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閑話 「過ぎ去りし日」(グールド)

過去の話です。(アランが8~9歳頃)グールド視点です。

 バタバタと足音がする。

 騒がしいなと見下ろせば、廊下を走り回る人影。


 私は書架の整理中で、天井まである書架に梯子をかけ、その中腹にいた。


「坊ちゃま、アラン坊ちゃまっ!」


 引き留めるような強い声から逃げるかのように、何かが書架の脇を駆け抜けた。

 小さな金色が目の端をかすめ、さっとカーテンの奥に消える。


 後を追うようにしてやってくるのは、アラン様の世話係の女。

 世話係は梯子にいる私を見上げた。


「あぁ、グールドさん、アラン坊ちゃまを見ませんでしたか」

「……いや」


 私が答えると、世話係の女は「まったく坊ちゃまは逃げ足がはやいんだから…」といいながらと、去って行った。


 しばらくすると、カーテンがごそごそと動き、ひょっこりと小さな金髪の頭が飛び出してきた。


「ありがと、グールド」


 にっこりとほほ笑む顔は、天使のよう。

 碧く澄んだ瞳、あかく色づいた、健康そうな唇。

 金の髪はクセがなく、細い髪なのにからまりもせずにサラサラと風に揺れている。


 私は、梯子を下り、背をかがめて目の前の少年と目線をあわせるようにして問う。


「アラン様。今度は何をなさいました?」

「バラの花壇にいたヌメ虫を、乳母やのポッケに…」

「…アラン様」


 私がじっと碧い瞳を見つめ続けると、笑っていた目がだんだんと所在なげに動き出した。


「はい、ごめんなさい」

「あやまる相手が違いますよ?」

「はい」

「では、行きましょう」


 私が手を差し出すと、アラン様はきょとんとした眼でこちらを見る。


「なぁに? グールド」

「私も、あなたをかくまいましたからね、共犯です。一緒に謝りに行きましょう」


 そういって差し出していた手を軽くふると、天使の顔はパァっと輝いた。


「一緒にいってくれるの!?」

「はい」

「あ」


 一瞬のうちに、輝いた笑顔は、うなだれ顔になった。


「駄目だよ、グールドが怒られちゃ、駄目だ。だって悪いのは、僕だもん」


 きらきらと光る碧玉の瞳を潤ませながらこちらを見るアラン様。

 その一生懸命な姿を見ているだけで、私は笑んでしまいそうになるが、必死にこらえる。

 そして表情を押し殺しながら、それでも慈しむ気持ちは伝わるようにと願いながら言う。


「ヌメ虫をポケットに入れたのはアラン様、かくまったのは、私の判断です。ですから、アラン様はご自分のイタズラを謝罪ください。私は私のあやまちをあやまりますから」


 私の言葉に、すこし考えるような表情をしてから、アラン様はうなづいた。


「わかった!ありがとうグールド」


 そういって、アラン様の柔らかく小さな手が私の手にのせられた。



******


 アラン様の世話係に共にあやまりにゆき、二つ三つの小言はもらいつつも、「アラン様も、あやまりに来れるようになったんだから、大きな成長ですわ!」と最終的には褒めて送り出された。

 私とアラン様はまた手をつなぎながら廊下を歩く。


「こっちの館に引っ越してきて良かったよねぇ! バラは綺麗だしさ、庭は広いし、林を通り抜けたら森や田園につながるんだよ。空気が綺麗だから、お母様の調子も良いし」


 はしゃぐようにアラン様は言う。


「そうですね」


 私が返事をすると、アラン様はハッとした顔をして、私の顔を見上げた。


「ごめんなさい」

「え?」


 アラン様のとつぜんの謝罪に私は首をかしげる。


「グールドにとったら、城下のお屋敷からこちらに引っ越してきたのは辛いことだったのかなと思って。お父様の伯爵の本邸を城下のお屋敷じゃなくて、この田舎にうつしてきちゃったから、グールドは執事のお仕事忙しくなっちゃったでしょう?」

「大丈夫ですよ、アラン様。館の管理の仕事は分担しておりますからね。もともとまだ若手で経験の浅い私がひとりでこなせるものではないのです。それよりも、王城より遠くなってしまったことで、皇太子殿下にお会いするためには早起きせねばならなくなったアラン様の方がおつらいでしょうね」


 そう言って笑うと、アラン様はちょっとほっぺをふくらませて言った。 


「もう僕、早起きできるもん! でも、王城への道のりが遠くなって馬に乗る時間が長くて……お尻はちょっと痛いけど」

「それは大変ですね」

「うん……あ、でも内緒だよ? お母様に心配かけちゃうからね」


 そういって、人差し指を唇にあてて私を見上げたアラン様。

 私は頷いて答えた。


「御意」

「……あ、いい香りがする! これお母様の焼き菓子の香りだよ! そうだよね?明日の収穫祭のための祝い菓子を焼いてくれてるんだ、きっと!」

「そのようですね」


 パアァと明るい表情となり、窓からの光によって金の髪がさらに輝きを増し、全身に喜びを満たしているのがこちらにも伝わってくるアラン様に、私はほほ笑む。


「行ってみましょうか?」

「うん!」

 

 手をつなぎ、小走りにすすむのは一階の奥の部屋。

 近づくにつれて、甘い香りが廊下全体にゆきわたっているのがわかる。


 フレア国の貴族は料理はメニューに指示はだすことがあっても、調理はコックにまかせるのが常。菓子にしても菓子職人がいる。

 ただ、子どもの成長を祝う行事の菓子、収穫祭などの季節行事や祝いの菓子と伝統料理だけは、その館の女主人が代々母から受け継いだレシピで家族や館の者にふるまう習慣があった。


 その文化的習慣により、フレア国の貴族の館には厨房とは別にその館の女主人が料理のできる部屋というものがあった。たいてい妻、母が夫やこどもののハンカチや小物に刺繍を施すという習慣もあるので、台所と裁縫のできるスペースのある部屋となる。

 一般的に「奥方の部屋」「女主人の間」と呼ばれることが多く、この館では「奥方の部屋」と呼ばれていた。



 アラン様と奥方の部屋の前に立つと、私はノックした。


「はい、どうぞ入ってくださいな」


 明るく澄んだハリのある声が聞こえた。


「お母様!」


 アラン様は勢いよく中に入って行く。


 中では、アラン様の兄君ディール様と弟君リード様、そして私がお仕えするこの館の主人である、ソーネット伯ウィリアム様がすでにいらした。

 アラン様のお母様のソフィア様を囲むようにしてテーブルに座っているご家族様をみて、


「お父様! お兄様にリードまで! ずるい!」


とアラン様が抗議の声を上げる。


「おっ!アランが怒ったぞ~」


 からかうようなディール様の声に、


「ほらほらよしなさい。アラン、大丈夫よ、まだ誰にも味見させていないからね?」


 そういってほほ笑むのは、この部屋の主であるソフィア様だ。


 金色の髪はゆるくうねる。双眸は碧くきらめくが、すこし緑がかっており、その眼をふちどるまつげは長い。鼻筋がとおり、口元は小さな赤い実のような唇がやさしく笑んでいる。


「お母様!」


 アラン様が抱きつきに行こうとすると、よこからアラン様の父君ウィリアム様が、


「駄目だ」


といって、アラン様をソフィア様から引き離す。


「どうして、お父様!」


 ジタバタするアラン様に、弟君リード様が話しかける。


「そういえば兄上、ヌル虫を乳母のポケットに入れた後、手を洗われましたか?」


 7歳というのに落ちついた話方をする冷静な弟君リードさま。その口調に、アラン様は顔を真っ赤にする。


「うっ、手はまだ洗ってないけど! けど!」

「けど?」


 ディール様がニコニコしながらアラン様のさらさらの金髪に手をやる。

 くしゃくしゃと髪をこねてからかうので、アラン様は首をプルプルとふりながら叫ばれた。


「洗ってないけど……けど……けど……」

「なんだい、アラン?」

「グ、グ、グールドと手をつないだもんね!」


 アラン様の叫び声に、皆の視線が扉のところに控えていた私に一斉に注がれた。


 そして一瞬のうちにして、ディール様の笑い声が「ぷぷぷぷっっっ」と響く。

 おなかを押さえて笑いをこらえるようにしているが完全に口からは笑いが漏れ出ている。


「アランはヌメ虫を触っても、グールドと手をつないだら手を洗ったことになるんだね。グールドがかわいそうだね」


 笑いながらそう指摘して、アラン様の顔色が変わった。

 つづいて、「くすっ」「ふっ」「くふっ」という微かな忍び笑いが家族に続き、アラン様だけが顔を真っ赤にして立っていた。


「なんで笑うんだあぁぁぁ! リードもどうしてどうして、ヌメ虫のことを知ってるんだぁ!」


 再び叫び声をあげるアラン様に、皆が口ぐちにいう。


「グールドも大変だな。子守り手当をつけた方がよいだろうか?」

「アランは本当に食べちゃいたいくらい可愛いなぁ」

「兄上、あんなにバタバタ駆け回って乳母に追いかけられていて、わからない方がおかしいですから」


 お父上や兄上、弟君にまでからかわれたアラン様の前に、すっと救いの手がさしのべられる。


「はいはい、アラン、もう叫ばないでちょうだいね。それから、グールド、執事の仕事以外にお守りまでしてもらうことになって、ごめんなさいね。それだけでも、こちらに移ってきたことで仕事が増えているでしょうに」


 微笑みをたやさずソフィア様がこちらに歩いてきたのだ。

 柔らかな甘い香りが鼻をくすぐった。


「この香りでわかるだろうけれど、明日の収穫祭のお祝いの焼き菓子を作っていたのよ。そうしたら、ウィリアム様をスタートに、こどもたちまで匂いにつられてやってきてね。型抜きに失敗したかけらがたくさんあるから、それでお茶にしようと思ってたところなの」


 ソフィア様のその言葉に、ウィリアム様がうっとりとした瞳をソフィア様に向けて、


「だって、この甘い香りが漂ってきたら、この部屋に来るのは当然さ。愛しい妻に、おいしいお菓子、幸せがつまった部屋さ」


とおっしゃった。

 ウィリアム様の紫に近い青色の瞳がやさしくきらめいて、ソフィア様を包む。

 それに答えるようにして、ソフィア様は笑った。


「まぁ、こどもみたいなことをおっしゃって。そうね、でも、奥方の部屋から漂う甘い香りは、幸せの香りよね。私にも思い出があるわ……」

「えぇ!?お母様のお母様との想い出だから……おばあさまの?」

「聞かせて聞かせて!」


 みなが話し始め、いつのまにか真っ赤になっていたアラン様もソフィア様を囲んでテーブルについている。

 私はタイミングを見計らって、お茶の準備をするように廊下に控えていたメイドを伝えた。


 メイドが持ってきたティーセットを受け取って、私は館の主であるウィリアム様と奥様のソフィア様、そしてそのお子様方たちへとお茶をセッティングしていく。


 ソフィア様が「明日の収穫祭用よ」と言って綺麗な形をした焼き菓子は大きな皿に並べ、その他のすこし見栄えの悪いものが今日のお茶のお菓子となるように小皿に分けていく。

 それでも、ソフィア様は、旦那様であるウィリアム様にだけは綺麗な形をした菓子を並べた小皿をだし、こどもたちからブーイングがあがっても、「お父様は、特別よ。私の生涯のパートナーですもの」と子どもたちを微笑みと愛ある言葉で制してゆく。


 あたたかな風景がそこにはあった。


 これは、王城の城下にある以前の伯爵邸ではあまり見られなかった姿だった。

 城下での城は人の出入り多く、また社交も厳しい。貴族たちがこぞって集まって過ごす城下なので、夜会を断るにもそれなりの術がいった。

 その中でソフィア様は体調を崩されがちになっていったのだ。

 あまりにも体調がおもわしくない日が続き…医師からも静養をすすめられていた。

 しかしウィリアム様は、奥様だけを静養地へ送ることはよしとしなかった。離れたくはなかったのだろう。

 そこで王城からは少し離れたこちらの館を伯爵本邸の機能をうつすことを決心なさった。


 この館は城下にある本伯爵邸に比べて広さも豪華さも見劣りするが、ソフィア様の好きな庭園が広くとってあり田園や森林に続くので空気も良く過ごしやすい。


 もちろん、城下にある本邸も残してあり、いつでも使えるように使用人たちが管理しているし、私も執事として城下の本邸の管理もこちらと同時に担っていた。


 いずれ城下にあるソーネット伯爵位にふさわしい、豪華で広大なあの屋敷は、爵位をついだディール様が統べるようになるだろう。

 ウィリアム様の王者の風格と、ソフィア様の賢明さを持ち合わせたディール様は、今は12歳で可愛らしさも残っているが、これからますます伯爵を継ぐにふさわしい風格を備えてゆかれるだろう。


 そして、弟君リードさまは類いまれな魔力を持つ方。

 生まれたときから左目をウィリアム様の紫、右目をソフィア様の青緑の目を受け継いだお姿。金というよりも白金に近い髪に、智にあふれた瞳。7歳の今からすでに聖殿の、魔術師となることを自ら決心なさっており、この館…ソーネット伯爵家からは離脱することを決められている。



 おそらくこの自然豊かな別館をお守りになってゆかれるのは……この、今御年8才のアラン様。

 きらめく金の髪に、碧い双眸、優しいお顔と素直で元気なお心を持つアラン様がこちらの館の主となられる日が来るのだろう。


「グールド、おかわりもらっていい?」

「もちろんですとも、アラン様」


 幼いながら、使用人にも決して乱暴な物言いはなさらない御子。

(やんちゃやいたずらはするけれども)


 どのような道をアラン様が選ばれるのかはわからないけれども…このご家族が我が主であることは、私の誇り。



 ******



 奥方の部屋での家族での団欒が終わろうとしていた頃、ソフィア様が私に言った。


「グールド、ちょっと頼んでもいいかしら?こちらの収穫祭用のお菓子を私の上の部屋まで運ぶのを手伝ってほしいの。明日までに包みたいから」

「わかりました」


 私が早速両手で焼き菓子ののった大皿持ち、扉をでると、ソフィア様が小さな皿や包み紙を持って私の隣に並ぶ。

 ソフィア様と隣に並ぶなど失礼なことはできぬと思い、歩く速度をかえてソフィア様の後ろに仕えようとした。だが、ソフィア様は私と歩みを同じにするので並ぶ位置がずれることがない。

 困ってソフィア様の顔を見ると、ふふっと微笑まれた。


「アランのこと、可愛がってくれてありがとう」

「いえ」

「……いつか未来に、あの『奥方の部屋』を子供たちの妻が使うときが来るのね」

「……」


 ソフィア様が話し始めてしまい、結局並んだまま階段を上がる。


「あの部屋ね。おそらくは、アランの妻が使ってくださると思うの。城下の本当の伯爵邸にいずれディールは戻るだろうし。リードは魔術師で一生妻帯しないだろうしね」


 そこまで言って、ソフィア様は少し階段を上る足をゆるめた。


「私……おそらくは、こどもたちの結婚式を見ること、できないわ」


 思わず足を止めた。

 私が足を止めたことで、ソフィア様が数段先に階段を上ってしまった。

 立ち止まって、次の足を出ぬ私をソフィア様が振り返る。そして私を見下ろした。


「ウィリアム様も、それをわかってね……。こちらに家族みんなで暮らせるようにしてくださったの。たくさん、思い出をつくらないとね」

「……」

「グールド、あなたは、ずっとこのソーネット伯爵家の執事でいてくれるわよね?」

「はい」

「頼むわね、あの子たちのこと。ウィリアム様のこと」

「……」


 ソフィア様はふっと微笑まれた。


「でももし、こどもたちが結婚するときに、もし私が生きていられたら……。いっしょにお料理したいわ、あの奥方の部屋で。私、娘がいないもの。私が受け継いだレシピ、ひとつでも残せたいいのにね」

 

 そう小さく呟いてから、また前をむいて階段をのぼりはじめられた。

 次はもう並ぶことなく、私はソフィア様の後ろを歩く。


 私の前を歩くソフィア様は。


 細くて小さくて。

 ほっそりした腕で小さな皿を抱えるのが精いっぱいの体力だ。

 けれど、あの甘い焼き菓子を家族のために焼く。

 悲しみも飲みこんで、微笑む。



 上階のソフィア様の部屋の前に来た。

 ソフィア様は自ら扉を開けて中に入り、皿をテーブルに置く。

 私は男なので、ソフィア様の部屋には入らず入口脇で待つ。


「大皿ですからお気をつけて」


 私がそういって入口に受け取りに来たソフィア様に声をかけると、奥様は、


「グールド、口を開けて」


と、言った。


「え?」

「あなた、両手ふさがってるでしょ? ほら、口を開けて」


 言われるがままに、口を開けると……。

 ソフィア様は、私の口に何かを滑り入れた。

 ほっそりした白い指先が近付いて、そして離れていく。


 口の中に広がるのは、甘さ。

 皿にのられているときは、形よくあるのに、口の中に入ったとたん、儚くとけるかのような甘い菓子……。おそらくは、ソフィア様手作りの、先ほどの菓子であろう。


「ここまで運んでくれて、ありがとう」


 にっこりとほほ笑む、ソフィア様に私は返事ができない。

 口の中に甘さが広がっているからか……。

 それとも、胸にさまざまな思いがこみあげてくるからか。


「これからも、この館のこと頼みます」


 そう、真摯な瞳で見つめられて。

 

 私は深く礼をする。

 我が人生をかけて――……と、心の中で誓う。



 ******



「あぁ」


 ふと目が覚めた。

 朝日はまだのぼっておらず部屋は暗いが、朝の冷たい空気は窓の隙間から入ってきていた。


「ゆめ、か……」


 懐かしい夢を見た。


 もう20年も昔の。


 今やウィリアム様もソフィア様もこの世にはいない。

 予想通り、ディール様は爵位を受け継ぎ城下の本来の伯爵邸に戻って、すばらしい才覚をもってソーネット伯爵家を盛りたてていってくださっている。ちなみに現ソーネット伯爵家の執事は我が甥が担わせていただいている。


 またリード様は上級魔術師として目覚ましい昇進をとげ、聖殿でご活躍なさっている。


 そして、アラン様は。

 近衛騎士団長、当代一の剣使いになられた。

 あのやんちゃは抜け、今や「堅物アラン」とすら呼ばれているらしい。

 そして、今もなお、アラン様は使用人にまで優しく、配慮を忘れない騎士となられた。




「あぁ、本当に懐かしい夢をみたものだ…」


 窓からの冷えた空気を吸い込む。


「……きっと、久しぶりに……あのお部屋に入ったからでしょうなぁ」


 返事はもちろんない。

 一人っきりの部屋だ。

 だが、我が心の主にひっそりと話しかける。


「奥様……ちゃんと、あの『奥方の部屋』が使われる日が来ましたよ」


 開かずの間にならずにすんだ。

 そして、その部屋は大切に使われた。


 古語を話す、黒髪黒眼の不可思議な少女であるにしても。

 アラン様の気持ちにいまいち気付いていらっしゃらない様子だとしても。

 すくなくとも、あの部屋で一生懸命に作ったものを、アラン様にお贈りしようという心だけは伝わってきた。


「それでもまさか……花を料理するとは!」


 気持ちの良い香りだった。

 バラの香りとクオレのさっぱりした香り。


 遠き記憶に残る、あの甘い甘い焼き菓子の香りではなかったけれど。

 あの部屋が使われたということだけで、心が満たされたのだ。


「おかげで、いい夢を……みることができましたな」


 ちいさな呟きは、微笑をもって口からすべりでていた。

 それは、私なりの黒髪の少女への感謝だった。




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