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13 バラとクオレ(アラン)

アラン視点です



「次の休みには、ミカと城下の衣装屋に行くそうだな」


 

 皇太子殿下の剣技の稽古のため、私が出仕後に王城内の稽古場に出向くと、笑いをにじませた顔で殿下は出迎えてくれた。

 ひんやりとする石造りの稽古場は、装飾品のないただの天井の高い広間となっている。

 王城内の稽古場ゆえに、殿下といえども出入り口に兵士がつくのみとなり、場内には私と殿下だけになる。つまりいつも殿下についている供のもの達が場外待機となるので、稽古場は自然と砕けた話しになることが多い。

 この幼馴染であり私の主人でもある殿下は、人の恋路の話が大好物なのだ。

 私の内心のため息をよそに、殿下は嬉々として話しかけてくる。


「堅物アランがとうとう婚約と、父王も喜んでおられたぞ? 皆に公平に優しいが、誰も特別を作らず、そばに寄せなかったアランだからな」

「……」


 殿下の話しに苦笑で応えて、練習のための防具を最低限身につけ、剣の状態を確認する。

 稽古場ゆえ団長の私は真剣での稽古を許されているが、万が一でも皇太子を傷つけてはいけないので、剣は刃をつぶしたものを使うことがほとんどだ。


「おまえは母君を亡くした後、そのまま騎士見習いに進んでしまったものな。やんちゃしていいような年ごろから剣の稽古ばかり。堅物になるのも当然か」

「殿下も剣のご準備を」

「準備しながら話してる。……で、まぁ、それでも、騎士団寮にいたころは、先輩騎士に娼館に連れて行かれたことだってあるだろうに……何の武勇伝も聞かせてくれないしなぁ?」


 殿下の言葉に、すこしため息をついた。


「そういう色事は、私には向きませんでしたので」


 かつて、『女に慣れておかないと、女の間者や暗殺者が身体を使って責めてきたときにうろたえることになるぞ』と忠告され、先輩の騎士は何度か私に娼婦をあてがったことがある。だが、それは苦い経験でもあったし、そこから何かに執着がうまれたわけではなかった。

 また、過去には騎士に憧れるというレベルではなく、もっと肉感的に私に言い寄ってきた女性というのもたしかにいた。

 でもどの出会いも……いや、出会いというにはあまりに儚く、私の中に根付くことなくきた。通り過ぎていった、というのが的確かもしれない。

 特別というものがわからずにきたのだ。


「まぁ、その外見に似合わない生真面目さがおまえの良さだ。わたしはそれをかっているし、父王も信頼をおいているのだ。だからこそ、今回のことは面白くてたまらない」


 殿下の新緑の瞳はキラキラと光り輝いていた。


「……人をそんな見世物みたいに」


 ここに来て何度目になるかわからないため息をつく。

 すると、殿下はふいに、


「だが、お前は、ミカのために自分の人生が見世物になることを承諾したといえるだろう?」


と容赦のない言葉を落としてきた。


 やはり来たか。

 殿下の言葉に私は目をそらし、


「見世物になった承諾はしておりません」


と答える。

 けれど、もちろん殿下がそれで引き下がるとは思ってない。

 ……そう、殿下はふざけたりするわりに、こうして合間合間に鋭い言葉を投げかけてくるのが困りものなのだ。たぶん、まだ人の恋路のあれこれを言ってる方がマシなくらいに。

 本当に、この殿下という人は、人を責めて困らせて、そしてときどき飴を与えるのが上手い人なのだ。


 予想通り、殿下がこちらをみて肩をすくめて、納得しかねるという仕草をした。


「そうか? ミカには監視の者が終生ついてまわるぞ。ミカが元いたという異なる世界へ、『完全なる帰還』が確認されるか、死ぬまでな。まぁ、帰還の可能性など無いに等しい。となると、死ぬまでとなる……。そんな『監視付きの女』を伴侶に持つということは、おまえ自身の生活、人生そのものを、王や、次の王となる私に『知られ暴かれ続ける』ということだぞ。それをお前はわかったうえで承諾したのだろう」

「……」

「今はまだ、基本の情報のみの監視、ミカ個人の部屋まで覗くような間者は入れていない。だが、万が一非常事態になれば、もちろん私情関係なく間者は配置する。宰相や聖殿の魔術師殿たちにまで、私室のあれこれや夫婦のすべてが筒抜けになる可能性もある。もちろんミカを抱えて隠遁生活はできぬ……老いてもな」


 私は殿下から目をそらしたまま、装備の確認をする。


「……隠遁生活など、望んでおりませぬゆえ」

「そうか? あんな王城から遠い別邸に引きこもっておいて。お前は王城と騎士団本部とあの別邸の往復のみの生活だったろうが。そんな煌めいた姿をしているのに、中身は枯れた年寄りのようだからな。剣と共に静かに暮らしたかったのではないか」

「……」


 ポンポンといろいろ言ってくださるが、まぁたしかに城と騎士団と家の往復で生活を送ってきたのは本当のことだった。

 皇太子殿下は、剣の具合に納得し手袋をはめ、こちらを見た。


「王も私も、ミカが何かをするとは思っていないが、立場上そのような贔屓目をさらすわけにはいかない。だが、おまえの妻となれば、今後おまえを通して助力しやすくはなるだろう。……未知の世界からやってきた、本来なら後見者無き不遇のはずの小娘が……アラン・ソーネットの婚約者、いずれ妻となることで、フレア王国においてほぼ安泰な人生を送れることになったということだ」

「そうでしょうか?」

「そうだろう。おまえはお前の人生をかけて、ミカの命を救ってやったようなものだ。おそらくミカはそこまでは気付いておらんだろうが」

「……」

「報われぬものだな?」


 剣をカチャリとならして、皇太子は稽古場中央に構える。

 私は、皇太子に真向かい、剣技の法の基礎構えで立つ。


 はじめの号令をする者もいないので、そのまま殿下は私に剣をふるってきた。

 それを向かい打ちながら、皇太子の呼吸や剣のぶれがないかを確認していく。

 皇太子の剣が私の胴を打つように左から向かってくる。

 身体を回転させて、距離を保ちながら私は口を開く。


「殿下、剣の構えをもう少し前に。手首に無駄な力が入りすぎです。今日はバスタードソードですから、もっと背中からふりあげるように力を込めてから、腕に力を流していくようにした方がよろしいかと」


 私の言葉に、殿下は不満げに眉を寄せた。


「おまえ、剣に関わるときだけ、遠慮がなくなるな」


 くやしそうな表情をみせつつも、殿下は茶の髪を揺らしながら構えを整える。

 だが、そんな殿下の間合いはすでに予測済みだ。

 殿下の構えを整えているその隙に、私は皇太子の距離を一気に詰める。彼が私を避ける前に、剣を留めるように自らの剣で彼の手首を制した。


「王より、皇太子の剣技の指南役をいただいております身ゆえ、手加減はいたしませぬ」

「くそっ!」

「下品です」

「幼馴染に教わる屈辱は、慣れぬっ!」


 ガチャンと、皇太子の剣と私の剣がぶつかり合い、時をまたず、キィンキンと数度ぶつかりあう。


「殿下は、剣技以外にも幅広く身につけねばならいことがありましたゆえ、私とはまったく異なるお立場です」


 そう答えながら、私は皇太子の剣を自らの剣で押し返す。

 力が拮抗したので、私は身をひるがえし、構えを別の剣技の法へと変化させてゆく。


 フレア国の剣は両刃の剣。

 バスタードソードは両手でも片手でも使えて実戦向きではあるが、剣の握りの部分と刀身のつりあいがとれているので、ふりあげるときにコツがいる。

 無駄な動きは体力消耗にもつながるので、力の入れる加減と抜くタイミングは体得しておかないと、長期戦が難しくなってくる。


 殿下の息があがってきていたので、そこを指摘すると、またイヤそうな顔をした。



 *****



 こうして、剣技の相手をした後、汗だくになった私たちは稽古場から出る。

 出口のそばでは、待機していた殿下の供が飲み物を用意しており、皇太子殿下が腰かけられるように長椅子もしつらえてあった。


 殿下は控えの侍女が差し出す飲み物を受け取りながら、


「アランも飲め」


と誘ってきた。

 侍女は私にも冷んやりとする飲み物を渡してくる。

 器に口を近づけた時、一瞬、身体が強張った。

 その漂う香りに意識がからめとられたのだ。


 香りを吸い込んでから、そっと口を付ける。

 甘酸っぱい味……フレア国ではこの季節に良く飲まれる飲み物――クオレのジュース。

 これはハチミツが入っているのか甘く喉をうるおしてゆく。

 だが飲み干しながら思い出すのは、朝のクオレの酸味だった。

 

 ミカがのぞんだ果実。

 朝のクオレの果実は実に酸っぱく、そして、そこにまつわるミカの姿はとても甘かった。

 

 ……私の切ったクオレの輪切りを口にしたミカ。眉をよせる顔。唇のはしに残る果汁のしずく。


 今朝のミカは……私を「アラン様」と呼んで――……


「アラン……おい、アラン?」


 殿下の呼びかけにふっと我にかえる。

 視線を果汁から殿下の方にずらすと、殿下の困ったような呆れたような顔が視界に入った。


「何か?」


 問うと、殿下が『周囲をみろ』といわんばかりに目配せを送ってきた。

 わからぬままに周りをうかがうと、そばに控える侍女が頬を赤らめていた。

 途端、殿下が言う。


「おまえ、なぁ……。その甘ったるい表情は目に毒だ」

「目に毒ですか?」

「蕩けるような顔をしているぞ。クオレのジュースを……まるで恋人を味わうかのように飲むやつがいるか?」

「……」


 殿下の指摘に、私は自分の表情を初めて知った。


 ……蕩けるような顔。そうか、私はそんな顔をしてクオレを飲んでいたのか。


 どうやら、ミカの監視者も、今朝の私とミカのクオレにまつわるやりとりまでは殿下に報告していなかったのだろうか。

 いや、そこまで監視していないのか。

 ……まぁ、正直どちらでもいいのだ。



 先ほどの会話から、殿下は、私がミカがいる限り、終生監視されることになることを……正確にいえば、殿下自身が私の行動をすべて監視してしまう結果になることを……気にしているようだった。

 だが、実のところ私はどうでもいいのだ。

 ミカとのやりとりの邪魔をされないのであれば、監視されようがされまいが、気にする必要は私にはない。


「殿下……初恋の、味です」


 私は、皇太子に笑いかけた。


「……は?」


 皇太子殿下……私の幼馴染であり、学友であり、主人たるセレン皇太子殿下は、目を見開いたまま固まっている。

 私が、先ほどいわれた「蕩けた顔」をしているからだろう。

 ミカを思い出して、ミカとの会話をこうして話しているのだから……きっと、私は蕩けたような顔をしているのだ。

 でも、それを隠す意味などあるのだろうか?

 こんなに可愛く愛しく思う人のことを話すのに、喜び以外あるわけないだろう?


「初恋の甘酸っぱさを味わっているのです」

「……」


 私の堅物さをしっている兵士たちも、皇太子の側近も、侍女も唖然として私を見つめてきた。

 私の言動が面白いのだろうか。私の口から「初恋」などと出ることが?

 ――-それならそれで、けっこう。

 この言葉は、この味の名は、この気持ちの意味は、ミカに今朝教えてもらったのだ。クオレのこの甘酸っぱさは、初恋の味、なのだ。


 侍女に目をむけて、


「とてもおいしい飲み物でした、ありがとう」


 そう言ってほほ笑むと、侍女があたふたと礼をとる。セレン殿下が、最大に眉を寄せた。

 そして、


「おまえなぁ……。その甘ったるい表情でなんでもかんでも周囲に笑いかけるのはよせ。それは罪の垂れ流しだ」


と、そう呟いた。


「そんなにだらしない顔をしていますか?」


 私がたずねると、ため息が返ってきた。


「……おまえは、堅物だったんではないんだな」

「そうですか?」

「そうだ、単にオクテだったんだ。ふつう、28や29で初恋もないだろう……」


 そこまで言って、殿下は「まぁ、でも、良かったんだろう」と言って、私の肩をバンッとたたいた。微妙に痛い。

 

「アランも『特別な人』に出会えたんだ。よかったな」

「そうですね」

 

 ミカを思うと、それはたしかに『特別な人』と言える気がした。

 何がどんな風に特別かすら説明できない――それくらいに、私の中になぜか根付いた人――……

 クオレの香りとともにそう思った時だった。


 王城の渡り廊下から、


「殿下! 騎士団長!」


と、駆け寄る声がした。

 見ると、近衛騎士団の若手団員の二人だ。

 私は殿下にことわりをいれて、廊下の二人の元に出向く。


「どうしました?」


 私の問いに、二人が姿勢をただしつつも、早口で告げる。


「団長! また近衛騎士団の新入りと第4騎士団の新入りがやりあいまして……」

「場所は?」

「はい。城内詰所です。まだ抜刀はしてませんが、どちらも新入りで……場もわきまえず熱が入っていってしまって……。本人たちもなんですが、第4騎士団は平民出も多く、階級差の喧嘩まで周囲で始まりつつありまして……」


 泣きそうな顔ですがってくる二人に、「皇太子殿下の御前ですよ」と注意してから、殿下の方に向き直る。


「お騒がせして申し訳ございませんが……」

「早く行ってやれ。近衛と第4は昔から折り合いが悪い。稽古、ありがたかった。また頼む」

「ありがたいお言葉です。では、失礼いたします」


 礼をしてから、控えの者から近衛騎士団の紋が入った剣を受け取り、呼びに来た者たちと稽古場を離れる。


 渡り廊下には、夕暮れの長い影ができている。

 少し涼やかな風もふきはじめていた。


 ……これから揉めた者たちをいさめていれば、帰りが遅れ、今夜の夕食はミカと供にできないだろうと苦々しい思いが広がった。

 しかし、騎士のもめごとの調整も大切な仕事だ。私は感情を抑え、足を早める。


 広い王城でも、城壁近くの堅牢な別棟は、騎士団詰所となっている。

 足早にその棟に近づくと、歓声やら怒号やらが聞こえてきた。


 どうも派手にやりあっているらしい。


「あぁぁ、人数が増えてます…」


 私を呼びに来た騎士が、ため息まじりに横で言った。


 どうやら近衛騎士団と第4騎士団が、どんどん周囲を巻き込んでの乱闘になっているようだった。

 ……城内だというのに。これは、注意だけではすまなさそうだ。

 叱責し、理由を聞き、相手の騎士団の顔も立てるよう諫めつつ励ましもし、その後皆をなごませるために酒屋に放り込むまでを考えると、帰宅はかなり遅くなることだろう。


 ともかく、目の前の乱闘を止めねば。

 声を張り上げた。


「君たち! ここを何処だと思っている!」


 ミカと夕食をともにしたかったと思いながら、私は取っ組み合い中の男どもの輪に分け入って行ったのだった。



 *******



 夜も更けた。

 月がのぼり、闇夜を照らしていた。

 青白く月に照らされる道を馬で進むと、館に着いた。


 小間使いに、「帰宅は遅くなる」との伝言をグールドへ頼んでいたので、ミカが食事を待っているということもないだろう。

 ここまで遅いとなるとミカも床についているだろうか。

 それともまた、部屋を抜けだして使用人の居間にでも入り浸っているのか。

 酒の入った思考でぼんやりと月を見ながら、バラの香る庭園を通り館に向かう。



 先ほどの乱闘の理由は、たわいもないことだった。互いの袖があたったのだの、自分の騎士団の方が偉いだの……という新入り同士特優の言い合いが発展し、手がでたようだった。

 そこにまわりの騎士たちも加わったため騒ぎが大きくなったらしい。


 私の監督不行き届きともいえることだったので、叱責と注意を重ねたあと、憂さ晴らしと気分転換をかねて街の酒屋へと連れ出した。

 新入りというのは、不安や不満、戸惑いをためているものだ。いろいろ聞いていて、帰りが今になったのだ。


 私も若手たちにつきあって酒を少し飲んでいたので、久々に身体が酒でほてっていた。

 夜風を楽しみながら館を見上げると、思ったより部屋の明かりがついている。

 すでに寝静まってよい時間なのだが……。

 目で探すと、ミカの部屋の明かりもついていた。


 使用人によって、館の扉は開けられ、グールドと侍女が並んで礼をして迎え入れられた。

 まぶしい明かりの照る館の中に入る。

 思わず息をのんだ。


 そこに、ミカがいたのだ。


 ……ミカの姿にさらに、息をするのを忘れた。

 彼女は深い紅色のドレスを着ていた。シンプルにウエストを絞っただけの装飾もほとんどないものだ。今までも何度か着ていたはずのもの。

 けれど、今、目をひいたのが、髪を結いあげていたからだった。

 夜会ドレスではないので、胸元はひらいていないが、それでも髪を上げればその白くて細い首や鎖骨のラインが際立つ。

 髪をおろしていて、しかもこの瞳の大きな童顔さと小柄な身体だと少女のようだったが、今目の前に立つのは、華奢な肢体をもちながらも、首から肩のラインや、頬のやわらかなラインなど、女性としての柔らかい曲線を意識させる姿だった。


「おかえりなさい」


 ミカは自然体で微笑み、私のそばに立った。


「……起きていたのですね」


 見上げてくるミカの笑顔がまぶしく思いながら返事をすると、ミカは頷いた。

 そして、


「私、アランのこと待っていた……いえ、アラン様のこと、お待ちしていたのです」


と言いなおした。

 丁寧な言葉を話そうとしてくるミカに戸惑いつつも、その懸命に言葉を丁寧にしようとするのが妙に可愛らしく、私は微笑んだ。


「素敵ですよ。そのドレスも、上げた髪も。……私のことを待ってくれていたのですか?」

「うん……渡したいものがあって」

「?」


 ミカは、ちょっと頬をそめてうつむいた。

 そして少しの間黙ってから、まるで何か決意するかのように顔をあげこちらを向く。

 真剣な表情だった


「あ、の。まず先に……。お礼を言わせて。あの奥のお部屋……お母様がおつかいになっていた大切なお部屋を使わせてくださって、ありがとうございます」


 ミカの言葉に、安心した。

 ……良かった。使ってくれたのだ。

 たしかに母の思い出がある部屋だが、いずれミカに使って欲しいと思っていた。まだ婚約者とはいえ、「奥方の間」とされる場所をミカが使ってくれたことを、とても嬉しく思った。

 同時に、あの部屋を使ったとなると、何か作ったのだろうと察する。


「何か作ったのですね?」

「はい。それを渡したくて。でも、夜も更けてから部屋にお邪魔するのもはしたないかと思って、こちらでマーリたちと待ちました」


 ミカの言葉に、喉元まで「いつでも私の部屋に来ていいですよ」と言いそうになる。

 けれど、実際に夜更けにミカが私の部屋に現われたとして、おそらく私自身が一番困ることになりそうで、結局何も言わなかった。


「アラン?」


 黙った私の顔をミカはのぞきこむ。

 その純真に見上げてくる黒目がちな瞳に、自分の邪な部分を光で照らされるように思えて、私は恥入ってしまい、さらっと答える。


「……たしかに、婚約者とはいえ、夜更けに訪ねるのは問題がありますし、淑女らしい判断かと。言葉遣いといい、なかなか努力しているようですね」


 私の言葉にミカが「ここで待ってて正解だったね」と笑う。

 そんなミカに私は耳打ちした。


「マーリと供にまってくださったのは良かったですが……、場所を移動しましょうか。グールドも皆こまっています」

「え?」


 私の言葉にミカはまわりをみた。


 玄関の扉はさすがに閉まったが、グールドや侍女は、扉前のホールで話しこみはじめた私とミカをもてあましているようだった。

 その状態に気付いたミカは、照れたようにさっと頬を染める。

 

 私は騎士服のままミカを連れて、ソファのある部屋に移動した。冬場なら暖炉に火をいれるところだが、そこまで冷える季節ではない。

 そのまま私が大きなソファに腰掛けると、ミカはどこに座ろうか迷ったのか、ちょっとまわりをみまわした。一人掛けの椅子にでも座ろうと思っているのだろうか。


 私は酒のせいで頭がふうわりしていたせいもあって、ふっといつのまにか口にしていた。


「ここに座ればいいのです」


 私の手は、ソファの私の隣のあいた部分をポンポンと軽くたたいた。


「え、でも」


と、ミカは恥ずかしそうに目をキョロキョロさせた。


「隣へ」


 再度、私が促すと、ミカは仕方なさそうに私の隣に座った。

 一つのソファに並んで座ると、否が応でもミカの小ささを感じた。

 そこへ侍女マーリが何か入った小さな籠をもってきて、ミカに手渡した。

 マーリはまた退室していく。


 ミカが私の方を見上げてきた。

 さっきよりもずっと近いところにミカはいる。ミカはその黒い瞳で私を見つめる。


「これ……食べてみて欲しいんです。あ、紅茶に入れてもいいんですよ?」


 ミカは、籠から小さなビンを取り出した。

 深い赤色の布につつまれ、金のリボンがしてある。

 差し出されたそれを受け取って、「開けてみても?」とたずねると、ミカは頷いた。


 私がそっとリボンと布をはずすと、中にはジャムらしきものが入っていた。

 それは綺麗な赤色。赤バラのような、堂々とした鮮やかな色をしていた。


「これ、バラジャムなんです。朝もらったクオレの果汁も入ってるんですよ?」

「……バラのジャム」

「本当にささやかなんですが……私からの日頃のお礼の贈り物です」


 ミカはがじっとこちらを見て言った。


「きちんと伝えたことなかったけど……あの。拾っていただいて、こちらの館においてもらって……感謝しています」


 ミカの瞳は真剣だった。


 ……感謝。

 その言葉に喜びと。

 けれど、どこかよそよそしさのような寂しさを感じるのはなぜなのだろう。

 酒を帯びたふわりとした思考では、わかるようでわからない。


 私はそっともらったビンの蓋を手にした。

 ギュっと力いれる。

 空気の入る音がして―――蓋が開いたと思うと、

 バラの甘い香りと甘酸っぱい香りがまじりあって広がった。


 銀の匙が目の前にだされた。

 ミカがわたしてくれた銀のスプーンを受け取り、その赤くて香りの広がるジャムをそっとすくった。


 そうっと口に運ぶ。


 やわらかな、とろりとした触感。

 口の中にバラの香りが広がるのがわかった。

 一瞬、バラの花束を抱えたかのような、花に包まれるほどの香りがした。

 甘いのに、どこか酸味が残る味。


 横を見ると、ミカが私の口元を見つめていた。

 味が気になるのだろう。じっと見つめてくる瞳は、私をみるというより、私の口元、味の感想を聞きたいようだった。

 私はちょっと意地悪したくなった。


「とてもおいしいですよ」


 ミカはほっとしたように息をついた。

 そんなミカに間をあけずに私は言う。


「あなたも食べますか?」

「え?」

「ほら、口を開いて」

「え?」


 隣でびっくりしたように私の顔を見上げているミカの前に、バラのジャムをすくったスプーンを持っていく。


「ほら、開いて……」


 ふたたび私が催促しても、少し開いている唇がそれ以上に開かれることを拒むようだった。

 私はそっと左手をミカの顎にそえる。そして、ちょっとだけ力を込めて唇を開かせた。


「あ……」


 ミカは吐息のような声をかすかにだしたが、私はそこにできた唇のすきまに、すっとバラジャムをのせたスプーンを差し入れた。


「んっ」


 突然のことに、目が見開かれたものの、ミカは結局、その一匙を飲みこんだ。

 次は私がそっとその赤いジャムをすくって自分の口に入れた。


「……香りが口に広がりますね。とてもおいしいですよ」


 私の言葉に、ミカは頬を染める。

 蕾がほころんできたようなミカの姿に、私は胸がつかまれるような気持ちになる。

 酒に……酔っているのだろうか。

 それとも、このバラの香りに酔っているのか。

 それとも、ミカに?


「……ミカもおいしそうですね」


 つい、私は空いた方の手で、ミカの頬をそうっと撫でた。

 ミカはびくっとしながら肩をすくめる。


 居間のソファで二人で並んで座って、こうやってわずかだが触れたりしていると、本当に心を通わせた恋人同士にでもなったような気持ちになってしまう。


 さっきミカが言った。「感謝しています」の言葉。

 それは、これからも私のそばにいてくれる約束とはほど遠い……。

 なのに、こうして作ったものを私にわたしてくれることに期待してしまう。


「あ……アラン……さ、ま」


 ミカがとぎれとぎれに私の名前を呼ぶ。私が頬に触れていた指先を唇にもっていって、軽くなぞったからだろう。


「アラン、とは呼んでくれないのですね?」


 私がたしかめるようにミカに聞くと、ミカの頬の染まり具合がいちだんと濃くなった。うつむくと、結いあげた髪のせいで耳が見え、そこから首筋までほんのりと桃色にそまっている。


 ……私の可愛い人。


「だって……街に行ったときに、きちんと呼べてないといけないかな…と思って」

「いまから練習してくれるなんて、熱心ですね?」


 私がからかうように言うと、ミカは顔を赤くしたまま、またうつむいた。


「アラン様……近い。照れます」


 うつむいて、頬をそめて言うミカの姿を見下ろしていると、ふいにその小さき身体を抱き寄せたくなった。

 その疼くような衝動を前にして、私は息をこらえた。私にはすべきことがあるのだ。


 ミカは「感謝している」「ありがとうございます」と私に言った。

 ならば、私がミカに言うべき言葉は……。


 私は、昨晩からずっと伝えようと思っていたことを伝えるため、いちど息を整えてから呼びかける。


「ミカ」

「はい」


 返事するミカに届くようにと願って、口をひらく。


「昨晩は、すまなかったと思っています」

「え?」

「あなたに無理に口づけました」


 私の言葉にミカが瞬いた。

 ミカの唇にそっと指をあてた。果実のような唇。


「朝に、きちんとあやまるべきだったのに、遅くなってしまいました」

「……」

「私は……夜にあなたがどこかに行ってしまったのを知って、嫉妬にかられたのです」


 私の言葉をじっと聞いているミカは、その黒の瞳を少し揺らした。


「嫉妬…?」

「えぇ」

「なぜ?」


 私は、その揺れる黒い瞳をのぞきこむ。すこし顔を近づける。

 互いの吐息が触れあうくらいに。

 ミカはまだ拒まない。近づいてくる私を押しのけようともしない。


「嫉妬したのは……あなたがどこかに行ってしまうような気がしたからです。私の手の届かないところへ」

「……」

「私は、あなたに近づきたいのに」


 私は、ミカの耳元に唇を寄せた。

 ソファがぎしっと音を鳴らす。その音で、ミカの肩がすこし震えたのを読みとった。


「ミカ……好きです」


 ちいさな耳の、愛らしい耳たぶにそっと唇を当てる。

 小さな震えが私の唇に伝わって来た。


「あなたが空から落ちてきて、一生懸命にこちらの世界で馴染もうと、生きようとしているミカの姿が最初はいじらしいなと思っていました。かまってみたくなった」

「……」

「でも、だんだんそれだけではなくなりました」


 唇を当てていた耳たぶから、ふっと息をふく。

 きゅっと肩をすくめるミカを愛しく思う。


「ミカの館の者たちへの想いやりが好きです。この館の者たちは、私にとっても大事な存在ですから。それから、私にポンポンと言い返してくる姿もけっこう好きです」


 耳たぶから、すぐ舌の首筋に唇を当てると、またびくっと身体を揺らした。

 ……可愛い人。

 逃げないでと願う。

 こんなに腕の中にいるのに。


「婚約の話は、私にとって……」


 言葉をきって、ミカの目を見る。


「私にとっては、チャンスだった。喜びなのです」


 ミカの目は潤んで、私の目を見つめていた。

 しっとりと輝く黒曜石のような瞳。


「ミカ、私はあなたが欲しい。私はあなたを望んでいる。覚えておいてください」

「……厄介払いって……」

「違います。『厄介払い』なんかでは、まったくない」


 唇を寄せる。触れるか触れないかの距離で止めた。

 まだ、ミカが私を求めていないから。

 ミカが私に腕をのばしてくれたなら、すぐにでも抱きこむのに。


「欲しかったんです……。厄介どころか……宝物です」


 もういちど、ささやいた。吐息がミカと私の間に交わされる。

 ミカの頬に唇を落とした。

 ゆっくりと身体を解放すると、強張っていたミカの身体から、すっと力が抜けるのが見てとれた。


「……バラのジャム、ありがとうございます。次はお茶にもいれてみましょうね」


 居間には、甘い時間がただよっていた。

 バラの香りにつつまれて。でも、クオレの甘酸っぱさも隠れている。


 ミカは、どこか茫然とした風情でそこにいた。

 わたしはマーリを呼び、「ミカをミカの部屋へ」と預ける。

 ふとそのとき、ミカが我に返ったような顔になり、私の方に目を向けた。


「……アラン様。…・…私、街に出かけるの、とっても楽しみにしています」


 その言葉に、私も頷いた。


 私が心開いたように、ミカもいつかその心を開いてくれたならいいのに……そんなことを願いながら。

 けれど、ミカの表情からは、彼女の気持ちを読み取ることができなかった。


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