32 外出 (アラン)
アラン視点です。
朝、近衛騎士の白基調の騎士服を着て階下に降りようとすると、窓からの朝日をあびて艶めく美香の黒髪が見えた。
上からみおろす形なので表情はわからなかったが、マーリとグールドと何か話しているようで、時折ちいさな笑い声が聞こえる。
彼女のほっそりとした身体をまとうドレスは、見覚えがある。
前に初めて外出したときに着ていたさわやかな淡い水色のドレスだった。兄のディールと殿下から贈られたあの若草色の明るい……黒髪を隠せるドレスを選ばなかったのだと、あらためて思う。
美香がマーリやグールドに顔を向けると、そのドレスの背中に流れる黒髪がサラサラと彼女の身体に添う。
前に外出するとき……このドレスを着た彼女を前にしたとき、私はこの姿の美香が可愛くて、早く連れ出して彼女のいろんな表情をみたくて仕方なかった。
――……彼女は自らの黒眼黒髪の姿で外に出るということにさまざまな思いを抱えつつ、外出することを選んでくれたのに……私は何も気付けなかった。
とにかく、私が彼女を甘やかせてみたくて、いろんな表情に出会いたくて、寄りそいたくて。しかも、ディールや殿下が現れたときに、ディールの弟で殿下に使える立場が先にたち、ミカの手を簡単にとられてしまっていた。
前と今と、私とミカに何か大きな差があるわけではない……。
少し季節がすすみ、夏の日差しが強まった中で、私が美香のきらきらと外を眺める瞳を見てみたいという甘い想いはかわらない。
でも、同時に……美香がこの黒髪を背中に流し、ここに立っているということの……その孤独と覚悟をわずかでもいいから分かち合えたらと思うようになった。
今は、少しばかりでも、その「隣に立つ」ということの重みを感じることができる。この美香と共に館の外に出るということ、彼女を守る騎士としてあるということ、その重みだった。
それが私の力に及ばないほどの大きなものであったとしても……美香を守りたいという気持ちはかわらずここにある。
私は、自分の身体に添うようしてはめている父から受け継いだ双剣を服の上から確認した。そして、腰に装備している騎士の証としての剣の騎士団と国の紋章が共にはめ込まれた部分に指先で触れた。
そのとき、目の先に揺れる黒髪がっと動いて、美香がこちらを見上げた。
まっすぐにこちらに向けられる黒の瞳。
「アラン…」
「準備ができましたか」
「うん!」
階段を降り切ると、グールドとマーリが一礼した。
私は美香の前にたち、もういちど瞳を見た。美香の瞳に怯えはないか……哀しさは宿っていないか。
「アラン?私、大丈夫だよ」
手を差し出すと、そっと小さく白い手が載せられた。私はそっと握る。
まるでそれが合図かのように、扉が開かれた。夏の強く差し込むような日差しが、玄関の石畳をいっきに照らす。
「行ってらっしゃいませ、アラン様、ミカ様」
振り返ると、グールドとマーリ、それだけでなく後ろの方にこちらをのぞくようにしていつもは使用人用廊下を使用する者たちがこちらをのぞいていた。
「あ、ドーラさん、ドンも」
美香が私のとなりで驚いたように小さく声をあげた。そして、空いた方の手を軽く振った。その美香の手ぶりをみたのか、柱の端から見送ろうとしていたような洗濯婦のドーラが大きく腕を振り返してきた
「アラン様!ミカ!…いやちがった、ミカ様!こんどこそお二人で素敵な時間を過ごしてくるんだよ~」
ドーラの大声に、隣に立っていた使用人が慌てたように「おいドーラさん、そんなこと大声で…」とドーラさんを柱の影にひっぱってゆく。
『こんどこそ』という言葉に、私は思わず苦笑して美香の方を見た。
「皆に応援されてるんですね」
美香は笑顔をこちらに向けた。
「前のときもね、ドーラったら出かける用意を終えたときにそっと『黒髪を街のむすめっこたちに見せびらかしておいで』ってニッと笑って励ましてくれてね、ずっと柱の影から見送ってくれたの」
美香の言葉に、私はすこし言葉をのんでいったん息をついた。
「そうですか……。前は気付きませんでした」
「いつもそこにある、あたたかな眼差しだものね……とても大切にされているんだよね、アランも……私も」
そう言って美香はわずかに微笑んだ。
私はそっとつないでいる手の指先を動かして、美香の指に絡ませて繋ぎなおした。気持ちを込めて、心もち声を強くして美香に声をかける。
「行きましょう」
「はい」
私と美香は、並ぶ館の者たちに「行ってきます」と声をかけてから、馬車に乗り込んだのだった。
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「本当に、かまいませんか?騎士見習いの寮は、まさに殺風景ですから……。シエラ・リリィの店で待ってもらっていてもいいんですよ?」
私は美香に聞きなおす。そんな私に美香は、
「それじゃ、手をはなしちゃうでしょう?」
と言ってにっこり笑う。
「そうですが……」
「いいの、見てみたいの。騎士が剣を交えてるところなんて、みたことがないもの」
美香は機嫌よさそうなきらきらした目を窓に向けた。美香の隣で同じように窓の外に目を向ける。
馬車から見える風景は、丘陵地を過ぎて城下に近づきつつあった。
昨夜、夜のお茶の時間のときに、私が午前中は城下にある騎士見習いが生活している騎士団寮で用事をすませてから、館に美香を迎えにきて馬車で再び城下に行くことを話したところ、美香は、
「それなら、私が朝からアランと一緒に城下に出た方が、アランも二度手間にならないよね」
と言いだしたのだった。それからあたたかなミルクに口をつけてから、そっと言ったのだ。
「お城じゃなくて、城下にある騎士団の寮なら…見てみたいな。アランの用事の邪魔になるかな?」
思いもよらない言葉だった。
「……見てみたい…ですか?」
私の言葉に、美香はちょっと照れたように笑った。
「う、うん。まぁ、アランの騎士服姿は毎朝見てるわけなんだけど、騎士団がそろっている姿とか見たことないし。剣とか槍とかの稽古も、アランは館では一人稽古でしょう?交えているのってどんなものなのかなぁって……」
その言葉によって――……。
午後から二人で衣装屋に行くのではなく、朝から一緒に騎士見習いのいる城下の騎士団寮に行くことになったのだ。
馬車から見える風景は、白くそびえたつ城に近づくにつれて、王城の周りに発展する石と煉瓦作りの王都の建物群にうつりかわってゆく。
手をつなぎながら外を眺めながら、見える建物や城下の話をしていると、美香がたずねてきた。
「その…城下にある騎士見習いが暮らす騎士団寮って、アランも生活していたところなの?」
「そうですね、私が12歳で入寮したところです。この城下にある騎士団寮で修練した後、正騎士となり配属が決まれば、その配属先の各騎士団寮で生活するようになります。近衛騎士団寮や第2騎士団寮など、団名で呼ばれるのです」
そう答えると、美香は首をかしげた。
「あれ、でも、アランは今自宅から通っているよね。この館からいつもお城に行くんだよね?」
「騎士団にもよりますが、副団長、団長は寮住まいはせずに、自分の館から通うことが通例になっていますね。またすべての者が寮が暮らすわけでもありません。騎士団への奇襲などに備えて、団員の危険分散になるよう適度に生活場所はふりわけています。」
「そうなんだ」
「えぇ、あと、各騎士団寮と本部は併設されているのが基本なんですが、近衛騎士団は、王城敷地内に寮と本部があるのです。ですから、私の執務室がある近衛騎士団本部に行くということは、城に行くということでもありますね」
「お城に通勤してるなんて、なんか面白いね」
美香はふふっと笑った。
これから向かう、騎士見習いの少年たちと指導者の騎士たちが住まう騎士見習いが中心の城下の騎士団寮は槍稽古もできるように広場があり敷地こそ広いが、女性が好むような煌びやかさは皆無なところだ。
質素な生活が精神的鍛錬にもなるということで、もともと装飾をしていないところに加えて、男所帯なことも加わって殺風景この上ない建物となっている。
これが王城内の近衛騎士団本部の団員寮となれば、上質な敷布と壁の装飾、堅牢でありながら華やかさもある建物となり、見ごたえもあるものなのだが、もちろん王城に許可なく入ることは無理であるし、そもそも正騎士という成人男性が集う騎士団本部に美香を連れていきたくはない。
騎士見習いの騎士団寮は華美さには欠けるかもしれないが、本気で鍛錬を重ねる少年たちが暮らすところで、常に誰かが剣や槍などの武器や武術の稽古をしているので、見学しやすいところともいえた。
しかも私の用はまさに、騎士の少年への指導内容のチェックと、騎士見習いたちの成長度合いの視察だったので、美香の望む剣や槍を交えるところは大いに見学できるといえる。
ただ……。
私は、美香とつなぐ手を見た。
美香が想像している以上におそらく……堅物アランと呼ばれる私が婚約者とはいえ女性を伴って見学することは、若手の騎士や騎士見習いの少年たちを動揺させるだろう。
しかも、美香が異世界からの到来者であると知っているのは、王侯貴族と各騎士団の上位に位置する団員のごく一部。今日の行き先の騎士見習いの者たちは美香を「遠き国より来た黒き髪の姫」という噂を信じているだろうから、きっと完全に美香は……注目の的だ。
若く未熟とはいえども騎士を目指すものたちだから、羽目をはずすということはないだろうが……。
私は念のため、再度、確認した。
「美香、昨日話ましたが、私と連れだって騎士団員の前に出れば……それなりに注目されてしまいますが……本当に、良いのですね?」
覗き込むように美香の顔をみると、美香は頷いた。
「うん。照れてしまうけど……騎士服姿のアランと街をあるいても、きっと皆からいっぱい注目されるだろうから…覚悟はしてるんだ」
美香はもう一度きもちを込めるように言いなおしたので、私はこたえるようにからめた指先に少し力を込める。
――……ただ、おそらく、注目度合いは街の比にならないような気がするのだが……。
それがうまく伝えられていない……内心、そう思ったとき、私たちが乗る馬車は城下街に入る大門をくぐったのだった。
11/12 誤字、表記ミス訂正。




