21 隣 (アラン)
アラン視点です。
ミカの様子が、どこかおかしいと感じていた。
笑っているし、言葉もかわす、勢いよくパンも食べているが…。
どこか上の空のような、何かをこらえているような、雰囲気だった。
殿下から何か言われたのだろうか?
それとも、衣装屋でミカはパール侯爵の二女レイティに鉢合わせ、しかも暴言を吐かれたと…ジュースを買っている時にディールが話していたが、それを気に病んでいるのだろうか?
いや、それはおかしい…か。
ミカの雰囲気に異変を感じたのは、ディールとジュースを買いに行って戻って来てからだ。衣装屋では、殿下たちの登場に戸惑いつつも気丈なミカだったし、この広場までの道のりも街をキョロキョロ眺めて元気だった。
ディールの話でも、レイティに暴言を吐かれてもミカはあまり落ち込む表情をみせなかったらしい。
ディールは、
『レイティは侯爵の娘で社交界デビューも果たして、皇太子殿下の御顔もよく知っているからね。あそこで私とリードとさらに殿下までが現れてミカをかばったら、レイティがさらに逆上してミカがもっと不利なことになると思ったから、少し離れて様子をみてたんだよ。もちろん悪質な争いになるようだったら、割って入るつもりだったけど、ミカはレイティの言葉をうまく聞き流していたよ。』
と言っていた。
すると、やはり殿下とリードとミカが三人になったあの時に、何かがあったのか…?
広場での食事を終えて、先ほどと同じように、ディールと手をつなぎ歩くミカの背後を護衛しつつ、ミカの行動や表情にも気を配って眺めてみる。
並んでいる露店を覗いたりしながら進んでいく姿は、楽しげには見えた。
……けれど、ふっと空を見上げるような仕草をしたり、露店にならぶ織物や果物を眺めていながらも、もっと他のことを考えているような遠い眼をしていたり…やはり何かどこかいつものミカと違うような気がした。
そんなミカの雰囲気に違和感を持つと、私は胸が苛立った。
……早く隣にいって、ミカの瞳をきちんと見つめたい……。
……あの黒髪を隠す帽子をとりさって、艶やかな黒髪を指で梳きたい……。
……そうして、何があったのか、ミカの言葉を聞きたい……。
そう思うのに、今は背後から護衛するしかできない自分が、とてももどかしく感じた。
「あれ、何か音楽が聞こえる?」
ミカの声がした。
ディールが、
「あぁ、街角で流れの楽師達が演奏しているんですよ、行きますか?」
と問うと、
「うん!」
という元気の良い返事がする。
殿下やリードとも一緒に、音のする人だかりへと近づいていくと、楽師たちが軽快な音楽を奏でていた。
笛や弦楽器、打楽器などもあわさり、テンポ良いリズムで街の人々も手拍子しながら楽しんでいる。
ミカも珍しいのか、先ほどよりも明るい顔で楽師たちの演奏を聴いている。
一曲終わり、見物客が拍手している中、ミカが私の方を振り返った。
「ねぇ、アラン、私のダンスのレッスンの時の楽師さんたちと、演奏の雰囲気がまた違いますね。すっごく明るくてテンポのいい音楽!初めて聞いたメロディです!」
周囲を気にしたのか、少し小声ながらも、興奮したように話すミカ。
そこにはさっきの物憂げな雰囲気はどこにもない。
そのことにホッとしつつ私が頷くと、ディールが、
「あぁ、あそこに先ほど話した飴の菓子の屋台がありますね。買ってきますから、ミカはアランと一緒にいてくださいね」
そうミカに告げてから、つないでいた手を放した。
そしてちらっとこちらを見て微笑して、「頼みますね?」と言って離れた屋台の方へと歩いていった。
……なにが『頼みますね』なんだか…
と内心ため息をついていると、ななめ前にいた殿下がミカに話しかけた。
「ミカは音楽が好きか?」
「はい」
「そうか…アラン…残念だったな」
殿下が私をチラッとみて、ニヤッと笑った。
「……アランが残念?」
ミカがきょとんとして呟いた。
私は内心また大きなため息をつく。
そんな私の心のうちを見ているかのように、殿下はミカに説明する。
「アランの手は剣に捧げられ、音楽を奏でる才能には恵まれなかったようでな」
「……」
ミカが私の方を見た。
殿下の言葉は本当だから仕方がない。
私は楽器の演奏が、弦楽器も管楽器もとにかくどれにも縁がなかった。
貴族のたしなみとして教師がつけられたが…とにかく、音感に恵まれていないようでうまくいかなかった。
私がそう説明すると、
「ダンスはとっても上手だし…なんでも器用にこなしそうなのに…」
と、ミカが呟いた。
その言葉に、殿下はクククっと笑う。
「アランが器用と言われるとは!」
「?」
「ミカは、もっとアランを知った方がいい。アランは器用じゃない、心も手先もな」
殿下はそう言ってミカを見た。
そんな殿下を、ミカはまるで敵を見るように一瞬見返し…すっと視線を伏せた。
殿下とミカのやりとりを見ていると、やはり先ほど何かあったのだろうかと感じるものがあるが、ここで聞くのは、はばかられる。
黙っていると、楽師たちの次の演奏が始まった。
小刻みに叩かれる小ぶりな太鼓に、明るくはじけるように演奏される弦楽器たち、そこに街の見物人の手拍子が合わさって、ますますリズムにのった空間になっていく。
ミカも切り替えたのか、殿下の方から向きを楽師の方にかえて、皆に混じって手拍子をしはじめた。
楽師達は軽快なリズムにのりながら、周囲から声援も加わったせいかさらに興にのったように勢いにのった演奏をはじめる。
周囲の手拍子がリズムを刻み、弦楽器と打楽器、合わさった笛の楽師たちがパフォーマンスを加えながら青空に響き渡るリズムとメロディーを奏でた。
一曲が終わると、先ほどよりもさらに大きな声援と拍手が贈られる。
楽師達は深く一礼した。
そのとき、
「お待たせしました」
と、ディールが小皿を持って戻ってきた。
甘い香りが漂う。
ミカが拍手する手をとめて、戻ってきたディールに向いた。
「ミカ、これをどうぞ。」
「ありがとうございます」
ミカが出された小皿を受け取った。
菓子は、一口大に切った赤や黄色、紫、白の果物に半透明の艶やかな飴がかかっていたり、粒の大きな砂糖がからめてあったりするものだった。
私は、「飴がかかった菓子」と聞いて、もっと子供向けのかぶりつくようなものと想像していたが、小皿の中に載せられたひとつひとつの菓子は、それぞれが大ぶりの宝石が細工されたような見ために綺麗なものだった。
「きれい…」
ミカが呟いて小皿の中を見つめる。
「目でも楽しませてくれますが、口に入れるとそれぞれ味が違って楽しいですよ」
ディールがそういって、「どうぞ」とミカに促した。
ミカは「いただきます」と言ってから、菓子をひとつピックで取って口に運ぶ。
ミカの口元がほころんだ。
その表情を見ていると、菓子が口にあったということがわかる。
「おいしいでしょう?」
ディールの問いに、ミカはこくこくと頷く。
もぐもぐと口を動かして飲みこんだあと、ディールに笑顔を向けた。
「ありがとうございます。とてもおいしいです!」
と元気に言った。
「そうですか、良かった。じゃぁ、もし良ければアランにも食べさせてあげてください」
ディールはにこにことミカに言う。
「アランはこんな若い女性が好むような菓子を食べたことはないでしょうからね」
ディールの笑顔に、ミカは頷きながら返事した。
「わかりました…アラン」
ミカは私の方をみて、小皿の中を見せる。
「どれを食べたいですか?」
私はその綺麗に並べられた、赤や黄色、紫や白のキラキラした菓子を前に戸惑う。
しかし、ディールが「ほら、アラン選びなさい」と急かし、私は目をその色とりどりの小皿の中でさっと走らせる。
黄色の菓子が一つあった。
私は咄嗟に、その黄色のものを差ししめす。
ミカがそれをピックで刺してそのまま渡そうとすると、横からディールが、
「口に入れてあげたらどうです?」
「…え…」
ミカは一瞬戸惑ったような表情をしたものの、私の目を見て、
「アラン、ちょっとかがんでください」
と言った。
帽子の陰から黒い瞳が、私を見つめる。
私は誘われるように膝をかがめた。
ミカが菓子を私の口元に持ってきたので、私は口を少しひらく。そこにすべりこませるようにして、ミカが菓子を私の口の中に滑りいれた。
口の中に広がる、とろりとした飴の感触と甘み。
噛むと爽やかなな酸味のある果汁が広がり、先の飴の甘みとからまって、気持ちの良い甘酸っぱさとなった。
その甘酸っぱさは、この時期の果実としてよく知っているもので、私はミカに微笑みかけた。
「…飴の中の果実は、クオレでした」
私を見つめていたミカは、私の言葉にちょっと目を見開いた。
「私のは…違いました」
「そうですか、では、いつかまた食べさせてあげますね?」
『クオレ』という果実の甘酸っぱさについて、前にミカが言った「初恋の味」という言葉を思い出しながら、私は言った。
私の言葉に含めた意味を察したのか、ミカは少し頬を染めた。
私はもとの姿勢に戻った。
ディールに、
「なかなかおいしかったです。」
と声をかけると、ディールは「そうだろう?」と笑った。
ディールの持っていたもう一つの小皿は殿下に渡され、殿下もつまむ。
そうこうしているうちに、また次の演奏が始まり、軽快なリズムが響きはじめた。
何曲かそうやってくつろぎながら楽しんでいるうちに、
「よく晴れているが…もうすぐ、夕暮れだな」
と、ふと空を見上げて殿下が言った。
ミカがつられるように空を見た。すこしまぶしそうに太陽を見つめている。
それから私の方を見て、
「あの…」
と声をかけてくる。
「アラン、夕日って見られますか?」
「夕日ですか」
私の問いかけに、ミカは頷く。
「夕日が沈むところ…もう長く見ていないから」
ミカの呟きにハッとする。
私の館は森と林に接していて、日の出や日の入りが見えるような地平線は見ることができなかった。
「行く時に寄った、見晴らしの良い丘のようなところでいいのです…一目見れたら…」
ミカの願いに、私はすぐに頷いた。
「えぇ、寄りましょう。ちょうど、あそこからならば街の向こうに沈む夕日が見られるますよ」
私が答えると、横から殿下が笑って、
「海まで出ても雄大な夕日が見られるぞ?」
と声をかけてきた。
だが、
「サム…良い雰囲気の二人に余計なことを言わないでいいんです」
と、ディールが殿下を制する。
そしてディールは、
「ミカも初めての外出に疲れたでしょう。そろそろ戻りますか?」
といたわるように声をかけた。
ミカが頷きかけて、一度、私の方を見上げてきたので、私は「そうしましょう」
と頷いて答えた。
*****************
馬車をすぐ呼ぶこともできたが、ミカは歩いて街を眺めるほうを望んだので、最初によった衣装屋まで歩き、そこから馬車に乗ることにした。
店を眺めつつ衣装屋まで戻ると、日がだいぶ傾きはじめていて、店内も客の入りが落ちついた雰囲気だった。
店内に入ると、シエラ・リリィが出迎えた。
優しげに微笑み、ミカに話しかける。
「元の姿にお戻りになりますか?」
その言葉に、ミカは頷いた。
ディールと殿下が贈った衣装のまま帰宅すると思っていた私は、シエラ・リリィが当然のように着替えをたずね、ミカもすんなりとそれを受け入れたことに少し驚く。
ミカは女中たちとともに更衣室へと促されていった。
「やはり、お姫様は元の姿に戻られますか」
ディールは更衣室へと消えていくミカの後を目で追いながら、小さく呟いた。
「そりゃそうだろう」
殿下が当然のことのように答える。
私が意味を捉えかねて黙っていると、それに気付いたディールが声をかけてくる。
「アランはわかっていないようだね?さっき言っただろう。『女性はね、清らかなるものを愛し、俗なるものを好物とする生き物だ』って」
「……」
「ミカは城下を楽しんだのだよ、別人に着替えてね。つかのまの変身をして、初めての街をみて、初めての菓子を口にして、織物や雑貨を眺め、人の波に流されて…つかのまの俗なるものを楽しんだ」
ディールは微笑んだ。
それは私に笑いかけたというよりは、今日半日を過ごしたミカを慈しむように思い出してるかのような微笑みだった。
「でも、ミカは心得ている娘だよ。さすがアランが見染めただけはあるね。己の立場をよくわきまえてる。ミカはアランの婚約者、そしていずれ妻という立場でしかこの国にいられないのだよ、だから戻らねばならないんだ。…黒髪黒眼にね。彼女は今日の半日、別人として楽しんで…この後はちゃんと、アラン、おまえの隣に戻って来てくれるよ」
「……」
「それは、清らかなる愛によるものだよ?まぁ、まだ恋愛の『愛』ではなく、自分を拾ってくれた騎士に対する、敬愛と感謝に近いようだけどねぇ。あと…ここで生きていかねばならない自分を守ろうとする、自らへの愛によるものもあるだろうけどね」
ディールは私の肩にポンと手を置いた。
「好きになった女をね、つなぎとめときたいなら…敬愛や感謝だけだと、弱いよ?」
ディールの言葉に、私は苛立つ。
「わかっているつもりです」
「う~ん、それなら、今日の半日、僕に手をつながせたままじゃ、まずいだろう?」
「は?」
私はディールの顔をにらむ。
「あなたが言ったんでしょう、つなぐ手を替えるように!」
私はいつになく苛立ちが大きくなり、声を押さえつつも言いかえしてしまう。
それに対してディールはにこやかな表情を崩さず、
「うん、まあね。僕は正当なことを言ったわけだよ…。だけど、それに従ってしまうのはなぜだい?」
「……」
「アラン、おまえは騎士として有能で、リーダーシップもあって、騎士団長としての立場ならば人間関係の駆け引きもうまいのに…兄の私に甘すぎるよ?だって、見知らぬ男がミカの手を引こうというなら、どんなことがあっても離さなかっただろう?」
「……」
「好きな女の心を手に入れたかったら、僕という兄という名前の家族や、殿下という幼馴染であり主君である存在にも揺るがされない強さをもたないとねぇ」
「おいおい、俺の守りの近衛に怖いことを言うなよ」
横から殿下は笑って言った。
「殿下は、黙っていてください。どうせ、僕の未来の妹を影でいじめたんでしょう?」
「…いや?事実を伝えただけさ」
引っかかる言葉だった。
「事実?」
私が殿下の方を向くと、
「おっと、これは政治上の話しだ。これ以上を話せぬ」
と、殿下はニッと笑って先に私の質問を阻止した。
「ともかくね、アラン。おまえは、状況としては妻としてミカを手に入れられるかもしれないけれど、その『心』をも真に望むならば、もっと視野を広げねばならないし、深く見据えなければならないだろうね。私や殿下を欺けるくらいにね」
私と殿下のやりとりに割ってはいるように、ディールは言った。
それを聞いていた殿下は、こちらを見た。
その殿下の新緑の眼差しは、いつになく真剣だった。
「異世界というのは…本当に遠いものなんだろう。」
「そうだと思います」
私が答えると、殿下は続けた。
「その異世界から来た女を妻に迎えるということは、おまえにはそれ相当の覚悟があるということだな?」
私が黙って頷くと、殿下はさらに続けた。
「ミカは、今、元の家族に会えず、友もおらず、学生と言っていたから師とも離れたということだ」
「はい」
「では、アラン、おまえは何を手放した?」
「……」
私は殿下を見つめた。
新緑の瞳は、悲しみも怒りも喜びも映し出さず、ただただ深く私を見ていた。
「皇太子というのは厄介だよ。個人であるようでいて、背負うのは国の未来だ。どんなにお忍びで変装していても、まやかしに過ぎん。……私は、勝手だが、ミカに幸せになってもらいたいと思う」
「幸せ…」
「この国がミカに課してしまったものも奪ってしまったものも大きいからな…。だが、それは私の手ではもう変えられん流れに来ている。せめて、小さな喜びでも持って欲しいと思うさ。私だって人情がないわけじゃない」
「……」
「ま、それも綺麗事に聞こえるだろうがな…」
殿下はふっと笑った。
ちょうどその時、更衣室の扉が開き、女中といっしょにミカが出てきた。
流した黒髪に、水色のドレス。
黒の瞳が私をみた。
ミカ、だ。
私は彼女に歩み寄って、手を差し出した。
「帰りましょう」
ミカは私を見た。
小さくほほ笑んで、その白い手を私の手に載せてくれた。
……やっと戻ってきた。
私は強く絡ませるように握る。
殿下の先ほどの言葉がよぎった。
『…では、アラン、おまえは何を手放した?』
たしかに、今のままの私では、結局のところ兄に振り回されつつ諭され、学友であり主君でもある殿下に遊ばれつつも考えるべき筋道を示され、弟には守りを手伝ってもらっている。
グールドやマーリの言葉に勇気づけられ、導かれ、今日のこの外出もある。
……ミカが私を頼れないのも、当たり前なのだ。
私は財も人も失わずして、さらにミカを囲い込もうとしている存在にすぎない。
それでも。
それでも、私はこの黒き瞳を見ていたいと思うから。
たとえば、クオレの話しの折に、初恋の味だと教えてくれたように。
バラのジャムを贈ってくれたときのように。
ミカの背負う世界の何かを、私は恐れずに受け入れていこうと思うから。
だから……どうか私が婚約者であることを、許してください……。
想いをこめて。
その手を引いて口づけた。
「帰りましょう、婚約者殿」
「…はい、アラン」
「今なら、きっと夕日がきっと綺麗に見えますよ」
私がそう語りかけると、ミカは笑った。
「楽しみです」
……そのとき、私の隣に、ミカが戻ってきたと実感した。
リードが沈黙、つらぬいてます。
彼の思惑はもう少し後で。
7/26 誤字脱字をなおし、表現を一部かえました。
(内容、話の筋に変更はありません)




