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閑話 「願い」 (ロイ)

ロイ視点です




「忘れられないんだろうな。怠惰とは無縁の生活をしてるが……課題をこなしてるみたいにして暮らしてんだろうなぁ……」


 船上の風に吹かれながら、ユージン指導総長はそう呟いた。

 行きと同じく船酔い中の僕は、吐き戻して騎士服を汚すようなことがあってはならないと、上着を脱いで桶を胸に抱えて甲板で座り込んでいた。

 ユージン総長は海辺の村育ちらしい。山村の奥で育った僕には、海の絶えず揺れ続ける波というものは不安でしかないが、彼には波の揺れも波音も懐かしく気分がほぐれるものらしかった。


「新しい恋をするにも、あの島じゃ出会いはねえなぁ……住人がいないもんな」


 さきほど出航した聖なる島を眺めながら、総長はそんなことを言う。

 たぶん彼の呟きはすべてアラン様のことを指しているんだろう。

 僕はとにかく船酔いから気を紛らわせたくて、気持ち悪いのを押し殺して声をだした。


「……僕……よくわからないんですけど、忘れる必要ってあるんですか? 新しい恋をしないといけませんか? ……うぅぇ……」

「恋をしないといけないわけじゃないが……新しい出会いがあると、別れた人のことをすっぱりあきらめて、過去を引きずりすぎないで済むこともあるからなぁ……ってお前、無理してしゃべらなくていいぞ」


 ユージンさんがあきれ顔で僕の顔をのぞきこんだ。

 僕は息をついて、口のまわりをぬぐった。


「……不本意ながら、ちょっとすっきりしたので、話せるようになりました。それで、うーん……たとえば、ユージン指導総長はマーリさんに好意をもっておられるじゃないですか。それでマーリさんともしうまくいかなくなっちゃったときですね、他の女性と出会いがあったら、マーリさんのことはそんなにあっさり忘れちゃえるもんなんですか。なんかそういうのわかるようなわからないような……うーん」

「おまえ、船酔いしてるからかしらんけど、遠慮なくなってるぞ」

「そうですか、すみません」 

「まぁ、いいさ。で、マーリさんとのことね……。まだはじまってないのに、別れたことを考えさせるってどういうことなの」

「始まってませんでしたか」

「始まりそうなところを味わってんだろ……これだからお子ちゃまは」

「すみません。で、どうなんです? あっさり忘れるものなんですか」


 しつこく尋ねると、総長は息をついた。


「忘れはしないさ。……でも、俺は若くないからな。この歳になるまでに、それなりに真剣な恋をしたこともあるんだよ。そしてまぁ互いの気持ちやら状況やらで別れも経験したから今がある」


 総長は船のへりに肘を置き海を見てる。その大きな姿を僕は甲板で見上げてる。

 アラン様とはまた違った別のたくましさを感じさせるその立ち姿。はためくマント。


「どんなに好きだと思ってた女性でもさ、別れて数年たっていくうちに、懐かしい思い出になってしまうことも知ってんだよなぁ……。互いの肌を知ってても、一緒に泣き笑いした幾つもの日々があってもさ……。うまく合わなければ別れが来るんだよ。そして離れて時間が経つと、いずれみんな過去になっちまって。それでまた新しい出会いに心がいっぱいになるっていう瞬間、知ってんだよ。だから、アランが過去を引きずったままなのが、なんだかもったいない気もしちまう」


 肘をついた腕に顎をのせ、ちょっと気だるい感じで海の向こうを眺めている総長の表情は僕の角度からは見えない。

 ただその声はなんとなく寂しげに聞こえた。


「あのアランがあの名ばかりの『聖地の島』で島を見回りをして一日をすごして……、孤独に人生を終えてくなんて……なんだか……なぁ……」


 僕に語るというよりは、ただ呟くといった感じの言葉に、彼の本音が見え隠れしているように思った。ミカ様のことを忘れて欲しいというよりも、ユージン指導総長からすれば、今のアラン様の置かれた状況すべてが歯がゆいんだろうと思う。


 僕は背中を船のへりに預けて身体の力を抜くようにしてから口を開いた。

 こんなだらしのない格好で指導総長と話しをするのは、そうなんどもないだろう。

 船酔いも、アラン様とお会いできて一緒の席につきお酒をいただき朝食までごちそうになる――……、そう僕の身に何度もおこることではないだろう。

 その気持ちが、僕の口を開かせた。


「僕が……アラン様に初めて出会ったのは、9歳の頃です」

「9歳? えらく小さいな」

「えぇ。鄙びた山村に生まれ育った私は、時々父と買い出しのために街におりていたんです。街といったって王都ではありません。小さなちいさな地方都市です。そこにある騎士見習いの練習場に、当時、剣技大会で優勝をおさめたアラン様がいらしていたんですよ。今考えると、視察のために地方を回ってらしたセレン様についていたのかもしれませんね」

「なるほどな」

「幸運にも、たまたま立ち寄った騎士見習い練習場で、僕と父はアラン様の剣技を見せていただくことができたのです。――……それはそれは見惚れる剣技でした。綺麗でかっこよくて……。そればかりでなく、私の不手際で、父とはぐれてしまったんですが、父の元までアラン様は馬に乗せて送ってくれたんですよ。平民の薄汚い格好をした迷子の私にもどこまでも紳士的な方でした。……その一度きりの出会いで、僕はぜったい王都で騎士になると決めました」


 ブラウスの首元のボタンをはずしてゆるめる。少し息をするのが楽になる。

 一度深呼吸してから、僕はまた話し続けた。


「本当に鄙びた山村生まれなので……周囲に騎士を目指す人なんていなかった。でもあの一度限りの出会いであってもアラン様の姿はずっとずっと心から消えなかった。地方の騎士見習いから王都に上がること一つでも困難はたくさんありましたが、問題が起ころうとも苦にならなかった。いつだって心にアラン様の姿が輝いていたからです」


 海を見ていたはずのユージン指導総長は、いつのまにか僕の方を見ていた。

 彼を見上げて、その双眸を見つめる。

 総長もまた、修練生をいつも励まし、時に叱り、心配し、こうして僕のような者がアラン様に近衛に入ったことを報告できるように取り計らってくださったりする――大きな大人だ。

 だからたぶん、若輩者の僕にはわからないたくさんのことが大人の世界にはあるんだろう。

 あるんだろうけれど――……。

 

 あの長い黒髪、ゆるやかに微笑んでアラン様を見上げる眼差し。またアラン様が必死なくらいにその人の手を握って、話しかけて、守ろうとして――嬉しそうに微笑む横顔。

 

 あの二人の形を分かつほどの何かなんて、どうしてこの世にあるのか、僕はまだ納得ができない。できてない。


「恋がどういうものか、僕はまだわからないです。でも、たった一日……いや数時間の出会いでも、一生をかけることになることもあるんだと僕は思っています。すくなくとも僕はそうだった」

「……」

「もちろん人は一緒に過ごすうちに醜さも知ると思うし、幻滅することもあると思います。離れた方が楽になることだってあるかもしれないけど。だけど、やっぱり心に消せない出会い、一生引きずって代わりなんて見つからないという出会いもあるんじゃないかなって思います」


 僕が言い終えると、しばらく僕と指導総長の間に沈黙がおりた。

 ただ総長のマントのはためく音、波の音、船の漕ぎ手たちの掛け声が聞こえる。


「……生意気言ってすみません」


 しばしの沈黙のあとに僕がそうあやまると、総長は首を横にふった。


「いや、お前があやまることは一つもない。ロイの話は……今のアランに通じるものがあると思う」


 彼は穏やかにそう言った。それからふっと何かを思い出すようにして微笑んだ。


「……アランはきっとミカ様に全部を捧げたんだろうなぁ。そういう愛し方しかできないんだろうしな」


 懐かしそうに、いとおしそうに友人のことを語る総長は、やはり僕から見ると大人に見えた。

 その心に思い描く相手について、諦めたような、でも慈しんで思い遣るような眼差しを見て、かつての母の姿を思い出した。


「そういや母が言ってました。人それぞれいろんな愛し方があるもんだって」

「ロイのお母さんが?」

「はい。うちの父さん、ぶっきらぼうだしあまり喋らないんで。悪い人じゃないけど、明るくて肝っ玉のでかい母となんかつり合い取れてるような取れてないような……よくわからないなって、思うことがあったんですよ。それで、なんで夫婦やってんのかなぁとか思って、つい聞いてしまったんです。なんで夫婦になったんだ、夫婦を続けてるんだ、って」

「それで?」

「母はガハハって笑いました。『なんで、なんでって、全部に理由をつけて生きることないだろう』って。『人それぞれ愛し方があって、なんでって聞いたって互いにわからんこともたくさんあるだろう』って」

「……たしかになぁ……。ついつい理由つけたくなるんだよな、幸せになれるか、充実してるか、なんでそうなるのかって理由付けして、ありのまんま受け入れるっていうのは、まぁ難しいな。ロイのお母さん凄いな」

 

 総長は破顔した。

 母が凄いわけではないだろうが、母は母なりに生きて何かを得た。ユージン指導総長も総長の人生を生きてこういうものだと体得してるものがある。

 それぞれの経験が物を言うっていうのは、そういうことなんだろう。

 でも――僕は、経験で予測できないこともあると信じたいと思う。

 僕は僕なりの願いがある。


「僕、このたび近衛騎士になって、貴族の人たちも煌びやかだけどいろんなことがあるんだなって知りました。アラン様もミカ様も大変だったんだろうなぁって今ならなんとなく想像がつくんです。四年前の僕ではわからなかったんですけど。だから、今のアラン様ともしミカ様が戻られても、前のようなお暮らしは難しいかもしれませんし、アラン様のお立場も全然違うものになりました。だけど――……それでも、なにか奇跡がおこって、ミカ様が戻ってこれたら……生き返るって失礼な言い方かもしれませんけど……もしミカ様が生きてらっしゃるなら、アラン様と一緒にいる未来を見たいなって、僕は思います」


 そう、僕は。

 僕は。

 単純に――お二人が幸せそうに寄り添っているところを見たいと思う。


 理由も経験も、それこそこの世の原理に反することであっても――何か未知数の奇跡が起こって欲しいと願う。

 

 ユージン指導総長が僕の言葉に小さく微笑んだ。

 それからまた船の外、海の向こうへと顔を向けた。 


「奇跡なぁ……。奇跡が起こればいいんだけどなぁ」

「……僕は強く願ってます。願うことを無駄だっていう人もいますが、願わないと始まらないですから、僕は願いつづけます。希望し続けます」


 僕が重ねるようにそう言うと、ユージン指導総長は「強いなぁ……」と呟きつつ空を仰いだ。

 

「たしかに、勝手に空から希望は落ちてこねぇもんなぁ……。自分自身で希望を捨てないと決心するしかないんだろうな」

 

 彼が見上げる姿につられるようにして僕も空を見上げる。

 青い青い――どこまでも青い青空。そこに描かれる白い雲。



 アラン様の願いは何だろうか。

 わからないけれど――でも、僕は願わずにいられない。


 アラン様が幸せでありますように。

 そして、ミカ様も幸せでありますように。


 幸せのかたちなんて人それぞれだろうけど、それでも――いたわりあえて、慰め合えて、励まし合えて、微笑みあえて、明日のことを幸せに語り合えたら――それは幸せって呼べるんじゃないかと僕なんかは思う。

 

 だからどうか。

 アラン様とミカ様が微笑みあえる日がくるといい。



 こんな青空の下でも、雨の日も嵐の日も――ずっと、ずっと願っている。





 

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