37 知らざる姿 5 (ミカ)
ミカ視点です。
ロイと少年の見習い達に案内されたところは、馬上で槍を打ち合う稽古をする場所だった。
甲冑だけでも重そうなのに、長い槍を振りあげて打ち合っている。馬の足元からは砂煙がまいあがり、打ちあう槍の音が響く。
周りでは、騎士見習いたちが声援を送っていたり、怒鳴り声で何か掛け声をかけている人たちもいる。
「今、一騎討ちをしている二人のうち、赤の柄の槍が槍技大会の優勝者のバリーです。相手の青の柄の槍は、修練生の4回生ですね。隊列を組んでの槍技の稽古をするように指示していたはずなのですが…どこかで手違いがあったようです」
ロイがアランとユージンに説明する。
隣のアランを見上げると、すっと鋭い眼差しで打ち合う槍を見つめていた。
その横顔には、いつもの天の御使いのような柔らかさはない。
しばらく槍を見つめていたアランの青碧の瞳が、さらに、険しく鋭さを増したように思った。
私の存在でアランの視察を邪魔してはいけないと感じ、声はかけずに視線を一騎打ちの方向に戻した。
すると、ちょうど赤の柄のバリーという青年の方が大きく槍を突き出し、青の槍の人を突きあげるようにからめて落とそうとするところだった。
振り落とされそうになった青の方が、馬を操りつつ槍を引いて打ち合いをいったんやめようとするものの、赤の方はさらに槍を絡ませて青を馬から落とそうとするかのように勢いをつけて迫っていく。
槍は突き合って使うもののようで、接近するとその長い持ち手が邪魔になるようだった。青の見るからにまだ小柄な馬上の人は近づきすぎてうまく柄を操れないらしく、馬上で不安定な姿勢で赤の攻めをフラフラと受けていた。
このままでは、落ちるっ!そう思った瞬間、
「そこで、やめっ!」
という、大きな地響きのような声が響いた。
足がきゅっとすくむような大声。
ユージンが、怒鳴ったのだ。
「若年相手に、稽古で馬上から突き落とすのはやりすぎだろう!それは指導者の正騎士のみに許されている指導行為だ!バリー、いくら優勝者とはいえ、4回生相手にそこまで攻め込むとは先輩の模範演技としても行きすぎだっ!」
さらにユージンは、たたみかけるように大声で言い放った。
突然の荒々しいユージンの声に私は息をのんだ。
私は戸惑って、手をつなぐアランの顔をちらりと見るけれども、アランはただ静かに、目の前に広がる一騎打ちが止んだ姿を見つめている。先ほどの険しさが収まった瞳を見ると、ユージンの一喝にアランも同意しているのかもしれない。
ユージンの大声で、槍稽古の周りの野次や喧騒はいっきに静まり、馬の蹄の音と荒い息づかいだけが聞こえる。
視線を稽古場に戻すと、振り落とそうとしていた赤の柄の槍の方の動きも止まり、青の柄の方が落ちかけていた体勢をたてなおしたようだった。
ホッとして、私も小さな息をつく。
すると、ユージンがそっと私とアランの背後に寄ってきて、アランと私にだけ聞こえるような、小さな小さなささやき声で、
「あの赤の柄のバリーは、パール侯爵の親戚の者だ。今朝、ミカ様の来訪が決まった時に悪態をついていたから、もしかすると、お前やミカ様につっかかるかもしれん」
と、言った。
――え?パール侯爵の親戚?つっかかる?
私がユージンの言葉の意味をくみ取れず、咄嗟に彼を振り返ろうとしたとき、ガチャリと金属音が鳴り響いた。
ユージンの言う赤の柄の槍を使っていた槍技大会優勝者のバリーが、金属音を響かせつつ馬から降り、長い槍を他の人に渡し、甲冑の頭の部分を外していた。
頭と顔を覆っていた冑がはずされると、明るい茶色の髪がふわりとひろがり、太くキリっとした眉、頬から顎のしっかりしたラインを持つ青年がこちらを向いた。そのとなりでさっき馬から落ちかけていた青の方も同じように馬から降りて冑を外したが、こちらはまだ少年というようなあどけなさだった。
優勝者の青年の方は、冑を抱えたままこちらに見学しているわたしたちの方に歩み寄ってきた。
近くまで歩いてきたバリーという青年は、普通に話しができるくらいの声が届く距離でいったん歩みをとめ、ユージンに鋭い目つきをよこし、続いてアランを見た。そして、最後に私を睨んだ後、今度はふっとあざ笑うかのような笑みを浮かべた。
「指導長殿、ご指摘感謝いたしますが……。ですが、馬上槍に落馬はつきものではございませんか。あれくらいの攻めで不安定になる方が未熟なんですよ」
丁寧な言葉づかいでありながら、小馬鹿にしたような表情と言い方に、青年がさきほどのユージンの阻止を快く思っていないのがありありと伝わってくる。
「バリー、おまえはまだ正騎士ではない。驕るな。しかも私は一騎打ちではなく、連隊の稽古を指示したはずだが?」
ユージンが一段と低い声で言い放った。
だが、その青年はユージンの言葉を鼻で笑う。
「戦乱もないこの世に騎兵隊列など、行進の練習だけで良いのでは?槍の技術をもっと華麗に磨き、騎士の洗練された術を技術大会や演武で見せてやる方が、よっぽど国民に喜ばれるというものですよ」
「騎士は見世物ではない」
「ですが、国民は英雄譚や華やかな騎士物語を求めているでしょう?国民の望みに答えるのも騎士の勤めではありませんか」
「バリーっ!言葉がすぎるぞっ!」
ロイの一喝も響いた。青年はロイの方に一瞬目を向けたものの、さも煩そうに首を振る。
そしてちらりとこちらを見た。
青年はアランを見て、軽い笑みを浮かべつつ口を開いた。
「それとも……そこの近衛騎士団長がお相手でもしてくださいますか?つまらぬ騎兵隊列の稽古よりも、剣技大会の連続優勝者として剣技に名高い近衛騎士団長アラン様と、槍技大会の優勝者のこの私が勝負する方が見ものではありませんか」
「騎士団長に失礼だぞっ」
「失礼……そうでしたね、近衛騎士団長は女性に心奪われて、鍛錬の時間も減っておられるとか。女性に気を取られている方に勝負を申し出るべきではありませんでしたねぇ」
「バリーっ!!」
ロイが青年の言葉を止めようとするが、バリーと呼ばれる青年は何も堪えた様子はない。ロイは眉を寄せたまま、慌てたように、アランの方を振り返り叫んだ。
「近衛騎士団長!お見苦しいところばかりか、修練生の失礼な言葉と態度、申し訳ありませんっ」
ロイの必死な言葉をどう受け取るのかと思って、隣のアランを見上げると、アランは淡々とした瞳でバリーを見つめたまま黙っている。
しばらく沈黙が続いたので、ユージンが隣から「騎士団長?」と声をかけた。
するとアランは、バリーがこちらを小馬鹿にするような態度を崩さずにいるのを見つめながら口を開いた。
「左に重心がかかり過ぎている」
スッと風が通って、アランの金の髪がサラサラとなびいた。
夏の日差しが白の騎士服を照らして輝く姿で、アランは、バリーのあざけりの態度を前にしても『我関せず』といった面持ちで、淡々と言った。
「馬上で槍を使う場合、腰から下は常に安定していなければ上体に隙ができる。今のままでは、左に重心がかかりすぎて、上半身の右後方への気配りが完全に抜けている。それでは馬上で一騎打ちしている間に、歩兵に右後方から貫かれるぞ」
アランの声はいつもの穏やかな響きだった。
目の前のバリーの悪態も、さきほどの失礼な態度にも心を揺らされていないことを堂々と示す落ちついた声。
そして、淡々とバリーの今の一騎打ちの槍技についての指摘と丁寧な説明を続けていく。
アランの落ち着きように、逆に焦ったような態度をとったのは、バリーの方だった。
「な、にをっ……団長とはいえ、女にうつつを抜かし…た、鍛錬も減っている者にいわれたくは…」
バリーは、先ほどの鍛錬の時間を減っているとアランを揶揄したことも無かったことのようにかわされたことで、やり場がなくなった焦りと怒りで顔を赤らめていた。
そんなバリーを前にアランは少し小首を傾げた。
「……鍛錬の時間は減ってはいない。早く帰宅している分、夜が明ける前の鍛錬時間を増やしている」
アランはそう述べた後、すっと私と握る手に力を込めた。
そして、ふっと私の方に視線を向けた。途端にその目は淡々としたものから、甘さが漂うものになる。煌めくような瞳がむけられる。私の手をそっともちあげ、かるく指先に口づけ、また元のようにつなぎなおした。
それから、またアランはバリーの方に向く。
「だが、美香のことを『女』と軽く呼び捨てるのは、やめろ」
ずっと穏やかだった声色なのに、最後の一瞬だけ、冷え冷えとした氷の刃のような鋭さを持っているように聞こえた。
背筋がゾクっとする冷たさ。
それを受け止めた目の前のバリーは、一瞬息をのんだものの、反発するかのようにこちらをギロッと睨みつけてきた。
そしてバリーは私に向かって、
『泥棒猫』
と、小さく言った――……古語で。
それまで一般共用語で話していたのに、突然、耳に響く古語。
「レイティが言っていたが、本当にここまで、あのアラン様を骨抜きにしてしまうとはね」
「!」
先ほどのユージンの『バリーは、パール侯爵の親戚の者だ』という言葉が頭の中でつながる。
パール侯爵……アランのことが好きなレイティ嬢の家だ……つまり、バリーはレイティとの親戚関係ということになるのだろう。
高位の貴族の子息ならば、アランやディール様、殿下のように、教養として古語も話せるにちがいない。
「遠き国の姫などと噂があるが、遠き国とはいったいどこなのでしょうね?噂では、貴族相手の高級娼婦の一部も古語を扱える者がいるそうですしねぇ。いったいどこの馬の骨なのやら」
バリーは古語でささやくように私を責め立てた後、ニヤリと笑った。
そして憮然とこちらをみていたユージンとロイに向かって、高圧的に言い放った。
――次は、一般共用語に戻して。
「失礼、指導長もロイも平民出のご苦労を重ねられた方々でしたね。貴族の教養である『古語』はご存じなかったことを失念しておりました」
言外に、自分は高位貴族出身であるという優越感を漂わせ、バリーは微笑んだ。聞きなれた一般共用語のはずなのに、人を見下したような響きが漂う。
ユージンは憮然とバリーを見つめ、ロイは悔しそうに眉をひそめつつも堪えるように口をつぐんでいる。
そんな中、バリーは、貴族的に優雅に私とアランに一礼した。
「アラン団長、数々の礼を欠いた態度、申し訳ありません。私も幼き頃より知っているパール卿の愛娘レイティ嬢が『アラン様が変わられた』と言っては涙をこぼす姿に心を痛めておりましたゆえ……。ついつい度を過ぎた態度をとってしまいました。どうぞお許しくださいませ」
今度は一般共用語で周囲の騎士見習いにも聞こえるように、少し大き目の声で言葉を響かせている。そんな明らかにこちらを揶揄する態度で、バリーはそう述べると、にっこりと笑った。
さすがに私も、バリーの態度にムッとする。
槍技についてのことはよくわからないけれど、貴族として人を見下す態度や、アランやユージン、ロイに対する暴言は、まったく美しいものじゃなかった。
その時だった。
アランとつなぐ私の手がぎゅっと強く握られた。
私が咄嗟に隣のアランを見上げると、アランが目を細めてバリーを見ていた。
形の整った眉が少し顰められ、その下の青碧の瞳に影が落ちている。
通った鼻筋、その下のほどよく色づいた綺麗な唇は今はきゅっと引き結ばれて、口角は上がっていない。
なにか、背筋がゾクゾクとする寒いものを感じた。
「アラン?」
足場から冷え込む様ないたたまれなさを感じて、そっとアランを呼びかけてみる。横から見上げるアランの瞳はいつもと同じ青碧なのに、その奥に私が初めてみるような仄暗い炎のような……紅が差し込んだように感じた。
「ア、ラン?」
もう一度呼びかける。
アランは私の呼びかけに答えず、目の前のバリーに向かって言葉を放った。
「美香を辱めるような言葉を紡ぐのか」
その声は……いつも私の耳に紡がれるアランの声とは思えないほど低く、無機質なものだった。
さきほどから背筋を震わせていた寒気が、もっと足元から立ち上るような強さで感じはじめ、肌に鳥肌が立つ。
そのとき、ユージンが背後で小さく「やべーな、怒らせたか」と呟くのが聞こえた。
アランがそのユージンの呟きを受け止めるかのように、バリーに視点を定めたまま「ユージン、この後、どのようにこの者を指導する?」と言った。
ユージンは後ろでため息をついた。
「いかようにも……近衛騎士団長のお好きなように」
私はアランを見つめた。
――……怒ってるんだ。
アランは、怒ってる。
なんとなくまずい気がした。
こんな低温のアランを見たことがなかった。前にイライラした風で唇を噛んでいたアランも不機嫌そのものだったけれど、こんな隣にいてゾクゾクするような怖さはなかった。
「あ、あのアラン、私は別になんとも思ってないから…」
戸惑ってアランとバリーの視線のあいまを遮るように私はアランの前に顔を出した。
アランとバリーを引き離さなければならない気がしてそう言ったのに、アランの視線から遮った私に、背後からバリーが、
「近衛騎士団長のご指導なら受けたいものですねぇ。馬上槍と……アラン団長殿でしたら、剣で稽古をつけてくださるんでしょうね?槍対剣なんて、団長殿ならではの稽古になりそうですし」
と、言った。
――……なに焚きつけてるの、この人!?
バリー青年に内心なじるような思いがよぎる。「空気読んでよ!」と叫びたいのをこらえる。
どうもこのバリーって人は自分の槍に自信があって、アランより力があるって思いこんでいるようだった。
それとも、よほどアランが私と婚約したのが気にいらないの?
私は振り返って、茶色のふわりとした髪が揺れる、ガタイのいいバリー青年の表情を探った。
茶の瞳は私を馬鹿にするかのように見つめて、本当に小さな声で言った。私に聞かせるように……古語で。
「伯爵風情でね、パール侯爵の令嬢を振るなんて、貴族のすべきことじゃないんですよ」
「!」
私はトゲのあるバリーの言葉に息がつまった。そんな私をさらに見下すかのようにして、
「しかも、こんなあきらかにフレアの貴族出じゃない女を選ぶなんて、同じ貴族とは思えない。吐き気さえする」
と古語の言葉をつづけた。
バリーのその物言いと眼差しを受けて、私はバリーの態度が、以前のレイティ嬢がアランの館の使用人に怒鳴っていた貴族の態度と通じていることを悟った。
――……あぁ、さっきユージンも言っていた。『特に少年部に入寮する若い者たちは、食いものや着るものに困る家から来たものも多いんです。ミカ様のような煌びやかなドレスをまとった貴婦人に、虫ケラのように蔑まれたような経験を持つ者もザラです』――と。
きっとバリーやレイティが属する「パール侯爵」というのはとても幅をきかせている高位の貴族なんだろう。そこからすれば、どこの馬の骨かわからない、突然あらわれた私のような女は問題外。
婚約発表されて、たくさんの贈り物が私の部屋に運び込まれたけれど、きっと私とアランの婚約を歓迎しない貴族はたくさんいるんだ……。
私の眼差しを受けたのが気にいらなかったのか、バリーは軽く舌打ちをした。そして、今度は囁く古語ではなく、はっきりと周囲に聞かせるように一般共用語にかえて声を張り上げた。
「これでもアラン団長のことは、レイティへの態度に腹を立てていても、剣技においては尊敬していたんですよ?なのに……あなたときたら、こんなどこから来たかもはっきと明かせないような女を婚約者とするなんて」
棘のある言葉が周囲に響く、遠くで槍以外の稽古をしていた見習いの人達も、こちらの様子がおかしいことに気付いたのかいつのまにか視線がこちらに集まって来ていた。
それを味方につけるかのように、さらにバリーは、
「ソーネット伯爵ディール様の顔をつぶすような真似をし、皇太子殿下のおそば近くに控える近衛騎士団長としてなんたる覚悟の無さなのかっ!」
と、吐き捨てるように、アランに向かって言いはなった。
そのとき、周囲で黙ってこちらの様子をうかがっていた騎士見習いの群衆の一部で「いいぞバリーっ!」と掛け声があがり、拍手もあがる。しかし逆に「煩いぞ、貴族の坊ちゃん共!アラン様とミカ様はお似合いではないか!」と応戦するような声も上がり始めた。
ユージンが眉を寄せつつ、ロイに「まずい、話がややこしくなるから、あいつらを黙らせてこい!」と小声で指示するのが聞こえた。
ざわつき始める周囲を焚きつけるかのように、バリーはまたニヤニヤと笑う。
「この際、本当にあなたの剣技の質が落ちていないのか、ぜひ見せてもらいたいものですね。視察としてこちらにいらしたようですが、私たち騎士見習いとしても、近衛騎士団長の力がその団長位にふさわしいものなのか、見せていただきたく思いますよ」
バリーのあまりの言いように、私は眉をひそめた。私がどこから来たかわからないような女なのは実際確かだから仕方ないとしても、アランに対しての言葉はあまりにもひどい。
背後からユージンもイライラした声で、
「おい、バリーそこまでにしろっ!お前の指導は、俺がみっちり槍でやってやるっ」
と、声を張り上げた。
けれど、その声を聞いて、周囲の見習いたちの一部がブーイングの声をあげた。「そりゃないですよ、指導長!」「アラン団長対バリーなんて、見ものですよ!」「イイ賭けになる!」と野次が大きく膨れる。
ユージンが眉をしかめ、「黙れっ」と言い放つ。しかし、もともと騎士見習いの中で、アランの婚約を良く思っていない者、貴族と平民の軋轢の中にある者がいるのか、やんやんやと騒ぎが大きくなっていく。ユージンは周囲を見渡しつつ、アランに顔を寄せて口を開いた。
「アラン、バリーを直に指導するか?おまえが今ここで、ミカ様の名誉を守るためにも一戦相手するのが一番手っ取り早く落ちつくかと思うが」
騎士団長としてでなく、旧友として話しかけるようにユージンはアランの顔を見つつ小声でそう言った。
その言葉にアランは一瞬眉を寄せてから、私の方を見た。
青碧の双眸が、私を見る。
澄んでいる青の奥に揺らめく、紅の炎。
けれどもそれは迷うように、はっきりとは燃え上がっていない。
「アラン?」
私はアランのその迷いの瞳に対してたずねるように声をかけた。
アランはしばらく逡巡した後、口を開いた。
「美香……私は、今、バリーに対して怒りを抱くと同時に、団長として示さねばならない道があると感じています」
「うん」
「けれど……」
「けれど?」
アランは私とつないでいる手をそっと持ち上げた。
「約束も守りたい」
「え?」
私はアランの双眸を見つめた。
青碧の深い視線が、私とアランのつなぐ指先にうつる。
「手を」
「手」
「はい。手を離さないと約束しました」
「……うん」
アランの瞳がまた私を見た。
真面目に困った表情をしている。
「つないだままでバリーに対戦することも可能ではありますが、万が一でもあなたに怪我をさせることがあってはいけない」
「……」
「前にも、私から手をはなしてしまったのに…」
その双眸が翳ったとき、アランが本気で「手をつなぎ続けるという私との約束」と、「手をはなしてバリーと一戦相手すること」を天秤にかけて悩んでいることが伝わってきて。
――……私は本気で、苦笑した。
私の苦笑いがアランに伝わったのか、アランは小首をかしげる。
「美香?」
「ううん、行ってきて、アラン」
私は夏の日差しの元、煌めく金の髪と白の騎士服につつまれたアランを見上げ、その青碧の海の色に話しかけた。
意識的に声を作る。
甘えるように。
頼むように。
そうしなきゃ、アランは、私から離れられないんだ――……約束に縛られて。
馬鹿な人。
ほんとに……ほんとに……なんて、不器用なの。
私は微笑んで、アランに言った。
「ね、わたしもバリーの言葉はあまりに乱暴だと思ったの。みんなにも失礼だわっ。だから……ちゃんと、騎士団長として、あるべき指導を」
言いきってから、そっとアランとつなぐ手から、私は力を抜いた。
アランが私の手をつかんでいるけれども、そっとはなすようにもう片方の手で手を引き抜く。
ずっとつないでいたせいで汗ばんでいた手。
離れるといっしゅん、ひんやりとした空気の感触がした。
手をはなしたとたん、アランはちょっと眉をよせて途方にくれたような顔をした。
それが本当に迷子になってしまった子供のようで、私はさらに苦笑する。
フォローするように、
「私から手をはなしたから、約束をやぶったことにならないんじゃない?」
と、明るく小さな声で付け加えた。
すっと視線をうつして、横にいるユージンに視線で確認する。――これで、いいんだよね?そんな意味を込めて。
ユージンは、私の視線をさっと受け止めて、穏やかに頷くように軽く笑った。
「ミカ様がこう言ってくれているんだから、アラン、行ってくれよ?」
ユージンの言葉に、アランはほんの少し目をつむり、そして見開いた。
青碧の双眸には、先ほどまで迷うようにゆれていた紅の炎――怒りの色が、はっきりと映し出されていた。
整った眉の下の双眸が、青く艶然と煌めき、唇が微かに笑む。
アランの身体がいっそう大きく輝くように見え、日差しを受けるその姿になにか底知れぬ力がまとわりつくのを感じて、さっきの寒気を思い出した。
アランは微笑んだまま、視線をバリーの方に向けた。
「近衛騎士団長として剣技の力量を証しするため、また、我が婚約者を侮辱したことへの制裁を兼ねて、バリー、おまえの槍との一戦に応じよう」
アランの声が低く、そしてまるで周囲に宣言するかのように響いた。
それを受けて、まるでお祭り騒ぎのように周囲で見習いたちが野次を飛ばし合う。「アラン団長とバリーの対戦だぞぅ!」という大声を受ける中で、ロイの高めの声が必死に「賭けはするなぁ!」とわめいているのが耳に入った。
私は、アランをあらためて見上げる。
アランは、騎士服の上着の首元の留め具を外し、私の方を振り返った。
目が合うと、アランは微笑んだ。
「上着を持っていてくれますか?これは実戦向きじゃないので」
「うん」
アランは白地に金と銀の豪華な刺繍がちりばめられた上着を私に手わたした。手にとるとそれは思ったより大きく、私は両手で落とさないように抱える。
上着を脱いだアランは、上質の白のブラウス姿となった。そこで初めて、腰に幅広の身体に添うようにベルトがあって、手にしている大ぶりの騎士の長剣とは別に、もうひとつ小さな剣を納めているホルダーが目に入った。それにしても、あまりに一戦を交えるにはふさわしくない軽装に見える。
私が眉をよせると、アランはくすっと笑った。
「すぐに戻って来ますから」
「う、ん。が、がんばって」
何と声をかけていいのかわからず、私はとにかくそれだけを呟いた。
アランは頷いて、そして装甲もつけずに、団長としてずっと身につけていた長剣を手にもちなおし、騎士見習いの少年の一人が連れてきた馬に飛び乗った。対する向こうのバリーも馬にまたがり、新たな槍と腰に剣を携えて準備を整えたようだった。
アランは、馬上で長い剣の鞘を引き抜き、その鞘をユージンに上から手渡す。
鞘をうけとったユージンはアランを見上げて、
「おい、アラン、真剣でいくのか?さすがに、手加減してやれよ」
と声をかけた。
アランはそれには何もこたえず、ただ唇の端を少しあげた。
夏の日差しで、アランが手にした磨き抜かれた剣の刃がまるで光の塊りのように煌めき眩しいくらいだった。
さっきまで野次やら歓声やら、アランとバリーの一戦だぞうとの呼び声でさわがしかった稽古場が今は、息をつめるような沈黙を取り戻していた。
「用意、始めっ!」
号令がかかり、風が大きく動いた。
12/30 誤字脱字、表現の訂正




