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22 夕暮れの丘 (ミカ)

ミカ視点です。

 


 お手伝いの女性たちの手で帽子が取られ、アップされて付け毛を付けていた止め具をはずされて、私の黒髪が落ちてくる。

 ブラッシングされて、からまっていた髪がほぐれてゆく。


 ディールさまや殿下が用意してくださったという、若草色のドレスを脱ぎ、今朝マーリが着付けてくれた淡い水色のドレスに着替える。


 鏡の前の椅子に腰かける。

 幾人かの女性によって、あらためて私の髪はサイドだけ上げて結いなおされ、少し崩れてきていた化粧を直される。

 柔らかな、紅筆が唇に触れる。


 鏡を見ると…。

 黒眼黒髪の女の子がいた。


 これが、私。

 これが…ミカ。


 私は、自分を取り戻すために、鏡の中の己に笑ってみた。


 大丈夫。

 まだ、大丈夫。



******************



 シエラ・リリィの店の更衣室から、元の服に着替えた私が出ていくと、アランが近寄ってきた。

 さっきまでは、私の背後を守っていたのに、今はもう真正面から歩いてくる。


 そして、手を差し出してくれる。



「帰りましょう」




 ……。



 今の私には、ちょっと重い言葉だった。

 アランに意地悪なことを言いたくは決してないけれども。



 ……帰るところって?

 ……あなたは、平然と『帰りましょう』なんて言うけれど。

 ……私の帰るところって……どこだっていうの?



 そんな言葉が心の中に湧いてきてしまった。

 もちろん口に出さずに、アランの出してくれた手に自分の手をのせる。


 私は…ずるい。

 心の中でアランをなじっているのに、結局は、彼の庇護に頼ってしまっているんだ。



 日中の殿下が言った、帰還の術がない…帰還の術を編み出しはしない…という宣告が、私の中に意地悪な気持ちを作ってるって自覚があった。

 城下街を笑って歩いて、何もなかったように殿下やディール様たちと話してたけれど。

 でも、心躍るような楽師達のリズムに出会ったけれど…この国じゃ、きっと身体でリズムをとるなんて下品のことだとされるだろうから、手拍子がせいぜい。

 そんな文化の小さな違いにすら、自分の孤独を感じてしまっていた。



 自分の中に、醜い気持ちを増やしたくないのに!


 でも、哀しい気持ち、苦しい気持ちがないまぜになって…。

 街の中でも、背後を守ってくれているアランに、なじるような気持ちすら湧いてきて。



 ……あなたがジュースを買いに行っている間に…アランの知らない間に、いろんなことが進んでいるんだよ…。

 ……アラン、外出するって言ってくれた時に、どんな暴漢からも守るって誓ってくれたけど。

 ……心に打撃を与えてくる暴漢じゃ…剣じゃ無力なんだよ…。



 そんな気持ちがあふれてきて、苦しくて。

 自分の醜さにも辟易して。

 ちょっとわがままを言った。



『アラン、夕日って見られますか?』



 アランは、すぐに叶える約束をしてくれた。

 微笑んでくれた。


 ……どこまでも女性に優しい紳士。



*****************



 衣装屋でディール様と殿下、リード様と別れて、アランと私は馬車に乗った。

 別れ際、何か殿下に言われるのかと身構えたけれど、何も言われることなく挨拶だけが交わされた。

 ディール様は「バラジャムは、いずれ、いただきにいきますね」と微笑んだ。

 リード様は、軽く会釈する程度…。本当に何もしゃべらなかった。



 行きの馬車と同じように私の隣に座るアラン。

 手はからめるように握られた。

 御者の一声で馬が走りだし発車する。


 しばらくの間、アランも私も黙ったままだった。

 小窓からは、青から少しずつオレンジ色にそまりつつある夕暮れの空が建物の間からみえる。


 それをぼんやりと眺めていると、隣から声がした。


「約束を破ったのは…私でしたね」

「え?」


 その言葉の意味がわからなくて、隣に顔をむける。

 アランの碧眼と視線がぶつかる。

 夕暮れにさしかかっていく日差しでは、馬車の中はあまり明るくなくて表情までは読み取れない。


「この手を離したのは、私でした」


 アランは、つないでいた手を少し持ち上げて言った。


「……」


 私は返事ができずにうつむく。


「ミカ……何か、ありましたか?」


 あたたかな声が私を包んだ。

 でも、私のかたくなになった心は、そのあたたかな声すら拒もうとする。

 私は首を横に振っていた。


「……大通りに出てから、あなたの様子が寂しそうに見えて」

「……」


 アランの『寂しそう』という言葉が、私の胸を突いた。


 殿下に言われた「帰還ができない」という宣告から私の心を占めていたもの…それを言い当てられたように思った。


 そっか…私、寂しいんだ。

 ほんとうに、ほんとうに…寂しいんだ…。


 そう自覚したとたん、自分の瞳が潤みはじめているのに気付く。

 必死で私はぎゅっと目をつぶった。

 こんな…こんな、アランの隣で泣きたくない。


 しかも、帰れないから…ということで、泣きたくない。

 アランは帰る場所は「アランの館」だと思っているのに。

 私の帰る場所は違うだなんて…こんなに庇護されているのに、泣くわけにいかないよ!


 そう思ってぐっと目に力を入れた。


 すると、アランの声が頭上からそっと響いた。


「守れなくて……あなたを辛く寂しくさせた『何か』から守れなくて…すみません…」


 うつむく私に、アランがそっと身体を添わせるようにしてきた。

 決して無理強いしない、穏やかな心地。


「私は自分の剣に傲慢になっていたのかもしれません。剣技の強さであなたを守れる気になって、外に連れ出せば喜ばせれられると一方的に思っていました」

「……」

「あなたの心をもっと労わればよかった…。あなたののぞみ…『夕日を見たい』…そんなささやかなことさえ、今まで叶えれていなかった貴女の心を」

「……」

「守れなくて…。……許して欲しい」


 私は、もう止められなくて。

 ぎゅっと目をつぶるのに、その隙間から流れてくる涙を。

 もう、止められなくて。


 うつむいて、少しでも感じ取られたくなくて顔をそむけようとするのに。

 身体を添わせたアランが、耳元で、


「隠さないで…泣いていいんです」


 そんな風にささやくから。


 私は、もう堰き止められなくなって。

 あふれてくる涙を……解放した。



***************


 泣きだした私をアランは抱きとめた。

 私は馬車の揺れに身を任せ、アランの腕の中につつまれて、その胸に顔をうずめていた。


 アランは何も聞かなかった。

 私が話すのを待っていてくれていたのかもしれないけれど、私もこの胸にある気持ちをどう言葉にしたらいいのかわからなかった。


 泣きだして吐きだそうとすると、その奥に押し込んでいた醜い気持ちも見えた。

 この国の横暴さをなじりたい気持ち。

 殿下の態度や、横柄だった王城や聖殿での審問の数々。屈辱。

 アランの館での寂しさや、孤独。

 未来への不安……。


 前向きに、生き延びようとして、無理して無理して押し殺してきたような、ネガティブな自分の面が涙を流して叫ぶように心内で荒れ狂っていた。

 それを全部洗い流すかのように、私はアランの胸で泣いた。


 どこかで止めなきゃと思うのに、こらえようと息を詰めると、まるですべてわかっているかのように、アランが耳元で、


「堪えないで…いいんです」


って囁く。

 その囁きに甘えて、私の涙腺はゆるむ。

 思いを言葉でなく、涙で吐きだしていく。


 ひとしきり泣いたころ…。


 馬車が止まった。



「着いたようですね。ちょうど夕暮れです」


 アランがそっと言った。

 こちらの様子を気遣うような気配を感じた。

 私はその言葉に、まだ声を震わせながらも、


「もう、だいじょうぶ、だから……。ゆうひを、みたい」

と、返事した。


 アランは抱きしめてくれていた腕を解放し、私の顔をそっと覗きこんだ。

 夕暮れの赤い日差しが場所の小窓から淡くはいってくるものの、ほとんど車内は暗く、アランの表情は翳ってみえない。

 その顔が近づいてきて、私の額にそっと口づけが落とされた。


「ミカの未来に喜びがありますように」


 ふっと触れるまえに呟かれた言葉は、まるで祝福のようだった。



 私は目をハンカチでぬぐったあと、アランに手をとられて馬車から下りた。

 朝に来た丘は、オレンジ色に染まっていた。

 赤からオレンジ、そしてピンク色にそまっていく空。

 そして、白き王城は赤く燃えるように夕陽に照らされていた。


 大きく見える夕陽。

 揺らめく空、夕陽に照らされる色づいた雲。

 涼やかにふく風に、アランの髪がなびいた。

 アランの姿も夕陽に照らされ、淡いオレンジ色にそまっている。そしてその足元には長い影がのびる。


「母亡き後、夕暮れ時に父とよくここに来ました」


 アランが呟いた。


「母も、この夕陽が好きだったそうです。ミカも夕陽が好きですか?」


 私は頷いた。

 私が馴染んでいた夕日は、もっと建物のあいまから見える夕日だった。

 電柱や電線が視界に入る狭い空、そこにオレンジに染まる光が建物や空を照らしていた。

 その遠い日本の空を思い出しながら、私はそっと話した。


「……母は、父亡き後、働きに出るようになったんですけど…仕事を終えて、ちょっとくたびれた顔をして帰ってきたんです、こんな夕陽を背にして。でも、こどもの私が出迎えると、ぱっと顔をあげて…母の方が『お帰り』って言うんですよ。ふつうなら、出迎える私の方が『お帰り』って迎えるはずなのに」


 夕陽を見て思いだす、母の細い姿。夕陽に照らされてできた長い影。

 もう一度…「お帰り」って言われたい。

 あの人を…安心させてあげたい。

 そう思って、それができそうになくって、私はまた心が揺れそうになった。


「そうですか…。夕陽の美しさに残された思い出は、あなたにもたくさんあるんですね」

 アランの穏やかな声が響いた。

 私が顔をあげると、アランが微笑んでいた。


「私は、夕陽を見ると、父の寂しそうな姿が浮かぶんです。先に逝ってしまった妻を恋焦がれている背中を。また、その父も、まるで追うかのように病にかかって母の元に逝ってしまったので…。どこか寂しい思い出なんです」


「……アラン」


「でも、今日、ミカとこうして見ることができて…良い思い出になりそうです」


 アランの髪が風に揺れ、アランは顔にかかる髪を長い指でかきあげた。

 そして、また夕陽に目をむける。

 もう、空の片側からは夜の気配がやってきている。


 アランは私の方を見て言った。


「そろそろ…行きましょうか?暗くなる前に戻った方がいい。夜道は危険ですから」


 私が頷くと、アランは私の手を握りなおした。 

 私はアランにそっと言った。


「アラン様、連れてきてくれて、ありがとう」

「……いいえ、また来ましょう。何度でも」


 アランはそっとかがんできた。

 顔が近付いて来たかと思うと、私の頬にキスをした。

 私が見上げると、アランは照れたように笑った。


「さっきのは祝福のキスでしたから。今のは、親愛の気持です」


 その透き通るように、優しい笑みを見ていると、私は自分がいつのまにか穏やかな気持ちになっていることに気付いた。

 なじるきもちも、醜い気持ちも、荒ぶる気持ちも嘘のようになくなって、心は落ちついたものになっていた。

 もちろん、夕陽の思い出に切なくなるけれど。


 こんなに穏やかになれたのは、たくさんアランの胸で泣いたからかもしれない。たぶん、アランが受け止めてくれていると感じたからだ。


 アランは私のことを守れなくて許して欲しいと言ったけれど…。

 アランは、私のことを守ってくれているんだ、と感じた。

 彼は穏やかに、ささやかに負担にならないように、一生懸命…私を守ろうとしてくれているんだ…。


 それは不器用なくらい…一途で。



 そう思ったとき、私の中で、さっきの殿下のアランを示した言葉がすとんと心に落ちた。



『ミカは、もっとアランを知った方がいい。アランは器用じゃない、心も手先もな』



 ……アランは、器用じゃないんだ。

 ……一途で、ひとつしか見えてなくて、必死で…

 ……不器用、なんだ。


 そんな彼が、こうして堂々と騎士団長をしているのは、なぜ?


 ……あぁそうか。不器用だからこそ、一生懸命に取り組むんだ。



 アランという人の、その心が少し見えた気がした。

 彼は、心のうちに入れたものを裏切れない、不器用なくらい一途なんだ。


 それなら。

 もしかしたら。

 自惚れかもしれないけれど…もしかしたら。


 このアランが私に言ってくれた「好き」という言葉は本当なんだろうか。

 一時期の気の迷いではなく…それは、本当に心を向けてくれたということなんだろうか。

 アランが私を妻にと望んでくれたのは…憐れみだけじゃなく、状況的に仕方がなかったからでもなく…。


 わたしを、望んでくれたの?

 わたしが異世界に帰るかもしれないと恐れながらも…それでも、傍にいたいと望んでくれたというの?



 帰りたいと思いながらも、アランの庇護にくるまれている私ですら…アランは受け止めてくれるのかもしれない。


 ……甘えても、いいの?




 そう思った途端、私の口はいつのまにか言っていた。



「アラン様…」

「どうしました?」

「私の名前、呼んでくれませんか?」

「…?…ミカ…?」


 アランの言葉に、私は首を横に振った。


「ミカ、ですけど…。これには、意味があるんです」

「意味?」

「はい。私の元いたところでは、漢字という意味をもった文字があって…それで『ミカ』書き表すと、両親が名付けに込めた意味が含まれた名になるんです。それが本当の私の名です。言う必要もないかと思って、今まで誰にも言ってきませんでした」

「……」


 アランはじっと私を見つめた。

 私はアランを見返した。

 私は空中に指をあげる。そうして、アランに見せるように、空気の中で指を動かす。


 ……「美香」と、空に書く。


「私の名前は…美しい香り、と書きます…それを『美香』(ミカ)と読ませます。この香りは…バラなんです」

「美しい香り…ミカ。…美香」


 アランの言葉に、私は頷いた。

 音にすれば同じ。

 でも、そこに込められる意味は、見えないけれど、両親の大切な想いでもある。


「綺麗な名ですね…美香」


 慈しむように呼ばれた。

 真の響きをもって。

 私の名に命が戻ったように感じた。



「……美香」

「はい」


 私は自分が笑顔になるのを感じた。



 生き延びて…ここまで来た。

 そして、大切な響きをもって、名を呼ばれて…。

 ――……新たに生き返ったように感じた。


 「帰りたい」という想いを抱えつつも、皆に守られて大事にされているということは…裏切ってるんじゃないかって思うのは変わらない。

 アランのことも裏切っているのかもしれない。


 だけど、できるだけ迷惑をかけないように、がんばるから。

 アランが楽しく過ごせるように、がんばるから。

 私は、真の名を、慈しみを込めて呼ばれたい。

 心が生き返りたい…。

 そう思って、アランの顔を見つめた。

 

 アランは、私を抱き寄せるようにして、

「美香」

と、耳元で呼んだ。


 優しく、優しく、宝物を扱うように呼んでくれるアランの声に、私は昔に慈しみを込めて名を呼んでくれた、遠い思い出の両親を思った。


「美香…私の大切な美香。……好きです」


 そう耳元でささやかれる。

 くすぐったい気持。

 私を抱きとめるアランの鍛えられたたくましい腕に、手を添えてみた。

 でもこれ以上、こんなとき、どう返していいのかわからない。


 そう思っていると、アランが


「口づけても?」

と、聞いてきた。

 私がおずおずとうなずくと、そっと私の顎に手を添えられた。


 どうしていいかわからず、私はとにかく目をつぶる。

 唇に、あたたかなぬくもりが落ちた。

 何度も角度を替えているうちに、深く甘く、息ができないほど強く抱きしめられる。

 あいまに、吐息のように「……美香」と呼ばれて、ぞくっとする。


 どう応えていいのかわからない。

 アランの唇にまかせるように、絡められる腕に頼りきるようにゆだねる。


 それは甘くて、切なくて。

 でも、ずっとずっと、こんなふうに大切に呼ばれ続けるなら…どんなに幸せだろうと思える時間だった。





7/29 夕日のシーンの表現を少し変更しました。

(内容、話の筋に変更はありません)

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