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30 雄弁な瞳-2(アラン)

アラン視点です。(星降る夜2のアラン視点になります)

 

 

「あのね……夕食後に、グールドさんに渡されたんだ」 


 目の前で、美香が手のひらにのせて見せた、懐かしい木の容器。

 それは、私の幼いころ、グールドが塗ってくれた軟膏の容器だった。

 それを見た瞬間、グールドがすべてはかっていたことを理解する。彼から見れば、私と美香に欠けているもの、私が美香に対して欠けている配慮……すべてお見通しだったのかもしれない。


 でも、それがわかったとして、そして美香が前にいるとしても。

 私は、どうしたらいいというのだろう?

 彼女と、どう語り合えばいいというのだろう。



 結局私は、その軟膏を口実に、

「塗ってくれませんか?」

 と迫る。

 戸惑う美香に、

「傷が、痛むんです」 

と訴え、

「見えなくても、痛むとき、あるでしょう?」

 なんて、甘えてみる。

 その上、美香に、

「アラン……本当に、よくわかりません。大人なんだか、こどもっぽいんだか、ふざけてるんだか、真面目なんだか、策士なんだか……ほんとに、ほんとに、わかりません」

とまで言わせてしまって――。


「ただ……美香が可愛くて仕方ないです」

 こんな風にこたえながら、心の中で付け加える。

 可愛くて――手放したくないんです。

 そばにいたいんです。

 どこか私の手の届かないところに行ってしまうなんて、いやなんだ。

 そんな子どものような、駄々っ子がいうみたな気持ちが湧いてきて、自分で自分の愚かさに、もう笑うしかない。

 手放せない美香のか細い指先で、私の唇に軟膏を塗らせる。

 彼女の目に私はどう映っているのか。情けない、男か。

 いや、わけのわからない――保護者、か。

 それとも、イヤといえない状況を追い詰めていく、受け入れがたいが受け入れるしかない「婚約者さま」か。



「嫌ですか?こうされるのは」


 どんな返事でも受け入れるつもりで、たずねる。

 こうしている時でさえ、美香が誰かの視線があるのを気にしているのだとしても、本心を語ることがないのだとしても、少しでも、もう見逃したくない、聞き逃したくないから、彼女の心が隠れないように、その黒き瞳を見つめる。


 答えられない彼女に、

「あなたはいつも……はっきりとは拒絶しない。拒絶……できないんでしょう?この世界で、私を拒むことができないと思ってるから。……その立場を私は利用しているのかもしれない。あなたにたくさんのことを強いているのかもしれない。その自覚はあります。解放してあげられるとも思わない」

 今、美香を追い詰めている自分を自覚しながらも、告げていく。

 こうでもしないと見えてこないから。

 私は愚かで、すぐに見過ごしてしまうから……真正面からたずねるしか、結局、術がなくて。


「ただ、あなたが嫌がることを……無理強いしたいとも思ってない」


 この気持ちも、真実。

 踏み込んで荒らしてしまうのか、踏み込まずして見過ごしてしまうのか。

 剣術のような型があるわけではない。

 実戦の予測のつかない間合いのような私と美香の距離。

 

 はっきりしているのは、美香のその明るい態度と笑顔と気遣いの裏の孤独な戦いを、真面目に捉えようとしてこなかった私の態度。

 ただ好きだと、私は思いをつたえて、私を分かってほしくて、押し付けてきたこと。闇雲に美香との距離を縮めて、手に入れたい、こちらを向かせたいと思ってきた。

 私が二人きりと思いこんでいた時間が、美香にとって決して気を許せる時間でなかったというのに、その気持ちも汲みとらずにきた。

 美香にとっては「二人きりでない」と思っていた状況で、手を取られて口づけられて、問いかけられて、尋ねられて――彼女が何を答えられたというのだろう?

 美香がいったいどうして、私を見ることができたというのだろう。

 恋の駆け引きに疎い私にだって、わかる。気持ちを押し付けるだけで、相手の気持ちを知ろうとしない恋など、はっきりいえば迷惑なだけ。

 だが美香は迷惑と拒むことすら、状況的に許されなかったのだから…。

 ――単に追い詰めただけ、なのだ。

 そんな言葉が自分の中でとぐろをまく。



 本能的に私が追い詰めたところと、計画的に追い込んだところと、私がまったく気付かなかったところで彼女を孤独にさせてしまったところと。

 すべてが蔦のように絡んで、私と美香を近づかせてくれないような気がした。

 剣で薙ぎ払えない、心と心の間を隔てる蔦。


「美香……」


 フレア王国の騎士団長の私と異世界から来た美香の間を結ぶものなど、本来、何もないのだ。

 出会うことすらありえなかった存在同士。

 そして、彼女にとってこの出会いは不幸そのものでしかなくて。

 それでも、名を教えてくれたから、心をこめて呼ぶ。


「美香」

 彼女の黒き瞳を見つめる。

 そう、ここは夜のテラスでランプの灯が揺れているはずなのに、私の目には彼女の黒く濡れた瞳しかうつらない。


 私に触れられるのはいやだろうか?

 私と共に歩むのはいやだろうか?

 私が美香を想うことは、美香にとってつらいことでしかないのだろうか……。


「……美香、いや、ですか?」



 沈黙ののちに彼女が示した気持ちは――……。




**************




「そんな……泣きそうな顔をしないで……。どうか、もう一人で声を殺して泣かないで」


 そう言って、美香の頬に手を添える以外、何ができるだろう。

 美香が、私を受け入れてくれた――「いやじゃ、ないよ」と細く震える声で応えてくれた、その重み。


 冗談のようにかすめ取った口づけに、密かに誓った。

 美香を守らねばならない。

 彼女の身体にめぐる、まだ明かされていない魔力とともに。

 そう、彼女の心を守るとなれば――……。

 今もなお、私たちの背後で監視しているであろう、このフレア王国の「目」からも彼女を守るということになるのかもしれないのだろうか――……。


 殿下との、衣装屋での会話が思いだされた。


『……ミカは、今、元の家族に会えず、友もおらず、学生と言っていたから師とも離れたということだ』

『はい』

『……では、アラン、おまえは何を手放した?』



 私が美香を守るために、彼女とともにあゆむために手放せるものは何なのか――……。

 それを考えた瞬間。


 兄のディール、弟のリード、そして長年仕えてきた殿下、そしてこのフレア王国を統べる黄金の冠と緋色のフレア象徴の竜を刺繍されたマントをまとう国王の姿が眼裏に映った。

 それはこのフレア王国の国民であれば幼き頃から自然に受けいれているべき、国の中枢部を象徴している――貴族、聖殿の魔術師、王族、そして国王。

 その中枢部が美香に対してしてきた――審問から始まり、監視、疑い、そして私の館でのゆるやかな拘束。



 目の前の美香の瞳を見つめる。

 不安げに揺れる眼差し。

 私の想いを受け取り、それを拒まなかった彼女。

 でも、その美香の瞳に今あるものは、決して「幸せな恋に浸る瞳」ではない……。


「美香……」

 呼びかけると、揺れるように瞳からこぼれ出す美香の心。

 怖れ、不安、寂しさ。

 頬に添えた私の手に縋るような、悲しみをたたえた瞳。

 親密なようでいて、甘さよりももっと切実な何かが迫っている……黒い瞳。


 それを見つめていて、彼女の孤独を想い知った気がした。

 私という「貴族生まれ」の「皇太子殿下の学友」、さらに近衛騎士団長という立場のもとで、異世界から不審の眼差しにさらされる美香が暮らすということが、どういったものだったのか。

 なぜ彼女が一般共用語をしゃべりたさに、半地下の使用人部屋に夜な夜なでかけたのか――……。

 当たり前だ。館に閉じ込めるよう指令の権力下に直結している私と、話したくなくて当然ではないか。

 

 それなのに、私は美香が自分に近寄ってくれていない…などと苦い思いさえ抱いて。


 私自身の守られた居場所と対極にあった彼女の――今、私が触れている柔らかな頬と黒く深い瞳と、私の手に添えられたほっそりとした指先をもつ美香の――立っている場所の危うさと孤独。

 

 愚かにも、私はやっと今、その深さに気付けたのだった。





「美香……すまなかった」 


 彼女の頬をそっとさする。

 わたしのことばの意味がわからないというように、少し首をかしげる美香。

「何をあやまってるの?」

「……うまく、いえそうにありません」

「なぁに、それ」

 微笑みが、美香に浮かんだ。

 泣きそうに揺らめいた瞳なのに、表情は笑うから。

 いままで私はどれだけ、美香の心を見過ごしてきたんだろう。

 

 何を謝っても……言い足りない。

 なんて私は安易に……人を守れると……彼女を「守れる」「守ろう」などと言ってしまったのか。なんて傲慢だったのか。


 守りたくても。

 ――今の私のままでは、美香を守ることができないのだ。


 そのことにようやく思い至ったのだった。

 



雄弁は銀、沈黙は金。


10/1 誤字・表現を訂正(内容に変更ありません)

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