19 お忍びの楽しみ方 (アラン)
アラン視点です。
ミカの新調するドレスと並んで引き立つような素材で作ってくれるというので、私も正装を新調することにした。
ミカが採寸に行っている間に、衣装屋の店主に促されて私も別室で採寸される。
そして、また二階のソファに戻った時。
……階下が騒がしいと思った。
ミカの姿がまだないこともあり、何か胸騒ぎがして階段をおりてみた。
その時、耳に聞こえてきたのは、兄のディールの声。
「宰相も来たがったんだけど、仕事でこれなくてね。いろいろ僕たちが抜け出したフォローにまわってくれているんだよ」
なぜここに、兄が…と思った瞬間、私のお仕えする皇太子殿下…セレン=アルナード=フレア様の、
「そりゃ、兄弟想い、学友想いだからだ」
という、声がした。
……殿下……。
殿下の他人の恋路へのからかいは今に始まったことではないが…。
まさか自分がそのターゲットになるとは覚悟しておらず、頭が痛くなってくる。
だが、もちろん怯むわけにもいかず、私は階段を下りる。
視界には、ミカの姿とそれを囲む兄ディールに、殿下、そしてふだんは着ていない貴族の服を身にまとった弟のリードまでがいた。
良い大人がいったい何をしている…と口にしたくなったが、飲みこんで階段を降り切った。
すでに私の気配に気づいていた兄、殿下、リードの三人…特に兄と殿下は「してやったり」のにっこり笑顔でこちらを見ている。
「弟よ、そんな顔でむかえてくれちゃうと、ますます可愛がりたくなってしまうよ」
兄ディールの言葉に、イラっとするがこれで載せられると思うツボなので無視する。
殿下に目をやると、
「あ、今日は私のことは『サム』と呼べ」
と、にっこり笑いかけてくる。
『殿下、あなたはいったいいくつ名前をお持ちですか…』と言いたくなるが、ぐっとこらえる。
リードがスッと美しい姿勢で一礼した。脳裏に、『おまえが、この二人にのせられてどうする、何で釣られた!』との言葉がよぎったが、それも押し殺して、一言だけにまとめて皆に言った。
「……暇なんですか」
私の言葉にディールは笑みを絶やさず言う。
「いやいや、そうじゃないけどね。ほら、お忍びなんて可愛い弟の堅物アラン君は得意じゃないだろ?だからこのお忍び大得意のお兄様が応援しようとおもってねぇ」
「…私はお忍びなんてしていませんが?ミカと買い物に来ただけで…」
「おいおいおい、せっかくの外出を衣装屋だけで終わらせるつもりか?」
殿下の言葉に、ピクッとする。
……衣装屋に寄って、そしてミカがもし視線を多少あつめてしまうのを嫌がるのでなければ、貴族がよく集まるカフェに昼食を兼ねて寄ろうと思っていた…が。
それ以上の予定はミカの負担になっては…と思い、今日のところは考えていなかった。
一瞬、これだけでは女性はつまらないのだろうか…などとも思ったが、ミカがこの国でほとんど外出を楽しんだことがない以上、いっきに連れ出しても困惑するのでは…と迷った末だった。
だが、他人の恋路に介入し放題の殿下に指摘されると、多少、不安になってもくる。それを顔にだすのは癪なので表情は抑えてやりすごした。
その逡巡のときを、あのディールが見逃すはずもなく、さっと私とミカの背を押して、
「ほらほら、お兄様と幼馴染からの婚約プレゼントがあるから上にあがって」
とキレのある声で促した。
ミカは戸惑いつつも、リードにすでに二の腕をとられて、促されるままに階段をのぼろうとしている。
私はため息を押し殺して、従うことにした。
ミカの二の腕をつかむリードの手をはずし、ミカの左脇に寄りそって階段をのぼる。手を握ろうと思ったが、殿下とディールのリードのいる前で手に取れば、ミカがうろたえるのがわかりきっているので止めた。
最初にミカと上った時と違って、二階にまで続く階段が妙に長く感じるのだった。
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二階につくと、なぜかシエラ・リリィが大きな箱を持って立っていた。
「ディール様、ご注文の品はこちらにございます」
「あぁ、ありがとう。じゃあ、ミカ。着かえておいで」
シエラ・リリィの呼びかけに答えたディールは、ミカに向かって微笑んだ。
「あ、あの…」
戸惑うミカに、ディールは、
「これから城下街を楽しみたいだろう?そのためには、ドレスは変えなきゃね。帽子も用意しているから…その髪も隠せると思うよ?注目を浴びずに街をまわりたいんだろう?」
と、やさしく声をかけた。
ディールの言葉に、ハッとしたようにミカは顔を上げた。
そして、戸惑った表情のまま、メイドたちに促されて別室へと入って行ったのだった。
一瞬困ったような目を私の方に向けたミカを引きとめたいが「髪を隠せる」という言葉に反応したミカを見て引き留めないほうがいいのかもしれないと思う。
店主のシエラ・リリィも
「ごゆるりと。殿方には、今お茶をおもちいたしますので、こちらにお掛けになってお待ちください」
とテーブルの方をすすめてきた。
二階の、きらびやかに布が並ぶ中央フロアに、殿下、ディールがソファやテーブル椅子に腰かける。
私はテーブル横に立ち、リードは壁にもたれて立っていた。
ディールが私に声をかけた。
「店主シエラのことは叱っちゃだめですよ?昼までの貸し切りがアラン、入れ替わりで私が予約を押さえていたのでね」
「……」
座っている殿下が沈黙している私の顔をのぞきこむようにして言った。
「デート先に現れて怒ってるかもしれんが…。私が一緒にいるということで、ミカの監視者・間者ははずしているんだ。だから邪魔な視線はないぞ?それで相殺ということで、どうだ?」
「……ミカとの間に割って入ってきたりしない監視者と、ミカと私を冷やかす一団とではどちらが邪魔者となるのでしょうか?」
私が間髪いれず返答すると、ディールの笑い声が響いた。
「これはいい!あの王家の忠実なるしもべたる堅物アランが、殿下に言い返すとは!恋とはなんて男を成長させるんだろうねぇ」
「……」
私は兄ディールを一瞥する。
「ソーネット伯爵も、ミカに何を着せるおつもりですか?」
私の言葉に、ディールは笑いながら答える。
「つれない呼び方をしないでおくれ、アラン。まぁ可愛い弟に教えてあげるとねぇ…、女性はね、清らかなるものを愛し、俗なるものを好物とする生き物なのだよ」
「?」
「先ほどの水色の貴婦人の外出用のドレスも可愛らしかったし、アランと仲良く選んでこれから仕立て上げられる夜会用のドレスもさぞ似合うだろうけれどねぇ。ミカが喜ぶのは……」
ディールの言葉の先を聞こうとしたところで、背後で扉の開く音がした。
振り返る。
そこには……。
淡い若草色のリボンと花のかざりのついた帽子に、同じ若草いろのハイネックのドレス。ドレスはウエストの切り替えが少し上にしてあってスカートの広がりがあまりなく、歩きやすく靴先が見え隠れしている。
帽子のつばと飾りのおかげでミカの黒眼は影になりはっきりと「黒」とはわからない。髪はまとめ上げて帽子の中にあみこんでいるのか、黒髪は一筋も見えない。そのかわりに帽子の耳横あたりから、城下でも見かけるくらいの濃い茶色の三つ編みの付け毛が胸元まで流してある。
全体的なスタイルからいうと、中流貴族か羽振りのよい商人の娘ともいえなくもない。ディールや殿下、リードの姿と並ぶと、中流貴族のお忍びで街にくりだした感じだろうか。
私が言葉なくミカの姿を見ていると、立ちあがった殿下が私に説明した。
「これなら城下の商業区や露天をのぞいても、貴族がふらりと遊びに来たと思うくらいで流してくれるだろう?変に町娘の格好をさせても私たちのような男が4人もついていたら人目をひいて疑われてしまう。この姿なら我々がついていてもちやほやされている貴族か富豪の娘と捉えて、商人たちもこぞって色んな商品をみせてくれるし買い物もしやすくなるってわけさ。まぁ『ぼったくられ』はするけどね」
最後はニヤッとわらう殿下。
ディールはミカの前に立ち、一礼してから、
「可愛らしいですよ。歩きやすいでしょう?」
と、話しかける。
うなずくミカは、ディールに微笑んで言った。
「ありがとうございます」
その一瞬、心にモヤっとするものが広がった。
ディールは続けてミカに語りかける。
「城下を歩いてみませんか?露天では、歩きながら食べられる菓子が女性に人気ですよ?」
ミカはきらきらした目をディールに向ける。
「お菓子?」
「えぇ、果物に飴をからませているんです。スティックに刺してありますから、つまみながら食べられます」
「……わたし、この姿で歩いても変じゃないでしょうか?」
ミカの質問に、ミカの後から部屋からでてきたシエラ・リリィが声をかける。
「ミカ様、そのお姿は今流行の若草色のシリーズです。とてもよくお似合いですし、ミカ様が気になさっている御髪や目の色はまったくわかりませんよ?」
「そう?」
ミカの頬がいっきに上気するのがわかった。
目がキラキラと明かるくなり、「外を歩いてみたい!」という気持ちがこぼれんばかりに伝わってくる。
……私の心のモヤは封じ込めようとしても湧いてくるというのに…。
表情を押さえ、姿勢をたもっている私に、シエラ・リリィが男性用の上着を差し出した。
「アラン様、よろしければ上着をこちらに。質を落としてありますので、ミカ様の今のお姿とならんで釣り合いがとれるかと思います」
どこまでも配慮がきいているのは…ディールの仕業かシエラ・リリィの店主としての配慮なのか。
私はさまざまに頭をかすめる思いも抑え込み、差し出された上着を受け取った。荒い材質は、騎士団寮ですごしていたときの衣服の感触を思い出させた。
そのとき、
「あの…」
と、ミカの声が響いた。
声をあげると、ミカは私の方を見ていた。
帽子で隠れ気味といっても、黒の双眸は私を射抜く。
「あの、アラン様は皆さんと城下を歩くことになっても、かまいませんか?」
「……」
私はミカの目を見つめる。
――……かまわないか?
――……かまわなくない。二人で、いたい。
でも……。
「……ミカ、その姿、似合っています…」
私はそう言っていた。
私のちぐはぐな答えに、ミカは少し首をかしげた。
少し黙った後、ミカは言った。
「ありがとうございます。あ…でも、私、さっき布を選んだり、小物を選んだりするのもすごく楽しかったです。出来上がるのがとても楽しみです」
ミカは私に陰りなくそう言って笑った。
「……」
「アラン様?」
私は、自分が子どものようだと思う。
兄が私よりミカを上手に外に連れ出すように感じて、くやしいのだ。
殿下が私よりミカの扱い方を知っているようでくやしいのだ。
ミカが、兄と殿下が選んだ服をすんなりと着こなしてしまうことが…イライラするくらい嫌なのだ。
……駄々っ子なのは、どっちだ…と、思う。
前にも感じたが……恋は魔物だ。
私という人間をどこか変えてしまう力を持っている気がする。
「婚約者殿…」
こんな風に呼んで、ミカと自分の関係を明らかにしたい、浅ましい自分。
「手を、つなぎましょう」
私は左手を差し出すと、ミカはすこし躊躇したが、すぐにおずおずと片手をのせてきた。
小さな手を握って安堵する、気弱な自分。
……すべてが目新しい、自分の姿。
私がミカの手を取り、エスコートするように隣に立つと、隣にいた殿下が一度軽く拍手した。
「よし!では、行こうか!我が学友にして剣の指南役の、記念すべき初デートだ。多いに楽しもう!」
そのあまりな宣言に、
「初デートに参入するなんて、良い趣味とはいえませんが」
私がつい言葉を返すと、
「堅いことを言うな。初夜に乱入するわけじゃないんだから」
と、笑って切り返してきた。
咄嗟に、手をつないでいるミカの方を向くと、案の定…初夜という言葉に反応してか、顔を真っ赤にしている。初々しい反応だが、ミカにとってそれはどう捉えれているのだろうと不安がよぎった瞬間、ディールの明るい声が割って入った。
「ほらほら殿下、あまり私の妹となる娘をからかわないでください?アランも、かばってあげなきゃ駄目だよ?一緒に照れていてどうする…」
「……」
「では、今日は殿下…サムの護衛に魔術師リードがいるから、アランはミカを守るようにね。ミカの騎士になるんだよ?」
ディールがそう言って私の肩をポンと叩いて、先に歩き出した殿下の方に寄って行く。リードは殿下の少し後方をかためていた。
ディールに言われて初めて気付いた。
――……愚かにも、私は近衛騎士としての習慣で、殿下の斜め後方の守りとなるべく自然に足をすすめようとしていたのだった――ミカと手をつないだまま。
まさに……騎士の仕事のことしか頭にない、堅物アラン。
騎士の習いが身体の芯まで身についてしまっている自分の姿に、苦笑した。
「アラン…さま?」
ミカは気遣うように私の方を見上げてくる。
流れるような黒髪が今は帽子に納められていて見えない。
手であの黒髪の毛先を梳くことができないのが、残念に思えた。
「堅物で…すみません」
「え?」
「騎士として長く身をささげてきて、遊びに身を投じる必要性を感じてきませんでしたが…今、ちょっと悔やんでいます。もっと若手の流行の遊びを経験してこれば良かったですね。うまく、楽しませてあげられず、すみません」
私が、ミカにそう呟くと、ミカはきょとんとした。
帽子のかげから、黒眼が私の方をみつめてくる。そして、しばらく覗くように私を見上げていたが、突然こぼれんばかりに笑いはじめた。
そしてひとしきりふふふっと笑ったあと、目尻ににじんだ笑い涙を指先でふきながら、笑いを静かにおさめて私に言った。
「遊び人より、堅実な人の方が、好ましいと思いますよ?」
「……」
「それに、私、朝から十分楽しんでいます。アランのご両親の眠る場所にご挨拶できたことも心から良かったと思いますし、布を選ぶ贅沢も初めてのことでドキドキしました。」
ミカが首を軽く傾けたので、帽子に飾られているリボンが微かにゆれた。
「それに今日、外に出て実感したんです。アランが…アラン様が家庭教師をたくさんつけてくださったおかげで、今、この場所にいても、他の人と言葉を交わせるし、なんとかこの国の文化についていけてるんだなって」
「……」
「ありがとう。守ってくれてるんですね。今までも守ってきてくれてたんですね…」
ミカが私を見つめて微笑んだ。
そんな、高尚なものではない。「守る」とか、そんな美しいものではない。
単にミカを手放したくないから、こちらの文化を知らしめて、こちらに馴染ませて、元の世界に戻らないように…そんな願いが下地にあったのに。
この外出だって、グールドからの忠告がなければ、決められなかったことかもしれないのに。
私はミカの私に向けられる純粋な信頼の眼差しを直視できなかった。
ちょうどその時、
「ほ~ら、ぐずぐずしてないで、早く降りてこい!」
階段下から殿下が呼びかけが聞こえた。
ミカとつなぐ手に力を込めた。
「行きましょう?」
「はい」
私たちは、殿下とディール、リードが待つ階下へと共に降りて行った。
店主のシエラ・リリィがあらわれ、出入り口まで案内される。
「今日はありがとうございました。今日、採寸いたしました衣装は、仕上がり次第ご連絡いたしますゆえ。ご希望でしたら、館までお持ちいたします」
そう言って店主シエラは一礼した。
開かれた店の扉を、殿下、ディール、リード、そして私とミカがくぐる。
店の前は石畳の続く貴族階級の馬車が往来する通りとなっている。
昼時となり、日の光がまぶしく照っていた。
見上げる空には雲ひとつなく、晴れた城下は朝と違って人の往来が増えている。
「では、まずは腹ごしらえといきましょうね」
ディールは私たちを振り返った。
殿下も振り返り、ミカに尋ねる。
「うまい店を知っている。ミカは好き嫌いはないだろう?」
「は、はい!」
返事しながら、ミカがきょろきょろと興味深げに大通りを眺めているのがわかる。
黒髪黒眼として注目を浴びることもなく、自由になって周りを見物しているミカ。
その伸び伸びした姿を見ていると…お忍び上手な殿下とディールが介入してきたのも、悪くはなかったのかもしれないと感じて……苦いような、助かったような、寂しいような複雑な気持ちがした。




