 しばらくして注目がだんだんとおさまってくると、アランはときどき足を止め、私が見たことがない食べ物や衣服や飾り、建物の説明を話してくれるようになった。


 たしかに黒髪と黒眼であることで、私はすぐに「アランの婚約者」だとわかってしまい周囲からある程度は視線を感じる。

 だけど、アランと手をつないで歩く街は、思ったよりも明るく私を迎え入れてくれた。それが、じんわりと嬉しくて、いくら歩いても楽しくてしかたがなかった。



 アランといくつか店を眺めた後、アランは貸し馬車を呼びとめた。

 館から乗った馬車とは違って、質素で堅牢な感じの貸し馬車。アランにたずねてみると、いわばタクシーの馬車バージョンみたいなものだということがわかる。城下のある程度の場所までは頼めば行ってくれるらしい。

 安いものだと、乗合の馬車もあるそうだけど、今歩いている中流階級あたりの人が行き来する界隈では、個人貸しの馬車が主流とのことだった。

 

 アランが声をかけると、御者の人がドアで開けてくれる

 馬車に乗り込んだあと、ちょっと困ったような顔でアランが言った。


「馬に二人で乗る方が動きやすいとは思ったんですが……マーリとグールドに注意されて」

「何を言われたの?」

「……馬に乗るには女性にはそれなりの準備がいるのに、突然乗せてはいけないと」


 アランの顔を見返すと、少し顔を傾けてアランは「すみません」とあやまる。


「何、あやまってるの」

「前の外出のとき、馬に乗せてしまいましたし……そういういろいろなことが、思いつかなくて」


 私がアランの顔を見つめていると、アランはふいっと目をそらした。すこし照れたように伏せられる瞳。

 

 馬車の中は外よりも暗くて、アランの表情は見えにくくなる。

 けれど窓から差し込む光は、ちょうどアランの前髪を照らし、そのすべらかでいて凛々しい輪郭、ごつごつしていないのに弱さを感じさせない顎、詰めた襟に包まれる首筋から広い肩にかけての均整のとれた線を浮かび上がらせていた。


 整った容姿、鍛えられて引き締まった体躯、貴族の家で躾けられたのであろう優雅な身のこなし――。

 目の前の人が、もてないはずはない。

 実際に、たくさんの女性からの視線が集まっていたことはマーリから聞いてる。

 ユージンだって似たようなことを言ってた。

 でも、アランは――選ばなかったって。


 もてて、女性の扱いにも慣れているようでいて――でも実際は、すごく不器用。

 簡単に女性の手をとってエスコートするのに、私にはあんなに近づいて唇をよせたり甘い言葉をささやいたのに――。私はてっきりそれがアランの姿だと思っていたけれど、外に出て世界が広がって、アランのそういう姿が周囲からすれば「すごく特別」なんだってことがわかった。

 彼は――アランは、本当に私を選んでくれている。こんな、私を。


 胸がくすぐられるような気持ちがする。

 つないだ手が熱くて、汗ばむ気がするのに、離したくない。


 馬車が進み、揺れる。

 ときどき揺れが大きくなると、触れあう肩がよりいっそう密着する。

 どきどきする。


 どうして、私を選んでくれたの――なんて聞くことはできない。

 私の黒眼が黒髪が、あの空から落ちた非常事態が、引き寄せたにすぎない「気持ち」かも知れなくて――。

 


「美香、そろそろ――聖域に近づいてきます。光が溢れるようですよ」


 寄りそうようにアランが私に囁いた。

 顔をあげると、アランが示す馬車の窓から、先ほどよりいっそう強い陽光が差し込む。

 きらきらと光輝く、質素だったはずの馬車の中。


「――眩しいね」

「えぇ、夏の光ですね」


 ――違うよ、アラン。

 ――眩しいのは……あなた、アランだよ。

 言葉にしない気持ちが心に満ちて、私は日差しがまぶしくて手をかざすようにして目を隠した。


「美香?」

「ううん、ちょっと眩しくて――綺麗な光だね」

「そうですね」


 穏やかな沈黙が馬車の中におりて、私たちは「聖域」の入り口だという門まで静かに手をつないで寄りそっていた。



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