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31 つないだ手 (ミカ)

第3章開始。

ミカ視点です。



「行ってらっしゃいませ」


 そう言って見上げると、館の広い玄関扉の前で栗毛の馬にまたがる白の騎士服を着こなしたアランが、綺麗に微笑んで「行ってきます」と答えた。

 

 朝の澄んだ空気の中、夏に向かって強くなりつつある日差しでアランの金糸の髪がきらきらと輝いている。騎士服の白さが日光で際立ち、豪華に刺繍を施された肩や袖口の金糸や金銀ボタンも光を跳ね返して、アラン自身が輝いているようにさえ見える。

 スッと伸びた姿勢は堂々としていて、私は目の前の姿にまぶしくなりながらも、精いっぱい微笑んだ。


「気をつけて、アラン。良いお仕事ができますように」

「美香も、今日一日が満たされた日でありますように」


 祝福のように私にそう告げて、彼は王城へと出仕していく。

 玄関に並ぶ私と数人の使用人が礼をして見送る。

 今日は従者もいて、騎士服を着た者たちが二名、アランの後ろに茶色の馬に乗りつき従っていた。 

 近衛騎士団の団長ともなると、正式な出仕には従者もしくは他の騎士と共に出かける必要があるらしい。けれどアランの館は王城から離れているし、またアラン自身も手配が面倒だからと、ふだんはひとりで馬を駆けて出仕しているとグールドさんが話していた。それでも職務の内容によっては従者をしたがえた形で出仕の形式を整えなければならないこともあって、その時は今朝のように朝からお迎えが来るようだった。

 一年この館に住んでるわけだけど、アランがどのように出仕しているのか知ったのはごく最近。

 こうやって見送りするようになってから――……あの満天の星の下のテラスで語り合った、その翌朝からだ。 


 広い館の庭園は、澄み渡った空気に包まれていて、アラン達の小さくなる後ろ姿を見送りながら私はすぅっと息を吸った。

 

 私の横に控えていたマーリが、にこやかに言う。


「この朝の見送りも、馴染んできましたね」

「そう?」

「えぇ、以前は朝食後はすぐにミカ様は家庭教師、アラン様は出仕のお支度とバラバラの一日をお過ごしでしたから…。こうやってお見送りになっているお姿、本当に奥様となられる風格を感じますわ」

「……それほどのもんじゃないんだけど……。まだ婚約者、だよ」


 私はマーリの「奥様」という言葉に照れて、苦笑で返した。



 あの夜。

 マーリが用意してくれた甘いミルクと共に、アランと夜のテラスで語り合った日から……ほんの少しだけ変わったことがある。

 

 一つは、こうやって朝の彼の出仕を見送るようにしたこと。

 あの翌朝アランは、夜が遅かったからと午前の家庭教師の時間をずらしてくれていた。だから朝食後に余裕があって、私は出仕するアランを見送ったんだけど……すごく嬉しそうな顔をされてしまって――……。

 結局そのまま、毎朝見送るように家庭教師の時間がずらしてもらうようになった。同じように、帰宅のときの迎えもきちんとグールドさんと並んで待つようにしはじめた。

 


 そして、もう一つ変わったこと。

 それは、夜――……。


**************



「今日のミルクには、少しスパイスを混ぜてみました」


 そう言ってアランが手にしたトレーにはミルクの入ったカップが二つ、あたたかそうな湯気があがっている。柔らかな甘い香りの中に、スッとする爽やかな香りも混じっている。

 

「今日は夕方に雨が降りましたからどうなるかと思いましたが、上がってくれてよかったです」


 そんなことを言いながら、アランはそっとテーブルにつく私の前にカップを置いてくれる。


「あの、アラン。飲み物の用意は私がしようか…?」

「いえ、けっこう楽しいですよ。騎士団寮にいた時代、野営演習のときは料理もしましたし……」


 アランは微笑みながら飲み物と、それに添える小さな菓子をテーブルに乗せる。


 人払いされた、最上階の夜のテラス。

 夕刻の雨のせいでレンガは濡れているものの、テーブルと椅子はきちんと拭かれている。空はあいにく曇り空だけど、今日は月があがりはじめていて、雲の向こうにひっそりと小さな輝きを見せている。

 揺らめくランプが雨上がりのしっとりした空気を照らし、その明かりは私とアランを包んでいる。 


 そう、あの日から、毎夜私たちは夜のテラスで話をするのが日課となった。

 雨の時は、下の応接間のソファで。

 これが、二つ目の変化。


 この夜の語らいのときは、アランは必ず人払いをしてくれる。

 そして使用人たちに夜まで手をわずらわせては…と言って、ランプと飲み物の用意はアラン自身がしてくれ、ここ数日は城下でみかけたといっては小さなお菓子までをつけてくれるようになった。

 ここで話すことは、今日の出来事、そして日本でのこと、アランの幼少の頃のこと……。肩の力を抜いて話せるような話題。

 もちろん、今、この時にはもしかしたら王の間者みたいな人が聞いているのかもしれないとも思うけれど、聞かれたってたいしたことじゃない、昔語りをしているだけ。

 そんなたわいもないことなのに、使用人たちが控えてくれている食事中に話すのとは違って、二人だけで時間をとって、笑ったりすねたり、思い出に切なくなったりしながら言葉にして伝えあうひとときは、この二週間ほどの間で、私の中で毎日の楽しみになってしまうくらいに沁み込みはじめていた。


「今日はダンスの練習だったのでしょう?」

「そうなんです。今日はほめられたんですよ!そろそろ外に出せるくらいには上達しましたねって」

「それはそれは、あのダンス教師に褒められるとは、なかなかのものですね」

「すごいでしょ?」

「えぇ」


 アランはにこやかに微笑みながら、ミルクを飲む。

 甘い香りが空気をゆらす。


「でもね、先生に言われたんですけど、ちょっとウエストのラインが…」

「なんです?」

「ゆるみましたねって…」

「……そうですか?」

「この、毎夜のおいしいミルクのせいかしら……」

 私が軽くためいきをついて言うと、

「では、甘味を減らしましょうか」

とアランが言った。

 私がアランの目を見つめると、アランはクスクスと笑いだした。

 肩が震えて彼の金の髪がサラサラと揺れる。

「美香。甘味は減らしませんから、そんな、哀しそうな目をしないで…」

 長く節ばった指先が私のほほにそっと伸ばされる。

 指先で頬をかるくさすられる。

「本当に、甘いものが好きなんですね。長く気付きませんでした」

「……でも、夜の甘味は太るし……」

 私がちょっと口をすぼめて言うと、

「では、ダンスの時間を増やして、私と踊りますか?運動量を増やせば、身体は引き締まりますが」

 笑いながらアランは言う。

「えぇぇ?二人で踊るのはさすがにちょっと恥ずかしいな…。バレエの基礎運動や柔軟体操を寝る前にすることにするわ」

 私が首と手を振りながら断ると、「そうですか、残念ですね」とアランは言った。その眼差しはあたたかで、私はアランに見つめられて困ってしまって、ミルクに手を伸ばす。口をつけると、あたたかな味わいが広がる。

「おいしい…。なんだか日に日に味が良くなってる気がする…」

「そうだと、嬉しいですね」

 私の呟きに、穏やかに返事がされる。

 添えられた小さな包みの菓子をあけると、ナッツにココアがまぶしてあるものだった。口にいれると歯をたてると、カリっと音がして闇の中に響いた。

「ごめん、音たてるのって、品がなかったね…」

「そうですか?ナッツは、音がなるでしょう?」

 アランはそっと包みをとり指先で開き、自分も口にナッツを入れた。

 彼が口を動かすと、カリコリという音が静かにテラスに響く。

「ね?」

 そう問い直される。

「う、うん……」

「それに、美香がカリっていわせてナッツを食べてる姿…」

とアランが言って、少しニッと笑んだ。

「リスみたいで、可愛いですよ?」

「……」


 こんな風に、からかわれつつも穏やかで優しい時間が過ぎる。

 いくつか今日の話題を交わし、ミルクが冷めてランプの油が減った頃、夜の語らいはそっとお開きになる。

 彼は優雅な手つきでトレーに器を片づけて、ランプのとってを指先にかけトレーを器用に左手だけで持つ。

 そして、右手で私の手をそっととる。添えるようにつながれる手。

 

 アランの手にひかれて、しんと静まり返った廊下を歩く。アランの部屋の前を通り過ぎ、角をまがり、私の部屋のある端までくると、彼は立ちどまる。


 ゆっくりと離される手。

 開かれる、私の部屋の扉。

 アランは決して、扉の内側には、足先すら部屋に踏み込まない。

 ランプで私が暗くないように照らしてくれる中、開かれた扉から私はひとりだけ自室に足を踏み入れる。

 そして、振り返る。


 そっとかがみ近づいてくる、揺らめく金糸と青碧の双眸。

 目をつむると、すっと風のいたずらのように、唇をかすめる感触。


「おやすみなさい、美香」

「おやすみなさい」


 私が扉を閉めるまで、見守られる。

 ――……静かな沈黙。

 

 閉めた扉の向こう、私にはアランの気配はもう読みとれない。

 おそらく彼はこの後、ランプの灯の始末と器の片付けをする。

 そして、アランは彼の自室へと戻るのだろう。


 私は、部屋のこもった空気を窓を開けて流す。そして長めのショールを肩からはずし、室内靴もぬいでベッドの上に座った。

 胸がきゅっと痛んだ。

 さきほどまでつないでいた手が、もう冷えてしまう気がして、私は両手を組んだ。


 こうやって、少しずつ、私とアランの距離は近づいていく。

 そっと、静かに。

 


 ***********



 朝、習慣になった見送りのために階下におりると、出仕の用意を終えたアランがグールドさんと何かを話していた。

 近づくと、アランが私に気付いて顔を上げた。そして微笑んで言った。

「美香、明日、一緒にでかけませんか?」

「え?」

「シエラ・リリィの店のドレスが出来上がったそうです。ちょうど明日は午後から休めるのです。午前中は騎士団寮に顔を出さねばならないのですが…」

「ドレスを取りに?」

「えぇ、せっかくですから……ドレスを受け取ってから二人で、もう一度城下を歩きませんか?家庭教師の方はグールドから都合をかえてもらいますから」

 突然の誘いに、私は戸惑う。

 アランは私を覗き込むようにして小声で言った。

「黒髪で出かけるのは気がひけますか?もしそうなら、持ってきてもらいます。無理はしないで……」

 見上げると、アランの瞳は私をいたわるように見つめていた。


 この二週間ほど。

 彼は私に、ひとつひとつたずねるようになった。


「あ…」

 私は口を開きかけた。

 でも、戸惑う。

 続きが言えなくて言葉が止まってしまう。自分の中で「ちゃんといわなきゃ!」と焦りがでてくる。

 その時、アランがまるですべてをくみとるようにして、

「グールド、馬丁に馬の用意の指示をお願いします。マーリ、すみませんがスコーンと焼菓子を包んでくれますか。騎士団寮の少年たちに差し入れするので、見栄えより量でおねがいします」

と周囲に頼み、それとなく人払いしてくれる。

 察したグールドさんとマーリが他の使用人にも仕事を割り振り、せわしくなりがちの朝のフロアから人がいなくなり、静かになった。

 

「大丈夫。美香、拒んでもいいんです」

 耳元でアランはささやいた。

 私は首をふる。

 アランは指先で私の頬をさすった。

「誰も見てないから。美香、大丈夫」

 私は首をまた振った。

 ちがう、そうじゃない……。


「いやなわけじゃなくて……」

 小さな声で言う。


「怖いですか?」

 さきほどよりも小さな声でアランは言った。まるで、誰にも私たちの会話を聞かせないとするかのように。

 睦言のように、指先で頬をなでてあまやかな雰囲気で私に寄りそうのに、アランは私にべったりと触れてこず、ささやかな距離を保って私に語りかける。

「怖いなら、やめていいんです」

「……外には出てみたいの。でも…」


 でも、前のような殿下やディール様やリード様の視線にさらされることになるなら、正直いやだった。気丈にのりきれる自信もなかった。


「――……今回は、兄たちに邪魔はさせません」

 アランが言った。

「邪魔なんて言葉…」

 私が言葉を濁すと、アランは言った。

「――……ただ、私だけでうまく楽しませてあげられるか、正直いうと自信がないんです。城下は良く知っていますが、護衛や見回りでの知識ばかりで、遊び場はよくわからない」

 私が見上げると、アランの眼差しと視線がまじわった。

「……堅物、アラン?」

 私がそう呟くと、アランはクスッと笑った。

「そうです。そう言われて久しいので。でも、美香と一緒にまわってみたいと思うのです。甘いデザートを出す店はマーリから情報を得てますから、その点は大丈夫なはずです」

 アランの言葉に、私も自分の表情がゆるむのがわかった。

 肩に入っていた力が抜ける。

 

 あの街に。まさにそびえたつ王城の下に広がる街に。

 ディール様に手をひかれ、前を歩く殿下の後をついてまわった、あの街に。

 いろんな風景、初めて直に接する異文化、衣装、音楽、屋台の食べ物に、日本とはまったく違う街の香り……。

 半分楽しんで、半分苦しくて、外に出られて嬉しくて、未来が閉ざされて哀しくて。そんな思い出ができてしまった城下をもういちど歩く。


 見上げると、ただ穏やかに私の答えを待っているアランがいた。


「次は……」

 私はアランの澄んだ双眸を見つめた。

「手をはなさないでくださいね?」

 私から、そう呟いていた。


「今度こそ、つないでいます」

 そう噛みしめるように返事してくれたアランが、私の黒髪の毛先をそっと指で梳いて言った。


「ありがとう、美香」



 

10/10 誤字脱字、訂正。文章表現を少し変更。

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