02 婚約にいたるまで (アラン)
男性視点です。
目の前で、叫んでるミカに、
「厄介払いでしょうね」
と言って笑いかけると、さらに顔を真っ赤にさせて、
「厄介ってなにっ!」
と声を上げた。
私の未来の妻には、もう少し淑女教育が必要のようだと考えていると、こういうことには察しの良いミカは、
「叫び声は品がない、とか思ってるでしょう!」
とさらに言い募ってきた。
「もうこれ以上、家庭教師はつけないでいいからね!」
ぽんぽんと重ねるミカ。
元気なことだと思う。
しかも、こんな風に自由に話してくれるようになったのは最近なことなので、つい笑みがにじむ。
同時にからかいたくもなってくる。
「あなたのためですよ。恥をかくのは、『もう』いやなんでしょう?」
あえてミカがいら立ちつつ返事に困る言葉を選び、彼女のほほがさらに熱気で赤くなるのに見惚れる。
ミカは明らかに怒っている表情をしつつも、予想通り、今度は口を真一文字に結んで言い返してはこなかった。勢いよく言い返すわりに、ミカは言質をとられるのを嫌がるのだ。
ふくれっ面のような、くやしそうな顔をしながら、それでもきちんと礼だけはして、そそくさと部屋を出ていってしまった。
彼女の気配が廊下から遠のいていくと、いっきに部屋の中が静まりかえる。
ミカがいるのといないのとでは、部屋のあたたかさも明るさもすべて変わってしまうように感じてしまう。
不思議なくらいに。
本当に素直で可愛い、ミカ。
19歳と言っていたが、こちらの世界では、もう子どもの一人や二人は産んでいる年だというのに、ミカはまだまだ思春期の少女のように喜怒哀楽が豊かだ。
そんな彼女が一生懸命、怒りを抑えようとして、そして礼儀を通そうとして奮闘しているところが、可愛らしくて思えて仕方がない。しかも、ついつい、からかっていじめてしまいたくなるから困る。
とはいえ、彼女にこのフレア王国の淑女教育を施しているのは決して意地悪からではなかった。
ミカが恥をかかないようにと思うようになったのには、理由がある。
半年前、まだミカの扱いが「不審人物」で、この近衛騎士団長の館(といっても、ミカにいわせると「お城」だそうだが)に「監禁扱い」だったころの出来事のせいだ。
それは、私が王城に数日間警備で泊まりこみ、館を留守にしていた間に起きた。
空から落ちてきた娘……ミカをお忍びで見物に来たパール侯爵の二女レイティが、元気にのびのびと庭で過ごしているミカに嫉妬し、暴言を吐いたのだ。
しかも、
『下品にもほどがありますわ。こんな下賤な者を庭に放っているようでは、アラン様の恥になります!』
と庭師はじめメイドの者たちに怒声をあびせたらしい。
もちろん、ミカのいる前で。
レイティは、下賤極まりない存在と決め込んだミカには直接何も言わず、ミカの悪口を庭師やメイドを何度も叱りつけ帰ったという。
帰宅して早々、「ミカ様がお部屋からお出になりません!」とミカ付のメイド達が泣きはらした目で私の元に駆けつけてきて、事の次第を知った。
ミカの部屋に行くと、ぼんやりした顔でこちらを見上げてくるミカがいた。
今も覚えている。
黒髪が揺れ、白い頬に、少しかさついた唇。
いつもはすっきりした目元なのに、そのときは潤んで、黒い瞳が吸いこまれるように黒さを増していた。
「わたしの無知さや、こちらでの礼儀をたしなんでいないことは……私が学ぼうとしていないからで。……”できない”のは私のせいなのに……」
「……」
「あ、あたし以外の人があんなに怒られて馬鹿にされて……。私が勉強しないことが、まさか館で真面目に働いてくれてる人たちの責任になるなんて…」
彼女は視線を一瞬さまよわせた。
視線があわなくなったと思った瞬間、それが彼女の瞳が潤んだからだと悟る。
「アラン……あなたのせいになるなんて、思いもしなかったの。ごめんなさい…」
唐突に受けた謝罪に戸惑ったのはこちらだった。
ミカを軟禁とはいえ保護名目で館においていながら、レイティの来訪を阻止していないのは明らかにこちらの落ち度であるというのに。
彼女の表情には自分自身に対する悔やみしかないようだった。
ぽろり…と彼女の目元から一粒の涙が落ちた。
窓から涼やかな風が入り、ミカの髪を流し、その眼が見えなくなった。
それ以上は泣くのをこらえているようだった。けれど微かに震える細い身体からにじみ出るのは、ひたひたと迫ってくる悲しみのようなものだった。
瞬間、なぐさめて抱き寄せたいと思ったことを、よく覚えている。
けれどもちろん、そういう間柄ではないし、私は手を伸ばしはしなかったのだけれど。
レイティはミカに難癖をつけただけだ。
彼女はミカがどんなに完ぺきな貴婦人であったとしても、ケチをつけて、そして、メイドたちをなじったりあざ笑ったりしただろう。
レイティは、私に目を向けてほしくてしかたなかった娘だから。
私がミカに目を向けているのが受け入れられないのだ。共に同じ館で暮らしているのがイヤでたまらないのだから。
館に働くものたちを怒鳴りつけることで、ますます皆から…私から距離を置かれる結果になるということもわからない、気位だけが高いちやほやとしてくれるものだけを周囲に配置してきたお嬢様なのだ。
でも、私はそれを言わなかった。
誤解してくれるなら、好都合と思う自分がたしかにいたからだ。
彼女のほうから自主的に学んでくれるにこしたことないのだ。
だから私はあえて言った。
「……ミカの好きなようにしていいのですよ」
と。
「でも!」
と、辛そうに言う彼女に私は静かに語り掛けるだけでよかった。
「……そうですね、もちろん、こちらの暮らしや礼儀、常識を学んでいってくれれば、館の者も喜びます。ですが、無理をさせて苦しむ姿をみるのは、誰も望んでいないのです」
私が苦笑を浮かべると、ミカは泣きそうな顔になった。
「……お世話になった人に恥をかかせてまで、のんびり遊んでいたいとは思わない。……少しずつでも、知っていくように努力する。勉強は苦手だけど」
彼女が自分自身からこちらにあゆみよった瞬間だった。いや、私の言葉が、そう彼女が選ばざるを得ないように囲い込んだだけなのだろうけれど。
異世界という遠い遠いところから来た――……空から落ちてきた娘ミカは、笑って暮らしているが、この世界のことを学ぶことを避けていることに、私は薄々気づいていた。
まるで、こちらの世界のことをより知って、ここに定着してしまうことがないように壁をつくるかのようだった。
それらの壁が無意識なのか意識的なのかどうかまでは、わからない。
ただ、このフレア王国に距離を置いているように感じていた。
さらにミカは「恩人」「拾い主」と言いつつも、私からも一定の距離を保とうとしていた。
――帰るつもりでいるんだろう。
――帰りたいのだろう。
それは言葉として形になっていなくても察せられた。
ミカの行動からそれを感じるたびに、私の心は。
――そうはさせない。させたくない。
と、繰り返していた。
もちろんレイティの暴言によってミカが傷ついたことはかわいそうに思う。でも同時に、ミカがこの世界に目を向けたチャンスを逃してはならないと、勘が告げていた。
ゆっくりと、だが着実にこの世界のことを知らしめてゆく。
生き方を、文化を、価値観を……。
ミカをこの地の文化に染まらせたいわけじゃない。
ミカをかえようというつもりもない。
ただ、ミカ自身が、この世界に関心をもち愛着をもつ、少しでもこの世界と”離れたくない”と思ってくれること……。それが願い。
……そして、いつか、私自身を見るといい……そんな願望。
そのためには時間稼ぎが必要だったのだ。
結果的に、ミカはふくれっ面を浮かべることは多々あれど、フレア王国での教育を従順に受けるようになったのだった。もちろん、私の館に家庭教師を呼ぶ形でしかなく、館外に出られるわけではなく、ミカに与えられる情報はあくまで限られたものであったけれども。
そうしている間にミカに関する調査が魔術師達の間でも進んだ。
そうしてわかったことは、ミカの異世界からの到来は、聖殿の魔術失敗によって時空間が歪んだ結果だということだった。
つまり、ミカが元の世界に帰る術は、現段階では成立していないこと。
ミカを手放さないための、二度目のチャンス到来であった。
帰る術がないことで、ミカの扱いについて王と宰相、聖殿の魔術師長が協議を始めたとの報告を受けた。
私は、ミカはこちらの文化や暮らしになじみはじめているが、王侯貴族として社交の場にでられるほどこの世界での礼儀作法を身につけているわけではないと、報告した。
……事実ではあるが、あと一年もすれば、飲み込みの早いミカなら貴婦人になれることは予想できた。けれど、あえてそこには触れなかった。
女人禁制の聖殿は、ミカを引き取れない。
だとすれば、王侯貴族の養女にして王女付の侍女にする案が浮上するだろうが、私の報告書により王女付の侍女に礼儀作法に不備があるのは却下とされるだろう。
王と聖殿の勢力下にあって中立を保つ貴族の、妻か養女扱いになるのが妥当とされるはず…その協議にうつるタイミングを見計らって、私がお守りしている皇太子殿下に私は願った。
「ミカの身柄……このまま私の元ではいけませんか?」
「ほう?」
「近衛騎士団長の館にあれば王の勢力下にありましょう。私の兄のディールは伯爵位をいただいておりますし、弟は聖殿の高位の魔術師勤め。宰相も聖殿側も文句はつけてこないかと」
皇太子は新緑の瞳を細め、面白そうなことを聞いたという顔でニヤっと笑う。
「たしかにミカもそなたの館で暮らすのに慣れておろうしな。だが、ミカの身分は何とする? 居候というわけにはいかないだろう?」
皇太子はすでに、私の先の想いを読んでいる目で、あえて私にたずねてきた。
相変わらず意地の悪い殿下だった。人の恋路に関わりたいという短所がある。
けれど、私は今回だけは殿下の意地の悪い問いに乗るようにして、口を開いた。
「……妻に」
「ほほう! お前の口から、妻とはね!」
学友としてともに遊んだ時期も含めれば20年のつきあいとなる皇太子は、非常にご機嫌の良い表情となり、高らかに笑った。
「これは、父王も喜ぶ! 即決だな!宰相のところにゆく、先触れを!」
こうして私の願う形に、事は進んだ。
もう、逃しはしない。
このフレア王国の貴族では通例では婚約者という立場を1年以上経て結婚式となる。
そう、あと一年。
あと一年で、ミカの心を手に入れる。
そして、心身ともに生涯そばにいられるように。
万が一、聖殿で帰還の術が完成されたとしても、ミカがそれを望むことがないように……。
だが……と、私はため息をついた。
自室の窓から見下ろせる、バラの庭園。
ミカが落ちてきて咄嗟に私が抱きとめた、出会いの庭。
……そこに色とりどりのバラを眺めるミカと、その隣に漆黒の髪、鍛えられた身体をしながらもバラの手入れをしている、私と同じ年の男の姿をみとめて。
心に苦いものが広がるのを感じるのだった。